14話
早朝。
キュレミーは走っていた。
昨夜ベッドに入り、眠りに着く直前で思い出した。というか気付いた。
ルクの部屋に持っていった魔術書。魔導書の数々。
その中に、学校で使う教本を混ぜてしまっていたのだ。当然、授業で使うものだ。
朝も早いが、許してくれるだろう。ついでにお祈りもしていってもいい。
朝早くルクに会うのは初めてで、何だか浮足立ちつつソワソワする足取りで、キュレミーは駆ける。
教会の屋根が見えてきたところで、キュレミーは足を止めた。
教会へ続く道。そこに誰かがいた。
初めて見る顔だ。
キュレミーは信仰に熱心な方ではないが、その男が教会に祈りを捧げに来る風貌ではないことは一目で分かった。
同時に、キュレミーはゾッとした。
男の片腕がなかったからだ。それだけならば、事故や戦で失ったものなのかと疑うことはない。
キュレミーを驚愕させたのは次の瞬間だ。
二の腕の先から無い腕が波打ち、身体が左右対称を維持するかのように、腕が生える。
思わずキュレミーは、止めた足を後ろに下げる。
息が荒くなる。
目の前の男は、少なくとも人間ではない。
失った身体を再生させることは、どんなに高位な魔導士でも、高等魔法でも不可能とされている。
だが再生、復活は傷を治す範疇を超えた、人の能力を超えた力だ。
欠けた腕の再生と共に、キュレミーの胸を覆う感情。
信じられないものを、その目に映した。
男の背に、黒い羽が見える。
「夜天鳥・・・?」
瞬間。
男の顔が、眼前にまで押し迫っていた。
人の意思がこもらない、少なくとも、キュレミーは見たことのない、淀んだ瞳。
男の口元が歪み、こう言った。
「お前も、知った『匂い』がするなぁ」
そこで、キュレミーの意識は途切れた。
レティシスとルクは炊事場にいた。台所で料理を作るためではない。
鍵のかかった、食料保管室へと続く扉を開け、地下につながる階段をレティシスを先導にして下る。
そこはなるほど、食料庫にほかならない。地上より気温が低く、食べ物を保管しておくには適した部屋であるらしい。
設えた棚に缶詰や瓶詰めが並ぶ中、奥にもうひとつ、扉がある。
食料庫ですら初めて足を踏み入れる場所なのに、こんな場所があったなんて。
レティシスが扉に手を掛け、開く。
中は先の食料保存庫より半分ほどの広さ。大人が横になって寝ることができるくらい。四方を壁で阻まれた部屋だ。
食料庫を含め、扉が閉まれば夜と同じくらいの闇を生み出すだろう。それはかつてルクが閉じ込められた部屋を彷彿とさせる。だけど、不思議と不安にはならなかった。
「わたくしは、アハルトを捨てたつもりです」
ふと、レティシスがそんなことを呟いた。
「平穏の望む生活が侵食される。いつかそんな日が来ると覚悟していました」
室内の中心部の石床に、円状の白線が引いてある。それはキュレミーに見せられた魔導書の中に出てくる文様に似ていた。
「この教会に施した結界です。わたくしの能力を使用して覆ってあります。わたくしの存在を、『彼ら』に悟られないためでした」
そこでルクは気がついた。
「・・・もしかして、前に部屋にいなかったのって」
「・・・あの時は、夜天鳥なる存在が世間を騒がしていたため、外で周囲を警戒しておりました。もっとも、その正体は分かっていましたが」
レティシスは、ルクを守るために。それなのに、あんな酷いことを言った
「ごめんなさい・・・」
「謝らないでください。これが、わたくしの使命なのですから」
レティシスは、深く、どこまでも優しい。
あのギュレンという男と対峙した時、その笑顔が初めて別のものになるのを感じた。
「・・・あの、ギュレンっていう人。誰なんですか?」
レティシスの表情が陰る。
「・・・あえて言うのなら、『同類』でしょうか」
あんな暴力的で、禍々しい気を放つあの男が、レティシスと同じ?とてもじゃないが、そうは思えない。
「わたくしも、ルクさんに謝らなければならないことがあります」
床に描かれる白線を細い指でなぞり、俯く。
「アハルトが人間を襲うのは、自身の欲求に伴った本能で」
それはある意味自然の摂理で。それは人間が食事を欲するのと同一の感情で。
「ただし、わたくしは人を襲い、充足させるタイプではありません」
それも、愚かしい自己弁護だ。人を殺したことには変わりない。それだけで、夜されようとしている。
そう言いながら、レティシスは珍しく頬を赤く染め、恥ずかしそうにルクから視線を外す。
「わたくしがお風呂場で、その。ルクさんに不快な思いをさせてしまったことがありますよね」
・・・不快というか、驚いたのは確かで。いつもの様子ではないレティシスに戸惑った。
「人を襲う行為ではなく、誰かと肌を寄せ合い、温もりを感じることでわたくしは魂が充足するのです」
それは、街の住人との触れ合いもしかり、教会での祈りの時間もそうだ。
人との繋がりが、レティシスを強くする。
「その節は申し訳ありませんでした」
それと、とレティシスは続ける。
「あの時はガナンさんを大人しくさせるためにやむなく能力を使用したため『光核』を補充する必要があったのです」
「能力?『光核』?」
アハルトに備わる能力です、とレティシスは語る。
「光核はわたくしたちアハルトに流れるエネルギーの総称です」
人間でいう活力、血液でもあり。それはアハルトの根幹をなす存在。
アハルトは光核の自動生成能力を有するため、人間でいう餓死することはないが、著しく能力が低下する。
「ガナンさんが気を失ったのも、レティシスさんが・・・?」
「『念光』と呼ばれる能力です。見えない光の波動を放ち、攻撃する能力です」
ルクには聞かせたくなかった、野蛮な能力。
ギュレンのように、対象を貫くように放つものと同質の物。自分は違う。そのような使い方はしない、とは取り繕っても、同じカテゴリの能力であることは変わりはない。
結界維持に能力を行使し続け、ガナンを消し飛ばさないように威力を絞るのは、逆に光核を消費する。
そこでルクは気がついた。
「ぼくを引き取ったのは、エネルギーを補充する手段が欲しかったから?」
その方が、都合がいいから。人間が側に居る状況が、アハルトにとって有用だから。
レティシスは優しい眼差し。
「いいえ。決してそうではございません」
レティシスは床に膝を突き、ルクを抱きしめる。相変わらず、安心するような温かさだ。
レティシスは、そんな打算がなかったと問われれば、頭を掠めなかったとは言わない。
でも、始まりはもっと別の理由。
自分さえ関わらなければ、『レティシス』は生きていて。運命が別の道を辿ったのならば、カインが死ぬことも無かったかも知れない。
ふたりは無事結ばれて、子を成し、さらにその先の代がこの時代にも生きていたかも知れない。
『レティシス』は亡くなる前、こんな夢をリベッドに語っていた。男の子ひとり、女の子ひとりの子供が欲しい、と。
『レティシス』もまた、孤児だった。
この教会の前に捨てられていた赤子を神父がすくい上げ、育てたという。
『レティシス』は自分を捨てたまだ見ぬ親を恨むことは無かったという。だからこうして神父に拾われ、カインにも出会えた。
レティシスは思う。ルクは、あのふたりの子供だ。
当然、ルクと『レティシス』に血縁関係はない。あの悲恋の恋人同士は、子を残す前にこの世を去ったからだ。だから、これはレティシスの妄想に過ぎない。
けど、そう思えてならないのだ。人間の、不思議な想いが繋ぐ、強い縁を。
まるで、『レティシス』がルクをレティシスに託したかのように。『レティシス』がルクを遣わしたかのように。
もしもの未来をレティシスに預けた。そんな気がしてならない。
「わたくしはルクさんに言いましたよね?わたくしが引き取ったのではない。ルクさんが会いにきてくれたのだ、と」
贖罪と言う言葉は、あのふたりに礼を欠く行為で。あのふたりに導かれるように、レティシスの元に来てくれたのだと。あのふたりの分まで、ルクを生かしてあげたいのだ。
そう思う。
「・・・申し訳ありません。ルクさんを不安にさせました」
「ううん。レティシスさんのことが知れて、うれしかった。それに、ぼくのことを守っていてくれたんだもん」
ルクは、それよりも気になっていることがある。
「レティシスさんのこと、これからもレティシスさんって呼んでいいの?」
レティシスのかつての名は、リベッド。その名を、今も残している。
「お好きに呼んでいただいて、結構ですよ」
本当は呼んで欲しい呼び名がレティシスにはあるのだが、今は言うまい。
「・・・いや、レティシスさんにする。レティシスさんがいい」
「・・・はい!」
ルクの可愛らしいわがままを、レティシスはい穏やかな顔で受け止めた。
「ありがとうございます、話を聞いてくださって。・・・朝食にしましょうか」
物を食べるという行為は、アハルトにとって何の意味もない行為だ。
今まで誰かに食事を作ったことないので、ルクがこの教会に来ると聞かされて、初めて料理なるものに手を付けた。
当然、味など分かるはずもないが、そこは問題ではない。誰かと食事を共有することこそが、アハルトであるレティシスには意味があるのだ。
美味しそうな顔で物を食べる嬉しそうなルクを見ると、レティシスは高揚する。それは本能で光核が回復するということよりも、別の温かさが身体を満たすことこそが、レティシスは何より嬉しいのだ。
地上に戻るため、階段を登る。
「むぐっ?」
突如、レティシスの足が止まり、ルクの顔がレティシスの大きなお尻に迫りそうになる。
ルクは顔を赤くさせたまま、レティシスの顔を覗き見る。
レティシスの顔が、不快に顔を歪めていた。
「・・・ルクさん、少し離れていてください」
天井を、階段から上を見上げながらレティシスはそう言った。その意味を、ルクもすぐに察した。
地上は特に変わりはない。朝の静けさが炊事場、聖堂を満たす。
レティシスは警戒を切らすこと無く、入口へと近づき、扉に手を添え。
ゆっくりと、扉を開ける。
外には誰もいない。だが、明らかにレティシスの表情が変わった。
「ルクさん・・・!」
呼ばれ、ルクは駆け寄る。レティシスが手にしていたものに、ルクにも見覚えがある。
赤い、はためく帯。
それは、キュレミーのリボンだった。赤い髪を結っていた、髪の色と同じ色をしたリボンだ。
レティシスは『纏圏』を起動。リボンに残された残滓を探る。
本人の気配と共に、別の影。
「・・・ギュレン」
恐らく、キュレミーは優位に立つために人質に取られたのだろう。キュレミーが、レティシスに関係がある人物だと見抜いている。
もっとも、誰がさらわれても、レティシスにとっては盾となりうる。
これは、果たしてレティシスの罪なのか。
慎ましく、大人しく息をひそめて生きていれば。キュレミーは関わること無く、さらわれることもなかった。
そもそも。
人と関わりさえしなければ。
儚い夢、なのだろうか。
「レティシスさん?」
それは、どうするの?と問いかけているようで。
答えは決まっている。
キュレミーは必ず救い出す。
「ルクさんはここで待っていてください」
「ぼ、ぼくも行く!」
決意めいたルクの目を、レティシスは懸念していた。ルクが来ても、事態が好転するとは思えない。
・・・厳しいことを言えば、足手まとい以外の何者でもない。
それに、ルクを危険な目に合わせるわけには行かない。
「ぼくは、キュレミーの友達だ!」
意志の強い、揺るがぬ瞳。
それでも。
「申し訳ありません。危険な場所にルクさんを連れて行くわけには参りません」
いつになく強い口調で、レティシスはここに留まることを求めた。
その時のルクの悲しそうな表情に、レティシスは胸が締め付けられる思いだった。
後ろ髪を惹かれながらも、レティシスは教会を飛び出し、駆けていった。




