18話
今よりも遥か遠い昔。原初の時代。
この世界に、初め天蓋あり。
豊かな自然に溢れ、天からは浄化されるような光の差し、穢れひとつない清流の川が流れる、楽園のような世界だ。
そこから層を成す『輪回層』という世界に枝分かれし、別の世界がさらに生まれ、最後に誕生したのが人間界だ。
『天使』は、純白の翼に絹糸の衣に身を包んだ清廉なる存在。
階層に分かれた輪回層は、天使に付けられる階級をなぞらえたことに端を発する。
だがある時代。ある日を境に天使がひとりの残さずに消えた。
天蓋から枝分かれした別の世界があった。
名を『奈落』と言った。
だが、そこはすでに存在しない世界。滅び、チリと消えた世界。
ある日、滅びを待つだけの奈落から、『黒徒』なる軍勢が『輪回層』に侵攻したのだ。
当然『天使』は抵抗したが、圧倒的な数と力により全て虐殺され、森に火を放たれ、街は破壊され、『輪回層』を支配し、その名を含め乗っ取ったのだ。
その進行の手が、『天蓋』に伸びるのに時間はかからなかった。
こうして、『輪回層』の無垢なる大地は闇に染められ、『黒徒』が『天蓋』の王の座すらも奪い取る。
『黒徒』はその名を捨て、『天人』を名乗り、世界を支配することとなる。
『調律』は、天人の光核の回収を兼ねた、増えすぎた人口調節するという名目の元に行われるが、真の目的はそうではない。
最後に生まれた世界、人間界。
ここに住まう人間は、どの世界の生命体よりも、異なる存在だ。
寿命が短く、羽虫のように脆弱だ。
だが、彼らにしかない能力がある。
成長し、新たな技術を生み、それを使いこなす。
それをかつて『黒徒』だった『天人』は恐れている。
崩れ行く『奈落』を捨て、新天地を求め旅立った『黒徒』は対話という手段を取らず、力でねじ伏せ、『輪回層』を奪い去った。
それから途方もない時間が流れた。
何千、何万年も前に、自らがしてきたことを人間にされるのでは、と。
『天使』の存在無き今、生命の頂点は『天人』だ。
恐ろしいのは人間の成長性。
悠久とも呼べる時間の中、人間は原始的な生活から文化を生み、育て、瞬く間にその勢力を拡大させた。
技術力の上昇は、いつか次元の壁すら超え、人間が『こちら側』に干渉する時代が来るのかも知れない。それが、かつて『黒徒』が『輪回層』を侵攻した時と重なる。
それを防ぐために、『天人』は数千年単位で人間を管理しているのだ。過剰な人間の進化が見えた時、それは作為的に行われる。調律と言う名の、人間管理。
増やしては無に返し、無に返しては増やし。
問題は、今レティシスと名乗っているリベッドである。
『輪回層』への侵攻で、『天使』は全て根絶やしにしたはずだ。それが何の因果か生き残り、人間界に根ざし、生活をしている。
何かを生み出す不可思議な大地から。それが今の時代、顕著に現れている。
今まで、どの時代でも神の存在は生まれ続けていた。それは、弱い自分たちが縋る、人間の根底にある性質なのかも知れない。
そして、そのどれもが想像力の域を出ない偽神だった。
だが、今はどうだ。
12の神なるものが生まれようとしている。今までにない現象だ。
これがもし、全ての神が顕現すれば、我々の脅威になる。
軽視する者もいる。取るにならない出来事だと、いつも通り神など現れず、調律の日を迎えると。
所詮、人間ごときが夢想した虚像の存在だと。
だが、どうにも嫌な予感がしてならない。
人間の、無から有を生み出す力。まるで、かつての我ら『黒徒』と相反する力だ。
奪い、喰らう。
『黒徒』は、他の生命を喰らって、能力の付与を己に取り込める性質を持つ。
その証拠に、『天人』の黒い天光板は、『天使』を喰らったときに取り込んだ名残だ。
白い翼は黒い翼に色を変え、罪のように背負う。
『念光』、『鱗装』『纏圏』も、元々全て『天使』の持つ能力だったものだ。
レティシスが他の生命を喰らって能力を得ることができないのは当然だ。
彼女は『天人』ではなく、純粋な『天使』なのだから。
その始祖の力を持つ『天使』の生き残りが判明したのも含めて、これを王は承知なのか。
ネビアはリベッドを連れて帰ること無く、おめおめと戻って来た。
調律の日は近い。
その時、レティシスはどう動くのか。
どちらにせよ、楽しみだ。
この無限の輪廻を破壊するときが来るのかも知れない。
わしわしと。
温まった身体が覚めないうちに、ルクはレティシスに頭をタオルで巻かれて拭かれている。
今までも風呂から上がる時は、レティシスは下着を身につけてからルクの身体を拭いてあげていたが、今は違う。生まれたままの姿のレティシスが背後にいる。
どういう心境の変化か。
ルクの言った言葉が原因なのだろうけど。
親子なのだから、裸で入るのは当たり前です、とレティシスは力説。
早まったことを言ったかなあ。でも、後悔はしていない。
ルクがレティシスを好きな気持ちは変わらないし、何より。
あの時ルクが言った言葉で、レティシスを守れた気がしたから。勇気づけられた気がしたから。
それが、とてつもなく誇らしい。
と、ルクはそんな考えと同時に、なるべく視界に裸を映さないように手早く着替え、早足で脱衣所を出る。
ルクのレティシスを想う気持ちと、照れくさい気持ちはまた別だ。
この気持ちに慣れた時、本当の親子になれるのかな。
ルクはそう思った。
就寝の時間。
今日は、ルクのベッドにレティシスがお邪魔をしている。ベッド自体はレティシスの部屋のものを同じものだし、布団類がルクのために設えた、まだ新品である以外はレティシスの部屋のものと同等だ。だけど、まるで感じる雰囲気が違うのはなぜなのだろう。
ルクが天井を見上げているのに対し、レティシスはその横顔を眺めている。それが、こそばゆい。あまり見ないでとも言えないし。
「・・・ねえ、レティシスさん」
ああは言ったが、お母さんと自然と口にするのは、まだ恥ずかしい。
「なんでしょう」
「・・・今日現れたあの人も、レティシスさんの知っている人?」
もちろん『人』ではないのだろうが。
少なくともギュレン同様レティシスの名を知り、友好的な態度ではなかった。
レティシスは押し黙り、言葉を選ぶ様子を感じられる。
「・・・今日のことを含めて、いつかそれもお話する日が来るかもしれません。ただ、なるべくならルクさんがそれを気にすること無く、日々を過ごされることを、わたくしは望みます」
それは真実を隠す、というものでなく、心配からくるものだと分かる。だから、ルクも追求しなかった。
「今日のレティシスさん、かっこよかったなあ」
努めて陽気に話を変えてやる。
脳裏に浮かぶのは、金色の輝きを放つ、純白の羽根を携えたレティシスの姿だ。
本の挿絵で見たような、白き羽根を生やした神の御使い。今ならレティシスの正体が天使だと言われても、ルクは納得できる。
「うふふ。そうですか?」
褒められるのは悪い気はしない、とレティシスの顔がほころぶ。
輪回層では、白い翼を持つアハルトは異質だったから。常に奇異の目に晒されていた。だからレティシスもいつもは天光板を出さずにいた。下層よりも力の劣る証だと言葉を投げつけられた時もあった。
その度に、レティシスは力で示してきた。人間を血祭りにしてきた。思い出したくない、だが、受け入れなければならないレティシスの罪。
「ルクさん」
何?という言葉を継ぐ前に、ルクの顔に柔らかいものが押し付けられた。
それがレティシスの豊かな双丘だと気付いた時には、自身の顔が赤く、熱を帯びていくのが分かった。
腕を背中に回し、丸で包み込まれる感覚。以前のような不快感はない。それどころか、ゆりかごのような安らぎすらを感じられて。
それは、ルクがどこか遠いところに忘れて来た物のように思えて。
「うふふ」
だから、ルクもそれを跳ね除けるようなことをせず。逆にレティシスの胸の中に身を沈めた。
甘えん坊だと思われてもいい。今だけは、自分の意志で、そうしたいと思ったのだ。
「ルクさんも、格好良かったですよ」
レティシスのことを受け止めてくれる人間は、真の意味では存在し得なかった。その姿を知ってなお、レティシスを許し、かばってくれた。
果たして『レティシス』はどうだっただろうか。アハルトとしての姿を見せていたら、運命はまたねじ曲がったかも知れない。後悔はいつも絶えない。
胸の中のルクの熱が嬉しい。
恐らく、これからはいつも通りの生活を送ることは難しくなるだろう。
街の一部の住人にレティシスの正体が人間ではないと知られ、天蓋にもその存在が割れた。
断続的に膨らみ、小さくを繰り返すルクの寝息。
疲れからか、安心からか。レティシスにその身を預けてくれている。
レティシスは決意する。
この小さくも勇気に溢れた我が息子を、護り続けるために戦うことを。
この話で、ひとまずの終わりです。ありがとうございました。
ルビだらけて読みにくく、申し訳ありませんでした(笑)。




