17話
修道服を貫いて、身体の向こうに景色が見えている。
血が滴り、床を雫が汚す。
「無価値な人間を庇い、自らが傷を負いますか。つまらぬ慈愛ですねぇ」
何も可笑しくないのに、ネビアは笑う。それが、ルクは許せなかった。
だが。
レティシスの傷が蠢く。円状にくり抜かれた傷が、脈動し、塞がってゆく。そこには円状に開いた穴だけが、修道服が貫かれた痕を残す。
傷の超速再生。大量の光核を消費するが、今は致し方ない。手負いで対応できる相手ではない。
「あ、ああ。あんな傷が一瞬で塞がっていくぞ・・・!」
「やっぱり、化物なのよ・・・!」
人ならざる現象は、住民に恐れしか産まない。
再度、ネビアの天光板に光渦が生まれる。
「この攻撃が、何度も防げますかね」
連続して瞬く、白光の輝き。
「きゃあっ!」
「うわあっ!」
悲鳴。
再び視界を焼く光幕に、反射的にルクは目を閉じる。瞼の裏からでも突き抜ける光量。
身体に何の痛みも襲うことはない。代わりに聞こえたのは、レティシスの息を乱す声。
今度はその身体に傷を残していないものの、明らかに疲弊した色を見せている。
傷の再生に加え、この場にいる人間全てを護る。それは並大抵の精神力では行えない。
その様子にネビアは明らかな不満の色を見せ、そして、何かを思いついたかのように表情を歪ませた。
ネビアが指先をクイ、と折り曲げる。
すると。
聖堂の最奥。
イース・ルールの像が震える。
そして。
ずんっ。
軽い振動と共に、イース・ルール像が、宙に浮き上がったのだ。
ネビアに裁きを下すため、顕現した。と、捉える人間はこの場にはひとりもいなかった。
ゆらりと大きく動く石像は天井近くまで浮き上がり、眼下には無数の人間が。
「神に手を掛けられて死ぬのなら、信仰する人間にとっては、本望でしょう」
ここからあれだけの質量の物が落下すれば、ただでは済まない。
もちろん、石像だけを防ぐならわけはない。
それ以上の怒りを、レティシスが包む。
あの像は、この教会に長年その身を置き、信仰者を見守ってきた。
嬉しい時も、悲しい時も。心を痛める悲惨な出来事があった時も。
「イース・ルールを侮辱する者は、相手が誰であれ、許しません」
それはこの教会で生きた、かつての人間の誇りであり、道標。
最初はリベッドには理解出来なかったこと。
だが、存在しえぬ神に祈りを捧げる人間たち。
その意味。
生きる指針。
信仰心。
様々な理由をその像は見てきた。
遠く離れる恋人を想った『レティシス』の祈りもそうだ。
「・・・ほう」
宙に浮く石像が、元の位置にゆっくりとその身を落ち着けた。レティシスがその支配権を奪い、軌道をコントロールしたのだ。
「その能力を、我々の元で使いなさい。調律は、避けては通れないのです」
「わたくしはもう、アハルトではありません。神に仕える、ただの修道女です」
ネビアは恐怖に怯え、部屋の隅で身を固めている人間を一瞥し、
「正体が割れ畏怖を向けられ、忌み嫌われそれでもなお、この地で生きていくことを選ぶと?」
ネビアが天を仰ぎ、嘆息する。
「いいですか。我々が人間を下等だと思うのと同じで、人間も我々を異なる、崇高なる存在だと捉える。所詮、住まう場所の違う、相容れない存在なのです」
そうだろうか。
『レティシス』はリベッドの正体を知らずして逝ったが、ルクは違う。
その正体を知ってなお、受け入れてくれた。
けど。少なくとも。
この像を、『レティシス』と同じくイース・ルールを信じる人間を、救いたいのだ。
威圧感の高まりを、ネビアも感じたのだろう。尚も戦う意志を失わないレティシスに、疎ましそうに目を細める。
「・・・そうですか。いいでしょう。ならば力付くで連れて帰るとしましょう。この場を焦土と変えてでも」
ネビアを纏うオーラが変わった。ドス黒く、神とは正反対の、息が詰まりそうな瘴気。
滅びの光が天光板に滲む。
黒い翼が、より濃い漆黒の様相に姿を変える。
脳の奥が痺れるような。全身を絡め取る、魔性のよう微睡みのようで。
ネビアの足元に何かが滴る。翼から滲み出る雫が、雨垂れのように地を汚す。
床に滴るそれが、範囲を広げるように大きくなり。
「『黒光方世』」
ネビアがその言葉を口から滑らせる。
滴る雫が紙の上に垂らした墨のように広がり、床だけでなく、壁、天井をも侵食する。
四方は光を通さぬ黒で覆われた。
「全てを焼き尽くす熱の奔流です。安心しなさい。一瞬で、骨すら残さない、瞬きの間の出来事です」
ネビアがこの上なく明るく、朗らかな笑みを浮かべる。それはレティシスのそれとは比べるものでもない、邪悪な笑みだ。
「無論、私には効果を及ぼさないし、貴方も全身が焼け爛れるだけで済むでしょう。・・・守りきれますかな?」
ネビアの指先がくるくると円を描く。
人をバカにするかのような。おちょくるような。
はたまた慌てふためく人間の様子を見て、嘲り、楽しむ。
人を攻撃することに何の躊躇いもなく。
人を殺めることに何の呵責も宿さず。
人と同じ姿をしているが、その内側は人とはかけ離れた価値観を持ち。
人間を、自分の住みよい世界にするためのコマ、エサでとしか見ていない。
ルクは、そんなネビアに怒りが湧いた。でも、その強大な力に抗えるほど、ルクは強くなく。
レティシスがいなければ、何もできないひ弱な存在で。頼れるのも、レティシスしかいない。
だから。ルクは。
心の底から力と勇気を絞り出し。
息を吸い。
叫んだ。
「レティシスさあぁぁぁぁぁんっ!」
黒い、張り詰めた静寂の中、幼い絶叫が響き渡り。
「そんなやつ、追っ払っちゃえーーーーっ!」
目元に涙すら浮かべ。ルクは今までで1番大きな声で、叫んだ。
呆けていたのはネビアと。
レティシス。
先に笑いを噛み殺したのはネビアで。
だけど、レティシスはルクを見つめ、怒りと苦悶に貼り付けた表情を解き、笑顔を作ったのだった。
ルクさん。
貴方は本当に優しい方です。
こんな状況下においても、忌むべき存在であるネビアに殺せ、倒せとは言わなかった。
追っ払え。
その願い。
叶えましょう。
わたくしも。
本気になる時が来ました。
驚愕に目を見開いたのはネビアだった。
レティシスの背に、1対の羽根が生えていたからだ。
それはアハルトの証。
そのはずだ。
「・・・なぜ、貴方がその天光板を」
ネビアの声が震えている。
アハルトの翼は1対で、黒色。天上人の天光板も翼の数が違うだけで、色は同じだ。
だが、レティシスのそれは。
「・・・天使だ」
誰かの、惚けるような声がため息として漏れる。
黄金色に輝く、粒子の輝きを瞬かせながら、純白の翼が黒色の空間に広がる。
天上人を含むアハルトの翼の色は、黒色以外に例外はない。
あるとするならば。
ネビアの表情が変わる。
「・・・まさか、貴方は」
その言葉の先を遮るように、レティシスの翼がはためいた。
瞬間。
ガシャアアアンッ。
ガラスの砕けるような音と共に、周囲の黒が瓦解した。
「・・・『黒光方世』が」
天上人にしか扱えない、最上級の念光が、いとも容易く。下等のアハルトの念光では、破ることすら叶わぬ、堅牢な結界であるはずなのに。
その理解できない思考がネビアの頭を渦巻く中、視界が真横に変化した。
「・・・・・・っ!?」
眼前にレティシスが迫り、その手でネビアの頭を掴み、床へと押し付けたのだ。
力押しで、競り負けた・・・っ!?
白色の念光が、自分の肌を覆う鱗装を通り抜け、威圧しているのをネビアは感じる。 少しでも動こうものなら、撃ち抜かれる・・・!
リベッドは、自分と同格・・・?いや、それよりも遥かに・・・!
「ま、待つのです!天蓋の師士である私に手をかければ、仲間が黙っていませんよ!」
「アハルトというのは、相手が自分よりも上回る存在なら、命を乞うものなのですね」
憐れむように、眼下のネビアを見据える。
「去りなさい。そして伝えなさい。2度と、わたくしたちに干渉することなきよう」
「・・・我々を敵に回しても、大切なことなのですか?」
「貴方にはわからないでしょうね、そんなことすらを跳ね除けるような、わたくしの身体に漲る力を」
誰かがひとりでもレティシスを許してくれる人がいるならば、それはレティシスの力になる。レティシスを突き動かすのは、誰かを護りたくて溢れる、輝く力。
「・・・覚えていなさい。調律の日は近い。世界の初期化は止まらない」
捨て台詞のように、ネビアの身体が溶け、床の中に影のように沈み、やがて消えた。
その瞬間、確実の周囲の変化を感じた。閉じ込められた結界が消え失せた感覚が、音もなく聞こえた。
誰かが扉に手を掛ける。窓も開く。
淀んだような教会内の空気が、外からの清廉な風が吹き抜け、洗い流されるような気がした。
しかし、誰ひとりとしてその場を去ろうとはしなかった。いや、できないのか。
恐怖、戸惑い。様々な感情が折り重なりあい、全員の足を動かすことを許さなかった。
レティシスの背の翼が、粒子となって溶け、その輪郭が消え失せる。
くる、とレティシスも戸惑うの表情を浮かべ、振り向く。
「皆様。私は、人間ではありません。今で黙っていて、申し訳ありませんでした」
腰を深く下り、頭を下げたレティシスが放った最初の言葉は、確実の住民に動揺を広げる。何かの間違い、魔導に似た能力。そんな言葉を期待していたのかも知れない。
「わたくしは過去に罪を犯しました。最初は贖罪のつもりでした」
自分が気まぐれでこの地に留まなければ、救える生命があったかも知れない。例え世界が調律でかき混ぜられる運命だったとしても。
「長い旅を経て、ようやく自分の成すべきことを見つけたつもりです。それは、かつての『レティシス』さんに代わって皆さまを導き、祝福を授けること」
『レティシス』は許してくれただろうか。その答えは、わからない。
「で、でも、人間じゃないんだろ!」
「そうだ!」
「今すぐ騎士団に報告しよう!」
様々な言葉が方方から飛ぶ。
その度に、レティシスの顔が曇り、陰ってゆく。
「みんな!待って!」
その喧騒を止めたのは、ルクだった。
「レティシスさんはそんな人じゃない!いい人だ!」
「騙されてたんだよ!子供を受け入れれば、心証が良くなるから!利用されたんだよ!」
ルクの境遇は周知のことだ。
ルクはそうは思わない。レティシスがそのために受け入れたのではないと明言してくれたから。それすらも、虚構だとでも言うのか。ルクはそう思いたくない。
「そんな事はしないっ!」
「なぜそんなことがいい切れる!」
熱を帯びる住民の男。
「だって!優しいから!」
「だからそれは自分の保身のためで」
「温かいから!」
「話にならないな!」
ルクは今まで以上に声を張り上げる。言葉の届かない大人に届くように。
「もう、ぼくから誰かを奪わないで!」
ルクの言葉に、対峙した大人は言葉を失う。
「・・・やっとできた、家族なんだ」
ぽろっ。
ルクの目から、大粒の涙が溢れる。
「やっと、できた『お母さん』なんだ」
袖で涙を拭いながら、嗚咽を押さえた言葉を絞り出す。
レティシスがいなくなったら、ルクは本当にひとりになる。それも、心を許した相手がいなくなるというもっとも残酷な事実。
大人たちは言葉を失う。
レティシスは、歓喜、戸惑い。様々な感情を折り重ならせ、その目から透明の雫を零す。
「わたくしを、お母さんと、呼んでいただけるのですか・・・?」
それは、レティシスの望む言葉。
『レティシス』がなるべきだったもの。
人間ではない自分では、それになれない。手に入らないものだ。
レティシスは、ルクへと。ルクはレティシスへと駆け寄り。
「ルクさん・・・!」
「レティシス、さん」
抱き合うふたりを、周囲はバツの悪そうな目で見る。
「・・・なあ、これは俺達が折れるべきじゃないのか」
「また、あの変な奴が現れるかも知れないんだぞ」
「・・・散々シスターにはお世話になっただろ。信頼に足る人物だ」
「人間じゃねえぞ」
様々な言葉が踊る。
「俺は、信じてもいいと思う」
「お前はシスター推しだったからな」
ルクから身体を離したレティシスの顔には決意に満ちている。
「また、あのような事態になれば、わたくしが皆さんを命を賭けて護ります。誓って」
凛々しくも、力強い言葉。
男たちは顔を見合わせる。
「ま、まあ。それなら、いいんだけど」
「不穏な動きを見せたら、すぐに騎士団を呼ぶからな」
その言葉に、レティシスはまだ涙の滲む顔に、穏やかな笑みを浮かべた。それと連動するように、男たちの顔に朱が差す。視線の行く先を彷徨わせるように、全員がレティシスを見ることができないでいる。
男たちの心を揺り動かすのは、人間だろうとなかろうと、関係ないようで。穴だらけになった教会の床を男たちが修復にきてくれたのは後の話で。
「ルクさん。今日は一緒に寝ませんか?」
「ええっ?どうして?なんで?」
レティシスは嬉しさを堪えきれない笑みを押さえて。
「だって、ルクさんがわたくしをお母さんと呼んでくださった記念すべき日ですもの」
レティシスの優しく、柔らかい手がルクの手を握る。
「それに、今日は光核を大量に消費しました。母を労うと思って、ぜひ」
そう言われたら、ルクは何も言い返せない。
レティシスが触れた手を握り返しながら、温もりがあるベッドは悪くない、と思うルクなのであった。




