第53話 ほんもの
それは、さながらメデューサの瞳のようで。
魅入られてしまった俺は動くことができない。
「こ、こっち側とか、あっち側とか……関係、ないだろ」
「んー? ほらー……無理にしゃべんなくていーからさぁ……」
斜めに傾けた頭を俺の胸に、身をあずけるようにして、しなだれかかってくるマオ。
見下ろす先では、金髪ストレートなかわいいギャルがうっとりと目を細める。
Tシャツを盛り上げる胸の谷間と、くの字に折りたたまれた足のふとももが視界のフレームへ同時におさまる。
マオの手がなめらかに俺の頬を包み、つやつやと濡れた唇が迫った。
吐息と共に開いたマオの口が、覆いかぶさる寸前――。
「……青柳に見せてやりたい」
囁かれたひと言に、呪縛が解ける。
「ちょまっ――!」
「むぐっ!?」
マオのほっぺたをむんずと掴んで突き離した。
あぶねえ!
雰囲気に流されるとこだった!
しかしマオは顔を変形させながらも、俺の頬をつまみ上げるようにして引き寄せようとする。
「……っ、は!? この期に及んで、拒否とかっ、ありえんし……っ」
「いっ痛ててっ……! いや、だってあきらかにおかしいだろ……っ、なんだよっ、ヨリコちゃんに見せたいって……っ!」
お互いの顔を揉みくちゃにする醜い攻防は、双方の体力切れにて痛み分けに終わった。
マオがテーブルにバンッ! と手を置いて立ち上がる。
「ハァーッ! ハァーッ! こんのヘタレ童貞! わたしに恥かかせやがってっ!」
「童貞だよなんとでも言えっ! でもおまええっちしちゃったらその男に興味なくなんだろ!? 俺はマオをそんなことで失いたくねえんだよッ!!」
「っ!? ――…………〜〜〜〜ッ」
真っ赤になって、ギリッと歯を食いしばったかと思えば、眉間にしわを寄せて泣きそうになり、うつむいて脱力する。
どれもこれも、はじめて見る表情だった。
「……可児さんかぁ……おしゃべりだなぁ……」
やっぱり、カニちゃんの言ってたことは本当なのか。
黙ってマオを見上げていると、ぽつぽつと心情が紡ぎ出る。
「……べつに、楽しい時間も、キライじゃない。青柳とか、ソウスケとか、部活のみんなとか……いっしょに笑ってるわたしだって、ホントのわたし」
でも。
と、マオは小さく呟いた。
「たまにぜんぶ、ぶち壊したくなる」
静かで、悲痛な叫びだった。
泣きそうな顔で、やっぱりマオは笑っていた。
「どうしようもないんだよー? だってちっさい頃からさー、父親とか母親がさー、知らない奴らとえっちしててー。あいつら家でやるんだぜー? 嫌悪しかなかったよ最初はねー? でもさー、覗き見してるうちにさー、こんな姿をお互いが見たら……パパと、ママが見たら、どう思うんだろうって……興奮、してて……いつの間にかわたしは……こんなんなってて……さぁ……」
尻すぼみにかすれていく告白は、きっとマオがずっと胸の内にしまっていたものなんだろう。
だから俺は心して、マオから絶対に目をそらさなかった。
ぱっと跳ねるように、マオが天井をあおぐ。
「だから、わたしにとっていい頃合いだったのー。みんな生ぬるく仲良くしてて、ここらでわたしがソウスケを取ったら、青柳はどんな顔すんだろーって。サークラってやつ? ははー最低でしょー?」
俺とマオがどうこうなったからといって、ヨリコちゃんを曇らせることになるのか疑問だけど。
そんなことよりも。
「ほんとにそんなことしようと思ってたのか?」
「はー? そー言ってんじゃん。わたし頭おかしんだよ。ソウスケ寝取るくらい簡単にやるよー」
「じゃあなんで、俺やヨリコちゃんから距離置いたんだ? 本当に寝取るつもりなら、ヨリコちゃんを曇らせたいんだったら、実行する直前まで仲良くしてる方が効果的なのに?」
「っ……わたし、馬鹿だから、そんなことまでわかんなくて……」
「自分が興奮するツボくらいわかってんだろ。それでも実行できなかったのは、この関係を崩したくなかったからじゃないのか?」
でも壊したくなる衝動はたしかにある。
だから矛盾した悩みを抱えることになった。
結果、離れるという選択につながった。
……結局、やさしいんだよな。
「だって、わたし変じゃん。ソウスケは違うって言ってくれたけど……ふつうじゃないよ」
「だから、いっしょに楽しめる彼氏を求めて男を漁ってたのかと思ってたよ」
「そんな都合のいいカレシ、いるわけなくない? 天晶とは違うけど、これに関してはソウスケだってそう。……けどさ、心は理解されなくたって、体でつながんのは簡単だし」
自嘲したマオは、大きく息を吐いて背を向けた。
「そーいやさー、もうすぐハロウィンだねー? 店でコスプレイベントやんだけどさー、そこで際どいの着て100人斬りでも目指すかなー。もうどーでもいいや」
その言い回し、俺に助けを求めてんだろ。
わかってるよ。
マオが本当に欲しいのは彼氏なんかじゃない。
真の理解者だ。
「……黙ってるだけなら、もー帰ってくんない? えっちもしないし、すげー萎えた」
「マオ、俺は――」
「帰ってッ!!」
肩を震わせながら放たれた拒絶。
どんななぐさめの言葉をかけようが届かないし、意味はない。
玄関で靴を履いて、外に出る。
空はすっかり暗くなっていて――。
霞がかった今にも消えそうな月が、マオの姿と重なって見えた。
言葉じゃ救えないなら俺は、行動で示すよ。




