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16話

 金色の玉座に、ひとつの影が座している。 

 周囲を覆うように、薄く色付く布で遮られており、その玉座の主の姿を窺うことはできない。

 一面に広がる石造りの床から伸びる石柱が、城にある王の間を連想させるが、そこは天井がなく、周りをただひたすらに青い、雲ひとつない永遠とも呼べる広大な天が抜けているのみだった。

 そこは『天蓋(アーシュ)』と呼ばれる、『輪回層(アロ・ルフ)』を遥かに登った先、上層すら超えた場所に存在する、遍く全ての世界の頂点。『天上人(アギマ・アハルト)』の住まう地。

 玉座に腰掛けるは、天蓋(アーシュ)だけでなく、輪回層(アロ・ルフ)をも治める王。

 王を遮る布の向こう側に、恭しくも片膝を突く男。

「正気でございますか、王」

 布の向こうの表情は見えないものの、その言葉に決意を感じる。

「我々は人間界への干渉を辞めるべきです。むしろ、遅すぎました」

「リベッドに何を吹き込まれたのかは知りませんが、これは我々の義務ですぞ」

 怒りすら込めた声色で、片膝の男は言う。

「過度に増えた人間を統制し、不要な人間を間引き、人間界だけでなく、輪回層(アロ・ルフ)を含む世界の安寧を護る。それが我々天蓋(アーシュ)に座する我々の使命です」

「我々が恐れているのは一体何なのですか?恐れているのは、人間の数ではなく、その能力でしょう?」

「人間の数が増えれば、その絶対数も増します。いずれ、アハルトの脅威になります」

 人間界に常々感じる、不穏な気配。それは纏圏(ズォーグ)でも捉えきれない、纏わり付くような不可解な感覚。矮小で脆弱であるはずの、人間たちの、底知れぬ畏怖。

それを、音は危惧している。

 側に別の影が出現し、男に耳打ちをする。

「・・・リベッドの居場所が分かったそうです。能力を傾けて、姿をくらませていたようです。道理で今まで消息が分からなかったはずだ」

 男に告げられた報告は、リベッドの居場所と、ギュレンなる下層のアハルトの消滅。

 天寿で死ぬことのないアハルトの死は、大きな出来事だ。少なくとも、誰かが手を掛けたことが確実だからだ。

「師士であるネビアがリベッドに接触します。彼女をこちら側に引き戻し、そして『調律』の部隊に組み込みます。答えがノーならば」

 男はニコリと笑い。

「消し去ることも視野に入れましょう」


 日の曜日。

 この日は教会でアイゼアンの住民を含めて清浄神に祈りを捧げる日でもある。

 数名の街から訪れた人間が、開始前に同好の士で談笑に花を咲かせている。

 その中で、男共の視線は、笑顔を浮かべているレティシスに向けられていたりする。チラチラと窺う者もいれば、何が悪いと言わんばかりに視線を送るもの。その誰もが共通して見とれている。

 少し離れた場所に、身なりのキッチリした、妙齢の紳士の姿がいた。別の住人がその存在に気が付き。

「あんた、見ない顔だね。新人さんかい」

 この祈りの会に参加する人間は、今や固定化され、常連で構成されている。新たな参加者を疎外するわけではないが、それゆえ目新しい人間には目ざとい。

 撫でつけた髪に上等なスーツを仕立てた、紳士風の男だ。人の良さそうな優しい笑みをその顔に貼り付けている。

「ええ。ここのシスターとは昔からの馴染みでして。ふと顔を見たくなりまして」

 と、紳士が言うと、住人の男は顔をほころばせ。

「そうなんだ。ほら、アソコにいるから挨拶してきなよ」

 紳士は、眉を八の字にさせ、

「いえ。今は忙しいようですし、後で構いません」

 祈りの開始時間となり、開放した扉を閉めると、瞬く間に荘厳な空気で聖堂内が満ちてゆく。

 イース・ルールの像の前にレティシスが跪き、その背後に連なる椅子に腰掛けた住人たちが一斉に立ち上がる。

 ルクも、今は入口近くでその様子を眺めているだけでなく、住人に混じり、一緒に祈りを捧げるようになった。

 手を組み、目を伏せようとした、その時。

「その姿も、板についてきたのではありませんか?」

 誰もが言葉を発することを躊躇う中、その男は無礼にも張り詰める空気に声を反響させた。

 レティシスを含む、その場にいた全員が、一斉にその人物に注視する。

 髪を後ろに撫でつけた、紳士風の男だ。

 にわかに聖堂内がざわめく。

 レティシスがその声の方へと振り向き、表情を一変させる。顔は凍り付き、目が明らかに動揺の色を孕んでいて。

「ネビア・・・!」

 口にした言葉は、恐らくその男の名であろう。

「『様』と付けるのを忘れていますよ?お忘れですか、私は貴方より格上です」

 レティシスがこれほどまでに心を乱す。恐らく、『あちら側』の存在。ギュレンと同質の存在。

「君、お祈りの後にしてくれないか。シスターと話したいのは分かるが」

 ひとりの老人が、男の行動を諌めるように、手を差し伸ばした。

「触れてはなりません!」

 レティシスの忠告が届く前に、その老人は男の袖に触れた瞬間、小さく身体を痙攣させ、どさ、と糸が切れたように椅子に腰を沈み込ませた。

 その異常に、周りに緊張が高まる。

「おや。粉微塵に消し去るつもりでしたが。同威力の念光(ブライド)を放って相殺しましたか。流石です」

 ざざ、がたっ。

 異変に気付いた周囲が、立ち上がり男と距離を置く。小さな子供を、親が身を呈して守っている。

「・・・何の御用でしょうか。貴方はこの場には相応しくありません。早々に立ち去っていただければありがたいのですが」

 男。ネビアはこつ、こつとゆっくりと革靴を響かせ、レティシスの元へと一步、また一步と近づいてゆく。その様子を、まるで動くことを禁じられたかのように、周囲は固まって見守る。

天蓋(アーシュ)は調律を近々始めようとしています。貴方にもご尽力いただきたいのです。王の鉄盾(ガドマー)の一員として」

 レティシスと男の会話に、周囲にざわめきが走る。

「おや、そう言えば貴方の素性は内密なのでしたっけね。少なくとも、神に身を捧げるだけの人間ではないと」

 わざとらしく肩を竦めるネビア。

 人間ではない。その言葉に周囲のざわめきが大きくなる。そのほんの少しの綻びは、瞬く間に伝播し、人の心を狂わせ始める。

「・・・数十年も年を取らず、若い姿のままの、魔女」

「私のおじいちゃんも言ってた。惚けてるだけだと思っていたけど」

 誰かがレティシスに向けられた噂を口にした。断片的なワードが、その噂の真偽を強くする。

 どん。がちゃがちゃ。

「と、扉が開かない!」

 外に脱出しようとした住民が扉を開けようとするが、言葉通り開かない。ネビアの能力でロックされているのだろう。

「窓も割れねえぞ!」

 こぶしで、日傘で。打ち付けられる窓ガラスは、まるで1枚の鉄板になったかのようにヒビひとつ入らない。

 教会が脱出不能の密室になってしまったという事実が、参加者の恐怖を煽る。

「みなさん!落ち着いてください!」

 レティシスは、混乱し、脱出を図ろうとする住民をなだめようと、声を張り上げる。

「何が落ち着けだ!あんたの知り合いじゃないのか!何とかしろ!」

「今まで俺たちを騙しやがって!」

「ああ、神様!私をお助けください!」

 その人間の様子を見て、ネビアは笑いを噛み殺す。

「聞きましたか。今までとは手のひらを返したかのように、貴方に心無い言葉をぶつける。挙句の果てに頼るのは、虚像の神です」

 レティシスの切り裂くような目がネビアに向けられる。

「やはり人間は愚かだ。・・・見るに耐えません」

 目頭に指を添え、ネビアは軽く頭を振る。

「・・・調律の手始めに、ここの人間を消し去りましょうか。間引くなら早い方がいい」

 ゆら、とネビアの周囲を、見えない何かが渦巻いた。

 教会内を、一瞬の閃光が包む。

 その場にいたほとんどの人間がその光を認め、目を細める。

 それはまるで、神が放った浄光。

 だが、表情を歪めたのはネビアだった。

「・・・ほう。今のを凌ぎましたか。ここにいる全ての人間を焼き尽くしたつもりだったのですがね」

 ルクは感じた。全身を撫でる、不快な感覚。そして、それと相反する優しい温もり。レティシスが、ここにいる人間を攻撃から守ったのだ。

 だが、数名はその波動に当てられてしまったのか、気を失っている。

「なぜ、人間のことを護るのです?人間は我々アハルトのためにある。些末に扱おうとそれは我々の自由。人間界に来て、性格や考えが変わったというのは本当のようですねえ」

「人間の命を奪う権利は、どこの誰にもありません。ましてや、アハルトにも」

 ネビアが小さく息を吐く。

「そのようなレベルの話をしているのではないのです。真に恐ろしいのは、人間の持つ能力。我々にはない、『成長』という概念」

 忌々しそうに、ネビアは目を伏せる。

「我々には取るに足らない時間でも、人間には数百年の時となる。その間にまた人間は知恵を就け始めた。魔導という力も得た。『前の世界』よりも早い成長速度です」

 レティシスは以前、人間に致命傷となる一撃を喰らった。それも、人間の戦うための知恵ゆえ。

「調律は、人間の能力が我々に届かぬよう、世界をゼロに帰す祭事」

 不穏な言葉に、住民は身体を寄せ合い、戦慄する。

「問題ありません。人間はすぐに増えて、新たなコミュニティを構築します。そこには新たな街が生まれます」

「でも、同じ人間が巡り合わない」

 それは、レティシスとルクが出会わなかった可能性の世界になる。キュレミーが生まれてこない世界になる。

・・・レティシスとカインが惹かれ合うことが無かったかも知れない。

「今の人間は、12の神などというものを生み出した。危険な思想です。そのようなものは、今の時代に置いていきます」

「結局は怖いのですね?人間が。あらゆる生命の頂点であるアハルトを超えてしまう能力を得てしまうのを」

「ははは。そんなこと。矮小な人間そのものには何の畏怖も感じていませんよ。・・・では、試しの消して見せましょうか。吹けば消えてしまう灯火のような命を」

 ひゅっ。ネビアの姿が掻き消え、近くにいた女性に。

 ぶうん。不快な音を立てる、仄暗い色を纏った手刀を掲げ。

 振り下ろす。

 だが、その手刀が女性を通り抜けることはなかった。

 同様にレティシスの手刀が、刃が噛み合うように、振り下ろされた攻撃を受け止めていた。

「あなたの全域に放った念光(ブライド)を防いだわたくしが、この攻撃を目で捉えて防げないとお思いですか?」

「・・・第1階層が、生意気な」

 初めて、ネビアの顔が不快に歪んだ。

 ざあ、っとネビアが間合いを取る。靴音を鳴らさず、滑るように。

「少し、お灸を据えてやる必要がありますねえ。身の程知らずの下級生物に」

 天上人(アギマ・アハルト)にとっては、その上に何者も存在することを許さない。第1階層ですら、遥か格下の雑兵に過ぎない。

 暗い風が吹く。窓も閉じているはずなのに。

「夜天鳥…」

 誰かが呟くように言葉を漏らした。

 息が詰まるような圧迫感に、その後に言葉を継ぐのを許さなかった。

 ネビアの背には、黒い羽が生えていた。

 2枚1対ではない。

 左右に2枚ずつ。

 4枚の巨大な黒い羽根。

 計4枚の『天光板(ゼラフ)』が、天上人(アギマ・アハルト)である証。

 瞬間。

 レティシスを重力圧のようなうねりが襲い、その身体を大きく、凄まじい速さで後方へと吹き飛ばした。長椅子を破壊し、扉に叩きつけられる。だが、扉だけはその衝撃でも破壊されることはなく、何者の脱出も不可能な事実だけを示していた。

「レティシスさんっ!」

 他の人間は、目の前で行われている不可解で異常な光景と、異質な姿へと変貌したネビアに恐れを成し、気絶している方が幸せだったと、後悔の年に苛まれていた。

「ぐ、は・・・っ!」

 背中から凄まじい衝撃が貫き、レティシスは苦悶の息を吐く。

 ネビアの天光板(ゼラフ)が光を纏い、黒色の不気味な脈動を放つも、それはある種の神々しさすら感じられて。

「ふはは、いきますよ」

 天光板(ゼラフ)に、円状の光が無数に渦巻き。

「『灼渦黒砲(ベレトレア)』」

 ネビアが言葉を紡ぐ。

 白が弾け。

 聖堂を閃光が走る。

 だが、それと同じく淡い光が、身を守ろうと屈めている人たちの前で、溢れた。

 どかっ。

 どっ。ドドッ。

 何かを貫くような断続的な音が鳴り響く。

 木の床に、無数の円状の穴が生まれていた。まるで、何かの動物の巣穴のように。

「・・・この攻撃を防ぐとは、さすがと言っておきましょう」

 ルクの眼前でも光が弾け、気がつくと、側の床に穴が穿ってあった。

 ネビアが放った直線状の光線は、あらゆる方向に広がった。

 恐らく、レティシスのお陰で、この場にいる人間は生きていられる。レティシスの守りがなければ、この場にいる全員は、床と同じ末路を辿っていただろう。

 鱗装(ウォルコ)念光(ブライド)に混ぜ、張り巡らせた。言うなれば、防御する攻撃。

 ルクは、息が荒くなるのを感じていた。

 レティシスに目を向けた時、そこにあったのは暴力的な行為に走る相手に対抗する、一筋の希望ではなかった。

 レティシスの表情が、苦悶に歪んでいる。その口から、痛みを堪える食いしばりを、一息でも漏らすまいと堪えている。

 その原因。

 レティシスの腹部が、大きく抉れていたからだ。

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