第26話 この手で掴む
全力でぶん投げた15ポンドの玉がレーンを疾走する。
結果なんて見るまでもない。
キュキュッと床を鳴らして、軽快にターンを決めた。
「ま、ざっとこんなもんですかね」
「ピン1本も倒れてないよ?」
どっかと椅子に腰かけ、足を組んだ。
顔はレーンに向けたままで、双葉さんに問いかける。
「それで、相談って?」
「なるほど。現実をみない人だ弓削くん」
立ち上がった双葉さんが、軽めの玉を持つ。
背すじをピンと伸ばして構え、綺麗なフォームから繰り出された1投が、スパコーン! と爽快な音を響かせた。
腰もとで小さくガッツポーズ。
Tシャツにハイウエストなデニムショートパンツとシンプルな格好ながら、圧倒的かわいさで周囲の注目を一手に集めている。
「ま、ざっとこんなもんかな!」
「互角ですね」
「現実みてよっ!?」
大きく息を吐いて、双葉さんはペットボトルのスポーツドリンクをあおり飲んだ。
「ふう。相談っていうのはね、共同戦線を張らないかって話!」
「共同戦線?」
戻ってきた玉を、タオルで磨きつつ聞き返した。
「うん。ヒルアと弓削くんが協力すれば、お互いにメリットがあるんだよ」
メリット、ねえ。
3本指で玉を抱えて、アプローチ。
「弓削くんはヨリコが好き。――そしてヒルアの見立てじゃ、ヨリコもまんざらじゃない」
「――え?」
指を滑らせて、15ポンドの玉が垂直落下した。
ドゴンッ! とけたたましい音に周囲がざわつく。
「な、何やってるの弓削くん!?」
「はあ、はあ、あ、危ねえ……っ」
足を潰すとこだった。
それもこれも、双葉さんがむちゃくちゃなこと言うからだ。
玉は勝手に転がっていったんで、戻って椅子へと座る。
「またガターだね!」
「ヨリコちゃんが俺を――なんてあり得ないですよ」
「そうかな? 今はなくても、可能性はあると思うな。恋愛強者のヒルアさんを信じなって!」
恋愛強者ならケンジくん取られてないだろ。
玉をたぐり寄せた双葉さんが、うーんと伸びをする。
「ヒルアは……ケンジのことあきらめない。だからお互いに情報交換して、ふたりを会わせないようにしたりとか? いろいろできると思うんだ」
背中で語る双葉さんの、表情は見えない。
ただ、明るい印象の姿なんてそこにはなかった。
本気でケンジくんを振り向かせたいんだろう。
気持ちはわかる。
ピンをあっさりとすべて薙ぎ倒して、帰還する双葉さん。
「へっへーまたストライク! で、どうかな!? 提案に乗らない?」
「よく、わかりました」
ハイタッチを求められるも、俺はスルーしてまっすぐ玉を取りに向かう。
「そんなんじゃ、ヨリコちゃんに負けるわけだ」
「……は?」
助走をつけ、勢いよく玉を放つ。
「だれかの足を引っ張って手に入れた恋人に、顔向けできるんですか? 後ろめたさ感じながら付き合っていくんですか? ずっと?」
「え、偉そうに急に何!? ガターのくせに!」
険悪に双葉さんとすれ違う。
「ずっとずっとケンジが好きだったの! それをさ横入りで取られたんだから! ヒルアには取り返す権利あるでしょ!?」
小気味よく吹き飛ぶピンの音。
だったら――。
俺は鼻息荒く玉を取りに向かう。
「だったら真正面から玉砕してこいよ! もっともヨリコちゃんにゃ絶対勝てないけどな! ケンジくんが簡単に手放すわけがない!」
投げた玉が重々しく溝に落ちる。
座るのももどかしく、ボールリターンの前で待機する。
「何それ、わけわかんない……っ! 弓削くんはそれでいいわけ!? ふたりが別れなかったら、弓削くんだって――あ!」
双葉さんがはじめて、ストライクを取り逃した。
ギリッと歯ぎしりまで聞こえてきそうなほど悔しげだ。
深呼吸をして、玉を持つ。
何度も持ち上げた重みが、よく腕になじむ。
「たとえば俺がヨリコちゃんを好きだったとして。傷つけてまで、笑顔を曇らせてまで付き合いたいなんて思わねえよ。幸せそうならそれでいい」
投球後。
深く息を吐いて、ひたいの汗をぬぐって振り返った。
「そんなの、ヒルアだって……!」
椅子に座る双葉さんは、膝の上で握りしめた拳に視線を落としている。
「だからさ、双葉さんも自分の魅力で振り向いてもらえばいいだろ? わざわざふたりの邪魔なんかしなくてもさ。そっちの方がケンジくんにだって好ましく映るはずだ」
「……っ。それは……そうかもね。……弓削くん、ケンジに会ったことないんでしょ? なのに知った風なこと言っちゃってさ」
なんかすでに勝手なイメージができてしまった。
壊れてほしくないような、壊れてくれた方が嬉しいような人物像だ。
「あとさ」
「はい?」
「最後までガターだったね」
「もう腕がパンパンなんですよまじで!」
ボウリングってピン倒せないとぜんぜん面白くないのな。
あたりまえだけど。
双葉さんは、ふいにクスクス笑いだして。
「――あ~スッキリした! 今日はありがとう弓削くん、付き合ってもらっちゃって!」
「いえ……よかったんですか? こんなんで」
「いいのいいの! 自分を見つめ直す機会にもなったし。お礼に合格点で報告しといてあげよう!」
合格点? なんの話だ?
「でも、真面目というかやさしすぎるというか。もっと欲求に素直になってもいいんじゃない? ま。ケンジはヒルアが振り向かせるから、そのときは感謝してよね!」
なんの感謝だよ。
でもやっぱ笑うと特別かわいいなこの人。
そんな双葉さんでも勝てないヨリコちゃん、恐るべしだな。
ボーリング場で双葉さんと別れ、ひとりでマンションに戻ってきた。
エレベーターを下りると、自宅ドアの前でたたずむ人影が「あ」と声をあげる。
「ヨリコちゃん……?」
「……マオに、家聞いて。やっぱ、心配だったから」
まさか、ずっと待っててくれたのか?
感動と罪悪感がごちゃ混ぜになったような震えが背中に走る。
「でも、どこ行ってたの? 具合悪かったんじゃないの? もしかして……ヒルアと遊び行ってた?」
「え……と」
その通りすぎて返す言葉もない。
何か、何か言わないと!
「元気そうでよかったじゃん? ……帰るね」
俺のとなりを通り抜けるヨリコちゃんの髪がふわりと香って。
本能を呼び覚ますようなその匂いが、心臓に鋭い痛みをもたらした。
「ヨリコちゃんっ!」
そして胸の痛みは、ヨリコちゃんの手首を掴むなんて行動を俺に引き起こしたんだ。
細くて、今にも折れてしまいそうなヨリコちゃんの腕を必死に繋ぎ止める。
少し汗ばんだ肌が、心臓の鼓動を際限なく速まらせる。
ヨリコちゃんは大きく瞳を見開いて、きっと言葉の続きを待っている。
「せっかく来てくれたんだ、あがって、お茶でも、飲んでいってよ……」
誘いは尻すぼみに自信を失った。
「…………うん」
顔を伏せて、ヨリコちゃんはたしかにそう返事した。
え……まじ……?
ヨリコちゃんの手を引いたまま、俺は自宅の鍵を回し、ドアを開ける。
中に誘い入れた直後、ドアが閉まって視界の明度が低くなる。
薄暗さが、うつむくヨリコちゃんの姿をより生々しく浮かびあがらせた。
現実感のない光景に、頭の中が真っ白になっていた。




