表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

天使[A]-(2)


 神田愛子は、その言葉を聞いて、再び一瞬「ぽかん」という顔をした。

 ――が、次には「ああ…」と溜息のような声を出した。

 頭の中で、色々な記憶が交錯している。

「……何にせよ、『神田大作の墓』は無いよ。『神田家代々之墓』はあってもね。――だから、神田愛子の墓も建たない予定だ」

「――そうですか」

「そっちで良けりゃ案内するけども、……別に、墓に手を合わせに来たのじゃないんでしょう」

「……」

「全く、年寄りを驚かすものじゃないですよ。天使ってのはこれだから……」

「あなたに云われたくありません」

 天使と名乗った若い女性が苦笑を浮かべてそんなことを云った。

 神田愛子は、若い女性と同じように口元を苦笑の形にゆがめ、

「座らせておくれでないか? いつも、あそこで一休みするのが日課でね」

 と杖で、幼稚園の方角を指した。

 天使が頷く。

 いつも、本尊に手を合わせてから座るのが日課だが、今日は墓地から直行でベンチに座った。

 もしかすると――自分の息子ほどの年の――住職が、「神田のおばあちゃんは今日は遅いな」とでも考えているかもしれない。

 幼稚園の方から、孫――いや、ひ孫ほどの年の子供たちの甲高い声が聞こえる。

「改めて名乗ります」

 隣に座った女性――天使がそんなことを云った。

「私は、Aです。神田愛子さん」

「……あたしもAだよ」

 神田愛子が、しわくちゃの顔に笑みを浮かべて天使に云った。


「……『A』を名乗るあんたが来ているのだから、死神――『D』も一緒?」

「ええ、あそこに」

 そう云って、天使Aは寺の屋根を指さした。

 愛子がそちらに目を向けると、反り返った屋根の中腹辺りで、黒衣に大きな鎌を肩にかついだ男が、……にこにこ笑って手を振っている。

 思わず愛子は吹き出した。

「また縁起でもない。……誰かに見られたらどうするの、あんなの」

「貴女はご存知でしょ? 見られる、見える以前に、こうしてお話している間、貴女がここに座っていることすら、私が判断しない限りは誰にも認識されません」

「ああ……そうだった」

 愛子がこくこく頷く。記憶を確認するように。

「……あたしは、ここで今から死ぬんかい」

 愛子は独り言を呟くように云った。

 天使Aが首を振る。

「いえ……。貴女は、『予定』の方です」

 この一週間以内に死ぬ「かもしれない」人の中の一人。

「そうかい」

「……この世界に生まれてから今まで、人生は充実してらっしゃいましたか?」

「充実ねぇ……」

 神田愛子は天使の言葉をぼんやりと繰り返しながら、幼稚園の方に視線を向けた。

 杖を支えた手の上に顎をのせて、愛子は幼稚園の園庭で走り回っている子供を見ていた。

 天使は、そんな老婦人の横顔を見ている。

 少しの間があって、愛子は首を振った。

 それは、否定してのことではなかった。

「よく解んないよ。――生きていた、それに必死だった、それだけだね」

「――そうですか」

 天使が、ただの相槌以外の何ものでもない声色で云い、首を縦に動かす。

「では、後悔はありますか?」

 神田愛子が、同じく首を横に振る。

 それは、否定だった。

「いいえ」

「――。そうですか」

 同じ言葉だったけども、天使は少し間を空けてから云った。ほんの少しだけ感慨深そうな溜息が混じっている声に聞こえた。


「――あなたのDは……、大作さんは、いつお亡くなりになりました?」

「あたしに聞くんじゃないよ、もうそっちに行ってるじゃないか」

 愛子が苦笑混じりに云う。すると、天使は肩を竦めた。

「死神なら覚えてるかもしれませんけど、ご存知でしょう、天使が人間個々に大した興味など持っていないこと」

「……ああ…」

「――まして、私は『A』ですもの」

 他に「A」が居る、他の「D」――正確には「Dだった者」なんて、――役職的にも意識的にも、眼中には入らない。

「そうだったね」

 と愛子が頷いて、一度息を吐いてから続けた。

「――もう、五十年になるかねぇ…」

「そんなに?」

 少し、天使が驚く。

「子供三人作ってから、あの戦争に志願して行っちゃったよ、バカたれが。記憶なんか残ってないだろうに、これだから死神ってのは――それも、Dってのは」

「……」

 愛子が、独り言の口調で、苦笑混じりに悪態をつく。天使は黙って聞いている。

「帰ってはきたんだが、何か、弾が腹の危ないところに残ってたとかで、上の子が二十歳になるちょっと前に死んじゃった。バカだから、その弾だってきっと一緒の隊の子を庇いでもしたんだろう」

「……」

 多分、これだから「D」ってのは、とまた云いたかっただろう。胸の内ではもう云っていたかもしれない。

「生まれるときに、どう死ぬって云ってたんだろうね、大作は」

 愛子がまた独り言を呟いて、ふと、寺の屋根に目を向けた。

 つられて天使もそちらを見ると、黒衣の者が、ぶるぶると大げさに首を振って口の前で指を二本使い、×マークを作っていた。

 それは、「知ってても云わないよ」という意味であることは、愛子にも、解っている。……天使に「云うな」という意味でもないことも。――天使Aは、そんなこと「知らない」か「覚えていない」筈だから、「云うな」とは云わない。

「まあ、でも大体想像はつくよ。『A』、あんたも大体想像つきませんか」

「――多分、『誰かの代わりに死ぬ』『誰かのために死ぬ』とかそんなことを云っていたのかもしれませんね」

「そうだろうね」

 連れ合いはあたしなんだから、あたしのために死にゃいいのに。そうは考えないんだ、死神――Dってのは。

 やれやれ、というふうに愛子が溜息をつく。


「あなたはどうして、この世に生まれる気になったのですか?」

 ――天使Aは、聞いておきたかったことを訊いた。

 また前を見ていた愛子が、ちらりと天使を横目に見る。

 天使の表情を見て、愛子は軽く目を細めた。

 ――天使Aは、そもそもそれが理解できない、と云っているような顔をしている。

 愛子が苦笑する。

「死神が、人に生まれることを望むのは、そんなに珍しいことじゃないけれど――、なぜ、あなたが?」

「あんたもAなら解るだろう」

「解らないから訊いたんですが…」

 解らないはずはない、何を馬鹿なことを訊いてくるのか、という口調で愛子から云われたので、今度は、Aは少し戸惑ったような顔と声になった。

 そんなAの顔と声に、愛子がまた苦笑を浮かべ、軽く首を振った。

「……あんたは、幸せな『A』だね」

「――」

 意味が分からない。Aの方が、やはり戸惑った顔をして首を傾げる。

 じわじわと……、Aの胸中に「この方は、やはり『先輩』なのだ」という気分が、漠然とだが湧いてきている。

 愛子が、微かに、何かを企んでいるような笑みを見せてAに云う。

「あんたのDが、人に生まれることを望んだら、どうする? それを、考えたことはあるかい」

「……」

 Aは少しの間、何か考える顔をして、首を振り、

「Dはそんなこと望みません」

 きっぱりとした口調でそう云った。

 すると愛子が、目をぱちくりとさせて、

「あんたは幸せなAだね」

 と繰り返した。

 Aは、「じゃあ、あなたは幸せなAではなかったということですか」と疑問に思ったが、尋ねるのは止めた。

 愛子がちらりと寺の屋根を見ると、死神が膝に肘をついて頬杖をつき、苦笑していた。


「……何でそんなことを、あんたはきっぱり云えるのさ?」

 Dから目を逸らして、愛子が相変わらず、どことなく意地悪く見える表情でAに問う。

 Aが、肩を竦める。

「だって、Dがそんなこと考えるなんて、全く想像が出来ませんもの」

「答えになってないよ……」

 大げさに愛子が溜息をつく。頭の悪いことを云うねえ、とでも云いたそうに。

 Aは、若干気を悪くしたような顔をしたが、――何故、愛子がこんなことを云うのかすらも分からなくて、次にはやはり戸惑いの表情を浮かべた。

「――まあ、いいさ…。あんたが思うように、本当にあの子がそんなこと考えないDなのだったら、やっぱりあんたは、幸せなAだってことだよ、ただそれだけ」

 ちらりと寺の屋根を見て、愛子はAにそう云った。寺の屋根では、「あの子って」とDが一人でずっこけている…。

「……じゃあ、それはそれでいいですけど、私の問いには答えてくださいませんの?」

 Aが、少々拗ねた口調で云うと、愛子が「はい?」と首を傾げた。

「ですから、――『あんたなら解るだろう』と仰ったきりです。私には解らなかったんですから…」

「――ああ、あんたはあんたで、筋金入りのAだねぇ」

 ふふ、と愛子が笑いながらそんなことを云った。

「鈍感だ」

「……心外です」

「天使ならそこは、『人間に鈍感と云われて結構』と澄ましてなきゃいけないよ。まだ修行は足りないね」

 悪びれず、愛子が笑う。

 結局、はぐらかされているのだろうか、はぐらかしたいのだろうか、とAは思った。

 愛子がひとつ、ふう、と息を吐いて、「単純に考えて、やっぱりあんたに解らないはずは無いよ」と云った。

「AはDについてくもんでしょうよ」

「……それだけ?」

「他に、何かあるの?」

「――」

 云われてみればそうだけど。

 たったそれだけ?

 Aが「拍子抜け」という気分になって口を噤んでしまっている間に、愛子が続きを云った。

「だから、あんたは幸せなAだって云うんだよ」

「……は?」

「Aが、本当ならそこまではついて行きたくないとこに、D自身が行こうとしないってんならね。それがAに伝わってる、解ってる程なら尚更だ……。Aの方について行くつもりがちゃんとあるDってことでしょうよ。いいコンビなんだろうね、あんた達は」

 独り言のように愛子が云う。

 Aはその言葉を反芻し……軽く、眉を寄せた。

「あなたは、後悔は無いと仰っていたのに」

「あたしに後悔は無いよ」

「あなたのDは、そんなに我が儘だったと?」

「それを我が儘だとあんたは思うくらいに、あんたのDは我が儘じゃあ無いんだろうねえ…」

「……」

「死神は天使に我が儘なもんだと決まってるよ。天使は基本、人間が死神ほどには好きじゃなくて、だから人間を愛してると云う死神が理解出来ないもの。そんな天使が理解できなくて、過激なケンカ売ってくる死神も居るし、天使からしたら相当に我が儘に見えるほど人間の方を贔屓する。そうでしょ? だが、Dと名のつく死神とAと名のつく天使だけは、『パートナー』として在る……違う?」

「それだけで……、人間に生まれることが出来たのですか、あなたは」

 必死に、生きたと?

「Aってのは、そういうものです」

 先輩が、そんなことをきっぱりと云う。

 理解できない。

 理解できないAに、愛子はまた、「だからあんたは()()()Aなんだってば」と苦笑混じりに云った。


「じゃあ……あなたは、幸せじゃないの?」

 Aが、さっき飲み込んだ問いを口にすると、愛子は微笑を浮かべた。

「あんたは、自分で自分を幸せだとか思わない程幸せだから、そんなことをあたしに訊くんだよ」

「……」

「あたしはあんたを、いい『D』とパートナーになれたね、って意味で、幸せだって言ってやっただけさ」

「じゃあ……」

「あんたに云われなくてもいいよ。あたしのDも、いいDだったよ」

 Aに先回りして愛子が云う。Aは口を噤んだ。

「あたしの『連れ合い』は、『あれ』だけさ…」

 一度目を閉じて愛子は溜息混じりにそう云い、次に目を開けながら、だからだよ、と続けた。

 それだけ?とAはまた口にしかけたが、愛子がとても遠くを見ているような目をしていたので、声にするのを止めた。

「あんたは、あんたの連れ合いを大事にしておやりなさい」

 遠くを見ている顔のままで、愛子がそう呟く。

 Aは愛子に小さな声で「解りました」と云ったが、屋根の上で死神が頷いたのには、Aの方が気付いておらず、愛子が小さく笑い、聞こえないほど小さな声で「当分、代替わりが無いね」と云った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ