262話 少女
だらしなく伸びた髪。少し腰が曲がり、寝不足そうな目の下に出来た隈。
そんな男でもバックルに仕込んでいるナイフの手入れだけはきちんとしているらしい。
そこから殺気を感じる。首を斬ってやると息巻いているような様子なのが伝わってくる。
「確かにそこを開けたら魔物が溢れるように仕掛けている。でもな、それを開かない所でなんの意味もない」
「それはやってみたら分かると思うよ? それにあなたが私たちを殺せばどうせ解除するのでしょう?」
男の顔は、鳥が豆鉄砲を喰らったかのような顔で驚く。突然何を言い出すのだろうと、さぞ思ったことだろう。
「最近の剣聖は冗談も嗜むのか、なんともユニークで面白い」
笑っている顔は、まるで本当に笑っているような顔付きである。相当訓練しているのが伝わってくる。
血の滲むような努力の果てに、身に付いた力の一つだろう。
だが私には通じない。
「残念だったね」
ナイフを木剣で弾く。周りにいたメンバーは驚きつつ、咄嗟に後ろへ飛んだ。
蛇のようにするりと入り込む技術力の高さ。本当に、戦っていて楽しいと思っている。
「俺の動きを全て分かっていたのか?」
「蛇のように、くねっと入り込みすかさず背後から首を狙うなんていう戦い方、想定していないと思う?」
「普通は思わないぞ。剣聖にそれらを叩き込んだ師匠は、さぞ狙われてたんだな」
彼はすかさず元の位置に戻る。この状況では、男は何も出来ない。
出来た所で、全て返り討ちにあって終わりである。殺し屋でも、そんな命が無くなるようなことはしないだろう。
それをするのは命知らず以外いない。
「どうする? このままだと、あなたは私の言うことを聞かない限り次の行動は出来ないわよ」
「剣聖に縛られるような生き方はしてないんだ。あいにく俺は、生粋の殺し屋だからな」
持っている知識と技術をこの戦闘に全て使うというのか。彼の目は全く諦めていない。
「そんな目で見られるとゾクゾクするね。間違えて殺しそう」
「嘘つけ。お前たちが潰したアジトの連中は全員生きていた。それでもほとんどが意識不明だけどな」
「今回はどうなるか分からないよ」
一気に相手の間合いに入り込み、一撃叩き込む。だがそれは地面に決まる。
間一髪といった所で避けたのだろう。それでも運動能力の高さ、それもコイツの強さの秘訣と言ってもいい。
「なんちゅう威力だよ。地面に思いっきりヒビ入ってるじゃん」
「今からこれをあなたに叩き込むのよ。覚悟決めておいた方が身のためよ」
彼は着地するのと同時に、一気にこちらに走り込んでくる。
ナイフを構えたまま、私の目を凝視する。情熱に満ちたような目は、なんとも言えない高揚感を感じさせる。
「見つめられたって、何も良いことなんてないわよ」
飛びかかる彼を振り翳した剣が直撃する。吹き飛ぶ威力を耐え抜き、ナイフを突き立てくる。
「そんな一撃が決まると思うな」
足を一気に蹴り上げ、ナイフを持った手に直撃する。ナイフは吹き飛ぶ。
くるくると回るナイフを気にも止めず、一気に回り込む。
「背後を取った所で私には無意味って分からないのかな!」
手を掴み思いっきり地面に叩きつける。
痛みで悲痛な声をあげても気にせず、顔面に一発拳を打ち込む。
「私に勝てると思ってないのは分かってる。でも、まだ諦めたらダメよ。私が恐怖を教え込んであげるから!」
地面に倒れ込んだ彼はまだ動けそうにない。もう一撃お見舞いした所で、ようやく彼はその場から逃げる。
ボロボロな体で、なんとか地面に落ちたナイフを拾う。軽く呼吸をして、整えようとするがそれが上手く出来ない。
一連の攻撃によって、メンタルはほぼ破壊されているからだ。
なんの攻撃も通じず、ただ一方的に殴られ蹴られの暴行。それは昔の忘れ去った記憶を思い出させる。
ボロボロになりながらも、圧倒的な力の前では無力な自分。
いつかはそれを超えたいと願うが、それは脆くズタズタに壊される。
それを幾度となく経験し、人生に絶望しても終わらない日々。
気がつく時には修行が終わった日。ズタボロな体、叩き込まれた暗殺技術。
それしか生きる道はなく、ただ依頼をこなす日々がやってくる。
そうして、培ったものが何も通じないこの悲劇を、彼はただ噛み締めることしか出来ない。
「数十秒は時間をあげたよ。攻撃もせずに何を考えていたのかな?」
……
そんな嘲笑う顔するアリアを見て仲間たちは全員一致で思っていることがあった。
「「悪魔じゃん」」
……
そうして彼は何も答えようとはしない。ただじっと終わる時を待っているかのような顔でこちらを見る。
動けない体。その理由は思い出し、もう折れた心を修復することはあまりにも難しいこと。
だが彼は違った。
全てを壊すような顔。自我を忘れ、ただひたすらに暴れるために走り出す。
もうこちらの声なんて一言も聞こえないだろう。
ただ倒れるまでひたすら暴れる怪物が誕生するのであった。
大きな雄叫びを、公害を撒き散らすかのように叫びながら来る。
私はこんなものを待っていたのかもしれない。
ただひたすら走る彼を見て私は、この上なく楽しかった。
「君の本性、もっと曝け出してよ。私はそんな君をみたい」
少女は目の前の存在に目を奪われる。眩い存在感を放つ彼は、少女にとってとてつもなく素晴らしい者だった。
そんな少女は、それに答えるかのように全力で答える。それがこの上なく、少女には必要なものだったのだから。
「アリア、もう充分だ」
仲間の一人フェクトに止められる。そこでようやく私自身も我を取り戻す。
目の前には、全身の至る所から血を流しながら向かってくる彼。
止まることを知らず、それでも向かってくる彼は、とてもガッツがあり賞賛に値する。
「勝負はもうついたんだ。もう休んでも良いだよ、これ以上は誰も望んではいない」
そんな言葉が効いたのだろう。彼はその場に倒れ込み、とても満足した顔だった。
そうしてこの戦いは終わったのだった。




