01-火を囲う者達
火は、小さく揺れていた。
湿った枝のせいで煙ばかり出てるけど、それでも火は火だ。
悠真の前にいる連中は、誰も動かない。
槍を握ったまま、じっと火を見ている。
もう武器は下がっている。けれど、殺気が消えたわけじゃない。張りつめた空気だけが、まだ辺りに残っていた。
悠真は膝をついたまま、微動だにせずにいた。
ここで下手に動いたら、また槍が飛んでくるかもしれない。
火を見せて、なんとか“敵じゃない”と思ってもらえたのかもしれないが――それ以上でも、それ以下でもない。
(火って、すげえな……)
静まり返る中で、一人の男が前に出た。
他の連中より明らかに年上っぽい。
肩まで伸びた髪に白いのが混じっていて、背中には何かの骨を束ねた飾りみたいなのをぶら下げている。
服っていうより、毛皮をぐるっと巻いたような格好。まるでサバイバル番組に出てくる未接触部族だ。
その男が、悠真をじっと見つめていた。
敵意はない。けれど、ただの好奇心とも違う。
獣を前にした猟師のような――“判断する目”だった。
やがて、男が口を開いた。
……が、言っていることはまるでわからない。
発音も抑揚も、日本語でも英語でもない。
音の数が少なくて、どこか濁っている。言葉っていうより、鳴き声を組み合わせてるみたいな、そんな響きだった。
その声に反応して、周囲の何人かが動いた。
槍を持ったまま、じりじりと悠真を囲むように間合いを詰めてくる。
かと思えば、火から視線を外して森の奥――何かある方向を見やる。
悠真は、一度だけ火を振り返った。
さっきよりも少しだけ強くなった炎が、枝の隙間から赤く覗いていた。
これ以上逆らっても仕方ない。
そう判断して、悠真はゆっくり立ち上がる。
周囲の視線が、それを止めようとはしなかった。
(……連れてく気か)
言葉は通じない。でも、動きと空気でだいたいわかる。
悠真は、無言のまま火から一歩離れ、先頭の男のあとを追うことにした。
*
森の中を、無言のまま進む。
道なんてものはない。けれど、彼らは慣れた足取りで枝をかき分け、岩を避け、ぬかるみを踏んでいく。
悠真もなんとかついていくが、油断するとすぐ足を取られる。
見れば、先頭の男が腰に何本もの矢をぶら下げていた。
石の矢じりがついたそれは、どこからどう見ても“狩猟道具”だ。
手作りの道具。毛皮の衣服。見慣れない装飾。
それら一つひとつが、現代日本のものじゃないことを、静かに突きつけてくる。
(マジで……どこなんだここ)
観光地じゃない。演出でもない。
スマホは圏外、電波も反応もない。
なのに、自分の持ち物はそのままで――空も、空気も、明らかに“現代じゃない”。
それに。
(今の言葉……言葉って、あれ言葉だったのか?)
さっきの男が発した音。
抑揚はあるけど意味が取れない。言語として成立しているのかどうかすらわからない。
でも、彼ら同士は普通に通じ合っているように見えた。
言葉も、文化も、時間も、まるで共有されていない世界。
悠真は、不安より先に、ぞくりとした感覚を覚えていた。
(……やべぇとこに来たな)
*
やがて森を抜けると、開けた土地に出た。
そこには、土を盛り上げたような屋根と、草を束ねた壁。
竪穴式住居――その言葉が、悠真の脳裏をよぎる。
中央には火の跡。その周囲に集まる人影。
小さな子ども、老人らしき人物、片手に魚を持った若者。
全員が、悠真を見る。その目に、警戒と興味と、ほんの少しの――畏れのようなものが混じっていた。
村の中心まで連れてこられると、火の前に通された。
悠真はリュックを背負ったまま、じっと周囲をうかがう。
誰も言葉をかけてこない。けれど、火のまわりで動きがあった。
一人の少女が、静かに歩み出た。
年は十代後半か。黒髪を編んで垂らし、水を模したような青い飾りを髪に差している。
服装は他の者たちと似ていたが、どこか清潔で、整っていた。
少女は、火の前に立ち、何かを唱えはじめた。
あの濁った響き。けれど、さっきの男のそれよりも、どこか透き通っている。
その声に、周囲が静まり返る。
悠真も思わず息を呑んだ。
何を言っているのかはわからない。けれど、音のひとつひとつが耳に残る。
少女が、ゆっくりとこちらを見た。
目が合う。
その瞳は、水面のように澄んでいた。
(……誰だ)
言葉も、意味も、まだ何も通じていない。
けれど、この瞬間だけは、確かに何かが伝わった気がした。
悠真は、自分の中で何かが変わりはじめているのを感じていた。