第55話 ここに寝取られを宣誓する
「……あーあ。100人斬り、ひとり目も達成できなかったなー」
実に軽い口調で言い放って、マオは壁に押しつけた背中をずりずり下ろしていく。
同じように俺も、青いタイルカーペットに座り込んだ。
「なあ……その包帯、下に何か着てんのか?」
「んー? ソウスケも包帯、引っぱってたしかめてみるー?」
立てた膝に頭を乗せて、俺の方を見ながらわざとらしく体を揺らすマオ。
あきらかに何も固定されてない胸がぶるんぶるん揺れる。
薄手のジャッケットを脱いで、マオの肩に放り投げた。
「見せるためにこんな格好してんだから、べつにいいのにー。絆創膏おっぱいに貼ってるしー」
よけい生々しい。
「俺が目線に困るんだよ、いいから着ててくれ」
「気にしすぎじゃねー? そんなんだったらさー、もしわたしがヤッてたら、脳が壊れちゃってたかもしんないね」
言葉では言いつつも、マオは素直にジャケットへ袖を通した。
「脳か……壊れてたかもな」
俺はマオのこと友だちだと思ってる。
それでも見知らぬ男とマオが、なんて想像すると気分のいいもんじゃない。
キモい独占欲なのか、この気持ちをなんて表現すればいいのかわからないけどさ。
寝取りも、寝取られも、大嫌いだ。
たぶんこれから先も一生、マオの性癖を共有するなんてできない。
コンクリートの天井では、切れかかった蛍光灯がチラチラ明滅を繰り返している。
「ねぇソウスケー……わたしらさー……また、付き合ってみる?」
共有できない性癖をもってして、魅力的な提案だった。
本当……十二分に魅力的な、マオの誘い。
「マオって、俺のこと好きなの?」
「……わかんねーなー正直。でもさ、はじめて……裏切らないひとかも、とは思ってるよー」
光栄な話だ。
俺だってマオのこと大事だし、他にもそう思ってくれてるひとはたくさんいる。
今日だって、みんなマオを心配して俺に付き合ってくれたんだ。
マオだってそれはわかってるはずだ。
でもそれだけじゃダメなんだろう。
それじゃ本質には触れない。
マオの渇きが癒やされることはない。
「わたしさー。ソウスケが嫌なら、我慢するよー? 寝取りだとか寝取られだとか、そーいうの、我慢してもいーよ? それなら文句なくない?」
「俺が与えられるばっかじゃん。マオはどこでストレス発散するわけ?」
「えとねー……隠れて浮気?」
「それ我慢できてねえから!?」
「あっはは! 冗談だってのー」
性癖の共有はできなくても、理解はできたんだよ俺。
ずっとずっと、マオのこと考えてたんだ。
そもそもマオは、寝取るのが好きなのか、寝取られることにより興奮してしまうのか。
馬鹿みたいな話かもしれないけど、マオにとっては大事な話なんだ。
だから嫌いな寝取られについて真剣に考えたよ。
発端は両親の件だと言っていた。
両親が知らない他人と寝てることに嫌悪しつつも興奮を覚えてしまったと。
大事なひとが、他人に取られることに背徳的な感情を――。
俺の部屋で、ヨリコちゃんから電話かかってきたときもそうだ。
あのときマオは、天啓がおりてきたとまでのたまって発情していた。
おそらくは両親の件を除いて、ずっと同じことを繰り返してきたんだろう。
誰かと付き合って、他の男と寝てる最中に電話して絶望させる。
その彼氏の絶望に、自分が昔味わった絶望的な背徳感を重ね合わせて興奮する。
俺もくらった手口だよな。
あれはなかなかきつかったんだぜ? 本音を言うと。
つまりマオは、大事なひとを寝取られる方がより感情を揺さぶられるということだ。
それが本質。
誰かが傷つく姿を見るより、自分が傷つく方がいいってのがまたさ、マオの本来のやさしい人格が垣間見えて悲しくなるけど。
「俺、ヨリコちゃんに告白するよ」
顔の包帯がパラリと落ちて、丸く見開かれたマオの両目をまっすぐに見据える。
マオは大切な心の内をさらしてくれたんだ。
なら俺も、真摯に向き合わなきゃな。
彼氏がいるから、とか。
ヨリコちゃんを傷つけたくないから、とか。
俺の気持ちには一切関係がない。
逃げの理由に使うのは、もうやめよう。
「マオが、俺のこと少しでも大事に、大切なひとだって思ってくれてるんなら……ずっと俺を見ててくれ」
世間の常識も、倫理観なんて代物も。
いま目の前に存在するマオに比べれば、掃いて捨てるほど些細なものに思えた。
「ヨリコちゃんに告白して、きっと彼女にしてみせるからさ――」
俺の行動こそが唯一、マオを満足させられるんだ。
確信をもって言葉を紡ぐ。
「マオの大好きな俺が、ヨリコちゃんに奪われる様をしっかり目に焼きつけろよな」
瞳が揺らぎ――激しく揺らいで、マオは膝へと顔を埋めた。
小刻みに、何度も何度も、しゃくりあげるように頭をうなずかせる。
「……うん…………うん…………っ」
しばらくそうして、暗い遊戯場でマオが鼻をすする音を聞いていた。
やがて、パッと顔をあげるマオ。
ニィと白い歯を見せる満面の笑みは、見慣れていたはずのいつものマオで。
「つか……大好きとまでは言ってねーだろ! 捏造すんな!」
肩に思いきりパンチをくらった。
あまりに待ち望んだ顔だったから――違う、肩があまりに痛すぎてちょっと泣けてしまう。
「で? で? いつ告んのー?」
「一応、文化祭のときにって考えてる」
「マジー!? わくわくすんね! ねーふたり付き合ったらさーいっしょにお泊まりとかしていー?」
「い、いいけど」
「夜寝静まったころにさー? わたしに気づかれないようぜったいコッソリえっちすんでしょ!? あー……想像しただけでもう――」
身を乗り出して興奮するマオと、未来の展望を語り合う。
きっと俺たち以外の誰が耳にしても、眉をひそめるような話を繰り広げた。
あとは、俺が宣言通りに行動するだけだ。
恩を仇で返す真似になって、ケンジくんには悪いけど……。
マオのためだなんて言い訳しない、俺自身の欲望のために。
本気でヨリコちゃんを奪いにいかせてもらう。




