死神[D]-(1)
天国に住む者に、こういう「場所」は必要なんだろうか。
それは「部屋」だ。
机があって椅子があって、本棚(多分)があって、ついでに、花瓶を置いているエンドテーブルなどもあって。
その部屋を人間が見たら、書斎とでも名付けているかもしれない。
だけど、こういう場所が「天国」にあるのは何故だろう。
その上、その部屋の住人は、「黒い」。
黒い衣に黒い髪。
机の後ろの「壁」には、大層大きな鎌が無造作に立てかけてある。
こんこん。
「ドア」が音を立てる。
「ドウゾ」
椅子に大きくもたれて頭の後ろで手を組み、脚を机にのっけていた者は、その姿勢のままで応じた。
ドアが開いて入ってきた者は「白い」。
白い者は入ってくると、黒い者がとんでもない姿勢で居るので、「何てはしたないこと」と呆れた声で云った。
黒い者は死神で、白い者は天使である。
「脚を机からおろしてくださいな」
天使は一見、女性のように見えた。
言葉遣いもそんな感じだった。
死神は素直に机から脚を下ろす。
机の上に天使が、「紙」を置いた。
「明日の分です」
「両方か」
天使が端的に云って、死神も端的に訊く。
死神は男性のような言葉遣いで、声もそんなだった。
実際、この死神は一応、男性だった。
天使が頷いて、死神がその紙を手にとって、「書いてある文字」に目を通す。
目を通すと、死神は眉を寄せた。
「『神』は頭がおかしい」
ばさり、と紙を机に放り出して溜息と共に云った。
天使も眉を顰めて、「そういう云い方って無いでしょうよ」と云った。
「そうじゃなけりゃ、これは、寝ながら書いたんだ。何だこれは、『内戦で銃に打たれる』『地雷を踏む』『空爆で家の下敷きになる』――戦争三昧だ。馬鹿じゃないか? 俺たちの方を過労で死なせたいのか?」
「『神』の頭を疑う筋合い?」
「――」
天使が意地悪い声で云うと、死神は口を尖らせて天使の顔を睨んだ。
「あなた方に過労死なんかそうそう出るもんですか、出るとしたらこちらですわ」
ふん……と、一応天使の中で「一番偉い」天使Aは意地悪く鼻を鳴らし、死神の中で「一番偉い」死神Dはやはり「ふん」と鼻を鳴らし返して、もう一枚の紙を見た。
「そうそう、『こっち』だってあるんですからね」
天使Aがその紙を指さして云う。
死神Dは、今度は頬杖をついてその紙を眺めた。
「……もう一枚は?」
「どうぞ」
と云って天使Aが、もう一枚の紙を渡す。
――この一週間のうちに、死ぬ「かもしれない」人間の、リスト。
「俺が最後か?」
「そりゃそうです、いつものこと」
「……」
最後に渡された紙をじっと眺めて、死神Dは一度目を細めると、
「この子のところに行く」
と云った。
天使Aが今度は目を細める。
「あなたが?」
「当たり前だ、『行く』って云ったんだ、行けとは云ってない」
「……じゃあ、私もついて行く必要がありまして?」
「いいや、様子を見てからでいいよ、おまえさんは。まだ一週間あるしね」
紙から目を離さないまま死神が首を振る。
「……。そうですか。――では、私はこれで」
「いや、ちょっと待てよ」
天使Aが一礼してドアに近づこうとしたが、死神Dは慌てて引き留めた。
脚を止めて「何か」とAが首を傾げると、Dは壁に立てかけてあった鎌を手に取りながら、
「お見送りくらいしてくれてもいいじゃないか」
と笑いながら云った。
天使は「ふざけたことを云う」と呆れた顔をしたが、「分かりました」と頷いて、死神と一緒に部屋を出た。
部屋を出ると、いかにも天国みたいなふわふわとした床(?)があって、
「では行ってくる」
と死神は云い、ぽん、と軽く跳ねた。
「……行ってらっしゃい」
一応、天使はそう云って手を振ってやる。
死神が跳ねた後、ふわふわとした床が死神を吸い込んでいった。
***
「こんにちは」
頭の上から声が聞こえて、顔を上げると、――人なつこい笑顔を浮かべた男が立っていた。
「……こんにちは」
誰だろう、とまずそれを思ったが、一応、先に挨拶を返す。
男は、すぐに向かいの椅子に座った。それから、近くに居たウェイトレスに「トマト・ジュースをくださいな」と云った。
ウェイトレスは「畏まりました」と云ってすぐ、まず、お冷やを男のために持ってきた。
――当たり前のようにそんなことをしたので、知り合いだろうか、と焦り、必死に記憶を辿った。
黒いタートルネックのニットに、ツィードのジャケット――ツィードだからまだ他の色が混じってるように見えるけどこれも一言で云えば黒だと思う――、今はよく見えないけど、立っている時に、ズボンも黒かったのを見たような気がする。一言で云って黒ずくめ。
こういう服装の趣味をしている男性の知り合いが浮かんでこない。
多分、他の女性に聞いたら――統計的には「イケメン」と云われるのだろう顔の作り。日本人と断言は出来ないけど、日本人、あるいは東アジア人ではないと断言するほど馴染みがない顔でもない。脱色も染色もしてない、真っ黒い長髪――多分肩胛骨につくくらい――をオールバックにして首の後ろでくくっている。
――真っ黒い、と思ったけど、一カ所だけ色味がある。それも、色味と云ったら違うのかもしれないけども、多分シルバーの、ペンダントをしていた。そのヘッドは、……鎌だろうか。珍しい意匠だ。
何となく「ロックとかをやっている人はこういう格好をしそうかな」と思ったので、やはり、――記憶に無い。
男は椅子に座って、お冷やを一口飲むと、こちらが「あの、失礼ですが、どちら様でしたっけ」と問う前に、
「初めまして」
と云った。
云われた女性は、一瞬、絵に描いたような「ぽかん」という顔をした後で、ぎゅっと鼻の頭に皺を寄せた。
「……」
「ナンパじゃないですよ」
何か云う前に、男の方が肩を竦めて肘を曲げて手のひらを上に向けた。――その仕草からもやっぱり、何となく日本人っぽくない気がした――
「あなたとお話がしたいだけです」
やはり人なつこい笑顔を浮かべて男は云った。
…人なつこい、という表現は好意的かもしれない。こういうのは「なれなれしい」だろう。言葉遣いこそ丁寧だけれど。
「こんにちは、初めまして、今からナンパします、て宣言する男性も余り居ないと思うわ。……あなたが今云ったことを、『彼女一人? 一緒にお茶でもどう』って表現する人も居ると思うの」
「成る程」
鼻の頭に皺を寄せたままの女性がそういうと、男は感心したふうに頷いた。
「でも本当にナンパではないんです」
そしてまた肩を竦めた。
「勧誘でもないしセールスでもない。……いや、もしかしたらそう聞こえることを僕は話したいのかもしれないけどもね」
「……」
「お時間はあるでしょう?」
「何でそう思うの?」
「今日の大学の講義はもう終わりましたね、それで明日はお休み。後は夕食の算段をし、週明けのレポートの考えを纏めるだけ。……一応、付き合っている恋人がいらっしゃるけれども、今日の約束は特にしていないし、彼はレポートのことも知っているので気を遣って電話をしてこないだろう――そういう気遣いのある人だ――。そうでしょう? だから、ちょっとお付き合いくださいません?――っと、そう云うとナンパに聞こえてしまうかなあ―― どうでしょうか、歩美さん」
「あなた、何なの?」
最初は腹が立ったけれども、そろそろ気味が悪くなった。
全くこの男のことは記憶にない。だけど、この男は自分の名前を知っていて、学生という身分も知っていて、彼が居ることも知っていて…。
ストーカー、とかいうのだろうか。
携帯電話を取り出す。
「ああ、彼に電話しても今は出られませんよ、電車に乗っていますから。警察に云っても相手にしてもらえません。まだ分かりやすい実害が出てませんし」
「……」
警察を呼ぶわよ、と云う前に、男はまた肩を竦めて云った。
「まだ、僕くらいのことしかやっていないなら、迷惑条例もちょっと適用出来ないんじゃないかなあ」
「あなた、何なのよ」
「僕は死神です」
歩美はまた、ぽかん、という顔をした。
頭のおかしな人だ、とごく素直に思った。
それで、テーブルに手をついて立ち上がろうとしたが、
「でも僕は、貴女に何の害も与えませんよ」
と、男は……にっこりと笑って云った。
……。
どうしても、私と話したい用があるのなら、引き留めるような態度を見せてもいいと思うし、だから、慌てた顔をするのが自然な気がした。
だけど、男はにっこりと笑ったのだ。
頭がおかしい、なら、そういう「不自然」なことも、それこそが不自然じゃないのかもしれないけども…。
こちらの方が少し焦って、くるっと視線を巡らせた。
そういえば、さっきのウェイトレスは、何をしている。トマト・ジュースくらい、すぐに持ってきても良いじゃないか…。
今ついているのは窓際の席で、「隣」の席は少し離れているのだけど、「前後」の席なら椅子が触るほど近い。男の後ろの椅子にも誰か座っているし、自分の後ろの席にも、自分が座るときに誰か居た。そしてまだ離れていない筈。この、変な男の声が聞こえていなかったとは思わない。そんなにひそひそした声じゃなかった。男の後ろの椅子に座っている人なら、関わりたくはないとは思ったにしても少しくらい怪訝そうな顔をして振り返るくらいのことが一度はあっていいんじゃないだろうか。
今レジスタに立っている店員にしても他のテーブルに新たな客を案内する店員にしても、すぐ近くの客にしても……、まるで、このテーブルに関心がなさげだ。
歩美はコクリと息を飲んだ後、ひとまず「確認」のために椅子に座り直した。それから、「すみません」と、さっき新たな客をテーブルに案内したばかりでカウンタに戻ろうとしている店員を呼び止める。
店員は「はい?」と近寄ってきた。
……ひとまず、自分まで忘れられている訳ではないことが分かった。
そのウェイトレスが……さっき、男が声を掛けた筈の女性だったので、
「あの、トマト・ジュースはまだですか」
と尋ねた。
ウェイトレスは、「あれっ」という顔をした後で、
「申し訳ありません、すぐに持ってきます」
と云った。
……歩美は、釈然としない気分で、「あの、じゃあ追加で、鶏グリルのプレートセットをアイスティで」と付け加えた。
畏まりました、とウェイトレスが云ったところへ、男が
「じゃあ、僕はハンバーグのプレートセットを。えーっと、そっちはコーヒーで」
とにこにこ顔で云った。
……さっき、他の女の人ならこの男を「イケメン」と評するかもしれない、と思った。ウェイトレスは、何だかはにかんだふうに、畏まりました、と云った。
いよいよ、釈然としない。
ウェイトレスが去った後で、男が、音をさせないように指先だけで拍手するような仕草をした。
「貴女、冷静ですねぇ」
「……」
歩美は何も云わず、自分のお冷やのグラスでひとまず喉を湿らせた。
「……夕飯を注文したということは、僕とお話して頂けると判断してもいいですか?」
歩美は、鼻の頭の皺を消して、その代わり、口角を下げてしまった。
トマト・ジュースがすぐにやってきて、――男の前にちゃんと置かれた。
「……おかしい」
歩美がつい、呟く。
男がストローに口をつけるところを見て、思わず。
男は「何が?」と云った。
「……。それを云うのは、二人分のプレートセットがちゃんと来てからにするわ。喋ってる間に、また忘れられたら困るもの」
歩美がそう云うと、男はそれだけで察したらしくて、
「ああ、大丈夫ですよ。貴女、冷静ですねえ」
とまた云った。
歩美は黙る。
この店のプレートセットメニューは、それが来るまでの沈黙に耐えられないほどの時間はかからない筈だ。
案の定、男がトマト・ジュースのグラスをゆっくり空にするまでの間にやってきた。
ちゃんと、二人分。
それはそれで釈然としないが、
「……頂きます」
歩美は、そう云いながらフォークを取った。




