05 素晴らしき物
ラインゼルは紫色ダンジョンの構造図を描き終えて、最深部の部屋を出るとき、サラを連れたままでは結界を張れないことに気付いた。
「どうしたラインゼル、人間界に行くのではないのか?」
「サラと一緒だと結界を張れないので、どうしたものかと考えているのです。結界は重ね張りができないので、首枷を付けたサラは、僕の張る結界領域に入れません」
ダンジョンを歩き回った結果、出口までは落とし穴で飛ばされた二つの小部屋以外にも、冒険者の行く手を阻む中型以上のモンスターが配置されている小部屋がいくつかある。
どの小部屋も、結界を張りながら進むラインゼルが到着する前に、モンスターが出ていくので遭遇しなかったが、彼が結界を張らずに戻れば、強敵に出会ってしまう可能性があった。
「襲ってくる連中は、皆殺しにすれば良いではないか」
「ついさっきまで味方だったのに?」
「私は先代の残した卵から生まれて千年間、ラインゼルが来るまで、ここで寝こけていただけだ。部屋の外にいる連中とは、顔を合わせたことすらないわ」
「サラは、どうして紫色ダンジョンの主なんてやっていたのさ?」
「ラインゼルは、どうして結界師なんだ」
「うちは代々、結界師の血筋だったし、結界師は生まれ持った素質だから仕方ないのですよ」
「では、迷宮の統治者は先代からの仕事で、私が炎龍に生まれたからだ」
「なるほど」
ダンジョンの主だった竜族のサラだが、魔族の王である魔王に忠誠を誓ったわけでもなく、ただ先代から引継いだ仕事で侵入者ラインゼルと戦おうとしたなら、他のモンスターを倒すことにも躊躇いがないのかもしれない。
酒場のハミルたち獣人族だって魔界の住人だったのに、冒険者になったり、クエストを斡旋したり、モンスターたちと反目している。
魔界の住人であっても知性体の場合は、モンスターと違って人間との共存が可能なのだろう。
「僕は前方だけに結界を張るので、サラは横道や後方から襲ってくるモンスターを倒してくれますか? 結界が全方位ではないので、やり過ごしたモンスターに攻撃されるはずです」
サラは火の粉混じりの鼻息をもらすと、赫灼たるツインテールを手で掻き上げる。
「ラインゼル、私は爪と牙を失っても、炎龍の強さを失っていないつもりだ」
ラインゼルは、炎龍としてのプライドも失っている気がしたが、余計なことを言うと、サラがへそを曲げそうなので言葉を飲んだ。
「サラ、出発するよ」
「ああ、私の始祖である竜族は、魔族より上位の神性として崇められていたのだ。紫色迷宮のモンスターと言えども、私が仲間になったのだから大船に乗ったつもりで進むが良いぞ」
「はいはい」
ラインゼルが指を組んで呪印を刻むと、自分たちの数メートル先に結界を張った。
結界はラインゼルの進行方向に合わせて、領域を変えずに進んで行くので、前方にいるモンスターたちは、筒に押し込んだ棒で押し出されるように、横穴や壁の窪みに逃げるしかない。
問題は、横穴や壁の窪みに退避したモンスターが、結界が通り過ぎた後、ラインゼルとサラの横や背後から襲ってくることだ。
「紫色ダンジョンの深部には、実力差を考慮しない物質系のモンスターが多いから気を付けろ」
「物質系なら知っているぞ! ガーゴイル、ゴーレム、クリスタルナイト、主なき剣だろう。見たことはないが、私には血の記憶があるので、戦い方なら知っている」
最悪の場合、サラを見殺しにして、ラインゼルだけなら前方に張った結界に逃げ込めるのだが、首枷を付けて強引に連れ出した少女を、見捨てるわけにもいかないから困ってしまう。
「グゴゴゴゴッ」
「サラっ、ゴーレムです! 全力で戦ってください!」
「焼き尽くせ灼熱の息」
唇に人差し指と中指を当てたサラは、横穴から襲ってきたゴーレムに、投げキッスのような仕草で火炎を吹くと、吹き掛けた火炎がゴーレムの腹に風穴を開けた。
サラの吹き掛けた火炎は、腹に穴の空いたゴーレムの背後にいたゴーレムやガーゴイルを数体貫いて、突き当りの壁に打ち当たると、高温に耐え兼ねた岩石が気化して誘爆する。
ドカーンッ!!
「ぶはははッ、我が灼熱の息はマグマより熱くッ、ゴーレム如き一吹きで岩石蒸気としてくれるわ!」
ラインゼルは結界に飛び込んで爆風から逃れると、足元の石を拾って、高笑いしているサラに投げ付けた。
「アホかッ!」
「いて、いて……。こらこら、痛いから石を投げるな。私が怪我をしたら、どうするのだ?」
「僕はッ、サラの攻撃に巻き込まれて死ぬところだったのですよ! サラは手加減を知らないのですか!?」
「ラインゼルが、全力で戦えと命令したんだろう? それに連中だって紫色迷宮の深部にいるモンスターだから、手加減したら負けるかもしれないぞ」
「負けませんよッ、一撃でゴーレムの群れを消し飛ばせるなら負ける要素がありませんよ! アホですか!」
「むぅ〜、勝ったのに怒られるの理不尽〜、勝ったのにアホとか言われるの理不尽〜」
サラが口を尖らせると、ラインゼルも言い過ぎだったと反省して、背嚢から携帯食として持参していたクッキーを取り出した。
「次からは、僕を巻き込まない程度に手加減してくださいよ」
「なにそれ? 物凄く甘い香りがする」
「焼き菓子のクッキーを知らない?」
「私は生まれてから、魔素と水しか口にしたことないからな」
「食の楽しみを知らないとは……、ずいぶん不憫な生活でしたね」
「くれるのか?」
「ゴーレムを倒したご褒美です」
「おお、モンスターを倒すと褒美がもらえるのか! 冒険者を倒しても何ももらえないから、ラインゼルの仲間になって得したのだ!」
サラは金銀財宝の上に寝ていたのだから、物の価値を理解しているのかと思ったが、クッキーを手にして喜んでいるので、知識として身に付けていても、金塊や財宝が何を意味するのかまで知らないらしい。
サラはツンと上向いた鼻の穴を広げて、もらったクッキーの甘い香りをクンクンと嗅いでおり、口に溜まった唾液で襟元を汚していた。
「クッキーとは素晴らしき物だな、この芳しい香りを嗅いでいるだけで身体が蕩けてしまいそうだ」
サラは桜色に頬を上気させて、だらしなく開いた口から垂らした舌でクッキーを舐めており、目は快楽に浸り焦点が合っていない。
ラインゼルからクッキーをもらったサラは、まるでマタタビを与えられた猫のようだった。
「ラインゼル〜、クッキーはもうないの〜、クッキーちょうだ〜い、クッキーあるんでしょう〜」
甘味を覚えてしまったサラは、クッキーを食べ終えた途端、酒を切らしたアル中患者のように、ラインゼルの背嚢に縋りついた。
「ないこともないですが、町に戻るまでお預けです」
「なんだとッ!」
「クッキーは貴重な品(噓)なのです」
「これほど素晴らしき物だから、きっと貴重な品なのだろうな」
「残りのクッキーは、町に送り届けてくれたとき、ご褒美としてサラに全部あげます!」
「貴重な品なのに、私が全部もらって良いのか!?」
「全部あげます! 町に戻ったら、もっと素晴らしき物をあげます!」
「も、もっと素晴らしき物だと……それはクッキーより素晴らしき物なのか?」
「人間界には、クッキーなど足元に及ばない菓子があるのです」
「おっふ」
サラの目にハートマークが浮かぶ。
ラインゼルがサラの部屋から持ち帰る金塊一本があれば、死ぬまでクッキー三昧でもお釣りがくるのだが、物の価値を把握していない彼女は、俄然ヤル気になったようだ。
「ラインゼルは結界を張って、私の後から着いてこい。前方にいるモンスターは、私が掃討してやろう」
「身の危険を感じるので、そうさせてもらいますね」
「クッキーへの覇道を邪魔する者あれば、これを我が拳をもって排除する」
ラインゼルが、サラの背後に立って結界を張り直すと、進行方向の暗がりから、モンスター軍団が堰を切ったように襲ってきた。
「グゲゲゲッ!」
「赫灼の魔手ッ!」
サラは輝く手で、飛び掛かってきたガーゴイルの頭を掴むと、顔面に指をめり込ませて融解する。
「グモモモモーッ!」
「爆散飛び膝蹴り!」
サラの飛び膝蹴りを喰らったクリスタルナイトが、クリスタルの砕ける音とともに爆散した。
「ギシャシャッ!」
「ラインゼル、埒が明かないからアレを使うぞ」
「アレとは……、アレか!?」
ラインゼルは横穴に飛び込むと、頭を抱えて姿勢を低くした。
「焼き尽くせ灼熱の息」
「やっぱりソレか!」
ドッカーンッ!
魔力系の攻撃効果を無効化する結界だが、サラの火炎で岩石蒸気と化した物質系モンスターが誘爆すると、ラインゼルを熱波と飛散した瓦礫が襲う。
「ソレはっ、もう二度と使わないでください!」
ラインゼルがサラの胸元を掴んで前後に揺すると、彼女は『敵は全滅させたぞ』と、誇らしげに進行方向を指差した。
サラの最大火力である灼熱の息の爆発により、ダンジョン出口周辺までのモンスターは虫の息である。
「さあラインゼル、早く町に連れて行くのだ。そして、もっと素晴らしき物を捧げるが良いぞ」
ラインゼルは、死屍累々のモンスターたちを前にして、笑みを浮かべている炎龍だったサラを見て、町に連れ帰ることを少しだけ後悔した。
見た目が少女のサラは、頭の程度が知れているものの、魔界に繋がるダンジョン最下層で、暗黒魔界の門番をしていた大型龍である。
サラの逆鱗に触れることがあれば、国が滅ぶ大惨事になるかもしれないのだ。