5話
日の曜日だけあって、城下街は人波と活気で溢れている。
一般的に日の曜日は休日であるらしい。歩けば当たるような人の数だ。
相変わらず、目に見える全ての物は新鮮で、慣れない。
「ルクさん」
不意に呼ばれ、蠢く人波から視線を引き戻される。
「手を繋ぎましょうか。もしはぐれたら、大変です」
そう言いながら、レティシスは右手を差し出す。白く、細い指先は綺麗に揃えられ、ルクに向けられている。
「い、いいです。大丈夫です」
ルクは目の前で手をぶんぶんと振る。
もしはぐれたら、城の人間に助けを求めるように、と教えられた。教会への道も覚えているから大丈夫と、根拠の無い自身もある。
ルクの全力にも等しい拒否に、レティシスは悲しそうに手を引こうとする。
「昨夜はわたくしの手をぎゅっと握るのに飽き足らず、ぴったりとそのお身体を寄せていただいたではありませんか」
ルクの顔が一気に沸点に達し、髪の毛すら焼けそうなくらい、熱い。
そんなことをしていたの!?
ルクには覚えもないし、自覚もない。つま先からてっぺんまで、身体の熱が引かない。とんでもないことをしでかしたという、後悔。
「ごめんなさい、からかいすぎましたね。頼られている感じが、嬉しくて」
申し訳無さそうに、レティシスははにかむ。
・・・そっか。
ルクは、おずおずと手を差し出した。別に自分が握りたいわけではない。レティシスが嬉しいのなら。と、変な言い訳が心を満たす。
「うふふっ」
レティシスは悲しい顔をどこかに追いやり、破顔。ルクの小さな手を握り返した。
触れたレティシスの手のひらはこの上なく柔らかく、頼もしさに溢れていた。
ふたりがまず立ち寄ったのは、衣服を取り扱う店。
服は神父のお下がりでなんとかしているが、新しい服も着てあげたいとのこと。それと何枚かの下着も購入し、レティシスの背中のリュックが膨らんでいく。
「えーと、あとは家具ですねぇ」
買うものをメモしてきたのか、レティシスは紙切れに視線を落としている。
ルクは申し訳ない気持ちになっていた。
「あの、着るものだけで大丈夫です。そんなに大きい買い物、しなくても」
そう言い終えるよりも早く、レティシスの手のひらがルクの頭に載せられる。
「お金の心配はしなくていいんですよ」
ルクは世間のことをまだ何も知らない文字通りの子供だ。
何をするにもお金が必要なことを知っている。そのお金を手に入れる手段が今のルクにはないことも。
「昨日のわたくしの言葉、もうお忘れですか?」
視線を合わせるため、レティシスはしゃがみ込み、ルクの目を真っ直ぐ見る。
どこまでも澄んだ、吸い込まれそうな瞳。
「ワガママ、叶えさせてください」
・・・なんだか、敵わないな。
ルクはつくづくレティシスの懐の深さを知り、そして自分が限りなく無力であることを思い知らされた。
「あーーーーーっ!アンタ!」
喧騒の中を、一際大きい声が人波を割り咲く。
驚いた通行人が、何事かと視線を向ける。
声の方へ、レティシスとルクが振り返る。
そこにはルクと背は同じくらいだろうか。鮮やかな赤い髪を、リボンでふたつに分け結った、快活そうな少女。
きりりと鋭い眉と、それを引き立てるガラス玉のような大きい瞳。
その少女の指先が、ずびしとルクに向けられていた。
ルクはその少女の顔に見覚えがあった。
「あ、キュレミー」
「・・・お知り合いですか?」
レティシスの問いに、ルクはうん、と小さく頷いた。
保護されていた城で出会った女の子だ。恐らく、年も同じくらい。
将来は魔導士志望だとか、自分は天才術師の血を引いている優秀な人間だとか、聞いてもいないことを高らかに言っていたのを覚えている。そんなことは、あの時のルクにはどうでもいいことだったし、毎日絡まれて迷惑していたぐらいだ。
つかつかと石の歩道に靴音を響かせながら、ルクに近づいてくる。
「アンタ!何で黙って勝手にいなくなったのよ!」
彼女は何に対して怒っているのだろう。
怒りに満ちた目をルクに突き刺すように向けている。
「何で、って」
保護されていたのは送り出す親や、住んでいた国が見つかるまでの間だけ。もっとも、ルクに関してはその身を預ける人間や施設を探すのに難航し、後回しにされ、結局最後になってしまってはいたが。
「『家』が見つかったから、城に居座る理由がないというか」
キュレミーの両親は王国所属の魔導士とはキュレミーの談。両親が自慢であるキュレミーは、事あるごとに城へ出向いていて、その時にルクの存在を知ったらしい。
それがルクにとっては運の尽き。ルクの境遇を知ってか知らずか、キュレミーは毎日毎日飽きもせずルクの前に姿を現し、聞いてもいない講釈や自慢話を押し付けてきた。
キュレミーの目が、ルクの隣に向けられた。
「アンタ、まさか!」
指先をレティシスに突きつける。
「家、って、この女の住む教会じゃないでしょうね!」
イース・ルールに身を捧げた、美しい聖職者ともあれば、この国では子供でも知る有名人なのだろう。
「『化物』、『魔女』じゃないの・・・!」
穏やかではない単語が聞こえた。
化物に、魔女だって?
レティシスはそんなものとは無縁の、慈悲深い優しさに満ちた女性だ。でなければ住人が街を出てまでお祈りになどこないだろう。
「そんな凶悪なモノをぶら下げておいて、化物じゃないなんて言わせないわよ!」
キュレミーが恨めしそうにレティシスを睨みつける。主に胸の部分に向かって。
・・・あほくさ。
ルクは物騒な二つ名の由来に興味を失う。
「・・・何の用だよ。やっとキュレミーから離れられると思ってたのに」
キュレミーが言った言葉を、ルクは忘れてはいない。
ルクに親がいないことを、キュレミーがからかったのだ。彼女にとっては取るに足らない言葉だったのかも知れない。
怒りよりも先に、ルクは悲しくなった。
確かにさらわれた子供の内、親がいなかったのはルクだけだ。例えばキュレミーに親がいないとして、その言葉を彼女は許しただろうか。
生意気。そして物を上から言う高圧的な態度。あと、声がでかい。
それ以来、ルクはキュレミーが苦手だ。
でも、ルクには行くところはないし、街にも出歩きたくなかったから、部屋で大人しくしているしか無かった。それでもキュレミーは次の日以降も現れた。
引取先が決まって、ルクは黙って城を出た。
「なっ!?あ、アタシもそうよ!でも、お世話になった仁義を忘れて出ていくのはどうかと思うわ!」
「何でぼくがきみにお礼を言わなくちゃいけないんだ」
少なくとも、ルクはキュレミーの世話になった記憶も覚えもない。
「さ、最後に挨拶して去るのは人としての礼儀よ!」
「すみませんね。何せ誰にも教わったことがないので」
「こら」
ふたりの間に流れる険悪な雰囲気を、それでも優しさを含めたレティシスが割り込んだ。
「そこまでにしましょう、おふたり共」
そして、珍しく表情を眉の距離を狭めたレティシスがルクを向く。
「心配してくれたお友達にそんな言葉使いは良くありませんよ」
その言葉に、キュレミーは「し、心配なんて」と、顔を赤くさせている。
そうだ。心配なんてするはずがない。
レティシスはルクとキュレミーの手をそれぞれの手で取り、お互いを握手させる。
「仲直り、ね?」
ぎゅううううっ、と。キュレミーは壊れるのではないかと思うくらいに目を閉じ。
「心配なんて、していないんだからあああぁぁぁぁっ!」
キュレミーは繋いだ手を振りほどくと、赤い髪の束を振り乱しながら全速力で走り去って行った。
人波の中を縫いながらもその背中が見えなくなるのを、ルクは憮然とした表情で見送る。
「・・・何なんだよ」
全く、理解に苦しむ。
その様子を見て、レティシスは頬に手を当てて、困ったように顔を浮かべていた。
買い物を終え教会に戻ってきた時、扉の前に木箱が積まれていた。
中身は野菜や果実。良かったら食べてくださいと、レティシスを慕う有志からの寄付だった。
ほら。
レティシスが魔女だって?聖母の間違いだろう。
木箱はふたりで協力して、ひとまず炊事場へ。
「わたくしは夕食の支度をしますね。ルクさんはお風呂の準備、お願いできますでしょうか?」
ルクが木箱をひとりで運べないくらい非力でも、レティシスに頼られるのはやっぱり嬉しい。それが誰にでも出来る仕事でも。
教会の裏手には、小さな小屋として風呂場が独立して建っている。建物自体は先代神父が手掛けたものらしい。
外を出なければならないので、冬場は大変なんですよね、とレティシスの困ったような表情が印象的だった。
前もって抜いていた浴槽を掃除。
水を貯めるのは、湯船まで鉄管で引いた井戸水を繋いでいるので、コックを捻るだけで水が出る。
薪の積まれた薪置き場から数本を抱え、窯の中へ入れる。マッチを思い切り擦りつけ、生まれた灯火を窯の中に放り込む。窯の中は炎が揺らめく。
・・・これを、レティシスはひとりでやっていたんだな。
改めて、レティシスの凄さを知ったのだった。
何かをやり遂げた清々しい気持ちでルクは教会に戻る。
炊事場に顔を覗かせると、かまどの火に鍋がに掛かったままだった。
コトコトと音を立てながらも、鍋がいい匂いを醸し出している。
真っ白いスープに、人参、じゃがいもが浮かぶ。クリームシチューのようだ。
だがしかし、レティシスの姿が見えない。
不用心だな。
おせっかいながらも、ルクは煮える鍋をお玉でかき混ぜる。改めていい匂いが鼻腔をくすぐる。
ふと見ると、地下室に続くという扉が開いていた。開いた錠が扉にぶら下がっている。
地下は食料庫に繋がっていると言っていたっけ。
興味を惹かれつつ、僅かに開いた扉の先を覗こうと近づいた時、不意に扉が開き、レティシスが現れた。
「・・・あら、ルクさん」
目の前にいたルクに驚いた表情を浮かべつつ、レティシスは後ろ手に扉を閉め、鍵を閉めた。
「調味料を取りに行ってたのですが、生憎切らしていたみたいで。街に出た時に買いに行っておけばよかったですね」
手ぶらのその手が、目的の物が無かったことを示していた。
「ありがとうございます。火の番をしていただいたんですね」
全然大したことではないのに、まるで英雄をねぎらうかのようにルクの頭を撫でてくれた。
「食事にしましょうか」
頭に触れる優しい手は相変わらずこそばゆいが、認めてもらった証のようで、嬉しかった。
「ルクさん」
食卓に着いたレティシスは、珍しく表情を厳しい物に変えている。
「街での出来事を覚えておいでですか?」
思い当たるのは、キュレミーとのことだ。
「心配してくれたお友達に、あのような物言いはよくないと思いますよ」
「・・・だって」
キュレミーは、言ってはいけないことを口にしたのだ。それに、友達ではない。
自分だって、何を言われても平気な訳じゃない。何をされても大丈夫な訳ではない。
それが生きるためだったら、物言わず働く。聞き流す。耐え抜く。
でも。
顔も知らない、会ったこともないけれど、心に焦がれた親をバカにされた気がしたから。
「・・・・・・」
レティシスは立ち上がり、ルクの元へ。そして傅く。
怒られると思った。ルクは身体を強張らせる。
「わたくしならば、どんな言葉を投げつけられても構いません。ルクさんが許せないことがあれば、その怒りを、不満をわたくしに叩きつけていただいて構いません」
「い、言わないよ!レティシスさんは、優しいもんっ!」
「ふふ」とレティシスは優しく微笑み。
「キュレミーさんも、きっと同じですよ」
ルクには、とてもそうとは思えなかった。
「きっと、次々と元の家に戻る子供たちの中、ルクさんのことを気遣って、心配して話しかけに来たのだと思いますよ」
じゃあ、何であんな言葉を吐くのだろう。
「言葉には、額面通りとは違う意味を持つ場合があります。今は分からなくても構いません。でも、きっとキュレミーさんは、ルクさんと仲良くなりたいとと思っていますよ」
にこり、とレティシスは笑った。
・・・確かに、キュレミーは毎日来てくれた。どうせ離れることになるんだと、他の子供と交流を持つことのなかった自分に。
・・・そっか。
ぱん、とレティシスは手を合わせる。
「難しい話はこれくらいにしましょう。ご飯が冷めてしまいます」
言いながらレティシスは自分の席に戻る。
「最後にこれだけ。また今度キュレミーさんにお会いした時、ルクさんの気持ちを伝えましょう。キュレミーさんはきっと分かって頂けると思いますよ」
キュレミーは確かにうるさくて騒がしいけど、魔法の話は確かに興味は惹かれた。城の中庭に無理矢理連れ出されて、魔導書を見せられたっけ。文字の読めないルクには、何がないやら分からなかったけど。
「それと」
愉しそうに、レティシスは顔を緩めた。
「ルクさんがここを『家』だと言ってくださった時は、嬉しかったですよ」
つい。不意に。反射的に出た言葉だ。・・・軽はずみだったかも。
「いいえ。遠慮はしないでくださいね?ここはもう、貴方の『家』なのですから」
ルクのうつむく姿を見て、レティシスはそれすらも吹き飛ばすような笑みの輝きを放っていた。




