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第94話 氷の音(楝蛇鏡也)

「そうだよ。俺は全部、思い出したんだ。家族の団欒も。あの……虫の音も」


 異常なほど見開かれた目を覗き込む。

 瞳は不安定に揺らぎ、その視線は私を通り抜けた先の、虚空を見ているようだった。



◇◇◇



 はじめ目にした印象は、のちの弓削と相違ない。


 襟のたるんだ、色褪せた服はみすぼらしく貧相だ。

 警戒心の強く浮かんだ瞳は可愛げもなく、兄妹共に子供らしさの欠片もない暗い表情。


 好き好んで、関わりたくもないガキだった。


「はじめまして。蒼介くん、それに海未ちゃんだね」


 だがこれは仕事だ。

 私は口角を吊り上げて目を細める。


「さあ、新しい生活を始めよう」


 差し伸べた手を握ることもなく、兄は守るように妹を背中に隠し続けていた。




 弓削の家まで送り届けると、当主の忠正(ただまさ)はふたりを別々の部屋へと押し込める。

 部屋のドアには、内からは解錠できない鍵がかけられた。


 妹は泣き叫び、兄は激しく抵抗したが、忠正は力づくで黙らせた。


 まあ、世間に蔓延るのがこんな大人ばかりなら、警戒するのは悪いことじゃない。

 私も含めて、な。


「ここまでする必要はあったんですかね?」


「不安と孤独が一番人を弱らせる。供物としての従順さ以外、奴ら(・・)に望むものはない」


「……なるほど」


 養子に迎えた、まだ年端もいかない兄妹を奴ら(・・)ね。

 別に意見などはない。

 クズはお互い様ということだ。


 日本酒の盃をあおり始めた忠正から視線を外し、弓削家を後にする。


 現当主である忠正に実子はいない。

 結婚はせず、内縁にあたる女もいないが、たまに町へおりて遊び程度に欲望は発散しているようだ。


 先代の残したシステムを有効に活用しているとは言い難く、現状の忠正は遺産を食い潰す豚にしか映らなかった。


 やけに身が震え、見上げると、空には暗く厚い雲が広がっていた。

 間もなく始まった降雪が、山間の村を白く染め上げていく。


 どことなく息苦しさを覚えながら、私は村を眼下に山道を登っていった。

 自然と落ち合う場所となっていた山頂の小さな鳥居には、凍るような外気よりも冷たい目をした男が立っている。


「楝蛇。首尾はどうだ」


「ま……しばらくは様子見ですかね」


 威鋼(ウェイガン)に首を振って答え、鳥居の奥に佇む(やしろ)を見つめる。

 祠と呼んでも差し支えない、ごく小さな木製箱のようで、控えめな外観からはそれが災いの元だとは想像もつかない。


 かつてこの村で起きた呪い、その元凶。


 弓削家の先代は呪いを利用し、富を築いた。

 追手から逃げるようにたどり着いたこの閉鎖的な村で、呪いと弓削家について知れたのは幸運だった。


「ふん。……アレ(・・)の出番はしばらくなさそうだな」


 つまらなそうに呟くと、ウェイガンは崖下を流れる川をじっと見下ろす。


 戦後の村を襲った呪い。

 忠正の父である壮吉は、村人の記憶にも新しい、その呪いで巧みに恐怖心をあおり、さらに古い呪いまで引っ張り出した。

 四肢断ちだとかいう、一握りの年寄りしか伝え聞いてないような時代錯誤なもの。


 しかし詳細のわからない未知なる呪いは、村人に確かな恐怖を植えつけ、実子を供物と捧げた壮吉を信奉していくことになる。

 忠正のひとつ下の弟は、壮吉により慰霊の生贄として処理されたのだ。


 金のために我が子すら手にかける。

 今の忠正など比較にもならない邪悪さだが、そんな狂気が存在することを村人の誰も予測できなかった。


 忠正は無能だ。

 ゆえに取り入ることは容易かったが、養子を取るよう進言したものの上手く活かせるビジョンが見えていない。


「一応、準備だけは進めておいてください」


 アレ(・・)もいずれ必要になるだろう。

 いざとなれば忠正自身に使用して、傀儡に変えてしまえばいい。

 逃亡者である私達がやり直せる、唯一の好機なのだ。


「絶対に手放しませんよ」


 山脈の先――遥か向こうにあるはずの大陸を、しばらくの間眺めていた。




 時は淀みなく流れる。

 相も変わらず忠正は酒浸りの毎日で、同じ小学校に通う兄妹を暴力で支配し続けた。

 だが、人はどんな環境にも慣れていく。


 私は忠正を焚きつける名目で、週に一度は弓削家を訪れていた。


「やあ、こんにちは。海未ちゃん」


「楝蛇さん! こんにちは!」


 右目にできた青い痣に視線を送ると、妹は困ったようにはにかみながら、片手で髪を撫でつけて痕を隠す。


 こんな目立つ場所に暴力の痕跡を残して、いったいどういうつもりだあの馬鹿は。

 軟禁まがいの事案が明るみになれば、計画が破綻しかねない。


「よかったらこれ、お兄ちゃんと食べてね」


「わあ……いつもありがとうございます! あっ兄ちゃん、これ楝蛇さんがね――」


「海未に近づくな!」


 傷だらけのランドセルを背負った兄が、つかつかと妹の前に歩み出て私を睨め上げる。

 顔中に出来た青痣は、妹の比ではない。


 歯を剥いて、威嚇するように。

 それでいて怯えの色が浮かぶ瞳で。

 悟らせまいと、火のような感情をあらわにして。


「……さ、もう行きなさい。学校に行く途中で、分け合って食べるといい」


「あ、あの……ごめんなさい、ありがとう!」


 振り返って何度も頭を下げる妹の手を握りしめ、兄は足早に私から離れていった。


 妹の方は徐々に気を許してきた節もあるが、どうも兄には嫌われているらしい。

 まあ正しい判断なのだが、本質を見抜かれているわけではあるまい。


 妹以外の人間が全部敵に見えているのだろう。

 あそこまで敵意を剥き出しにされては、少々やっかいだ。

 その点を忠正に言い含めなくては。


「――ああ!? わしのやることに口を出すな! 木っ端組織を追い出された分際で! 貴様はその鈍い頭を捻って、次の資金繰りでも考えろ!」


「ですから何度もお話している通り、それには弓削の当主であるあなたが節度を持たなければなりません。あの兄妹は象徴です。ただそこにいればいい。昔のように人身御供を強制する必要はない」


 かつて壮吉が実際に息子を供物として捧げたおかげで、慰霊の説得力は十分に備わっている。

 不必要な暴力はかえって疑念を招くだけだ。


「ふん、今日は気分が悪い! それを拾ってさっさと出ていけ!」


 畳に投げられた札束を懐にしまい、忠正に背を向けた。


 今回は家の外に待機していたウェイガンが、低い声で呟く。


「……もうやってしまうか?」


「いえ……もう少し、様子を見ましょう」


「チ。何年経っても辛気臭いこの村は性に合わん」


「同意します。では愚かな当主に、助け舟でも出してあげますか」


 耳障りな蝉の大合唱にもいつしか慣れてしまった。

 汗がぬるりと絡まった髪を掻き上げ、農作業に精を出す村人を眺める。


「どうした?」


「いや。何も」


 ネクタイを緩めると、熱気を含んだ風がそれでも多少涼しく感じられた。




 何度目の冬だろうか。

 めずらしく、忠正は律儀に仕事をこなしていた。


「やあ、海未ちゃん」


「あ、楝蛇さん! いらっしゃい!」


「これ。来る途中に頂いたものだけど、よかったら」


 ビニール袋に詰められた大量の白菜や大根、葱などを手渡す。

 暇つぶしに農作業を手伝うこともあり、村人の猜疑の眼差しもいつしか受けることはなくなった。


「いつもありがとうございます! そうだ、楝蛇さんもお夕飯食べていきませんか?」


 妹はセーラー服の袖をまくって、朗らかな笑顔を見せてくる。

 重ねられた年月は、兄を中学二年生に、妹をそのひとつ下の学年へと押し進めていた。


「そうだね。……それよりも、忠正――お父さんはいるかな?」


「えっと……はい。書斎か居間に、いると思います」


 顔に痣を作るようなことは無くなったが、忠正の名は未だに暗い影を落とすようだ。

 私は妹に礼を言い、忠正の元へ向かった。


 忠正は上機嫌だった。

 しかし機嫌が良くとも行動に大差はない。

 日本酒を豪快にあおっている。


「週末は50名を超えたそうですね。私がお貸しした人材も機能しているようで、何よりです」


「おお、あの暗い女な。霊を呼ぶなどと馬鹿げた話を、信じる村の連中も連中よ! わはは!」


 無知をさらして悦に入る、馬鹿はお前だ。

 現実に幽体は存在する。

 その上で、あの女は掘り出し物だった。


 実際に降霊出来るとあれば、呪いの信憑性は確実なものとして村人の脳裏に刻まれるだろう。

 さゆりと名乗った女の出自は知らないが、恐らく碌な人生を歩んではいまい。


 つまり、似た者同士というわけだ。


「……あーそうそう。奴がな」


「はい?」


「奴だよ、蒼介だ。あいつがめずらしく連れてって欲しい場所があるとぬかしおった」


「ほう……いったいどこへ?」


「山の御社(おやしろ)が見てみたいとな。わしも鬼じゃない、快く承諾してやった!」


 どの口で語っているのか。

 だが今日の忠正は本当に機嫌が良く、酒を飲む手が止まらない。


「しかし、なぜ御社を」


「さあな、供物としての自覚が出てきたのだろう。これも全てわしの教育の賜物よ!」


 実に意外な話だった。

 付き添いを引き受けた忠正よりも、そんな願いを口にした兄が。

 いまさらあんな場所に行って何になる。


 どうにも釈然としない思いを抱えたまま、その日は夕食を断って弓削家を後にした。




 後日、忠正が兄と交わしたという約束の日。

 顛末が気になった私は、弓削の家を訪ねた。


 妹が淹れてくれた茶を飲みながら、ふたりの帰りを待つ。


「……遅いな、兄ちゃん」


 相手はあの忠正だ。

 薄暗くなった外を、窓越しに眺める妹の顔には、不安の色がありありと浮かんでいた。


 やがて妹の心配をよそに、兄が帰宅する。

 忠正の姿は無く、ひとりだった。


「お、おかえり! 外、寒かったでしょ?」


 駆けつける妹に空返事をして、兄はそそくさと靴を脱ぐ。


「……忠正はどうしました?」


 さっさと自室に戻ろうとする兄の足が、ぴたりと止まった。


「……さあ。どっかに行った」


「そうですか」


 部屋に消える兄を見送って、私は玄関に向かう。


「もう帰っちゃうんですか……?」


「お兄さんの無事を見届けたからね。お父さんは心配しなくても大丈夫だよ」


 忠正の身など案じてはないかもしれないが。

 大方、町の女のところにでも行ったのだろう。

 兄をひとりで山に残し、それで帰宅が遅くなったのかもしれない。


 単純な忠正の行動パターンを脳裏に描き、ため息が漏れる。


 そして私の考えは、間違っていた。




 翌日も、3日経っても、1週間が過ぎても忠正は戻らなかった。

 さすがに不審に思い、村や町で聞き込むが目撃情報は無い。


 再び弓削の家を訪ねる。

 ちょうど玄関先で兄とすれ違うが、私を認識しているのか疑わしいほどの焦燥っぷりで、ぶつぶつとうわ言を繰り返しながら何処かへ去っていった。


「け、警察に言った方がいいでしょうか? 失踪届とか、えっと――」


「落ちついて。それより最近、お兄さんの様子はどんな感じかな」


 そわそわと家中を歩き回る妹をなだめ、居間に腰を落ちつかせたのち、尋ねた。


「に、兄ちゃんは、相談してもなんかうわの空で。毎日どっか行っちゃうし。なんか……むし、とか呟いてて」


「……虫……?」


 ともかく忠正の行方を知るためには、現状では最後に行動を共にしていた兄を頼る他ない。

 警察への連絡はまだ絶対にするなと妹に言い聞かせて、その日は帰った。


 翌日は早くから弓削家の近くで待機した。

 気温は低く、氷点下に達した寒さは体を芯から凍てつかせた。


 昼が過ぎたあたり、ようやく玄関に姿を見せた兄。

 私は気づかれない距離を保ち、後をつける。


 ほどなくして大量の粉雪が降り注ぎ、静まり返った舗装路を急速に埋め立てていく。

 すれ違う人もなく、サクサクと雪を踏みしめる音だけが耳に届いていた。


 兄は町へ向かうバス停を尻目に直進し、水車小屋へと歩を進める。

 横手ではチョロチョロと川のせせらぎが、かろうじて静寂に抵抗している。


 水車小屋には入らず、兄は川べりまで降りていった。


 水車小屋……御社。


 かつての伝承、戦後の呪いの発端。

 誰かに聞いた話だ。

 忠正本人からだったか?


 戦前から戦中にかけて楢木野という豪族が、善人悪人問わず気に入らない者を崖から突き落としたという。

 遺体は水車小屋へと流れ着き、楢木野の報復を恐れた村人は殺人の事実を隠蔽し続けた。


 村には呪いが蔓延し、鎮めるために崖の手もとへ社を建てた。


 そんな噂程度の話だ。


 兄は川の中へ入っていくと、水車小屋の柱の陰にしゃがみ込む。

 姿を隠すことを止め、私は兄の後ろから覗き込んだ。


「む……虫……虫が……虫……」


 私の存在などまるで意識の外にあるようで、身を刺す寒さに、震える声で兄は繰り返していた。


 水車小屋の柱によって寒風から守られた死体は、発酵熱を出し、蝿を呼び寄せる。

 蝿は卵を産みつけ、蛆が孵り、蛆は蝿となってまた卵を産む。

 そんなループが繰り返される。


 殺した――と決まった訳じゃない。

 足を滑らせて事故死した可能性も十分考えられる。


 だが、いずれにしても。


「虫? 何を言ってるのですか、こんな寒い冬に虫などいるわけがない」


 固まったように動かない体を押しのけ、忠正の顔を踏みつけた。

 水分を多量に含んで腐敗しかけた肉は簡単に裂け、骨がパキパキと砕けた。


「こうして川の一部が凍ることもある。聞き違えたのでしょう。氷が擦れたり、割れる音と」


 全身をくまなく踏み砕き、どろりと濁った血が、川に滲んで消えていく。


「幼少の頃を思い出す。道端に出来た水たまりが凍ると、踏み潰して遊んだものです」


 いいかげん、冷たさに足の感覚も無くなってきたところで、大きく息を吐いて振り返った。


「……妹さんも待ってますよ。帰りましょうか、蒼介さん」


 差し伸べた手を数十秒に渡り見つめていた蒼介は、初めて私の手を取って頷いた。


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