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11話

 アイゼアンからの帰り道。

 ルクはふと足を止める。

 目の前に人影の姿が見えたからだ。

 街から教会へ続く道は舗装されていて、道端の脇には木の柵が設けられている。その柵に男が腰を寄せ腕を組んでいた。

 見知った顔なら挨拶をしようと思っていたが、それはルクの知らない顔だった。

 教会に近づくにつれ、男の輪郭も大きくなるが、やはり見覚えはない。

 旅人か、教会への参拝者か。誰かとの待ち合わせか。その目はルクへと向いている。

 言い表せない不安を感じながら、ルクがその男の側を通り過ぎようとした時。

「おい」

 ルクはその男に呼び止められた。その男を目の前にしても、ルクは男に見覚えはない。

「お前、『リベッド』の匂いがするな。・・・知っているのか?」

 ルクは、男の言っている意味が分からなかった。

 匂い?確かにレティシスはいい匂いがするけれども。

・・・リベッド。人名だろうか。

 だとしても、ルクに聞き覚えはない。

「あの建物から似た匂いがするんだが、妙な結界が張られてやがる。十中八九、あそこにいると踏んでいるが」

 ルクはますます分からなかった。

 あそこに住んでいる人間はふたりしかいない。そして、そのどちらもリベッドなる名前ではない。

 さあっ、と、ルクは背中に嫌な予感を感じる。目の前の男が危険だと、根拠のない警鐘を鳴らしている。

「し、知りません・・・!」

 ルクは早足でその男の横を通り過ぎようとする。

「待ちな」

 滑るように、音も立てず。男はルクの正面に現れた。

「うぐっ」

 男の右手が、ルクの髪を無造作に掴み、凄まじい力で側にある大木へと押し付けた。小さな体だろうと、全くピクリとも抵抗できないくらい、強い。

 男は一見精悍な顔付きに、歪んだ口元と共に悪意を滲ませている。反対の手で顔面を叩き、横に逸れるのを掴んだ手で許さない。それが過去の出来事と重なって、不快だった。ただ理不尽に暴力を振るわれる、あの時と。

「はは。大した胆力だ。泣き叫び、許しを乞うことをしない。大抵の人間のガキはビビリ散らかすんだけどな」

 果たして何が楽しいのか、男は笑う。

 生憎、こんなことは嫌になるるくらい受けてきたし、泣き叫んでも事態が好転しないのをルクは身を持って知っている。それで開放されるなら、いくらでも泣き叫んでやる。

「・・・こんなことして、神が許して置かないぞ。きっと神罰が下る」

 ここは教会に近い場所。神に人間が祈り、恩恵と安らぎを与える場所。

 たおやかなる者は、きっと安寧を手に入れ、神に感謝する。

 だが、男は少しの間だけ呆けた後、大きく笑う。

「『神』か。おかしいねえ、無知ってのは。可哀想を通り越して、滑稽だぜ」

 何がおかしいのか。

 この世には清浄神イース・ルールを初めとする12の神がいて、それぞれを信仰する民がいて。この短い生活の中で教わったことだ。誰しもその存在を信じており、それを心の拠り所にしている。それは全て、神の存在があることの証明になる。

「困った人間を救う神様、ねぇ。だったらなぜ、貧困がある?争いがある?なぜ神はそれを諌めない?収めることをしない?」

 ・・・そんなの、決まっている。神様はこの世界ではなく、別の世界にいて。だけど、それは。

 小さく湧き上がる疑問が、ルクの神の存在を信じる気持ちを侵食した。

 なんであの時、苦しかったルクを助けてくれなかった?救い出してくれなかった?

 男がニヤリと笑みを浮かべた。

「神なんてものは、最初からこの世に存在しねえからだ。お前ら人間の生み出した幻想、妄想だ」

「そ、そんなわけ」

 教会には実際にイース・ルールを象った彫像があって。レティシスはその像を毎日大切に磨き、祈り。参拝の人間の熱心な信仰心の表れを、ルクはちゃんと目の当たりにしている。

 男の左手。

 黒い、煙?

 男の左手を、黒が覆う。

 まだ、宵闇が降りる時間帯ではない。

 それよりも。

 ルクの目に信じられないものが映った。

「・・・黒い、羽根」

 男の背に、一対の黒い翼が突如現れたからだ。

「夜天鳥・・・!?」

 ルクの脳裏にその単語が浮かび、口がその言葉を漏らした。

「・・・ちょいと喋りすぎた。リベッドのことを知らねえんだったら、用済みだ」

 男の目が鋭いものに変わり、指を揃えた手刀を作る。

「安心しろ。死んだらカミサマがあの世で導いてくれるさ」

 歪んだ笑顔で、人を小馬鹿にした笑顔で。

 それが許せなかった。

 みんなの信じているものを簡単に否定して。

 レティシスの信じているものをバカにして。

 でも、自分にはそれを覆す力はなくて、ただ手足をばたつかせることしか出来なくて。

 男が、手刀を引き絞る。

 ルクは目を伏せる。意外と怖くはない。ただひとつ悔いがあるのなら。

 レティシスだ。

 もっと、話したかったな。

 もっと、ご飯を作ってもらいたかった。

 もっと、お手伝いしたかった。

 もっと早く、勉強を教えて欲しいって、言えば良かった。


 男の手がルクに迫るその瞬間。

 一瞬の静寂。

 男の攻撃が止まった。

 目を開けると、男はルクを見ておらず、 明後日の方向へとその視線を向けている。

 その眼は、目的の獲物を見つけたように爛々と輝いている。

 ルクも、目だけでそっちを見る。

 そこには、見慣れた女の人が立っている。

 レティシスの姿に、ルクは安堵の気持ちが心を満たす。

 だが、その表情は今までに見たことのないくらいに、歪み、怒りの感情で固められている。

「・・・すぐに、その手を離しなさい」

「・・・ようやく会えたなぁ、リベッド!」

 男の顔が、歓喜で満ちる。

「離せと言っているッ!」

 レティシスが吠えた瞬間。

 ごおうっ!

 大気が震える。

 ビリビリと、ルクの身体を何か衝撃波のような残滓が駆け抜ける。

「・・・くく。その強さは健在のようで、嬉しいぜ」

 男はルクを捕らえていた手を離す。

「はあっ」

 ルクはその場でへたり込む。

「もう少しでこのガキを喰えたんだがね。・・・衰えてねえか、俺が手合わせしてやるよ」

「・・・何しに来た知りませんが、早々に立ち去りなさい。そして、2度とわたくしの前に姿を現さないでいただけませんか?」

「・・・しばらく見ないうちに、性格変わったか?」

 男の側を通り抜け、レティシスはルクの元へ。

「ご無事ですか」

 言いながら、ルクの姿を認めると、レティシスは安堵の息を吐いた。

 少し顔を腫らしているが、大きな痕にはならないように思えた。

 そして、

「ごめんなさい」

 そう、小さく謝罪した。

 その意味を問いかけるよりも早く、レティシスは立ち上がり、ルクに対する目とはまるで違う眼差しを差し向けた。

「・・・ギュレン、もう一度言います。早々に立ち去りなさい。消されたくなければ」

「随分な言い草だねえ。アレから随分時間は経ってるぜ。いつまでも自分が『上』だと思わないことだ。それを察知できないほど、愚かじゃねえだろう?」

「わたくしは、もうあなたたちとは関係がありません」

「『王』のお気に入りであったお前がそれを言うか。・・・いいぜ、分からせてやる」

 刹那。

 どうんっ!

 凄まじい突風が吹いたかと思えば。

 男を睨みつけているレティシスが、貫く手刀を手で掴み、押さえていた。

 ルクの頭上を、見えない何かが通り抜けた。

 見ると、ルクの背後の大木に、円状の穴が綺麗に穿ってある。

「一度ならぬ二度までも!万死に値する行動だと知りなさいッ!」

 どんっ!

 今度はレティシスが衝撃波を放つ。ルクは驚愕する。

 男は遥か後方へと吹き飛んだ。それにより、何が起きるか。

 遠目から見ても、男の片腕が無くなっていた。その左腕は、レティシスの手の中に収まっていて。

「くっ・・・。怖気がするぜ。それで数百年狩りをサボっていたってのかよ」

 腕を失っても、ギュレンと呼ばれた男は冷静に呟く。

 失った腕の断面が脈動し、膨れ上がる。ギュレンの腕が、元の姿を取り戻すように、生えた。

 新しく出現した腕の感触を確かめるように、ギュレンは指を開いたり閉じたり。

 それと入れ替わるように、ギュレンの左腕だったモノは、レティシスの手の中で粉微塵になって溶けて消え失せた。

「・・・少し、マジになるぜ」

「下がっていてください、ルクさん」

 言葉だけをルクに投げかける。

 ルクは弛緩しかけている足を何とか奮い立たせ、木の陰に隠れる。

「ここで消しても構いませんよね。幸いここは教会です」

 努めて冷静に。

 教会は神の祝福を享受する場所。新たな門出を祝福する場所。

 そして。

 全うした命を送り出す場所。

「埋葬する骨は、粉々に跡形もなく消し去りますが」

 レティシスの纏う雰囲気が、変わった。


「はあ、はあはあっ。・・・クソ。クソっ!リベッドぉぉぉっ!」

 息を整えながら、ギュレンの喉から慟哭が迸る。

 その腕は両腕共に失っている。切り落とされた腕はすでに霧散。

 ギュレンの身体をドス黒い血で染め上げ。吹き出す血飛沫が空を舞う。

 再生が上手く行かないのか、断面が細かく脈動するだけ。

「ここまで、力の差が・・・!?」

 辛うじて立つ足にも、穴が穿ち、傷が刻んである。

 狩ることを良しとせず、戦わないあいつが!

 この俺より『上』である道理はないっ!

『翼』も出さず、余裕のつもりか!

 一方、レティシスは修道服すら汚れ、傷付いていない。

「もっと喰えていれば、お前なんぞに!」

「それは錯覚ですよ。我々は何かを得ても、それを力に還元する能力はない。弱い『アハルト』の妄想です」

 ギュレンは怒りを爆発させる。

「俺を!弱いとなじるかっ!天命から逃げ!隠れ!息をひそめて姿を隠して生きてきた貴様が言うことかああっ!」

 ついに立つことすら出来ず、足が文字通り折れ、地面に腰を落とすことになる。

 レティシスがゆっくりと歩みより、ギュレンに手のひらと共に、無機質な目で見下ろす。

 ぐ、とギュレンが口惜しい表情で歯噛みした瞬間。

 ぶんっ!

 ギュレンの姿が掻き消える。

 さあっ、とそこには草が優しく揺れるのみ。

「・・・立ち去ったようですね」

 ギュレンの禍々しき気配は完全に消え去った。

 レティシスがルクの方へと振り直る。

「・・・ルク、さん」

 ルクは木のそばでへたり込み、その身を僅かに震わせていた。

 頬には涙の跡。そして、その目は今までのレティシスに向けるものではなく、微かな畏怖が含まれていて。

 地面には雨が振っていないのに、水たまりのように濡れていた。

 

 正直に感じたのは、恐怖だ。身を縛るような、恐ろしさ。

 ギュレンと同じようで、違う恐怖。

 そのギュレンを、いとも容易く。

 襲いかかる攻撃が何ひとつレティシスを通ること無く。

 不遜なギュレンの表情が刻一刻と変化していくのが印象的で。

 魔法は全能ではない。失った腕が再生することはない。少なくとも、ギュレンの使う能力は魔導ではなく、人間でもない。それと同様の力を行使するレティシスまた、そうなのだろう。

 ルクは風呂場で着ていた服を全て脱ぎ、今はレティシスがそれを洗濯している。

「ルクさん」

 その声に、嫌でもルクの身体が反応する。

 今日の出来事で確信した。

 やはりレティシスは・・・。

 それどころか、レティシスという名前ですらなかった。

 風呂から上がり、ろうそくの炎の揺れる部屋の中、レティシスが現れた。

 本能的に、ルクは身を固まらさせ、少しベッド上で後ずさる。

 レティシスの顔が僅かに悲しみを帯びる。それが、ルクは申し訳なく思った。でも、身体が反応する。強い恐怖を感じる。

「・・・隣、よろしいですか?」

 ぱたん。と扉を閉めて、レティシスは近づいてくる。

 怖い。

 怖いのに。

 ベッドの横に腰掛けたレティシスから感じるのはいつも通りの包み込むような優しさ。抱きつきたくなるような、太陽みたいな温かさを感じる。

 いつも通りなら、ルクはレティシスに抱きつかれることを拒否したりはしない。

 でも、今は。

 どれくらい無言でそうしていただろうか。

「ルクさん」

 レティシスが口を開いた。その言葉にすら反応してしまう。

「レティシスさんっ」

 だからそれを、その気持ちを遮るように、ルクは言葉で返した。

「・・・ぼくのことも、食べるの?」

 あのギュレンという男が言っていた、『喰う』という表現。

 その言葉が文字通り意味ならば、ギュレンと同じような能力を持つレティシスも、同じ感覚を持っているのか。

「わたくしはもう、同じ過ちはいたしません。わたくしは、『喰べ』ません」

 少し、ホッとしたけれど、完全に安心したというわけではなかった。

「少し」

 レティシスがうつむきながら呟き。、

「わたくしのお話に付き合っていただいて、よろしいですか?」

 そんな言葉を言い始めた。

「わたくしが何者で、なぜこの教会に身を置いているのか」

 そっと、ルクはレティシスの顔を盗み見る。その顔は、決意に満ちている。

 それでいて、寂しそうな表情。

「ルクさんに出会うまでの、昔話」

 レティシスの視線は、どこか遠くに向けられていた。

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