死神[D]-(3)
「私がもうすぐ死ぬ『かもしれない』ってのも、曖昧なのね」
「うん、そうね」
「死ぬのって運命で決まってる訳じゃないの? ……ていうか、そんなのも云っちゃっていいのかどうかも不思議だけど、これも答えてくれる問い?」
「いくらでも」
黒ずくめの男は、黒いコーヒーを一口飲んで平然と云った。
「歩美、人ってね、死ぬ時も一応自分で決めて、生まれるん」
「……」
「生まれる前に、『こう死にたい』て云っておくの」
歩美は「信じられない」という顔をした。それは、怒っているようでもあり、ショックを受けているようでもあり――
「馬鹿げてる。嘘よ」
「嘘じゃないよ」
「戦争で死にたいと思う人間が居るわけないじゃないの!」
思わず声が高くなったので、つい、慌てて周りを眺めたが、……状況は変わっていない。誰もこちらを見ていない。
「尤もだよ」
死神が大きく頷く。それから……何故か死神も苦々しい顔をした。
「誰もそんなことを生まれるときに望んだりしないよ。大抵は、家族に見守られて大往生、って望むものさ」
「それが叶えられないこともあるのが、運命だと? 『ぽっくり逝きたい』が、状況によっては『一瞬で死にたい』と曲解されて、爆弾で、とか?」
歩美が不快そうに云うと、死神は首を振った。
「いいや、そういうんでもないんだけど、……状況によって、ていうのは、一部あってるかな」
「――誰がそんな運命を決めるのよ、神様?」
「だから、運命っていうのじゃないの」
困ったな、という表情を浮かべて死神が手を振った。
「僕らも『神』って呼んでる、まあ、『一番偉い』のが死期を大ー体決めるのはそうなんだけども、それでも運命って云うほど強いもんじゃないの」
「……」
「ちょっと聞いててね。……基本、生まれる前に死ぬときの希望を云ってから生まれるってのはそうで、大抵は、……この国の言葉で云えば『畳の上で』ってのが一番多いもんだけど、『若くて綺麗なときに』って思う人も居る」
「……」
「でも、それが叶えられないこともある。何故なら、いくら若くて綺麗な時に、人生の一番充実した時に死にたいと云ったって、そのときに万病の元である風邪すら引いてなくて車にも乗ってなくて、屋上に立っても居なくって、て状況だと、そこで死んじゃ変なんだよ。これが飛行機事故なんかだとその人は希望通りになっても他の人は希望通んないってことにもなるでしょう?」
「まあ、そりゃそうね……」
「そこら辺、調整するのが、僕らが『神』って呼んでるのなんだけども――当然、君たちが神様って呼んでる存在とは全くタチが違うって、もう分かってもらえるね?――、大多数の飛行機客が大往生するつもりで生まれてる中に、若くて綺麗な時に死ぬつもりだった人が一人居れば、その一人にちょっと我慢してもらうことになる。……そのときは、その人がその後の生涯でどういう死に方したいと――いや、そりゃあ大抵の人は普段『死にたくない』と思っているのが普通だけどね――思うか、が考慮される訳だけど……」
「……」
「もうどうしようもなく、その人が今生きている土地や、健康状態とか……総合してった時に、『神』が決めざるを得ない死期ってのが出てくる……の」
死神は、少し、息が苦しくなったような声で云った。
「それが顕著になるのは、『戦地』ってこと?」
「そうだね。…そりゃまあ、地震や台風なんかの天災が起きやすい場所、ていうのもあるけれど、…それよりは、『戦地』の方が段違いに数が多いね……」
やっぱり、自分よりも死神の方が、今は胸が苦しそうな顔をしているような気がした。
「……大抵の人ってさ、生まれるときに、どこに生まれるかってなった時、……前に生きてた土地を選ぶ傾向がある」
「……」
「全然違う土地でも、前に生きてた時に縁があった人の縁者に、もう一回、とか」
「戦地が故郷なら、また戦地に生まれたがる?」
「故郷が戦地のままだったら、そうなっちゃうってことだよ」
少し、死神が不快そうな顔をした。
「歩美、今僕が云った『神』は、人間の誕生と死期を調整するのが仕事なの、天災と云われる地震や台風ですら『神』が起こしてるんじゃないから、あろうことか戦争始めるのは神じゃないの――」
「……」
「人を殺すのは、僕でもないし、神でもないの。人を『殺す』のは人だけ」
死神が一つ溜息をつく。
「水は低きに流れるけども、神が調整するのはその流れの終着点だけ。海に流れ込むことが出来れば一番いいが、たまに湖に流れ込まなきゃ仕方のないことがある。流れる土地のどこが低きかを作るのは、神じゃなくて人。…生まれる時に希望した死に方が出来るような生き方をしたか、その死に方が出来るような状態にその場所があるか、それが水は低きに流れるってことさ。『神』だってね、水を高きに流すことは出来ないから、どうしても希望に添えないことがあるんだよ」
何だか、お説教をされてる気分になって、歩美は、再び根本的な問いを投げた。
「じゃあ、死神は何をするの」
私の前に何をしに来たの。
「だから、君がもうすぐ死ぬかもしれないからさ。話したくて」
「もうすぐって?」
「この一週間の間に」
そんなこと云って良いの?
今度は思わず苦笑が漏れた。
「死神が人を迎えに来るんでも殺すんでもないんなら、あなたは何をするのが仕事で、私と話をしに来たの?」
「君が一人で死ぬかもしれないから」
「……え?」
「死神の仕事って何?って訊いたね」
「訊いたわ」
「信じられないかもしれないけど、死神って実は、すっごく人間が好きなんだ」
愛してるって云ってもいいね、と死神が続け、歩美は当然「信じられない」と思った。
「だから、……人が死ぬのが凄く、辛い」
「いや、それって信じろって方が無理よ、普通」
「そうだろうねえ」
死神は溜息混じりに頷いた後で、「でもそういうもんなんだよ」と云った。
「辛いけど、死ぬところまで見ていたくて、死神になるんだよ」
「……」
「最期の最期まで見届けて、『天国』に向かうまでの、最期の連れ添いとして、やって来る。……だから本当は、戦争で沢山の人間が死ぬときに天使だけに行ってもらわなきゃいけないのが、すごく辛くもあるよ」
「――私の所に来るよりも、そっちに行った方が良かったんじゃないの、あなた」
歩美が、自嘲めくこともなく云うと、死神は首を振った。
「この一週間の間に死ぬかもしれない人間の中で、僕がやってくる気になったのは君」
「……」
「こう見えて、僕は死神の中で一番偉くってね。僕が臨終を看とる時は、天使で一番偉いのも一緒に来るよ」
この一週間以内に君が本当に死ぬとしたら、君は一番偉い天使にも逢うことになるよ。
本当だとしても喜ばしいことでもない。普通に聞けば、ただ「縁起でもない」話だが、死神は真面目に云っているらしかった。
「どうしてそんな気になったの?」
「君は、自殺するのかもしれないからだ」
……そんなこと云っていいの?
「何故?」
歩美が訊くと死神は「そんなこと僕は知らないよ」と云った。
ごく単純に、歩美はそれを疑問に思った。最初から思い出してみたら、この死神は、心を読んでいるのだろうかと思う言動もあったと思うのに……
私が死のうかなと思っている理由は分からない?
――いや、そういうものなのかもしれない。自分でも、別に死ななきゃいけない理由を持っているとは思わないし。
でも、死にたくないとも思っていないのは確かだ。
「世の中戦争だって起きているのに、自分で死のうと思ってる人間のところに、一番偉い死神が来ることも無いじゃない」
自嘲めいている訳ではない。
だが、死神は「そんなこと云わないで」と、一瞬悲しそうな顔をして云った。
「僕らは、そうやって、自ずから死を選ぼうとしている人が一番悲しい」
「……」
「僕らを愛してくれる訳ではないのに、死を望む人が、とても辛い」
「辛いなら放っておけばいいのに」
「そういう訳にはいかないんだよ」
死神が首を振る。
「……何故、私のところへ?」
「君は凄く珍しかったんだ。今云ったけど、君は、生まれるときの希望からして、『自分で決めたときに自分で死ぬ』でさ」
「……」
「ある種、それは誇り高さから来る希望だったとも思うんだけど、――君を取り巻く状況が、君に死を選ばせる方向へ向かっている。そして決行が一週間以内になりそうで」
思わず、歩美は苦笑を漏らした。何だか、そんな真剣に話すようなことじゃないことを真剣に話しているような気になり。
「あなたはそれを止めに来たの?」
「そうとも云えるね」
「そんなこと云って良いの?」
「いいんだよ。云っただろう、神はただの調整係であって、世界の行く末を決める訳じゃないから、君がこの一週間以内に死のうが死にまいが、何ともないんだ。天使だって、困るどころか有り難いよ、仕事が減るのだもの――特に、天使って僕らほどにはこの世で生きてる人間が好きではないから、自殺で自分を忙しくする人間には舌打ちするよ?――。当然、僕らは君が生きてくれる方が嬉しい」
「……私が死のうが死にまいが、天国ですらも、関係ないのね」
「そうだよ」
独り言のように云った歩美の言葉に、死神はきっぱりと、大きく頷きながら云った。
「だから、生きてる方がいいよ」
「私の彼が死ぬ『かもしれない』時は、あなた、知ってる?」
「あー、ごめんね、それは云えない、流石に」
「知ってるか知らないかだけでもいいの」
「じゃあ、知らない」
死神は首を振る。
じゃあ、って。歩美は溜息をついた。
「さっきの……、飛行機の例えからすると、もし、私が『彼を殺して私も』って考えたとしたら、どっちも死なないか、私だけ死ぬか、そんなふうになるの?」
「彼が君に殺されて死にたいと思っているか、あるいは、彼が生まれるときに希望した死期を既に過ぎているか、あるいは、『神』の調整上で彼の死期がそのタイミングと合ってしまっているか、そういうんじゃなかったら、そうなるかもね」
「……あなた、本当に私が自殺するかもしれないのを止めに来たの?」
死神なのに。
「違う、死神だから、止めに来たの」
「……」
「歩美。彼が君と一緒に死ぬ気になってくれたとしたら、そのときは僕は来ないよ、多分」
「どうして?」
「何か、そういう、心中っていうか、捩れた愛情で死ぬ人の所に行くのって、死神は一番……何て云うか、『嫌い』なんだよ。だって、自分が道化者に思えて仕方ないんだもの」
だから、来ないよ、当然一番偉い天使も来ないよ、と死神は云った。
歩美は「ふうん…」と呟く。
それから少しの間、互いに無言になっていた。
「お下げしてよろしいですか」
無言の間に、ウェイトレスがテーブルの横にやってきて、テーブルの上の食器を手のひらで指した。
「あ……はい」
歩美が頷くと、ウェイトレスは目の前のプレートとグラス、向かいのプレートとグラスを重ねて下げていった。
向かいに座っていた男が、
「美味しかったね」
とにっこり笑った。
「え、……ええ」
歩美が戸惑った顔をして頷くと、男も頷き返した。
「そろそろ帰るか。それとも、飲みに行く? 明日休みだし」
「……ねえ、大介」
「ん?」
「変なこと訊いていい?」
「え、何」
「ペンダント、してなかったっけ」
そう云って、自分の胸を歩美は指した。
男はきょとんという表情を作った後で、
「俺、アクセサリ付けないだろ、いつも」
「……。じゃ、もひとつ、変なこと訊いていい?」
「なーに」
「……私が死んだら、悲しい?」
大介は、「何だよいきなり」と訝しむ訳でもなく、「何バカ云ってんの」と笑う訳でもなく、「当たり前だろ」と直ぐに答えるのでもなく、やっぱり「きょとん」という顔をした後で、顔を顰めて、
「何かあったんか?」
と、訊いてくれた。
2007.9.24
[この「死神」の世界観は作者が高校生くらいの頃に思い描いていたもので、〝D〟ではない死神の話をその頃に書いています。「医師・2~死神」(N1526JX)に出てきた死神は、普段はこういうことをしてます、ていう話を当時リハビリがてらに書いた、ていう代物です・苦笑]




