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10話

「勉強?」

 キュレミーはその言葉繰り返した。

 ルクの部屋。

 キュレミーは律儀にも魔導に関する分厚い本を何冊も持ってきてくれた。

 魔術大全・初級編。その上位元素の続刊。魔導士になるための基礎知識、他。

「勉強って、もしかして、魔導の?」

 何かを期待するようにキュレミーは声を弾ませるが、ルクの望むものはそうではない。

「えーと、魔導ではなく、色んなことというか」

 ルクの欲するものは知識とか、一般的な常識についてだ。

 奴隷時代、大人にあれこれ教わったが、どれも断片的でムラがある。

 どうでもいい雑学やら、今思い返すと耳を塞ぎたくなるような下品なことまで。

 失った時間を取り戻すために勉強をしたいのだ。

 レティシスから借りた本が読みづらいのもある。文字の読み書きも完璧とはいい難い。よく考えると文字を書くなんて今まで考えたことはない。

「そんなのアタシに頼まないで、それこそシスターに頼めばいいじゃない」

 何故か不満そうに、キュレミーは言う。頬を膨らませ、半眼でルクを睨む。

 その通りだ。もっとも適して、頼りになる人が側にいるのだから。

でも。

「・・・これ以上、レティシスさんに迷惑かけたくないから」

 この教会に身を置かせてもらってしばらく経つ。レティシスの行動をそばで見てきた。

 シスターである彼女は、いつも忙しそうだ。

 掃除に洗濯、食事の用意まで。しかも、それが単純に2倍になったのだ。

 さらに本来の仕事である聖職者としての務め。

 常に動いており、休まる時間を見たことがない。だからこそ、これ以上自分のせいで手間を、迷惑を掛けるわけにはいかないのだ。

「・・・ふーん。あの人だったらそんなことを気にしないで喜んで勉強を教えてくれそうだけど!」

 何故かキュレミーの語気は荒い。

「だからこそだよ。自分でできることは自分でやりたいんだ。そのためには知識がいると思うんだ」

 拙い頭で考えた。

「だって、ぼくと同い年の子は学校に行っていて、ぼくよりも遥かに先を歩いているんだから」

 ルクは不幸にも学校に通う年齢に至る前にすでに牢獄にいた。

「生憎と、アタシも人に勉強を教えてあげられるほど成績がいいとは言えないし・・・。何で魔導を教えてほしいんだ、って言わないのよ!」

 どうやらそっちの方ならば自身はあるようで。

「別にぼくは魔導士になりたいわけじゃないし」

 憧れがないわけじゃないけど、なりたいかと言われたら、そうではない。

 どんな形にせよ、人を傷付ける可能性のある職業にはつきたくないと言うか。キュレミーやセインが無駄な攻撃性のある人間だとは思わないけど。

 騎士は、人々に害を成す敵や、魔獣を剣の対象とする。だからこそ弱い人間の味方であり、尊敬される対象であるべきなのだ。少なくとも、ルクはそう思っている。

「・・・・・・」

 難しい顔で、キュレミーは俯く。そんなに魔導士にはなりたくないって言われたのがショックなのかな。

「・・・アイゼアンの城の中に蔵書室があるわ。そこを使わせてもらえるか、頼みに行きましょ」

 と、キュレミーは突然そんなことを言い出した。

「善は急げ。ほら、行くわよ」

 本に視線を落としていたルクの手を強引に取ると、キュレミーは立ち上がる。それに釣られる形で、ルクも立つ。

「ま、待ってよキュレミー」

 半ば強制的に部屋を出る。

 1階の礼拝堂では、レティシスが掃除の最中で、イース・ルールの像を丁寧に磨いている。

 街に行く旨を告げたら、レティシスは「気をつけていってらっしゃい」と見送ってくれた。


 さすがだなと思ったのは、城に入る際、顔パスなのかキュレミーは特に止められることがなかったと言う点だ。後ろに付くように顔をビクつかせているルクに、衛兵は訝しげな目を向けてはいたが。ひとりだったら当然追い払われるだろう。

 城の1階はルクにも記憶に新しい。最奥の部屋にはルク達奴隷が集められ、健康診断を受けた後、ひとまずの寝泊まりを許された。それが最後まで続いていたのがルクで。

 自由になれたはずなのに、自由になれなかったような気がしたあの日。キュレミーの引く手を素直に受け止められないくらい、周りが暗い霧で覆われていたように感じた。

 どれくらいの期間だっただろうか。人としての尊厳を奪われていた時間を、周りの人間が理解できるはずがない、と遠ざけていた。それから考えると、今は比べるまでもなく、幸せだ。

「・・・ありがとう、キュレミー」

 ふと、そんな言葉が突いて出た。

「あ?何か言った?」

 言葉は前を行くキュレミーには聞こえてはいなかったようだけど、ルクはそれで十分だった。


 ルクは落胆の表情。心の中では期待していたのかも知れない。キュレミーが同時に憤慨したのはすぐ後で。

「ごめんね?城の蔵書室は、一般の人間は入室を禁じているの」

 ルーナ・イヴンスは、困った顔をしながらそう告げた。

 白い法衣に身を包み、娘であるキュレミーと同じ色をした髪を腰ほどにまで伸ばした、柔和な笑みを浮かべた女性だ。物腰の柔らかそうな雰囲気は、キュレミーとは反対に見える。

 ふたりがまず向かったのは、魔導士としてこの城で顕現を持っているキュレミーの両親。

 どうしてよ!と、食い下がるキュレミー。

「蔵書室は、禁書や門外不出の魔導書もあるし、持ち出しはもちろん、未熟な魔導士の目が触れることはできないの」

「ルクはそこから盗むような人間じゃあないわ!ただ勉強がしたいだけなの!」

 本当はキュレミーもすぐに理解したことだろう。魔導を志すキュレミーが、蔵書室の本の持つ危険性、重要性を認識出来ないわけがないだろうから。だから、食い下がる勢いが消失する。

「ふふ」

 我が娘の態度に、ルーナはキュレミーの頭に手を載せ、優しく撫でる。今思うことではないかも知れないけど、ルクはその光景に羨ましさを感じていた。

 レティシスの存在に救われ、その生活に何の不満もないけれど、ルクの目に映るのは『家族』の絆が見える。

「それに、蔵書室の本は魔導に関するものが殆どで、国語や数学なんて無いと思うわ」

 そもそも、禁書になるくらいの魔導書を読める人間は、一般常識を備えた人間だろう。

「ごめんなさいね」

 ルーナ・イヴンスはルクに視線を送り、

「私に教えられることがあったら、何でも協力してあげるから」

 そう言って、ニコリと微笑んだ。

 レティシスに感じるおおらかさを、ルーナからも感じる。

「これからもキュレミーと仲良くしてあげてね?」

 その言葉に反応したのはキュレミーで、「あ、アタシが仲良くしてあげてんの!」と、真っ赤な顔で母親に向かって全く痛くないパンチを叩き込んだのだった。


 目論見が完全に暗礁に乗り上げて、ふたりはルーナの元を去った。キュレミーのため息が宙に溶けて消えた。

「ごめん」

 そう、小さく続けた。思い通りの結果にならなかったのが無念なのだろう。

「いいよ。ありがとう、ぼくのために」

「べ、別にアンタのためじゃないから」

 キュレミーはそうは言うけど、これは本当の気持ちだ。自分のために奔走してくれたのだ。ありがたいと思わないわけがない。

「ねえ」

 キュレミーの靴底がこつんと石畳に打ち付けられた。

「アンタ、魔導学校に通う予定とか、ないの?」

 思いがけない言葉が聞こえた。

「学校なら図書館もあるし、生徒なら見放題よ」

 魔導学校の図書室なら、魔導の本に限らない。授業も魔導だけではない。たぶん、普通に考えたらそれが現実的だろう。

「教会に置いてもらっているのに、そんなこと言えないよ」

 それに、とルクは続けて。

「学校って、人が大勢いるところでしょ?・・・そういうの、苦手というか」

 幼い頃から、ひとつの部屋に大勢で詰め込まれていたのだ。学校がそれだけの場所ではないのは重々承知だ。

 四方からの威圧感。見えない方向から背中を取られるかもしれないという恐怖。今は、ひとりの部屋が本当に心が休まる。

「・・・じゃあ、アタシが連れ回したのも迷惑だった?」

「安心できる人が側にいてくれたら平気だよ。それに、嫌いと言うより、苦手ってだけだから」

 ふと、キュレミーの顔が僅かに赤くなる。

「安心。そうよね。当然よ」

 キュレミーは何故か腕を汲んで、頷く。

「どこかで見た顔かと思ったら、お前らか」

 見知った声が聞こえた。

 セイン・ルイファートだ。

「それにイヴンスのお嬢ちゃんか」

 ペコリ、とキュレミーは軽く会釈。

「どうした坊主。忘れ物か」

 ルクが城にいる理由を不思議に思ったのだろう。ふたりはセインに事の顛末を話した。

「勉強ねえ。騎士なんて、文字の読み書きがロクに出来なくてもなれるぜ。強けりゃそれでいい世界だ。まあ、おすすめはしねえがな」

 だはは、とセインはおおらかに笑う。

豪快で不遜。確かにセインは知とは真反対のところにいるような気がする。

「勉強がしたかったら、うちの若い連中に掛け合ってやってもいいぜ。教師志望とかいうのが女騎士の中にいるって聞いたことがある」

 頭を捻つつ、思い出そうとするセインに、ルクは両手を振って断る。

「い、いえ。結構です」

 女騎士というと、あの時のことを思い出す。嫌な予感しかしない。

「せ、セインさんこの間はありがとうございました」

「んあ?何がだ」

 話題を変える意味で、話を逸らしてみる。

「魔獣のことです」

 ああ、とセインは得心したように頷いた。

 アイゼアンの外に出た怪物は、翌朝には退治したという報告を受けた。

「そうだな」

 そんなルクの言葉とは裏腹に、セインの表情は優れない。

「俺たちが下したのは、ただの四足歩行の魔獣だ」

 この世界で最も数が多いとされている陸上種。大地には動物を魔獣化させる要因が最も多いためだ。ただの、とセインは言うが、一般人には脅威であることに変わりはないことを忘れてはならない。

「・・・噂の夜天鳥の情報がピクリとも入ってこねえ。ただの見間違い、存在しないなら問題はない。それを解決するまでは安心させるわけにはいかないんだ」

 アイゼアンをにわかにざわめかせる、黒色の翼を持つ怪物。

「夜天鳥って、噂では羽の生えた人型の魔獣なんでしょ?・・・神様とか、天使様なんじゃない?」

「天使様ときたか。こりゃまた斬新な説だぜ」

 キュレミーの放った言葉に、セインはからからと笑う。その態度にキュレミーはむっとするものの、突っかかることはしなかった。

「まあ、現実に羽根の生えた人間なんている訳がねえ。いたとしても、粗暴な存在でないのを望むだけだぜ」

 手をひらひらと振りながら、セインは廊下の向こうに消えていった。

 それについてはルクも同意見だった。

 神や天使は誰かを傷つけること無く、優しさや安らぎを与える存在であるべきだ。

 奴隷の時。

 毎日祈っている人もいた。いつか神様が救い出してくれると信じている人もいた。

 残念ながら、ルク達を救ったのは騎士だったが、それでも人間は心に救いを求め、希望を宿す生物なのである。それが、厳しい世界でルクが学んだ数少ないことである。


「あ、キュレミーが持ってきてくれた本、どうしよう」

 ルクが帰宅の路につこうとした時、自分の部屋に置いたままの本を思い出した。キュレミーは少し考えた後。

「めんどいから置いておいてもいいわよ。そのうち取りに行くから。汚したりしたらぶっ飛ばすわよ」

 物騒な言葉を背に、ルクはアイゼアンを後にした。

 ルクの背が見えなくなるまで、キュレミーは手を振り続けていた。


 アイゼアンに連なる建物たち。

 夜はこれからと、喧騒で満ちる酒場。         

 店仕舞いに奔走する青果店。様々な人間が住まう街。

 そこに一際高い建造物がある。

 アイゼアンの中心部を貫くように立てられた塔。

 その頂上には、アイゼアンの鐘と呼ばれる、その名の通り巨大な鐘を有する鐘楼がある。

 基本的に、新年を迎えた1日目、祭事の日にしかその音色を聞くことはない。

 巨大な鐘はいつ自分の仕事が来るのか、流れる空を見守るように佇んでいる。

 その鐘を覆う屋根の上。

 誰かがいる。

 先端が鋭くなっている屋根に器用に足を載せ、そこが地面から遥か高い上空であるのも関わらず、身を震わせることもなく佇んでいる。

 その視線の先は、豆粒のような人波に向けられていて。

「・・・匂うな」

 と、だけ呟いた。

 背には、一対の羽根が生えていた。

 その色は、黒かった。

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