もう2度と帰らない
目を覚ましたら図書館だった。無数の本棚が私を見下ろすように聳え立っている。
「起きましたか?」
頭上から優しい声が聞こえ、ぼんやりとしていた意識が戻った。
私は今横になっている。そして頭を誰かの膝に乗せていた。
「自分の名前、職業、そしてここに来る前の記憶を教えてください」
「あ……」
視界もハッキリすれば知らない女性が私の瞳に映った。
白髪で垂れ目でそして瞳にハイライトが見えない女性。私は背中がゾクリとして口を動かす。
「藍沢、清香。職業JK。ここに来る前は……えっと」
「アイザワ・キヨカ。職業は女子高校生。ここに来る前は?」
「……精肉店で美味しそうなお肉を見てた」
白髪の女性は目が笑ってない微笑みをしながら私が言うことを繰り返している。
自分でやっておいて凄く恥ずかしい行為をしていたと思った。
でも仕方ない。私はあの脂が乗ったお肉を頬張る妄想をすることが大好きなのだ。
「はい。脳は特に問題が無いようで安心しました」
「あの、ここはどこですか?私何で寝ていて…?」
「焦らない」
未だ寝転がったままでいる私の頬に冷たい手が降りてくる。
優しく撫でられていればくすぐったいはずなのに謎の安心感に浸ってしまった。
「ここは幻想図書館。不思議な本で埋め尽くされている図書館です。そして私はハクレイ。司書を担当しています」
聞いたことない図書館だ。そしてハクレイという名前は外国の方なのだろうか。
すると私の身体はハクレイによって起こされる。
細い腕なのにどうやって?と疑問に思ってしまうが、目の前に広がる光景を見たらそんな言葉は言えなくなってしまった。
「な、何で本が浮いているんですか!?しかもあっちは本棚自体が浮いている!」
「幻想図書館ですから」
「でも普通に考えてあり得ない!宇宙じゃない限りは…」
「幻想図書館ですから」
「bot?」
私は非現実的な空間を横目にしながらハクレイに向き直る。ハイライトが見当たらない瞳はずっと私を捉えていた。
「とりあえずこれを見てください」
「随分と分厚い本ですね」
「ええ。キヨカはここから出てきたのですよ」
「へ?」
気の抜けた情けない声が出る。でも誰だってこうなるだろう。
まるで母親に君はここから生まれてきたんだよと言われているようなものなのだから。
まぁ私はそんな説明を受けた経験は無いのだけど。
「難しい話は後々しましょう。ただ現時点で1つ言えることがあります。それはキヨカが元の場所に戻るのは不可能ということ」
「いや、ちょっと待ってください」
「待ちません。でもキヨカにとっては幸せなことではありませんか。もう2度とあの場所に帰らなくて良いのですよ」
ハクレイは大きな図鑑レベルの本を持って立ち上がる。私も釣られたように腰を上げた。
「ここに居れば脂身いっぱいのお肉を食べられます。キヨカが興味を示していた不健康なラーメンだって満腹になるまで提供出来ますよ」
「何でそんなことを知って…」
「幻想図書館ですから」
目が笑ってない微笑みを私に向けるとハクレイは背を向けて歩き出す。
こんな謎の空間で1人になりたくなくて私は慌ててハクレイの後ろを着いて行った。
「キヨカはファンタジーな世界に興味はありますか?」
「ファンタジーな世界?」
「武器や魔法を使って戦う。地球では御伽話とされている獣と触れ合う。王道を言えばこんな世界です」
「あまり本やアニメは知らないんですけど……でも面白そうだなとは思います」
「それは何よりです」
ハクレイは振り返ることなく2階へ繋がる階段を登る。
チラッと周りを見渡してみるが視界に入るのは無数の本と本棚だけ。中には宙に浮いているものもあるからゾッとしてしまう。
ハクレイが先ほど言った「私はもう2度と元の場所には戻れない」の意味はよくわからない。
しかし何も知らない状況で唯一理解出来たことがあった。それは…
「ここは私の知らない世界?」
私が呟いた言葉にハクレイは小さく笑う。そして階段を登り切った先で足を止めると私の方に顔を向けた。
「ここはキヨカが居た世界でも異世界でもありません。幻想図書館は狭間に位置しているのです。そしてこれからキヨカは特殊な本の中に入り、その物語を書いてもらいます」
私達は大きな扉の前で立ち止まる。ハクレイはその細い片腕を扉に添えて、静かに開いた。
「アイザワ・キヨカ。貴方はこれからストーリーテラーとなって頂きます」