12話
「がふっ・・・」
よろけた足取りで、何とかここまで逃げおおせた。
リベッドは連なる木々に肩を預け、傷口を手で抑える。生暖かい液体が衣服を染み出し、指の隙間から赤い血が滲み出る。
『天人』は、人間を遥かに上回る能力を持つ至高の種族。何ひとつ、人間を下回る能力はない。
ただひとつ、リベッドに落ち度があるとしたら、人間を侮り軽視をしていた。それが、普段ならば起こり得ない隙を生む。
短命で、群れることでしか力を誇示することが出来ず、矮小。脆弱。吹けば消える灯火のような命の光だ。
騎士とかいう人間の起死回生の一撃は、リベッドにとって致命傷となった。
数名の人間での波状攻撃。それすらもリベッドにとっては容易い攻撃だったはずだ。
もうひとつ人間の優れた部分があるとするのなら、考え、生み出す能力。
人間は己を守るため、戦うため、日々様々な研究を重ねていると聞く。
不思議な炎を纏った斬撃がリベッドの腹部を貫いた時、やられた、と感じた。リベッドが物理攻撃を弾く『鱗装』が不得手だとしても。
剣を振るった人間を『念光』で吹き飛ばし、隙を突いてその場を去った。
人間に手で抑えることが出来ないk図を受けてしまったことが、リベッドにとっては屈辱以外の何者でもない。
リベッドにとって、人間を狩ることは造作もないことだったはずだ。それが、こんなことになろうとは。
深夜。
丸い月が浮かぶ夜空だった。
久々に狩りに来ればこれだ。今や地上での狩りはリスクが伴う。
低レベルの子供や女を喰らったところで、腹は膨れない。満たされない。
人間の美味さは魂の質だ。
様々な出来事を経験し、研鑽し、年を重ねた人間が最も上質とされている。
ただ、それは武力に長ける人間を相手にせねばならない可能性を孕む。知恵を持った人間は、ある意味脅威だ。
それでもリベッドからしてみれば取るに足らないことだ。
近年は武器で武装した人間も多くなり、魔導なんてものを習得した人間もいると聞く。
アハルトは、生きていくためのエネルギーを蓄えるだけならば、じっとしているだけでもいい。自動でエネルギーを精製する能力を有しているからだ。
ただ、そのスピードは他の生命を喰って得るのでは雲泥の差で、ほとんどのアハルトが他の生命体に頼る。そのための『地上』である。
そして、そのターゲットは同族であるアハルトも例外ではない。だが、同族に手をかけるのはよほどのことでもない限り、起こり得ないことだ。人を襲う以上のリスクを背負う。
「くそ」
『第1階層』のアハルトがなんて無様。
炎の斬撃は思ったよりもダメージが深く、体内は焼かれ、久しく感じていなかった苦しさが喉を貫く。
全ては己の軽率、慢心が招いたことだ。人間が、自分たちよりも遥かに劣っているという固定観念。
このまま還れば済む話だが、それをリベッド自身が許さない。ここまでコケにされては第1階層としての沽券に関わる。
リベッドは、他者の魂を食らって能力が増減するタイプのアハルトではない。ただ、アハルトが人間を手に掛けるのにはちゃんとした理由がある。すでに数人の騎士を粉微塵にしたが、これでは足らない。
割と大きな建物が目に入る。だが、リベッドの視線の先は、その横にあった。
小さな小屋のようなものがある。そこに身を隠させてもらおう。
扉を開け、中の様子を窺う。
腹部の痛みのせいで、気配察知の『纏圏』が上手く行使出来ない。
どうやらそこは物置のようで、大小様々な物が置いてある。さらに奥に部屋があり、用途の分からない巨大な桶が置いてある。
リベッドは警戒を優先して、扉近くの物陰に腰を下ろす。尻が冷たいが、この際文句は言えないだろう。
外は夜の生物が人間に代わって息づいている。
虫、動物。そして風の音。
血は止まったが、相変わらず熱を持つ腹部は煩わしい。
このレベルの傷だと、再生に一晩は掛かるだろう。
それまで、この当たりの住人に気取られることがないよう、息をひそめるだけだ。
その時。
ささ、と小屋の外で草の擦れる音がした。それは風がもたらしたものではない。
誰かの足音だ。
リベッドは警戒を強め、臨戦態勢を取る。
騎士ではない人間ならば、楽勝だ。・・・魔導でも使われたら厄介だな。
一撃で仕留める。
姿を見られた瞬間、口を封じて消し去るのみ。取るに足らない些末な仕事だ。
いや、その慢心がこの状況を引き起こしたのを忘れたのか?
「・・・どなたか、いらっしゃるのですか?」
扉の向こうで声がした。女の声だ。
「・・・風、でしょうか」
しくじったな。しっかりと扉を締め切るのを忘れていた。
声からして、大したことのない雑魚だ。喰うにも値しない雑兵。命が惜しければそのまま去れ。
開いた扉から、月明かりが漏れる。それに伴い、白色の直線が刺し、床を照らす。
その女と、リベッドの視線が交錯した。
「はっ!?」
その女は、リベッドの姿を認めると、不審者が小屋の中にいる状況にも関わらず、あろうことか逃げ出すこともせず、むしろ反対に足を前に進めて来た。
「大丈夫ですか!お怪我をなされているのですか!?」
壁によりかかり、苦しそうな表情を浮かべるリベッドに駆け寄る。その顔は心配に満ちている。
修道者というのだろうか。
夜に溶け込む藍色の布地は、頭部以外の肌を露出することを許さないかのように女の身体を包みこんでいる。
・・・見られたが、大丈夫。すぐに済む。
リベッドは右手に力を込める。一撃で始末するため。
びぃぃぃぃぃぃっ。
その音で意識を戻された。
女は、修道服を何の躊躇いもなく引き裂くと、リベッドの腹部に巻き付けようとする。
「な、何を」
戸惑いを見せるリベッド。あろうことか、女は見たことのないであろう第三者がいる事実よりも、壁により掛かるその姿が血まみれだということに表情を曇らせていた。
「だ、大丈夫だ。血はもう止まっている」
再生能力のお陰で、傷口自体は塞がった。だが、まとわりついた血は、藍色の布地を別の色に滲ませる。
「でも、適切な処置をしませんと!・・・この時間ではお医者様も終わっていますでしょうし」
神父様をお呼びしましょう、と立ち上がる女を、リベッドが制する。
「すまん。誰にも知られたくない。穏便にしてくれると助かる」
無益に消す人間は、ひとりでいい。
「・・・何か、事情がお有りなのですね?」
わかりました、と得心するように、女は頷いた。
「でも、手当はさせてください。今、お薬をお持ちしますね」
そう言いながら、女は小屋を出ていった。
この女は突如現れたリベッドに対して疑う事もしない。・・・好都合だ。
どうせ、人間の医療も薬も我々には通用しない。
その間で見定めてやる。
・・・何を?
私は、あの女を問答無用で消すつもりではなかったのか?
小さな木箱を持って現れた女は、手際よくリベッドの傷に治療を施し始めた。それは徒労に終わるが、今は言うまい。
血まみれの傷口を水で濡らした布で拭き取り、消毒液を傷口に塗布し、新しい包帯で巻かれ始めた。
自分の仕事に満足したように、女は安堵の息を吐いた。
「一晩泊めてくれないか。夜明けまでここにいさせてくれればいい。時が来れば、勝手に立ち去る」
目の前の女に、そんな提案を投げかけてみる。いますぐ出ていけ、と言われたら、その瞬間に消す腹づもりだ。
「まだまだ寒い時期ですよ、よろしかったら教会の中に入りませんか?」
部屋も毛布もご用意します。・・・つくづくお人好しな女だ。
「大丈夫だ。寒い国の出なんでな」
疑われるのは都合が悪い。適当を言って話を切る。
リベッドの出国は、気温や寒さとは縁のない世界だ。
女はしばらく考え、
「そう、ですか。・・・では、お腹は空いていらっしゃいませんか?大したものはお出し出来ませんが」
「構わん。火傷が喉元にまで達していて、味などわからんよ」
これも適当だ。
アハルトにとって、口は言葉を発する器官に過ぎない。人間と違い、口腔で食物を採取する非効率的な機能など持ち合わせていない。
「では、わたくしは戻りますね。何あればわたくしはすぐそこの教会にいますので、困ったことがおありでしたら、何でもおっしゃってください」
にこ、と笑顔を残し、女は去っていった。
・・・ありえんな。
手を掛けるのに何の労もない女だ。一息の間に殺せる。
疲れているからか?無駄な『光核』を使わないようにするためか?
壁に背を預け、肩で息を吐く。口から漏れる息は、ほのかに白くなって消えた。
だが、静寂に耳が慣れる間もなく、女は足音と共に戻ってきた。その手に大きな布を手にして。
理解が出来ない。自分は大丈夫だと言ったのに。夜が明ければ、去るつもりだった。この女の命の有無は、リベッドに権限がある。その気になれば、いつでも殺せる。
「・・・なぜだ」
こぼれた言葉は、リベッドの純粋な疑問だった。
怪我をした人間を助ける。困った人間がいれば救う。それは人間の性質なのかも知れない。だからこそ、群れ、力を合わせるのを良しとする。
だが、見ず知らずの、素性の知れないリベッドを簡単に受け入れる。信じがたい楽天さだ。
「わたくしは、迷える存在の拠り所。清浄神イース・ルールの巫女ですから」
そう言って、女はその顔に大輪のような笑顔を浮かべた。
日が昇る。
世界には活力が溢れ、命の息吹が目覚め始める。
女の修道者は名を『レティシス』と言った。
イース・ルールなる、清浄神を崇める教会で奉公する若い女だ。
見た目だけで言うのなら、リベッドとそう変わらないだろう。だが、生きた年月は格段に違う。
教会には女の他に老齢の神父がいた。その神父の年齢ですら、リベッドには遠く及ばないだろう。
神父とレティシスは、日々神に祈るべく修行、研鑽を積んでいる毎日だという。
レティシスが言うには、この世界は12の神が生み出した広がる大海の上に広がる円状の大地だという。
だが、それは間違いだ。
この世に神というものは存在せず、地上はアハルトの生み出した猟場に過ぎない。アハルトの、自動精製以外での力を回復させるための狩りの場なのだ。
それを知らず、人間は愚かにもかりそめの神を奉り、存在もしない虚像に祈りを捧げているのだから。
だが、リベッドはそれに対して口外することはない。わざわざ自分たちがアルハトの餌であることを知ることはあるまい。
人間は、成長するため己を磨く。叡智や知識。経験。それは人間の徳を高め、魂を育てる。畏怖、恐怖も同様で。
人間の心の動きは、アハルトのための物。アハルトのエサ。
そう考えると、リベッドは人間が哀れに思えてならなかった。




