2話 絶望の錬金術師との接触
「とりあえず黙って聞けクソ野郎。1人の錬金術師の人生が記されているこの本は、錬金術師の妻が亡くなった状態から止まっている。主人公を前に進ませるというのは完結に向かうための執筆だ。ここまでわかったか?」
私は口を押さえられて話せないので黙って頷く。
「今近づいている足音は主人公である錬金術師。これから俺達は旅人として彼と接触する」
「むぐ…むぐぐ」
「何だ?まだ話は終わってない」
そう言いながらもレイドは大きな手を口元から離してくれる。
私はゆっくりと呼吸をしながら小さく声を出した。
「台座に乗せた本を完結させるためのサポートがストーリーテラーの仕事なんでしょ?でもそんなことしたら私達の存在も本に載っちゃうよね?」
「良い質問したなクソ野郎。それについては気にしなくていい。俺達の存在は一切この物語に載ることはない。都合よく物語が修正されていくのさ」
「都合よく……便利だね」
「おい見ろ。主人公が来たぞ」
するとレイドは指を差して私の視線をそちらに向かせる。
草むらで待機していた私達の前方には痩せ細った1人の若い男性が歩いていた。
「あれ大丈夫なの?死にそうじゃん」
「錬成失敗によって愛する妻を亡くした後だからな。こうなるのは仕方ないことだ」
「いつ声をかけるの?」
「もう少ししたらな」
この世界の主人公である天才錬金術師。
そもそも錬金術師自体がどんな職業かわからないけど、服装は魔法使いのような感じだ。
でも今の彼は天才でも魔法使いでもない廃人に見える。
おぼつかない足取りで広がる草原を歩いていたと思えば、途中で躓いて転んだ。
「クソ上司…!」
「待て」
錬金術師は転んだまま立ち上がらない。
私は心配になってレイドへ声をかけるが拒否されてしまう。
まるで犬を扱っているかのように言われてイラッとした。
次の瞬間、錬金術師の方から泣き叫ぶような声が聞こえる。
「ティアっ…!ティアァ…!」
聞いている方も心が痛くなる叫び声。
まだ曖昧なことしか知らない私でも、彼は妻の名前を呼んでいるのがわかった。
「辛いだろうがこれも印象的なシーンの1つとなる。物語においても重要なことだ。ストーリーテラーは綺麗なシーンだけを作るのではない。汚いシーンも辛いシーンも埋め込まなければ本とはならないんだ」
「……そうなんだ」
うつ伏せになった身体を丸めながら錬金術師は泣き続ける。
草を掻きむしって手を汚しながら、妻を亡くした現実に抗おうとしていた。
「行くぞ」
「あっ、うん」
良いタイミングになったのかレイドは草むらから立ち上がる。
エプロンを直し、本をバッグに入れて錬金術師の方へ歩いて行った。
私もハクレイさんと繋がれる本を抱えながらレイドの後ろを着いていく。
「大丈夫か?」
「っ、誰だ!?」
「通りすがりの旅人だ。近くを歩いていたら泣き叫ぶような声が聞こえたのでな」
レイドに話しかけられた錬金術師は驚きながら距離を取る。
私とレイドを交互に見た後、安心したように息を吐いた。
「王国の者じゃないんだな。そんな格好見たことない」
「遠い異国出身だ。この格好を見ればみんな驚く」
「そうか」
錬金術師は乱暴に涙を拭い鼻を啜って、ゆっくりと立ち上がる。
あちらこちらに草が付いているけど気にしてないようだ。
「変な姿を見せて悪かった。それじゃあ俺はこれで」
「待ってくれ。俺達はとある物を探しに来たんだ。見た感じ、貴方は錬金術師だな?相談に乗ってもらいたい」
「……もう俺は錬金術師じゃない。他を当たってくれ。ここから見える大きな城の城下町にはまともな錬金術師達が沢山いる」
何も知らない私はレイドと錬金術師の会話を後ろから聞いている。
その前に、私達は何を探す設定なのだろう?
事前の打ち合わせを何もしていないせいで理解するのに脳を使いっぱなしだった。
「ではあの王国に、月生の血玉を錬成出来る錬金術師が居るということだな?」
「月生の血玉だと!?」
「何それ?」
「黙れクソ野郎…」
ポロッと零れた疑問はレイドの睨みによって消される。
ハクレイさんには絶対そんな目つきしないくせに。今すぐ文庫本からハクレイさんを呼び出そうかな?
そんなことを考えていると少し距離があった錬金術師がレイドに近寄ってくる。
それはもう怖い表情で。
「お前、月生の血玉を知っているのか!?」
「古文書で見たんだ。何でも素敵な宝石らしいな」
「その古文書には他になんて書いてあった!?」
「錬金術師じゃない貴方に話す価値はあるのか?」
「くっ…」
「ちょっとクソ上司」
「だから黙れ」
もうレイドは私の方を見ずに怒ってくる。何だこいつと思いながら私は抱えている本を1人で撫でていた。
「……俺は月生の血玉の錬成方法を知っている」
「へぇ。そうなのか」
「でもまだ足りないんだ。全てを知らないんだ」
「それで?」
「お前達が知っている月生の血玉の情報を教えてほしい」
「教えたら月生の血玉を作れるのか?」
「それは言い切れない。でも俺は知らなければならないんだ。例え既に知っていた情報でも構わない。教えてほしい」
錬金術師はさっきまでの死にそうな感じとは違い必死な目つきでレイドに頼み込む。
事前情報で孤独の天才錬金術師と言っていたけど、孤独さのカケラなんて見当たらなかった。
するとレイドは小さく笑って頷く。
「どうせフラフラする旅の途中だったんだ。時間はいくらでも取ろう」
「本当か…?ありがたい」
錬金術師は安心した顔つきで頭を下げた。
それにしてもクソ上司。あんたストーリーテラーのくせに何様なの?




