彼女が初登校する朝
「うぅ……下がスースーする……」
隣を歩く海翔が愚痴る。
「よく女の子たちは毎日こんな頼りないのを穿けるね……」
自分の着ている物に対して、俺にも聞こえるように。
「気を付けないとパンツ見えちゃうよこれ……パンツじゃなくても、脚が出てて周りから見られるのも落ち着かないし」
今までの男の変声期を過ぎた低音ボイスではなく、思わず聞き入ってしまうような心地の良いソプラノボイスで。
「スカートも穿いてないように感じるのかと思ってたけど、裾が脚に当たる度に嫌でもスカート穿いてるんだと意識しちゃうよ……」
数瞬の後、何も返さない俺に対して文句があるのかじとーっとした目線をぶつけてきた。
「……なんか言ってよ」
「あ、あぁ。その……ごめん」
「なんだよぅ、こうなってからも今まではちゃんと話せてたから、制服着たくらいでそんな対応変わっちゃうなんて思わなかったよ」
隣の女子は唇を尖らせる。
「それは海翔が今までの服を着てて、小さくなったくらいにしか思ってなかったからな。でも、そうやって女になったのをまざまざ見せつけるとちょっとな」
「……これからまた大きくなるんだよ。っていうか早く慣れてほしいかな。陸とは今まで通りに喋ったり遊んだりしたいし」
「……善処する」
やはり俺の顎辺りまで低くなってしまった身長を気にしているらしいのは、うちの高校の夏の制服であるセーラー服を着た女子高生。
ぱっちりとした目に二重のまぶた、目に入ってしまうのではないかと思わず心配してしまう長いまつげ。その瞳は不安そうに揺れているように見える。
慣れていない制服が恥ずかしいのだろう、少し朱がさした柔らかそうな頬に全体のバランスを整えるように存在する小さな鼻に、綺麗な桜色の唇にも目が奪われる。
肩口ほどまで伸びた黒い艶やかな髪は、てっぺんには天使の輪ができていて、触ったらさらさらで気持ち良さそうだ。
高校生女子の平均に届いていないと言っていた低めの身長も相まって、かわいい系の美少女が俺の隣を歩いている。
だけど、その中身は俺の親友である海翔なのである。
そう。どういう理屈かは分からないが海翔は女子になった。
今から1ヶ月ほど前の4月の終わり。ゴールデンウィークの連休が始まるという頃に全身に激痛が走って意識を失い病院に緊急搬送。次に目を覚ました時には連休は終わっており、身体も変わっていたらしい。
原因は病気らしいのだが、本人もよく分かっておらず医者からは遺伝子がどうこう言われた時点で理解を放棄して、他の人にうつったりといった心配はない事だけ覚えたんだと。
俺も海翔が倒れたとは聞いていたが、それ以上の情報が入って来ないし、面会謝絶だったので会いに行くこともできないまま、連休の間は悶々とした気持ちで過ごした。
そして、いざ面会謝絶が解けて会いに行ったら、海翔の名前が書いてある病室に見知らぬ女子がいた。「ボクが海翔だよ、陸」なんて言うから何の冗談だと思ったし、手の込んだドッキリだと信じたかった。
でも、軽く話しただけで目の前の美少女が海翔なのだと直感的に理解してしまった。笑い方とか喋り方の癖、みたいなのがどうしようもなく海翔のままで、こういう時によくあるらしい俺と海翔だけが知ってる秘密を確認し合う必要もなかった。
それからリハビリとかで海翔は入院を続けたけど、少し前に退院。今日が女子になって初登校……という訳だ。
ちなみに、女子なのに「海翔」では今後おかしな目で見られるという事で、「海」に改名したと聞いたが、なんとなく気に食わず海翔と呼び続けている。
「ねぇ、陸」
名前を呼ばれたので声のした方に視線を向ける。
少し前までは同じくらいの目線だったのに、今は目を合わせるために海翔を見下ろさなくてはいけない。
逆に、海翔が俺を見る為には見上げる形となるが、今は恥ずかしいのか顔は正面より少し下を向けて視線だけをこっちに、つまり上目遣いでこちらを見ていた。
もう一度言うが、今の海翔は一般的に見て美少女である。その美少女が至近距離で上目遣いをしているのだ、中身が親友だと分かっていても心臓に悪い。
「どうした」
「制服……おかしくないかな」
巻かれているタンポポの花の色をしたスカーフを指で摘まんで持ち上げながら聞いてくる海翔。不安からなのか、その瞳が揺れているように見える。
今日は海翔が女子になってから初めて学校に行く。事情はもう担任の先生から話してくれているのだが、やはりどう見られるのか不安なのだろう。
「そうだな、馬子にも衣装って感じだな」
「……それ、ほめてないよね?」
うちの高校の夏用のセーラー服はデザインが女子からかわいいと好評らしく、それだけを志望動機にしてしまう人もいるのだとか。そんな物を美少女が着ているのだ、似合っていない訳がないのだけど、海翔の緊張をほぐそうとわざと茶化してみた。
……決して照れ隠しではない。
「まぁ、おかしくはないと思うぞ」
「それならいいけど」
「笑われたりしたって大丈夫だ……俺がいるからな」
ぽかん、とした表情になる海翔。
……美少女ってどんな表情でもかわいいんだな。なんて、馬鹿な事を考えていると、溜まっていた不安を全て吐き出すように海翔が笑いだすのであった。
その笑い声も鈴が転がったような可憐な物で……あぁ、かわいいな、チクショウ。
それに体は変わったとしても中身まで変わった訳じゃないはずだ。仮に他のクラスメイトからの接し方が変わろうと、俺くらいは今まで通りにした方が海翔も安心するだろう。
「陸がいてどうにかなるの? 不安だなぁ」
ひどい言われようではあるが、内容に反してその声は弾んでいた。
「味方がいるだけで安心できるだろ。何かあったら俺のところ来い、今まで通りの感じで接してやるから」
「なんだそれ、そこは普通は『俺が守ってやる』とかでしょ」
できる限りのことはするつもりだけど、どこまでできるかはわからない。それに今の海翔に近付きすぎると、これまでの関係性が変わってしまう気がして。
「……そこまで言いきる自信はないんだよ」
「かっこわる~」
そう言ってけらけらと笑う海翔。その澄んだ笑い声は聞いてて心地良い。どうやら少しは不安を払拭出来たようだ。良かった。
「……でも、ありがとね」
「……おう」
小さく聞こえたお礼は、もしかしたら独り言だったのもしれない。でも、聞こえた以上は応えない訳にはいかなかった。
その時に見た海翔の横顔はほっとしたかのように微笑んでいて、心なしか赤くなっているように見えて。
こいつは俺の親友で、元は男なんだということは分かっていながらも……それを見た俺の心臓は、ドクンと一度高鳴った。
明日から一日一話ずつになります