4話
外はすっかり夜の様相。
街と距離の離れている教会の周囲は闇が深い。
レティシスは自室。ルクも与えられた部屋にいる。
なんか、あっという間の1日だったな。
ベッドに背を預け、天上を見上げる。
手に入れた寝床はこの上なく温かく、幸せだ。
ルク念願の、ひとり部屋での就寝。それは心から望んだものなのに。
「・・・眠れない」
ごろ、と身を捻り、視界を変える。
誰かの逆鱗に触れてしまうかも、という緊張感とは別の息苦しさ。
いくら目を閉じようとも、睡魔が襲ってくる様子はない。昼間はあんなにすぐ意識がなくなったのに。・・・疲れていたからだろうか?
今、何時かな。
いつまで経っても眠れる様子が無いので、ルクはベッドから下り、部屋を出る。
音を立てないように、なるべくゆっくりと扉を閉める。
向かいはレティシスの部屋だ。
扉を一瞥した後、ルクは滑るように1階へ。
夜の教会内は昼とは違い、独特の雰囲気がある。石像にも、夜の世界は神様も眠るかのような影を作る。
炊事場から外に出られる。正面扉は施錠されていて、大きな音が出るから使えない。
勝手口からそっと出る。
夜の世界は昼間とは違う顔を覗かせている。
昼間には聞こえていなかった虫の声。肌を撫でる涼やかな風。
少し歩き、視界に街を収める。小高い丘から望む街にはまだ、人間の生活の跡である明かりが灯っていた。
海のように広がる草の上に腰を下ろす。
夜風を吸った草は、冷ややかで。
膝を抱えながら、ぼんやりと街の様子を眺める。
この距離では外観しか見えないし、ましてや生活の音など聞こえない。
あそこにはどんな人たちが住んでいて、どんな会話で満ちているのだろう。
ルクには想像も付かない。
まるで世界から隔絶されて、ルクだけが取り残されたような気がした。
冷たい風が吹く。
それが、自分の置かれている状況を思い知らせているようで。ルクは自分の膝をぐっと抱き寄せた。風邪はそれほど冷たくないのに、それ以外のもので凍えてしまう身体を温めるように。
「ルクさん」
背後から声を掛けられた。足音にも気が付かなかった。
慌てて振り返ると、そこには白いパジャマの上下に、ケープを羽織ったレティシスが立っていた。
「あ、ご、ごめんなさい」
自分は何に対して謝っているのだろうか。自分のせいでレティシスを起こしてしまったことに対してか。
・・・それとも、この教会に押し付けられたこと、だろうか。
ルクは慌てて立ち上がる。夜露を払うように、尻を手ではたく。
「眠れませんか?仕方がありませんよね、初めての場所ですから」
レティシスはルクを咎めない。
気恥ずかしさと気まずさを押さえ付けるように、ルクはその場を去ろうとする。
この行為自体が、与えられたベッドの寝心地が良くないと言っているのと同じ意味な気がして。
だが、ルクの進行方向をレティシスの大きな身体が遮った。いや、自分が小さすぎるのだ。あらゆる面で。
大きな影が眼前まで押し迫り。ルクを再び、ゆっくりと草の上に押し戻す。
無理矢理ではない。諭すように、導かれるように。
そのおおらかさは実際の身体の大きさのことを言うのではなく。
きっと、心の優しさを伴ったものを言うのだ。
ぎゅ。
レティシスが、ルクを抱きしめた。夜風で冷えた身体が温かな物で塗り替えられる。
「見てください。空、凄い星空ですよ」
言われた通り視線を向けると、そこには一晩を使っても数え切れないほどの星が瞬いていた。
・・・気が付かなかったな、こんなの。
こんな些細なことにも、ルクは気づかなかった。
不安で、周りに目が向かなかった。ずっと下を向いていた。ずっと背を向けていた。
レティシスの、不安すら溶ける、どこか甘い匂いの残る吐息。
「ルクさん。これからいっぱいお話をしましょう。いっぱいいろんなことを体験しましょう。微力ながら、わたくしもお手伝いいたします」
ニコ、と目と鼻の先のレティシスの顔が笑みで彩られる。
どうして、この人はこんなにも構ってくれるのだろう。
シスターだから、と言われたらそれまでだ。誰にでも平等に優しさを分け与える仕事だから。
でも、ルクにはそれで十分だった。
「・・・ぐす」
感情が壊れそうになるのを、よしよし、とレティシスの艷やかな手のひらが頭の上に載せられる。
「お会いした時に言いましたが、ルクさんはもっとワガママになられてもよろしいのですよ。もっと、自己表示しましょう」
そんなことが許される人生ではなかった。
ただ与えられた仕事をこなす、まさに奴隷と言う名の人形だったから。
でも、今はそれから開放された。けど、糸が切れた『だけ』。
もう、何かを欲してもいいのだろうか。その権利が自分にもあるのだろうか。
どくん、と、ルクは胸の内にある思いが浮かぶ。それを、レティシスにぶつけてみたいと思った。
軽蔑されるかな。調子に乗るなと怒られるかも知れない。
でも、優しいレティシスはそれすらも許してくれそうで。叶えてくれそうで。そこには何の根拠も無いけれど。
「レティシスさん」
ルクの心臓が早鐘のように鼓動を繰り返す。
「はい」
レティシスは視線をルクから外さずに、頷く。
「き、今日、一緒に寝ても、いいですか」
ぎゅっ。
と、ルクを抱きしめる腕の力が僅かに強まり。
「はい・・・!」
苦しくはない。
望んだ応えが返ってきたから。
レティシスの部屋の作りは、ルクに与えられたものと同じ間取りだ。ベッドも当然同じ。
ただ違うのは、簡素ながら様々な家具が並んでいたことだ。
ろうそくの灯る室内は、自分の部屋とは明らかに違う香りがする。その違いにルクは戸惑う。
「どうぞ」
レティシスが先にベッドに入り、促すように掛け布団をめくる。自分が言っておいて何だが、恥ずかしい。
でも、これがルクの望んだ物。ずっとずっと欲しかったもの。
なくして、彷徨って、まるで幸運のように転がりこんできた。
欲して、何が悪い?
「お、お邪魔します」
隣にはレティシスの横顔。
温かい。ベッドも布団の素材も変わらないハズ。
隣に誰かがいるだけで、こうも感じる温度が違うんだ。
「明日は街に出かけましょう。ルクさんの身の回りの物を揃えましょう」
そんなワガママは言えない。
さっきまでの自分だったら、即答で拒否していただろう。でも、今はもう、その言葉に甘えたい気分だった。
「・・・はい」
間もなくすると、心地よい睡魔が訪れる。
「おやすみなさい」
それを察したレティシスが、優しく頭を撫でてくれる。
今までで一番気持ちのいい眠りだった。
油の弾ける、香ばしい匂い。
テーブルに並ぶ、食欲をそそる朝食。
パンの上にはほどよく焼けた目玉焼きが載せられていて、スープは昨日とは違い、とうもろこしの香りが立つ、まるで黄色い水面のよう。おまけにサラダ。
当然美味い。文句のつけようがない。
弾けた黄身が手元に垂れる。
「うふふ」と、レティシスは嬉しそうにナプキンで手元、口元を染める黄身を拭ってくれた。
レティシスは、誰かに料理を振る舞ったことはないと言っていたけど、その料理はどこに出しても恥ずかしくない、絶品だ。その数少ない相手になれて、ルクは嬉しい。
反して、目覚めはあまり良くなかった。ルクが目を覚ました際、その時、偶然かつ、タイミング悪く、レティシスは着替えている最中だった。
白い陶磁器のような肌に、黒い下着がカーテンから漏れる光に照らされ、くっきりと際立っていた。
その姿は、すぐに首を曲げることで視界から外した。決して凝視していない。神に誓って。
その記憶がぼんやりとした頭から滲み出そうになったのを、レティシスの料理の香りが引き戻してくれた。
「昨日言った通り、今日は街へ出て買い物をしましょう」
ルクの持っている服は、城でお世話になったときに貰った簡素な服のみ。
今着ているのは、先代神父の服をレティシスがルクのサイズに仕立てて置いてくれていた。
教会には、様々な人が来る。
「おー、君が噂の同居人君かぁ」
祀られる神に祈りを捧げる者。寄付をしに来る者。レティシスに悩みを打ち明けに来る者。はたまた井戸端会議を目的とするも者も。
その誰もが、レティシスを前にすると、笑顔になる。
大きな木箱に野菜を詰めたおじさんが、ルクの頭を撫でながらカラカラと笑った。
農業で生計を立てているというそのおじさんは、形の悪い野菜を教会に譲ってくれている。形はどうあれ、味は変わらからと、おじさんは言う。
「たくさん食って、大きくなれよ!」
おじさんは、がしがしとルクの頭を少し粗めに撫でると、笑い声を残して帰っていった。
別のおばさんはお目玉を持たせてくれたり、教会に新たに現れた見知らぬ少年に矢継ぎ早に話しかけてきたり。
その勢いに目を回しそうになるも、ここを去るとレティシスに変な心証を与えてしまいそうで、ルクは何とか表情を固くしながらも、我慢した。
教会の最奥の祭壇。
それは清浄神イース・ルールを象り、祀ったという大きな彫像だ。
不浄なる悪しき存在。俗物。疫病。災害を払い、民を守ると言われる神の名だ。
その像の前でレティシスが両膝を突き、両手を組みながら目を伏せる。教会内の長椅子にも、同じく手を組む人間が数十人。
声を発するのも憚られる、厳かな空気。ルクも1番後ろ、扉付近に立ち、それに倣い手を組む。
やがて祈りの時間は終わりを告げ、教会内の人間は、街に帰っていった。
「すみませんルクさん。祈りの儀式は日の曜日の通例行事でして。今すぐに準備しますね」
それはイース・ルールの加護を寵愛する、それを信じる民が祈りを捧げる日。
一週間とは、7つに分かれた日をひとまとめにしたもので、それが4回繰り返すのをひとつの月と呼ぶことはルクも知っている。
ただ、奴隷時代は月の概念なんて知らないし、それを感じる暇も無かった。
さらに、ひとつの月が12個集まり1年、と呼ぶのは聞いたことはあるが、それぞれの月に神の名が冠してあるのは初耳だった。
清浄神イース・ルールが統べるのは、その年の初め、この先の1年が健やかな日々であることを願って、と言う意味を込めた、第1の月に当てられているのだという。
ルクの前に現れたレティシスはいつもと変わらない修道服だったが、その背には大きめのリュックが背負ってある。
「参りましょうか」
正面の扉を施錠。
レティシスと連れ添って、ルクは歩き出した。
向かう先は、鐘をシンボルとした尖塔を有するアイゼアンの城下街だ。




