13話
それから一週間が経つ。
リベッドはというと。
カンっ!
小気味良い音を立てて、丸太が真っ二つに叩き割れた。
斧を携えたリベッドは、今は薪を割る仕事に従事している。
一縮の恩。
はっきり言って、気まぐれ以外の何者でもない。一晩で去るつもりだったが、興味が湧いた。
いらないと言っているのに、翌朝にレティシスは、味のない真っ白な湯気の立つ液体で満たした皿を持ってきた。
身体に優しいスープです、と彼女は言うが、もとより人間の食事の味など感じられる訳が無い。想像通り、リベッドにとっては水にも等しいただの液体だった。
それよりも。
人間たちの、存在しない物に対してそこまで熱心に時間と労力を割けることをリベッドは不思議に思っていた。遠くに見える人間の住む街から、わざわざ教会に祈りに来るのだ。
それは誰に恩恵を与える訳でも、協力してくれる訳が無い。ただの自己満足に思えてならない。
「リベッドさん、力持ちですね。助かります」
すっかり傷の癒えた(と、言っている)リベッドにとって、斧を振るうなど造作もない行為だ。
薪は寒くなる季節の前に、まとめて割って保管しておくのだそう。ちなみに最初にリベッドが身を潜めた場所は風呂であるらしかった。
風呂。
これも理解に苦しむ行動だ。
生まれたままの姿となり、水の張った桶に身を沈めるのだ。隙を晒すだけの愚かしい行為だ。
曰く、身体を綺麗にすることで、清める儀式なのだという。そして、風呂には本来の機能とは別に、魂、そして身体の中から淀みを浄化する硬化があるのだという。
そんなバカな。
これも、人間が生み出した盲信に過ぎないだろう。
薪はそのための燃料。
妙齢の神父はもとより、決して力仕事には向いているとは思えない細腕のレティシスでは、薪を割るのは重労働なのであろう。普段は有志にお願いすることがほとんどだという。
はっきり言って、リベッドならば斧を使わずとも、薪など粉々にできる。が、それをここで晒すわけにもいくまい。
「レティシス!」
等間隔で薪を割る音が鳴り響く中、どこかで声が聞こえた。
そちらの方へ振り向くと、そこにはひとりの男がいた。
リベッドに緊張感が走る。
なぜなら、その男はリベッドの腹部を貫き焼いた騎士と同じ鎧を身に纏っていたからだ。
白を基調とした、紋章の刻まれた荘厳な鎧。
だが、リベッドはその男に見覚えはない。あるのはあくまでもその鎧と剣だけだ。
知らないのも当然だ。
あの場にいた騎士たちは、リベッドの傷と引き換えに、ずべて消し炭にしたはずだ。
名を呼ばれたレティシスは、その姿を認めるとぱあっと笑顔を咲かせ、ぱたぱたと長い裾を懸命に動かしながら駆け寄っていく。
「カイン様・・・!」
不思議と、祈りに来る住民に対する笑顔と、そのカインなる男に向ける笑顔の質が違うのは気のせいだろうか。
レティシスの頬に、僅かに赤みが刺している。それは、陽光のせいではないだろう。
「遠征でしばらくアイゼアンを発つ。その前に、顔が見ていきたくなって」
「・・・そう、ですか」
その言葉に、顔に指す赤みが増す。
「帰ってくるのは冬前になりそうだ」
カインの篭手で覆われている手を、レティシスの小さな手が添えられている。
「最近は物騒な事件も多い。この前も私の仲間が数名、無惨な姿で亡くなった」
レティシスも、その僅かに残った亡骸に祈りを捧げた。
その原因は、リベッドに他ならない。
顔が割れる前に全員を始末したから、リベッドの顔はわからないはずだ。
レティシスとカイン。
ふたりの手が名残惜しそうに離れる。
丘の向こうへと、カインは去っていった。その後姿を、レティシスはずっと見つめ続けていた。
リベッドの視線に気づいたのか、レティシスは顔を真っ赤にさせる。
「・・・わたくしの、その。想い人です。騎士の仕事が一段落したら、一緒になろうって、言ってくださいました」
カインとレティシスは惹かれ合った恋人同士なのだろう。
「結婚式はこの教会で、なんて。神父様も気が早いのですから!」
困ったように、でも嬉しそうに。
リベッドは、この僅かな時間の中で、彼女の1番の笑顔を見た気がした。
後で聞いた話だが、見習い修道者だったレティシスを、遠い地の神学校からアイゼアンに赴任する際、護衛を請け負ったのがカイン率いる騎士団だったそうな。
陳腐な言い回しをするのなら、運命でしょうか、とレティシスは語る。
そんな出会を含めたカインのことを話すレティシスもまた、幸せそうだった。
「リベッドさん、お肌すべすべですね」
湯気の中、声が反響する。
リベッドとレティシスは、ふたりで浴室に押し込まれていた。厳密に言うと、レティシスがリベッドを押し込んだのだ。女の子がいつまでもお風呂に入らないのは不潔です、と。
アハルトは風呂になど入らない。
肌も代謝を起こさないし、外部からの汚れも鱗装が防いでくれる。
だが、半ば強引に風呂場に連れ込まれ、レティシスはリベッドの背中に泡を載せていた。
「・・・リベッドさん、お胸も大きいですね。羨ましいです」
欲するような視線がリベッドの胸部に注がれる。対するレティシスの胸は、なるほど確かにリベッドと比べると雲泥の差がある。
「そうすれば、この様な豊かなお胸が手に入りますか?」
知らん。生まれた時からこうだった。
「・・・心配はいらない。人間の価値は胸の大きさなどではない。レティシスはその心にそれ以上の豊かさを有しているではないか」
・・・知った口を。自分の口を縫い付けてやりたい気分だ。
アハルトが人間を語るか。
ほぼ無限の命であるアハルトが、その悠久の時の中で、気まぐれに時間を共有しただけで、人間を知った気でいる。
エサであり、家畜である人間の些末な感情だ。知る必要など、理解するなどこれっぽっちもない。
「・・・えへへ。そうですかね」
なのに、レティシスは自分の慎ましやかな胸の手を添えつつ、安心したような笑顔を見せた。
レティシスも、住民に神の巫女と崇められ、慕われ。
でも、人並みの恋をして、自分の身体にコンプレックスを持つ。
普通の女の子なのだ。
人間は、矮小で、脆弱だ。
だからこそ、群れる。
そして、その中で諍いも起こす。
騎士が守るのは外敵からだけではない。即ち、人間同士。
愚かという一文も付け加えさせてもらおう。
それは宗教だったり、国同士のいざこざだったり。
そんな人間を殺めるのに、何の躊躇いもない。
なのに。
何故だ。
この湧き上がる感情は何だ?
「へへ。考えたな。神なんてたとえ存在しないものだろうと、崇め、その身と心を高める聖職者か。美味かったぜ、コイツの魂」
そう言いながら、黒い翼をはためかせる男は、月明かりの下、物言わぬ人間の傍らで下卑た笑いを浮かべていた。
腹部を抉るように貫かれ『レティシス』の顔は、見えない。地面に力なく伏せられていたから。
「横取りするようで悪かったな。が、弱肉強食。早い者勝ちだ」
押さえられない。湧き上がるような感情を。燃えがるような形容し難い、熱。
たった数日。
気まぐれにより起きた。
それだけの関係だ。
『狩人』と『エサ』の関係は何ひとつ変わっていない。
今でもリベッドはレティシスを狩場に居る哀れな捕食対象の一体としか見ていない。
風が、うねる。
「・・・おいおい。何念光を剥き出しにしていやがる。そんなに獲物を先に狩られたのが悔しいのかよ?『最下層』の愚民に施しをしてくれてもいいだろうがよ」
次の瞬間。
どっ。
男の腹部に、リベッドの手刀が突き刺さる。黒い羽を背負う向こう側に突き抜ける、白い指先。
「がは、てめえ・・・?」
信じられないものを見る目で、男はリベッドを睨みつける。
アハルトが同族に手を掛けるのは、禁忌。ご法度だと言われている。リベッドのした行為は、それを破る愚かでしかない行動だからだ。
男の怒りに滲む目が、案にそれを糾弾している。
「私は、お前が許せん。それだけだ」
「・・・追われるぞ。下層だろうが、アハルトに手を掛けて、無事でいられるわけがない」
「心配するな。肩書などいくらでも捨ててやる」
「・・・アハルトであることを辞めるというのか?無理だ。湧き上がる渇望は押さえられねぇ」
それは、アハルトの本能といっていい。それは、押さえてどうにかなるものではない。アルハトに備わった、生きるための機能にも似た、性質だからだ。
「散々、てめえもしてきたことだろうが!」
捨て台詞のように、男は吐き捨てる。
そうだ。
リベッドは数え切れない人間をその手に掛けてきた。
リベッドは、他の魂を喰って充足するタイプのアハルトではない。別の目的をもって人間を手に掛ける。
先日も、数名の人間の騎士を何の躊躇いも無く吹き飛ばした。そこに何の呵責もない。それが、リベッドの使命だからだ。
だが。
そんなことではないのだ。
本能や理性を凌駕する感情。
リベッドの目が慟哭する。
瞬間。
男の身体が黒色に変化し。
刹那。
黒い粒子となって、塵と消えた。
雲ひとつない月明かり。
風に乗って、灰が溶ける。
よろける足で、倒れ伏せるレティシスの亡骸に跪く。
一撃。
痛みを感じる暇も無かっただろう。
教会の内部。
月明かりに照らされたステンドグラスはある種の神秘性を覗かせていて。
清浄神イース・ルールの像にもたれかかるように、神父の身体は血染めになっていた。
白い像を、赤で塗り替えるように。
それは現れた異形から逃げようとしたからか、はたまた信奉する像を守ろうとしたのか。
深夜の教会。
誰もいない、虚ろな夜。
そんな中。
リベッドの叫びが聖堂に木霊した。
奇しくも。
レティシスが命を落としたその日。
地方遠征中のアイゼアンの騎士の一団が、魔獣との戦闘で命を落とした報が入ってきたのはそのすぐのことである。
小高い丘に教会がある。
そこで凄惨な事件が起きた。
表向きは強盗に押し入られ、そこに済む老齢の神父も犠牲になったと。
アイゼアンの民は、シスターたちに哀悼の意を示した。全員がその眼に涙を浮かべて。どれだけ神父とシスターが愛されていたのが分かる。
それから数年後。
教会に若いシスターがやってくる。
それが、かつてのリベッド。
今のレティシスだ。
ルクは無言。
語り終えたレティシスは、あの日を回顧するように目を伏せた。
その目には、溢れるように輝く雫が生まれていた。
レティシスは自分でも驚いた。今まで、涙など流したことは無かったのに。
アハルトは涙など流すことはないのに。
「っ・・・」
驚いて目を開けると、ルクが指先でレティシスの涙を拭ってくれていた。
「ルク、さん」
幼い頭では、理解できることは少ない。
ただ、わかることはレティシスの正体が人間ではないこと。この教会にはかつて別の人間がいたこと。
そして、レティシスがこの教会に住んでいたかつての彼女たちの意思を引き継ぐように訪れたということ。
「わたくしは今でも自分のしていることが正しいかどうか、思い悩む時もあります」
人間の命を奪ってきた自分が、人を救う職の真似事をしている。
ルクには人を殺めた事実を省き、保身に走る。
本当に反吐が出る。
けど。
僅かな時間で通い合わせたつもりの彼女の思いを、途切れさせてはいけないと思ったのだ。
どれだけ蔑まれようと、否定されようと、貫かなければならない使命のように感じた。いつか、精算されなければならない罪なのだろう。
ルクは思う。
レティシスが人間でも、そうでなくても。変わらず優しさに満ちた女性であるのを。
「ん」
レティシスは胸が満たされる気分だ。
黒くなりかけた心を溶かし、浄化してくれる。
今度は、ルクがレティシスの身体を抱きしめる。
レティシスの空虚な心に満ちていくのは、今までは無かった感情だ。
誰かが誰かを思う気持ち。
かつての『レティシス』はそれを持っていた。
「どんなことがあっても、わたくしはルクさんをお守りいたします」
ついに、アハルトにレティシスの存在が割れた。
いずれ、アハルトの尖兵がこの教会を襲うかも知れない。少なくとも、ギュレンは再びやってくるだろう。
絶対に。守り抜く。
この手から温もりが溢れ落ちないように。




