流されるまま初仕事
ハクレイが開いた大扉の先には、まるで高級ホテルのロビーのような場所が広がっていた。
こんなのテレビでしか見たことがない。
「綺麗…!」
「気に入って貰えたようでなによりです。これからキヨカが過ごす場所ですよ」
「そ、そうなんですか!?こんな綺麗な場所で?」
「ストーリーテラーですから。お仕事をしてもらう代わりに衣食住は完璧なものを提供します」
無数の本が存在する図書館。謎めいた白髪の美女。
そして脂身いっぱいのお肉や不健康そうなラーメンが食べられる場所。
不思議で仕方ないし、納得出来ない部分もある。しかしここで暮らせるのなら幸せなことでは?
「幸せかも…」
目覚める前まで居た場所での過酷な生活を思い出す。それと比べればここは天国だ。
もうあの場所に戻れなくて良いかもしれない。
私が幸福に浸っているとロビーにあったエレベーターの音が鳴る。
ハクレイはハイライトの無い目で私に合図をして、エレベーター付近まで近づかせた。
「キヨカの仕事仲間です」
「仕事?」
エレベーターは無機質な音を立てて左右に開く。
その中から出てきたのは赤黒い色のマッシュヘアが特徴的な青年だった。
「ハクレイさん。呼び出しに応じました」
「ありがとうございます。キヨカ、紹介しますね。彼はレイド。貴方と同じ仕事をする者です」
「あっ、えっと…」
「はじめまして。クソ野郎」
「ん?」
レイドと紹介された青年は私に目を向けた途端、鋭く睨みつける。
そして何も悪いことをしていないのにクソ野郎と呼ばれた。
これには私も首を傾げるしか出来ない。
「クソ野郎。ハクレイさんとの距離が近い。その場所から1.5メートル離れろ」
「1.5メートル!?」
「レイドは目上の者に対してはとても礼儀正しく、忠誠を誓います。しかしその反動で目下の者には荒々しい態度を取ってしまうです。だからご心配なく。キヨカが何か悪いことをしたわけではありません」
「な、なるほど」
上司に対しては良い子な顔して、同期や部下に対しては最低な態度を取るタイプの人間だ。
JKの私でもわかる。この人と関わるのは面倒だと。
「レイド。この人は新人のキヨカです。まだ何もわからない状態で、幻想図書館の仕組みさえも教えていません。お世話を頼めますか?」
「ハクレイさんの頼みならば」
「ありがとうございます。貴方は面倒見が良いので安心して預けられます」
「勿体無いお言葉です」
レイドはハクレイに対して綺麗なお辞儀をすると、また私を睨みつける。
嫌な人だなと思いながら私も睨み返した。
「では早速仕事に行ってもらいます。持ち物や制服の準備はレイドに任せますね」
「かしこまりました」
「それではキヨカ。目覚めたてで悪いのですがひと仕事お願いします。詳しいことは彼が全部教えてくれるでしょう」
「ハクレイは…?」
「ハクレイ“さん”だ。クソ野郎」
「は、ハクレイさん!」
「ふふっ。キヨカの面倒を見てあげたいのですが、私は他の仕事や管理があるのでここを離れられません。大丈夫。そんな顔をしなくても仕事から帰ったらたっぷり甘やかしてあげますよ」
ハクレイは……ハクレイさんは私の頭に手を乗せると愛おしむように撫でてくれる。
ハイライトの無い目で見つめられてなければ、もっと安らかな気持ちになれただろう。
笑ってない目で見られるのは普通に怖い。そして痛いくらいにレイドからの視線を感じる。
「レイド。貴方も無事仕事が終わったら甘やかしてあげましょう。だからそんな怖い視線を向けないでください」
「申し訳ありません。無意識でした」
無意識であんな怖い顔するんだ…。
これから何が起きるか想像もつかないけど憂鬱過ぎる。
ハクレイさんの手が頭から離れた後、彼女は私達から離れ大扉へ歩いて行った。
「目的の本はいつもの場所に置いてあります。期限は無し。付箋が貼られている所からの執筆をお願いします」
「かしこまりました」
「それともう1つ。決してキヨカを傷付けるようなことはしないでください。わかりましたね?」
「……かしこまりました」
凄く嫌そうな声になるじゃん。私は何だかスカッとしながら口角を上げる。
ハクレイさんは微笑むと、私が出てきたという図鑑のような本を片手に持ちながら1階へと降りて行った。
「ん」
「え?」
「レイドだ。クソ野郎」
するとレイドがぶっきらぼうに手を伸ばしてくる。握手とわかった私は何の躊躇いもなくレイドの手を握った。
「藍沢清香です。クソ上司」
「チッ」
赤黒いマッシュヘアの隙間から見える目が怒りに染まっているのがわかる。
舌打ちしたレイドは乱暴に手を離すとエレベーターの方へ歩いて行った。
「よく聞けクソ野郎。1のボタンが仕事の準備をする場所だ」
「じゃあ他のボタンは?」
「今から仕事に行くお前には関係ない。死なずに戻ってきたら教えてやる」
「死なずって……そんな危ない仕事なの!?」
「もしかしたら戦争地帯に行く可能性もあるからな」
到着したエレベーターに乗り込むレイドの後ろで私は震える。
そもそも仕事って何?暗殺とかそういう系?
っていうか脂身いっぱいのお肉は?不健康なラーメンは?
一気に縮こまった私は不安に襲われる。
そんな私に1本の荒々しい手が伸びてきたと思えば荒々しく髪をグシャグシャにされた。
「まぁハクレイさんは新人に無理難題を押し付けない。今回の仕事は優しいやつだろう」
「クソ上司……」
「何だよクソ野郎」
「ビビらせないでよ……」
変にビビらせられたけど私は理解してしまった。
レイドという名のクソ上司にはツンデレ要素が入ってると。
乱れた髪の毛を直しながら私は1人で頷く。
そんな時、エレベーターは仕事の準備をするフロアへと到着した。
ーーーーーー
「ふーん。中々様になっているな。それが今日からお前の制服だ」
クソ上司であるレイドの指示に従った私は今の自分の姿を鏡で見る。
なんの変哲もないワイシャツとズボン。そしてチャームポイントと言わんばかりに、深緑色のエプロンを着用していた。
「書店員みたい…」
「んでこれがサッチェルバッグだ。既に中には色々と入っている。背負うか掛けるか持つかは好きにしろクソ野郎」
乱暴に投げられたバッグを受け取って私は中身を確認する。
小袋のようなものが数個と、文庫本サイズの本が1冊。
「これ何に使うの?」
「仕事中に教えてやる。丁重に扱えよ?どれも全部最低限の荷物だ。他に追加しても構わないが、今入っているセットだけは忘れるな。特にその本」
「綺麗な表紙だね。タイトルとかは書いてないけど」
「ここで開いても白紙のページだ。それが力を発揮するのは幻想図書館じゃなくて仕事場だけ。覚えたか?」
「うん」
「それじゃあさっさと行くぞクソ野郎。時間は無限だが、決意は有限だ。行ける時に行くことを忘れるな」
「わかった。クソ上司」
「チッ」
私はサッチェルバッグを背負ってまたレイドとエレベーターに乗る。
レイドも同じ服装をして、バッグを肩に掛けているので仕事仲間感を感じられた。
「一応言っておく。俺は見て体験して覚えさせるからな。わからないことを一気に質問するなよ?」
適当に返事をすればちょうどエレベーターはロビーに到着する。
そのまま私達は大扉を通り抜けて、目覚めた場所である本の空間に戻ってきた。
レイドは何の説明も無しに黙ったまま歩いて行く。
それにトコトコと着いていけば背の高い本棚に囲まれている開けた空間にやってきた。
「まだ何も言うなクソ野郎」
「何も言ってないよクソ上司」
「黙って着いてこい」
「ずっと黙って着いてきた」
お互いに睨み合いながら空間の中心へと移動する。
中心にはポツンと石造りの台座と年季の入ったテーブルが置いてあった。
レイドはテーブルに乗せてある1冊の本に手を伸ばしてページを捲る。
さっきハクレイさんが言っていた本なのだろうか。これも図鑑サイズレベルで大きい。
そんな本には青色の付箋が1枚貼ってあり、レイドはそのページを開いたまま台座へと乗せた。
「行くぞ」
「え?」
するとレイドは私の手を取って身体を密着させる。
ほのかな柑橘系の香りがしたと思った瞬間に、私の視界は渦のように揺れ始めた。