06 誤解
ラインゼルはサラを連れて町に戻ると、彼女にクッキーを渡して路上で待つように伝えて、ケーキやクッキーを売っている人気の菓子店に立寄った。
店内に漂う甘い香りを吸い込んだラインゼルは、カスタードの詰まったシュークリームを買い込むと、甘味中毒のサラを入店させなくて良かったと思う。
むせ返るような甘い香りに本能が呼び起こされて、店内で暴れ出したら殺すしかないからだ。
「ラインゼルから、食欲を誘う甘い香りがするのだ」
ラインゼルが自分の袖口を嗅ぐと、菓子店の店内に充満していた残り香が匂っている。
「ラインゼル、ちょっとだけ顔を舐めても良いか?」
「大型龍は冒険者を捕食するらしいし、良いわけないでしょう」
「私は、人間よりクッキーが良いのだ」
サラは道を行き交う人々に目もくれず、クッキーの空箱を逆さにして食べカスを手に集めていた。
紫色ダンジョン最深部で、魔素と水だけで育ったサラは、人間の味を知らなければ、甘味の味の虜なので、ラインゼルは当面、彼女が人間を襲わないと思うし、そんな事態になれば首枷を使って瞬殺するつもりだ。
「それでクッキーより素晴らしき物とは、いったい何なのだ?」
「立食いも品がないし、クエスト達成の報告もあるから酒場に行こう」
「酒場とは、酒を飲む店だな」
「箱入り娘なのに、そういう知識はあるのですね」
「ふふ、竜族は血の記憶で知識を継承しているから、経験がなくとも情報通なのだ」
「先代の経験や記憶も継承するのですか?」
「いいや、知識だけだ。酒を飲めば酔っ払うと知っているが、酔っ払うという経験が継承されるわけではない。同様に祖先が人間と戦ったと知っていても、どうして戦っていたのかまで解らない」
「そうか、何も経験しないまま千年間も一人では、退屈で仕方ないですよね」
「確かに退屈していたが、私は卵から生まれてから千年間、ほとんど寝て過ごしていたからな。目が覚めると、百年過ぎていたなんてよくあることだ」
「百年間も寝ていたと、どうして解るのですか?」
サラは目が覚めているとき、いつも鱗の年輪を数えていたらしい。
それに話を聞けば、炎龍の年齢を人間に換算すると、百年で一歳なので、サラは人間の年齢だと十歳の子供だった。
「なるほど、だから騙されやすいのか」
「ラインゼル、何か言ったか?」
「何も言ってないですよ……。あ、ところでサラは、人間以外にも変身できますか?」
「人化は、竜族だった頃の名残だ。他の生き物には、変身できないぞ」
「それは良かったです」
「良くないわ。人化をすれば、爪と牙を攻撃に使えないし、翼がないから飛べないし、そもそも尻尾がないから歩きづらい」
人間は生まれてから、ほとんど頭の大きさが変わらないが、サラがネズミのような小動物に変身できるなら、首枷が外れてしまう。
ラインゼルは、人間に化ける大型龍がいると聞いていたが、人間以外に化けられないと書いた書物がなかったので、少し心配していた。
◇◆◇
酒場に到着したラインゼルは、店内を物珍しそうに見ているサラを席に案内して、ダンジョンの構造図を描き記した筒をハミルのところに持って行く。
「ラインゼルさん、ずいぶんと可愛らしい女の子を連れていますね。紫色ダンジョン探索のクエストを受注したくせに、女の子をナンパしていたのですね」
「え? ああ、サラは、僕のパーティーに参加させようと思っているのです」
「ラインゼルさんは、あんな幼い女の子をパーティーに加えるなんて、女たらしのアルフォート様に似てきたのではありませんか?」
なぜかハミルの機嫌が悪い。
「ハミルさん、サラの見た目に騙されちゃいけません。ああ見えて、彼女は凄いのです」
「ナニが凄いのかしら」
「サラのナニが凄いって、暗がりで口を使ったり、手を使ったり、本当に凄いので、ハミルさんにも見せてあげたかったです」
「見たくありません! ラインゼルさんの変態!」
パチンツ!
涙目のハミルは、カウンター越しにラインゼルを平手打ちした。
ハミルの誤解が解けたのは、頬を腫らしたラインゼルが紫色ダンジョンの構造図を納品して、ちゃんとクエストを達成した解ったときだった。
「わ、私はっ、てっきりラインゼルさんが働かないでっ、女の子をナンパしていたと勘違いしてしまいました! ごめんなさい!」
「いいえ、疑いが晴れたなら良いです」
ラインゼルは赤く腫れた頬を撫でており、ハミルは、彼を拝みながら何度も頭を下げていた。
「本当にごめんなさい!」
「僕は、叩かれ慣れていますので、そんなに恐縮しないで大丈夫です」
「ラインゼルさん、そんなの慣れちゃ駄目ですよ」
「そんなことよりメンバー募集の広告を出したいのですが、後で相談に乗ってもらえますか」
「もちろんです」
「込み入った話があるので、できれば個室を用意してください」
「え?」
「ああ、二人きりじゃなくて、サラも加えて三人です」
「いきなり三人ですか……」
「え、えっちな話ではないですよ!」
ラインゼルは十六歳で成人しているが下戸なので、食前酒にワインを一杯だけ注文すると、ランチプレートにパンと主菜を乗せて、頬を撫でながらサラの待っている席に戻った。
「うひゃひゃひゃ、貴様が獣人族の雌に殴られるところ見ていたぞ! 私は、貴様を殴れないから愉快だ! 痛快だ!」
……。
「なんだよ?」
「僕は、サラとの関係を誤解されて叩かれたのに、腹を抱えて笑うなんて失礼です」
「あの獣人族の雌は、ラインゼルが好きなのか」
「え、ハミルさんが?」
「ラインゼルは、私との関係を誤解して叩かれたのだろう。獣人族の雌は今、嫉妬と不安を孕んだ視線を送っている」
「サラは恋をした経験もないのに、そんなこと解るのですか」
「私には、豊富な知識がある。あの獣人族の雌は貴様を見るとき、鼻頭と目の下に薄っすら赤い文様が浮かぶし、尻尾を高く上げているだろう。あれは獣人族の雌が、雄に生殖可能だとアピールしているのだ。あの獣人族の雌は間違いなく、貴様に発情しているぞ」
「ハミルさんが、僕に発情しているのですか!?」
酒場のハミルが発情周期に異性のラインゼルを見て発情しているのは、獣人族が子孫を残すための生理機能なので、彼女が好色なわけではない。
念の為。
「獣人族の発情周期は年単位、少ない好機を活かすために発情中の雌との交尾は、男の精を絞り尽くさんとする手練手管で、上に下に凄いことになるらしい」
サラも祖先も獣人族の交尾を見たことがないので、単なる噂であり、真偽の程は不明だが、行為中の鳴き声は大きく近所迷惑である。
念の為。
「ハミルさんのイメージは、清楚で面倒見が良くて、気さくに話せるお姉さんなのです。龍年齢十歳なのに、僕に抱かれて結界から逃れようとした痴女と一緒にしないでください」
ラインゼルが肩を竦めると、サラの顔は真っ赤に染まった。
「あのときはっ、貴様の気を引いて殺そうとしたのだ! 知っているかラインゼル、交尾は男女の肌を密着せねばできないのだぞ!」
「それくらい知ってますよ」
「それに私は、処女だから痴女ではないぞ!」
「サラは処女なのに、そっち方面の知識が豊富なんて、むっつり助平ですね」
「そっち方面ばかり考えているわけではないぞ! ラインゼルを、どうやって出し抜いてやろうかとか、クッキーより素晴らしき物とは何なのかとか−−」
「あ、そうでした」
ラインゼルが菓子店で購入したシュークリームが詰まった箱を開けると、カスタードクリームの甘い香りが漂ってくる。
「ラインゼルッ、この悪魔的に芳しい香りの芋は何だ!?」
博識を気取るサラだが、祖先が知らなかったシュークリームの知識を持ち合わせていないようだ。
「焼いた生地にカスタードクリームを詰めた菓子、シュークリームです」
「シュークリィーム〜、おお、なんと胸を打つ響きなのだ。とくにカスタードクリィーム〜、シュークリィーム〜、この『クリィーム〜』の響きには、無限の広がりを感じるぞ♡」
目をハートマークにしたサラが、シュークリームを一つずつ吟味しながら食べ始めたので、ラインゼルも食前酒に口をつけて遅い昼食にした。
サラが指に残ったクリームを舐めとる仕草や、甘味を頬張って恍惚の表情を浮かべても、明るい店内で見れば幼い子供が、シュークリームを食べて喜んでいるだけで、男に媚びた黒魔道士ルルカの食べ方と対照的である。
「僕には、一つ下の妹がいたのです。彼女も甘いものに目がなくて、サラのように美味しそうに食べるのですよね」
「これは、私が全部もらったシュークリームだから分けてやらんぞ」
「本当に、よく似ています」
ラインゼルは、サラに亡くした妹の容姿を要望しているのだから、二人の面影が重なるのは必然だった。
食前酒のグラスを飲み干したラインゼルは、酒場の窓から故郷があった空を見上げて感慨に耽っている。
ラインゼルの故郷は、結界師だった彼が町を留守にしているとき、結界内に魔界と繋がった藍色ダンジョンが出現して、そこから溢れ出したモンスターの襲撃で壊滅してしまった。
故郷がモンスターに襲われたとき、あの場に結界師が何人いても町を守れなかった。
その想いがラインゼルが結界師でありながら、魔王討伐に執念する理由である。
髪と瞳以外は、妹と面影が重なるサラを前にしたラインゼルは、初心を思い出して覚悟を決めた。