天使[A]-(3)
「そろそろ本堂にお参りに行く?」
隣に座っていた女性が、顔を覗き込むようにして尋ねてきた。
少しの間ぼーっとしていた老婦人は、「あっ?」と小さな声を上げて、そちらに目を向ける。
若い女性は――孫は、表情を心配そうなものにした。
「まだ疲れてる? ていうか、気分悪いの? タクシー呼んでもう帰ろうか。帰りの買い物は私が行くよ?」
「ああ……、平気。ご本尊には手を合わせとくよ。――ああもう、そう心配しないの、杖だけで平気だよ」
孫が脇から腕を支えようとしてきたので、苦笑混じりにそれを拒み、杖を突っ張って立ち上がった。
本堂の方に目を向けると、住職が階の前までやってきていて、こちらを見て少し心配そうな顔をしていた。
「ご住職にもちょっと心配をかけたみたいだねぇ」
そう呟いてから、愛子は住職に向かって軽く手を振って見せて、ぺこりと頭を下げた。住職は安心したような笑みを見せて、胸の前で合掌しながら同じくお辞儀をした。
「いつもは、お墓からすぐ行くんでしょ? 遅かったからかな」
孫もぴょこんと頭を下げつつそんなことを云った。
「私が一緒だったから、ちょっと疲れちゃったかな、アイばーちゃん」
「だから、そう年寄り扱いするんじゃないよ。あんたの方が、参道の坂道ハアハア云ってたじゃないか」
口を尖らせてそう云うと、孫が苦笑した。
手を引かれて、というのでもなく、孫と手を繋いで本堂の方へゆっくり歩いていく。手を引かれているわけではないが、孫は恐らく自分に歩調を合わせてくれていると思う。時々、孫の靴の高い踵がぎこちないリズムで掠めるように視界に入ってきた。
――と、
「あれ…?」
ふと、不思議な気分になって孫に問う。
「あんた、スカートじゃなかった?」
「え?」
孫は、裸足にサンダル履きで――彼女は「ミュールだ」とムキになって云っていたが――、くるぶしが見え隠れするその上は、やけにピッチリと脚に沿ったジーパンだった。
祖母に孫は苦笑を見せて肩を竦め、
「やだなあ、何云ってんの? 私、スカートなんて、もう高校の制服以来、着てないくらいよ?」
――高校の制服……だとしても、紺色だ。この子が真っ白なスカートなんて、そりゃあ…、今まで見たことがないくらいだ、何でそんなことを思ったのだろう?
「夢でも見たんじゃないの?」
「お迎えが来たんかねぇ」
苦笑して愛子がそんなことを云うと、孫が「やだなあ、縁起でもない」と大げさに顔を顰めたが、祖母本人が本気で言ったのでも無さそうだったから、次には同じく苦笑を浮かべた。
「……ねえ、あゆちゃん」
これもまたふと思いついたことだったけど、今度はやけにしみじみとした口調で愛子は孫を呼んだ。
「ん?」
「あんたのね、彼氏。正月に連れて来たろう」
「あ、ああ……うん? どうかした?」
「祖父ちゃんに似てるよ」
呟くように愛子が云うと、孫はまばたきをし、一度「何をいきなり」という顔をした。
「ああ…、名前は似てるね、そういや」
「いや、顔とか。声とか。男前だったね」
「……」
取り敢えずの相槌を孫が返すと、愛子がそう云って確認した。
孫が「ばーちゃんにはあげないよ」とわざとらしく苦々しい顔を作って云うと、その祖母は「くふっ」と笑った。
***
欠伸をかみ殺したせいで潤んだ目で、「紙」に目を通していた死神に、ふと天使が問う。
「あなたも、人に生まれる気になったことがあるのですか」
紙から顔を上げて、「うん?」とDが首を傾げた。
「あなたも死神のはしくれなら、自分も人間に生まれてその中で生きようと思ったことくらい、無くはないのでは」
Aが丁寧に云うと、Dが苦笑した。
「君は、俺が人間に生まれようと思ったことがあると、思っていないんじゃなかったんかい」
愛子にそう云ってたじゃないか、Dが云うと、Aが首を傾げた。
「今までそんなことを思いつかなかった自分が不思議になりました」
愛子さんと話していて、とAが云うと、Dは肩を竦める。
「俺は、Dだから」
「……いえ、だから…」
Aが不思議そうな顔をする。
「Dだからこそ、その思いは強いのじゃないの?」
「……A、君さぁ」
今度はDが、少しばかり呆れたような顔をした後で苦笑を浮かべた。
「愛子も君を『幸せな』って云ってたけど、それ、人間が別の意味で云う『幸せ』なんじゃないの」
「……ど、どういう意味ですかッ」
人間が別の意味で…って…、愚かなくらいに楽天的とか、物を知らないとか、そういう意味で、私が「幸せ」だって?
「それとも、やっぱり愛子が云ったみたいに、鈍感なのか? それとも、まだ『Aの自覚がない』のか?」
――鈍感とは気分が悪いが、「A」の自覚がないとは、聞き捨てならず狼狽える。
「え……」
少々、不安げな顔をしたAの前に、Dが「ふう」と息を吐きながら立ち上がると、若干背の低い天使の頭へ手を置いた。
「Dと名がつく死神はAと名がつく天使のパートナーであって、AはDのパートナーだって、まだ解らないの? 愛子のとこ行く前に話したじゃない」
「……」
「愛子が云ったのはね…。本当に、ただ単純にそういうことだよ」
「――じゃあ、愛子さんのD……大作さんの方は、愛子さんのパートナーであることを放棄したの? そんなDにAは、――それでも愛子さんはついて行った?」
「あああ」
Dが呆れたような溜息を吐き、後ろにある机に手をつきながら、バカだなあ、とAに云った。
「君は想像力が足りないよ。解んないじゃないか、そんなこと。――君は、死神を……というか、Dを随分見損なっているか、信用していないか……そうなのか?」
「別に、そんなことはありません……」
「じゃあ、Dであることを『放棄』して人に生まれただなんて、そんなこと考えてくれるなよ」
「……」
「仮に、本当にDが人に生まれたくなったとして、愛子が『許可したから』大作は人に生まれたのかもしれないじゃないか。Aが、ついてきてくれるのを『待った』のかもしれないじゃないか」
「……」
「俺は、一度も人に生まれようと思ったこともないし、君が人に生まれる可能性なんて考えたこともないよ」
ふう、と溜息混じりにDが云う。
Aは思案げな顔をした後で、
「もしかして、卵が先か鶏が先か、みたいなことを云ってるんですか?」
と云った。
Dはそれを聞いて「あんぐり」と口を開けた後、ぷっと吹きだした。
「ああ、そういうことかもね」
とDが頷く。
Aは「でもやっぱり、よく分からない」と首を傾げた。
「だって、私はAとしての仕事をしているだけですもの…」
「でも、愛子に会いに行く気になったじゃないか、基本、人間に会いに行きたくなるのは死神の仕事だ」
「だからそれは、どうして?と思ったから、――Aが人に生まれるなんて、理解できなかったから、訊いてみたくて」
「……それを理解できず疑問に思うくらいに君はAとしての仕事に専念できて、僕がDであることにも疑問は無いってことなんじゃないか?」
それが、幸せって表現になるんじゃないの、とDが云う。
「俺も、君がAであることに疑問を持ったことはないよ、Dとして」
とDが頷くように首を動かしつつ云った。
「やっぱりよく解らない」とAは声に出さずに呟いて戸惑いの表情を浮かべたが、今のところDが、人の世に生まれる気が無いなら、まあそれはそれで良いか、と思った。
だから、
「そうですか」
と大きく頷き返してから、
「それで、今度は誰のところに行くのか、決まりました? それとも、今回は参りません? 私はついて行くべきですか、それともお留守番で結構?」
片方の手を腰に当て、もう片方の手でDの背後を指さすと、大げさに機嫌を悪くした声を作り畳みかけるように早口で云った。
指の先には「紙」がある。Dが振り返り、慌ててそれを手に取ると、
「腰を折ったのはおまえさんの方じゃないか、何だい、その偉そうな云い方」
と云いながら、椅子に座り直して「ちょっと待っててよ」とふて腐れた。
2009.5.27
[世界観としては、ぼんやりと〝天使〟はこんな感じ、っていうのを思い描いてたんですが、お話は、この「A」以外書いていません。「(誰から頼まれた訳でもなく好きで)『お話』を、何年書いてきて、今更こんなものを書く」と当時思った点で、一番「リハビリ」っぽい・苦笑]




