死神[D]-(2)
男は、歩美の「釈然としない」顔を見ながらにこにことして、三度目「冷静なんですね」と云った。
「……『どういうこと?』みたいなリアクションして欲しいの?」
三度も云うようなこと?と歩美が男を上目遣いに見て、鶏肉にナイフを立てた。
男は、ハンバーグを先に一口サイズに切り分けて云う。
「リアクションしてくれた方が、説明がしやすいんだけど」
「……」
「貴女、何か様子が変なので、確認をしたんでしょう?」
店員さんもお客さんも、全然このテーブルの様子を窺うようじゃないから、と男が云う。
歩美は「そうだ」と云うよりも、顔を顰めてフォークに刺した鶏肉を口に運んだ。
男が「そんな顔して食べても美味しくないでしょうに。鶏も可哀想だよ」などと云ったが、聞く耳など持たない。
「貴女が思った通り、さっきの間は、誰にもこのテーブルの様子は認識されてませんでした。でも、ウェイトレスさんは僕の注文も覚えてたし、このプレートセットも忘れませんでした。伝票もやってきましたね」
と云って、歩美が最初座っていたときからある伝票と、二枚目の追加注文分の伝票を男が指した。
「不思議ですね」
と男が云った。
すっとぼけている。
「貴女はこの不可思議な現象に対して、凄く冷静だ。トマト・ジュースの確認をした時にも、『この人のトマト・ジュース』て云うのじゃなくて、さも、自分が注文したつもりで訊いたし、……そもそも、周りがおかしいことを察する以前に僕から離れてもいいところなのに、それを察して検証までしようとした」
「……」
「食事を追加注文したのは、もしかして、ウェイトレスの方から『こちらの方の食事はいいんですか』と尋ねられるかどうか、も考えた? 片方がジュースだけで片方がちゃんと食事してるのは、ちょっと妙だから、ウェイトレスの人が尋ねなくても他の人がこの後、どういう目でこちらを見るのか、そもそも、見られるのか…と」
「……それで、冷静、ですか」
「僕は、感心したねえ」
「……結局、食事してる間はあなたと一緒に居なきゃいけなくなったんだからそんなに冷静でもないわ」
そう云うと、男は微笑を浮かべて続けた。
「今のうちに云っておけば、このプレートセットがやってきてからは、恐らく当分、ウェイトレスさんウェイターさんに用は無いよね。……だから、当分また、他の人はこのテーブルの存在を忘れるよ」
「……。仮に大声出して助けを求める必要のある状態になっても、そんなことしても無駄だと?」
「僕はそんな状態に持っていく気もないけど、まあ、そう。君が僕をひっぱたいたりぶっ殺したりしても大丈夫、とも云える」
男は飄々とそんなことを云ってハンバーグを口に運ぶ。
死神って、ご飯を食べる必要があるのかしら。
歩美は、そんなことをふと思った後で、
「ぶっ殺したくなっても、私には無理でしょうよ」
あなたは男性で、私は女で、非力だわ。
「凶器があるよ」
ほら、と男は手にしたナイフを軽く掲げた。
……カフェで食べられるライト・ミール用のナイフで人なんか殺せるものか、と思ったが、歩美が
「あなただって持ってるんだから、私が不利だわよ」
と云うと、男は
「僕は抵抗しない」
君に、危害は加えない。そう繰り返してにっこり笑った。
「死神のくせに」
と歩美が云った。
誰でもそう考えると思う。
男は、やっぱり笑顔で
「僕を死神だと思って会話する気になりましたか」
と訊いてきた。
歩美は無言で、サラダを口に運んだ。
「死神って、暇なの?」
パンをちぎりながら歩美が独り言のような声で云うと、死神は「うーん」と、初めて少し迷うような顔をした。
「自分では暇だと思ってないけども、天使からしたら暇も暇かも」
歩美が、微かに首を傾げた。
「死神」と「天使」が同じステージに出てくるのは、ちょっと納得できない。
だが、それは訊かずに、歩美は
「私を迎えに来たの?」
と、ダイレクトに訊いてみた。
どうせ、頭のおかしい人だと思っているが、相手を「死神」だと思ったら、これは一番に訊いてしかるべき質問だと思うし。
死神は、やはりパンを一口飲み込んでから、肩を竦めた。
「迎えに来るって云ったら僕の役目じゃないし」
……歩美はまた微かに首を傾げる。
じゃあ、誰の役目で、死神は何をしに来る?
「とりあえず、今日は、歩美、君と話がしたかっただけです」
いつのまにか呼び捨てにされてしまっている。
歩美は軽く眉間に皺を寄せる。
ひとまず、一口ずつ残った鶏肉とサラダとパンとスープ、その食器を空にした後、アイスティーを一口飲んで、歩美が問う。
「私、フィクションでも死神ってものがよく分からないの」
「ん?」
「一体、何人居るから、人間一人一人を迎えに行ける訳? 全世界の人数分居るっていうの?」
「だから、迎えに行くのは僕の役目じゃないんだってば。……君が云ってる死神っていうのはアレだろう、臨終の床に、あるいは今まさに虫の息のところに、または死期が近い人間のにさんち前からくっついてて、息絶えた時には魂を持っていく、どくろみたいなののことでしょう」
「……」
「世の中、戦争だって山ほど起きてるのに、死神が死んじゃうよ、一人一人迎えに行くなんてことしてたら」
それはまさに、歩美が問いたかったことだ。
「……だから…一瞬のうちに、何十人何百人、何万人とも死んでいく状況が存在するというのに、今だって誰かが死んでるかもしれないのに、死神は、まるでナンパかと思われるような調子で人間の前に現れて無駄話するほど暇なの?って訊いたのよ」
死神は、肩を竦めた。
「暇だと思われておかしくないね」
「……」
「そういう時は大抵、天使だけが行くよ。その方が、皆素直になるから」
意味が分からない。
「あのさ、一つ確認しておくとさ、歩美。地獄ってものは、無いんだよ。君に通じやすいように、死神の仕事としても『つれていく』とか『迎えにいく』っていう表現を使うとすれば、天使が迎えに行っても死神が迎えに行っても、人が行くのは、まあ、便宜的に云えば、『天国』だけ」
「……」
「だから、戦争みたいな場所だとね、こう黒ずくめの鎌持った死神が居るよりは、天使だけが導いてくれた方が、皆素直についてきてくれるからってことさ」
死神は飄々と云う。
……この男が本当に死神だとして、今度は、
「そんなこと、云っちゃっても良いの?」
そんな疑問が歩美の胸に浮かんだ。
「いいよ」
平然と死神は頷く。
歩美は、何とも返事がしづらい。
ピーポーピーポープーポー……と、ドップラー効果を効かせて救急車が遠ざかる音が聞こえた。
「行かなくて良いの」
と歩美が目の前の死神に云う。
「僕が行く必要はないね」
「……何故。助かることが分かってるから?」
「いや、そういうわけでも。今の救急車には、息子さんが付き添っていたから、まあ、『僕は』行かなくてもいいね。行ってるとしたら他の死神だろう。それに第一、君が云ったとおり、っていうか、分かってる訳じゃないけど、お医者さんがちゃんとしてれば、死ぬとは限らないし」
「……」
「搬送されていたのは誰か知りたい?」
「結構よ」
「お父さん」か「お母さん」なのだろう。
ただ、「僕が行く必要はない」と云った死神の言葉は意味が分からない。
ちらっと店内を見回したが、……やはり、このテーブルに目を向けている者、慌てて目を逸らす者は居なかった。
「だから、天使の方が大変っちゃあ大変なんだ」
話が戻った。
「それで、『暇』こいてる死神は天使からも暇人だって云われるよ――ああ、人じゃないだろ、と思ったね、今――」
「……あのさ」
歩美が、アイスティを一口飲んで云う。
「核心に触れるけど」
「はい?」
「私を迎えに来たんじゃないなら、何しに来たの?」
「だから、話したくて」
「何故?」
「君がもうすぐ死ぬかもしれないから」
「……」
それは、結局迎えに来たってことじゃないのかしら、と歩美は「冷静に」考えた。
「私、フィクションでも死神ってよく分かんないって云ったわよね」
「云ったね」
「……まだ死なないうちにそんなこと云ってもいいの?」
「いいんだよ」
「だって、そんなこと云ったら、当人が『死なないように』するかもしれないじゃないの。運命が変わってしまうわ」
「別に僕は困らない。……君、運命を、というか、命運を信じる?」
「――」
だって、そうじゃなかったら、目の前に「死神」が居る意味も分からない。
「ああ……」
歩美がふと、何か納得したような声を出したので、死神が「どうかしました?」と訊いた。
歩美は微かに笑って、
「いや、だから、勧誘かセールスに聞こえるようなことを云うかも、って云ったのかと思って…」
そう云った。死神が、肩を竦めて苦笑を返す。
「念のため確認すれば、今から壺や印鑑を出すわけでも、パンフレットを取り出して本格的に天国の説明始めるんでもないのね?」
「うん、そう」
第一、僕はこんなに分かりやすく手ぶらだし、と死神が笑い、
「冷静だね」
とまた云った。




