第96話 宴もたけなわ
日付変更も近い、深夜。
居間の畳に隣り合って正座をして、俺と海未は深々と頭を下げた。
「ほんっとーに!! ありがとうございましたっ!」
今回助けてくれたみんな……依子ちゃんに麻央、賢司くん、双葉さんに友奈ちゃん、魚沼くん、水無月さん、可児ちゃんやスコーピオまで。
えっと、これで全員? 全員……いるよな?
ちなみに朝寧ちゃんは“ちょっと出てくる”と席を外している。
これだけの人数だと、さすがに居間だけじゃ狭い。
敷居のふすまを外して、家中の座布団やクッションをかき集めて、なんとかくつろいでもらってる。
寒くないようエアコンもストーブもガンガンに効かせて。
熱々の風呂を焚いて。
大恩を少しでも返そうと、最大限のおもてなしをさせていただく所存だ。
『あ〜うちもそっち行きたかったです〜!』
「純香ちゃんも本当にありがとう。この恩は絶対に忘れないよ、俺」
『や、そんなの別にいいですってば! 入学したら仲良くしてくださいね、せんぱい! へへー』
スマホの向こうでVサインする純香ちゃんに、俺も笑顔でうなずいた。
「かてぇ挨拶なんざいらねんだよソースケ! それよか腹減った! ――って、ずっとスコーピオが言ってっぞ」
「NO。シノ、ウソハヨクナイ」
座布団にあぐらをかいて、テーブルに顎をのせた可児ちゃんがギザ歯をがちがちさせる。
スコーピオの呆れ顔とかはじめて見たな。
「はいはい、ご飯できましたよー」
台所から大皿を抱えて登場した依子ちゃんと麻央を前に、俺は海未とあわてて立ち上がる。
当然ふたりにも休んでいてもらおうと思ったんだけど、とくに依子ちゃんは頑として聞き入れてくれなかった。
だけど、なんか、俺の側に……招待側に回ってくれるのが嬉しくて。
ほんと、感謝してる。
「あ、あたしも運ぶの手伝います!」
「おー。気がきくじゃねーかソウスケの妹ー」
「はい、あの……兄がいつもお世話になってます」
「そーそー、下の世話とか毎日大変で――」
「妹の前で下品な嘘言うんじゃねえ!」
麻央はいつも通り。
今はそれがとてもありがたい。
「そ、そっか。もう……陽留愛の妹じゃ、ないんだもんね」
「……あたしは、お姉ちゃんのこと、ずっとお姉ちゃんだと思ってるよ? ……ダメ、かな」
双葉さんがハッと立ち上がり、ふるふると震えはじめる。
「だっ、ダメじゃないよぉ〜〜っ!!」
抱き合うふたりに、美しい姉妹愛を見た。
良いことだ。
またあらためて海未とは話すつもりだけど、可能ならこれまで通り暮らすのが一番だと思う。
「蒼介。あのよ、トイレ借りてもいいか?」
「えっと、居間を出て右手に――」
「ちっと案内してくれよ」
「……あ、はい」
賢司くんの言葉には、なにか圧のようなものを感じた。
居間を出る前に、みんなを振り返る。
友奈ちゃんは依子ちゃん達の料理に感心しつつ、スコーピオとなにやら武道について語り合ってるようだ。
部屋の隅では、顔をそむける魚沼くんに、あのふだん冷静な水無月さんが人目もはばからず距離を詰めている。
俺なんかと、これまで関わってくれた人たち。
……大切な友人。
叶うならこれからも、関係を持ち続けていたい。
間仕切りの引き戸を開けると、廊下に立ち込めた冷気が身を襲ってきた。
暗い廊下を進み、喧騒から離れたところで賢司くんが口を開く。
「……色々あったな。マジで疲れたぜ」
「はい。賢司くんもその、俺なんかのために――」
「お前のためじゃねぇよ」
礼を述べる前に機先を制され、しばらく無言で見つめ合う。
「なぁ蒼介。お前や、陽毬――……海未が決めたことに口を挟むつもりはないけどな。あれで、よかったのか?」
俺は……俺と海未は、立ち去る楝蛇を黙って見送った。
気を失ってるウェイガンを肩に抱え、フラフラの背中を追いかけはしなかった。
同じく気絶していたサユリさんは救急車で病院に運んでもらったけど、こちらに対してもこれ以上なにかをするつもりはない。
“元気でな”と。
最後に楝蛇はそう言った。
今生の別れになると確信させる顔をしてた。
正直、まだ感情はぐちゃぐちゃで、頭もうまく回ってない。
でも――。
「……あれで、よかった。よかったんです」
楝蛇と、俺や海未は道を違える。
二度と交わることはない。
でも。
でも、もし……。
頭を振って、考えを否定した。
「そうか……。お前の境遇には同情もする。でもな、依子のことは別だ。まだ、話は終わっちゃいねぇからな」
「俺だって、依子ちゃんを譲るつもりなんか絶対ない」
「……そうかよ」
どむ。
と胸に強めの拳をくれて、賢司くんは結局トイレに入ることなく居間へ戻っていった。
遅くまで続いた宴もお開きとなった。
幸い、押し入れには大量の布団や毛布が入っていたので、みんなには好きな部屋で寝床をとってもらった。
流れというか、なんというか。
俺は縁側の見える居間にふたつ布団を並べ、ようやく待望の、依子ちゃんとふたりきりの時間を過ごす。
「あ……また降ってきた」
縁側にチラチラ降り落ちる雪を見つめて、依子ちゃんが呟いた。
常夜灯の薄暗い灯りの室内から眺める雪景色は、どこか幻想的だった。
しかし、どうりで寒いはずだ。
「蒼介くん。もっとこっち、来な?」
「あ、う、うん……」
大小のストーブも各部屋に持っていってもらったわけだけど、今だけは寒い部屋に感謝したい。
風呂上がりの依子ちゃんは、かわいいパジャマ姿で膝をかかえ、靴下を履いた足指をぐにぐに曲げ伸ばししている。
触れ合う肩から、体温が伝わる。
そのやさしい温もりが、自然と言葉を引き出してくれる。
「……養父はさ」
「うん……?」
「俺の目の前で足を滑らせたんだ。慌てて手を伸ばしたけど、間に合わなくて。……いや、本当は、本気で助ける気なんかなかったのかもしれない。だから間に合わなくて――」
「事故だよ。蒼介くんのせいじゃないよ。だって、事故なんだから」
「……うん」
依子ちゃんに繰り返し言われると、不思議とそんな気がしてくる。
いいんだろうか。
罪の意識なんてもの、消えないにしても、こんなに楽になって。
「海未ちゃんのためにも、気にしちゃだめだよ」
「うん……そうだね。海未は大事な妹だ。本当の兄妹じゃないにしても」
「えっ!?」
あまりに大きな声だったので、こっちが驚いてしまった。
「そ、そうなの?」
「い、いや、だってほら役場で……」
俺も、保護施設に入る前の記憶までは持っていない。
海未とは、施設ではたしかに兄妹同然に育った。
だけど。
「あ……そっか、戸籍……」
依子ちゃんも気づいたらしい。
でも実際に血が繋がってるとか繋がってないとか、そんなの些末な事実だ。
本当に大事なことを見失ったりしない。
「……いろんなことあったんだね、蒼介くんはさ」
「いやほんと、自分でもびっくりだけど」
「でもね、あたし。知れてよかった」
依子ちゃんの頭が、肩に乗る。
しっとり濡れた髪から、強くシャンプーが香った。
「……俺も。俺のことぜんぶ、依子ちゃんに知ってほしい」
「よし、うけたまわった。でもさ、蒼介くん?」
「なに?」
「究極さ、あたしさえいれば、他になにもいらんでしょ」
「え? いや、他にも友達とか、家族とか」
「おい。“究極”だっつってんだろが」
依子ちゃんのつむじに、あごをグリグリされる。
本音を言ってしまえば“究極”なんかじゃなくたって。
「依子ちゃんがいてくれるなら、他になにもいらないよ」
俺が見下ろすと同時、依子ちゃんもそっとうかがうようにこちらを見上げて。
頬から触れ合うように、唇を重ねた。
寒さも忘れるほど体温が急上昇して、抱きしめ合って熱も倍増して。
静かに、キスをしたまま、依子ちゃんを布団に寝かしつけて覆いかぶさった。
瞬間、枕もとに置いていたスマホが着信を鳴らす。
「…………」
呆然と硬直する俺の顔を、依子ちゃんがにひっと笑って下からぶにぶにほっぺたを押してくる。
くそかわいい。
てかまじで……誰なんだよ。
タイミング許せなさ過ぎんだろ。
童貞に何回もこんな勇気が出せると思うなよ。
麻央を警戒しながらスマホを覗き見ると、発信主は予想に反して朝寧ちゃんだった。
「“寒い。賢司とふたりで迎えに来い。場所は――” つうか、なんで俺と賢司くんなんだ」
「男の子、だからじゃん?」
「そんなの、魚沼くんやスコーピオだっているのに」
しかもふたりの方が、俺よりよっぽど頼りになりそうだ。
「行ってあげな? あれでもきっと、蒼介くんのこと気に入ってるんだよ」
「が、しかし……」
「“が、しかし”じゃない」
くっ……!
観念して身を起こし、厚手のジャケットに袖を通した。
依子ちゃんからのクリスマスプレゼントであるマフラーを巻いて、やっぱり名残惜しくて振り返る。
「依子ちゃん、あの……!」
敷布団の上に女の子座りする依子ちゃんが、微笑んで首をかしげた。
「俺、すぐ帰ってくるから、その」
「ん。起きて待ってるね。……帰ったら、つづきしよっか」
「いいい、行ってきます!!」
寒さもどこかに忘れて、居間を飛び出した。
あまりに気色の悪い顔をしてたのか、玄関で鉢合わせた賢司くんに怪訝な目で見られたのは言うまでもない。




