第93話 必然のボイラー室
妹が――海未が、縄をほどいてくれた。
黙々と作業する海未と何度か目が合ったものの、なんというか、こう……照れくさいような感じがして言葉は交わさなかった。
いつかは双葉さんと瓜ふたつだなんて評してしまったけど、なんのことはない。
似ても似つかない妹の顔が、あのときの面影を残したなつかしい顔が、俯きがちに微笑んでいる。
「はい……これで、よし。解けたよ……えと、兄ちゃん」
「お、おう。その……ありがと」
聞きたいことは、そりゃいっぱいある。
これまでどうしてたんだ、とか。
学校にはちゃんと通えてるのか、とか。
どういう経緯で双葉さんの妹に。
だけど今じゃなくていい。
生きていてくれただけで、俺は……俺の家族が、こうしていてくれただけで……。
「みんながね、ここまで連れてきてくれたんだよ。お姉ちゃん……陽留愛さんや賢司さん、友奈さんや朝寧さんみんながあたしを守ってくれた」
「そうか……盛大にお礼しなきゃな」
俺がいなくても、海未は寂しい思いをせずに済んだんだな。
感謝しかない。
「兄ちゃん、立てる?」
「大丈夫だ。今はとにかくここを出よう」
俺もいろんな人に助けられてここまで来た。
いっしょに行動していたヨリコちゃんとマオがともかく気がかりだ。
控えめに差し出された手を、俺は俺でためらいながら握る。
暗闇にも目が慣れていたから、視線を外しつつも笑みを浮かべる海未の顔がはっきりとわかった。
照れてんだよな。
俺もだけど、でも嬉しかった。
妹に肩を借りて、部屋のドアまでふたりで歩いていく。
ドアを開けた先には、楝蛇が立っていた。
「どこへ行こうというんですか、蒼介さん」
記憶は取り戻した。
せっかく唯一の家族と再会できたんだ。
水を差すなよ。
「あなた方の帰る場所はここです。この村以外には、無い」
コンクリートの壁に寄りかかった楝蛇は顔色も悪く、荒く呼吸しながらも不快な台詞を吐いた。
怯えたように服の裾を掴んでくる海未に、大丈夫だと頷いてみせる。
「……なんで嘘をついたんですか? 弓削――壮吉だったっけ? 俺の曽祖父だなんて、そもそも俺も海未も弓削の人間じゃなかった」
「弓削の人間ですよ、血は流れてなくてもね。慰霊の供物として、弓削はあなた方を引き取った」
「供物……?」
不穏な響きに眉をひそめた。
楝蛇は、下から睨めあげるような目つきを俺へ向ける。
「あなた方は弓削にとって金脈だった。いや、金のなる木に育て上げたのだ。だから報いるべきだ。迎え入れてくれた家に、村に」
「ふ――」
思わず叫びそうになった言葉が、意外な人物によって引き継がれる。
「ふざけんなよッ!!」
激しく壁を叩きつける拳と、怒気を孕んだ声に場が静まり返った。
「そんなクソみたいな理由で陽毬を――こいつらを縛っていいはずがねえだろ!」
「け、ケンジくん……」
呆然と名を呟いた。
なんでここにケンジくんが。
そうか、海未を助けてくれてたんだよな。
俺はおまけだとしても、そこまで妹のために怒ってくれるんだな。
「だいたい肝心の弓削家はどこにいんだよ! もういねえんじゃねえのか!? だとしたらこいつらをまだ解放しねえ理由はなんだ!? あんた、自分のために利用しようとしてんじゃねえのか楝蛇っ!」
ここまで来てくれたのはケンジくんだけじゃない。
「陽毬! 聞いて! ううん、陽毬でも海未でもいい! どういうことか、お姉ちゃんまだよくわかんないけど……でも、でも!」
つづけて部屋に飛び込んできた双葉さんは、少し声を詰まらせたあと、ポニーテールを揺らして思いの丈を叫ぶ。
「どんな事情があっても、陽留愛の大事な妹に変わりはないんだからね!」
「お姉、ちゃん……」
こんなに一生懸命な双葉さんの姿だけで、どれだけ妹を大切に思ってくれてたのかわかる。
「これほど大勢を招待した覚えはないんですがね。――威鋼」
楝蛇の呼びかけに応じたのか、ずっと機をうかがっていたのか。
暗闇からぬっと姿をあらわしたウェイガンが、楝蛇に詰め寄ろうとするケンジくんの胸ぐらを掴み上げた。
「ハァ……ハァ……ガキが……! もう容赦はせん」
「け、賢司!」
「陽留愛、下がってろ!」
すさまじい形相でケンジくんを絞め上げるウェイガンは、腫れた顔面のせいで迫力が増している。
口から血も垂れてるし、ひどく消耗して見える。
俺が知らない間に、なにかあったんだ。
「ぐっ……! くっ、そ……!」
「賢司さん!!」
もがいて足を振り回すケンジくんの元へ、駆けていこうとする海未を引き戻す。
俺が行かなきゃ。
思いきり体当たりでもかましてみようと、全速力で走った。
けど、進行を遮るように立ち塞がった人影が、長い得物を一閃する。
木刀は激しくウェイガンの腕を叩き、解放されたケンジくんが床に転がった。
「げほっ! た、助かったぜ友奈」
勇敢にもユウナちゃんは木刀を正眼に構え、ウェイガン相手に一歩も退かない様相だ。
痺れた腕から目線を外し、ウェイガンがユウナちゃんを睨みつける。
「ぬぅ……貴様……! ガキの遊びじゃねぇんだこっちは……!」
「……私は、大事な人を守るために武道に邁進した」
怒り狂ったウェイガンがユウナちゃんに飛びかかった。
ふっ――と呼気を吐いたユウナちゃんが、ウェイガンの拳をヘッドスリップで避ける。
そしてすれ違い様に、木刀がウェイガンの首もとを撫で斬った。
「断じて遊びなんかじゃない」
ウェイガンは気を失ったらしく、膝からその場に崩れ落ちた。
みんな静まり返っている。
憂いの表情で木刀を下げるユウナちゃんは、とにかく格好よくて。
男女問わず人気があるのも頷けるほど痺れた。
そして、静寂は突如としてやぶられる。
「青柳ー! ひとりで逃げんじゃねーてめー!!」
「いやだってムリムリムリムリ!!」
「お、落ちついてください先輩方!」
バン! と激しくドアが開け放たれ、ヨリコちゃんとマオが我先にと転がり込んでくる。
「よ、ヨリコちゃん!?」
「あ! 蒼介いんじゃねーかコノヤロー!」
「蒼介くん!? 助けて助けて助けて!!」
這いずるようにして、ヨリコちゃんが足にしがみついてきた。
「ちょっ、落ちついて!? ともかく無事で――」
「おばけっ! おばけが来てんのッ!!」
「は?」
俺の彼女はおかしくなってしまったんだろうか。
マオ共々俺の背後に隠れて、破れるくらいに服を引っ張りながらドアの方を見つめている。
呪いだとかお化けだとか、さすがにオカルトが過ぎるだろ。
直後になぜか水無月さんが後ろ向きに部屋へ入ってくると、俺は言葉を失った。
水無月さんが警戒するように本を掲げた先、たしかにそれはいた。
ゆらりと姿をみせたメイドのサユリさん、その頭上に半透明の物体が浮かんでいる。
それは苦悶の表情を浮かべる人の顔であり、何本もの腕が蓮の花弁のごとくウゾウゾとうごめいていた。
「は……? え……?」
さっきとは違った意味で硬直した。
うろたえるみんなを尻目に、水無月さんが普段の物静かな印象からは考えられない大声をあげる。
「皆さんは絶対に動かないでください! ここは、私がなんとかします!」
凛として水無月さんは言うけれど、なんとかってあんなもの相手に――。
とはいえ対抗策もわからず動けずにいると、サユリさんが手にした鈴をチリチリ鳴らした。
突如、一斉に半透明の腕が動きだす。
たくさんの腕が、まるで雨のように水無月さんに降り注ぐ。
「……力を貸して……! 魚沼くん……!」
広げられた本によって、結界でも張られたかのように腕は水無月さんまで届かない。
だけど傍目にも多勢に無勢だった。
歯がゆそうに、苦しそうに水無月さんが徐々に後退する。
俺の肩に添えられたヨリコちゃんの手が、ギュッと力が入るのがわかった。
やっぱり、行かなきゃ。
やぶれかぶれに突進しようと、数分前と同じ行動を選択するも。
暗い部屋に突然はげしい光がまたたいて、何かが弾けるような音が鳴り響く。
「……え……」
サユリさんが立ち尽くしていた。
膨大な量の腕も、気味の悪い顔も消え失せていた。
ただ一度、手を払っただけですべてをかき消した魚沼くんが、水無月さんの肩を支えていた。
「……遅くなったね、ごめん」
「……いいえ。魚沼くん、やっぱりあなたは……」
「よしてくれ。そんなんじゃない」
水無月さんから離れて、魚沼くんがサユリさんへと一歩詰め寄る。
「……あ、ありえない。こんな……日に、二度も……」
「恐怖を感じてるんですか? ではもう、幽体と関わるのはやめるべきだ。でないといずれ――」
魚沼くんが伸ばした手が、震えるサユリさんの肩へ軽く触れた。
耳をつんざく絶叫を残して、サユリさんが前のめりに倒れる。
気絶……しただけだよな?
死んじゃいないよな?
魚沼くんはこっちを振り返り、バツが悪そうに鼻を掻くと。
「……はは」
いやなんで笑ってんの!?
こえーよ!
いやいや、でも、魚沼くんと水無月さんまでまさか来てくれるなんて。
きっと俺のためなんだよな。
なんかちょっといい感じに見えたふたりの進展は、感謝を込めてあとで聞くとして。
いまは――。
「や、やだ! 離してよ!」
ハッと顔を向けると、楝蛇が海未を羽交い締めにしていた。
暴れる海未の手が顔に当たり、楝蛇の耳から何か小さいものが転げ落ちる。
「やめろ! 今さらこんなことしても無意味だろ!」
「いえ、そんなことはありません。最初からやり直せばいい。最初から、また1からあなた方全員に施せばいいだけ」
強引に海未をたぐり寄せながら、楝蛇は背後の扉を開いた。
コンクリートと同化したような色で見落としていたけど、あんなとこにも扉があったのか。
「に、兄ちゃん!」
「海未、待ってろ! すぐいく!」
扉の向こうは地下へつづく階段があるらしい。
言葉通りすぐに追いかけようとしたところ、ヨリコちゃんから引き止められる。
「蒼介くん! これ……」
今しがた楝蛇が落としたものだ。
それはコードレスのイヤホンで、ヨリコちゃんは自分の耳に当てると顔をしかめる。
受け取ったイヤホンを、俺も耳へ近づけてみた。
「これは……」
俺や海未はある種の洗脳状態だった。
たぶん間違いない。
今はあの不快な音も消えたけど、楝蛇はあれを使って乗り切ろうとしてるんだと思う。
でもなんで、こんなものを、楝蛇が……。
「蒼介、ここでケリをつけろよ。オレはもうとっくにキャパシティオーバーだ」
ケンジくんやみんなの顔を見て、頭を下げた。
思わず泣きそうになってしまい、顔が上げられなくなった。
ヨリコちゃんがポンポンと肩を叩いてくれる。
ここまでみんな協力してくれたんだ。
最後は俺が、しっかりしなきゃ。
ちゃんとしたお礼は、またのちほど。
先頭に立って、さらに暗い地下へと降りていく。
一歩、一歩、反響する靴音を聞きながら、考える。
過去のこと、弓削の家、俺の記憶。
楝蛇はなぜ、俺や海未に固執するのか。
一歩、一歩記憶を辿っていけば、自ずと答えに導かれるような気がした。
そして行き止まりの扉を、確信をもって押し開く。
薄暗いオレンジの照明。
大きな円柱形のタンクに、制御盤。
太い何本ものパイプがけたたましく稼働している。
ボイラー室の奥に、楝蛇に羽交い締めにされたままの海未がいた。
うしろから首を絡め取られてる海未よりも、なぜか楝蛇の方が苦しそうな顔をしていた。
「に、兄ちゃん……」
「海未、覚えてるか? 昔のこと。つらい思い出ばっかりだと思ってたけど……楽しい思い出、あるよな? 家族みんな仲良くしてさ、親父も母さんも、おまえも笑ってて……」
「妄想ですよ、蒼介さん。脳波の揺らぎがみせた、存在しない記憶です」
「いいやちがう」
妄想や夢物語じゃない。
あれはたしかに存在した、俺の記憶だ。
俺は楝蛇の目を、まっすぐに見据えた。
「あんたなんだろ? ……親父」




