04 炎龍サラ
炎龍は、背を反らせて大きく生きを吸い込むと、結界の外にいるラインゼルに向かって灼熱の息を吹き掛けるのだが、やはり見えない結界に阻まれて、跳ね返された炎で結界内が燃え盛った。
「クソッ、灼熱の炎でも駄目か!」
炎龍は後ろ足で立ち上がると、長い尻尾を撓らせて結界を叩きつけたり、鋭い爪で四方八方を斬り付けたりしたが、結界は物理的な障壁ではないので傷一つつけられない。
結界に閉じ込められたと理解した炎龍は、檻の中の猛獣のようにラインゼルと視線を交わしながら、結界内を歩き回っていた。
「ふふふ、お前の結界は、私の力では破れないようだ」
「出会い頭に攻撃されていたら、僕に勝ち目はありませんでした。結界に巻き込んだのが、言葉が通じる炎龍さんで良かったです」
「私は竜族の血が濃いから知能と知性が高く、言葉を話すなんて取るに足りない。蜥蜴との混血が進んだ火龍とは、住んでいる世界が違うのだ」
炎龍が問答無用でラインゼルを攻撃していれば、戦闘力が皆無のラインゼルは、一瞬で殺されていただろう。
竜族の末裔である大型龍にも人語を解さない種類がいるので、ラインゼルの遭遇した炎龍に言葉の通じたのは幸いだった。
「この炎龍を追い詰めた冒険者の名前を聞かせろ」
「ラインゼルです」
「なあラインゼル、ここにある財宝を好きなだけやるから、この結界から出してくれないか? ここには、志半ばで死んだ勇者たちから奪った伝説の武具や、人間が一生遊んで暮らせるだけの黄金がある」
「結界を解いて殺されたら無意味ですよ」
「私は、ラインゼルに敗北を認めたのだ。貴様が逃げるまで、襲わないと誓おうではないか」
敗北を口にした炎龍だったが、よほど苛ついているらしく、赫灼たる鱗が不規則に波打っていれば、耳まで裂けた口角をピクピクさせている。
それに口では、ラインゼルに負けを認めているものの、逃げるまで襲わないと言っているのだから、背後から追い掛けて襲うつもりがあるのだろう。
「アイテムは呪われているかもしれないし、金塊なら結界の外にも転がっているから、わざわざ炎龍さんにもらわなくても良いです」
ラインゼルは背負っていた大きな背嚢を下ろすと、金塊を詰めるために荷物を整理している。
炎龍は、紫色迷宮の最深部に単独で挑んだ冒険者が、暗黒魔界の番人である自分を無視して、帰り支度を始めたので肩を震わせながら憤っていた。
ここでラインゼルを無傷で帰してしまえば、魔界で『キングオブドラゴン』と呼ばれる炎龍の名声に傷がつく。
「ちょっと待てっ!」
「何ですか?」
竜族の末裔である炎龍は、魔族の王に義理立てする義務がないのだが、ラインゼルを生きて帰せば、代々継いできた炎龍の名を汚すのだ。
「ラインゼルは、まだ子供だな」
「僕は、ことしで十六歳の成人ですよ」
「年頃の話ではないぞ。女を知らぬ子供だろうと、私は言っているのだ」
ドキっ!
「ラインゼルは今、私の言葉に動揺しているのだから、女との交尾に興味があるのだろう」
「ば、ば、はかじゃない!? べ、べ、べつに動揺なんかしてないしぃ〜、そ、そ、そんな女の子に興味なんてないしぃ〜」
「男が好きなのか?」
「バカじゃない! 僕は、男に興味ないですよ!」
「では女だな」
「はい」
ラインゼルが帰り支度の手を止めたので、炎龍は『では提案がある』と、自分に手を向けて煽った。
「私を結界から出してくれるなら、ラインゼルが理想とする女を一晩中、好きなだけ抱かせてやるぞ」
「本当ですか?」
「ああ、本当だ。ラインゼルが理想とする女を聞かせてくれ、その望みを叶えてやろう」
巨大な頭を下げた炎龍は、俯いたラインゼルの顔を覗き込んだ。
「そうだ……いや、やっぱり駄目だ……あれならいける……倫理的には……これならやれる……いつやるんだ……今でしょう」
ラインゼルは目を見開いており、ぶつぶつと言葉にならない何かを呟いて、炎龍の提案を受け入れて理想の女を抱くのか、それとも提案を無視して帰路につくのか、葛藤している様子だった。
「ラインゼル、理想の女を見てから決めたらどうだ?」
炎龍は『絶対に損はさせない』と、まるで娼婦館の呼込みのように、悩んでいるラインゼルの背中を押している。
「炎龍さん、ちなみに理想の女というのは、どの程度のリクエストが可能なのでしょうか?」
炎龍は『身長、体重、年齢……、容姿が気に食わなければ、いくらでも変身してやろう』と、誘いに乗ってきたラインゼルを見て微笑んだ。
ラインゼルも成人していれば、異性の身体には人並みに興味があるらしい。
「では、見てから決めます」
「それで良い」
ラインゼルは、本能に逆らえなかったようだ。
「色白で身長は、僕の胸の高さ辺り、年齢は、僕と同い年か若干歳下で、巨乳には良い思い出がないのですが、全くないのも楽しめそうにないから、手の平に収まる程度でお願いします」
「色白で低身長、年齢は十六歳より歳下で、乳房はお椀型の微乳だな」
「いいえ、微乳より少し大きいくらいです」
「解った」
「それから、目は大きくて目端がつり上がって、鼻はツンと上向いて、下唇が厚く小さい方が良いですね」
「大き吊り目に上向いた鼻、唇は−−」
「あとは髪色と瞳は、淡いブルーが良いです」
「あーッ、そんなに一度で覚えられるか!」
「す、すいません」
「とりあえず一回、ラインゼルの要望通りに人化してやるから待っていろ」
炎龍が後ろ足で立ち上がれば、ラインゼルの上背より5倍以上の巨体だったが、全身を覆っていた業火が消えると、長かった首や手足が縮まり、胴体も空気の抜けた風船のように萎んだ。
「ぐおぉぉぉッ!」
炎龍の巨体が少女の姿を形作ると、赫灼たる鱗は次々に重なり合い、顎下の小さな一枚だけ残して消え去った。
「ラインゼル、私は理想の女だろう」
「う〜ん」
「これがラインゼルの理想の女なんだろう!」
全裸の少女が、結界の内側で両手を腰に当てて、得意顔でふんぞり返っている。
少女の年頃は十四、五歳、お椀型の乳房は可愛らしく、勝ち気で生意気そうな人相と幼児体型の対比は、まさにラインゼルの要望した少女ではあった。
しかしツインテールにまとめた髪色は、赫灼たる炎のように赤く揺らめいており、瞳の虹彩も同じく赤で、縦に切れ込んだ縦瞳孔は大型龍のままである。
「髪色と瞳は、淡いブルーとリクエストしたはずです」
「体毛と目の色は、人化しても変えられないのだ」
「外せない要素だったので、チェンジでお願いします」
「チェンジ!?」
淡いブルーは、勇者パーティーを追い出された夜、ラインゼルの傷を治癒魔法で回復しようとしてくれた白魔道士リアンナの髪色と瞳の色だった。
ラインゼルは、聖女のような佇まいのリアンナが忘れられなかったのである。
「チェンジできないなら、キャンセルしてください」
「私の裸を見ておいて、今さら難癖をつけて約束を破るつもりか?」
「見てから決めろと言ったのは、炎龍さんですよね?」
「言ったけどッ、言ったけどさ! 私を辱めておいてッ、このまま何もしないで帰るのか!? ラインゼルッ、据え膳食わぬは男の恥だぞ!」
赤髪の少女は声を張り上げると、丸めた背中から太い尻尾が生えたのだが−−
「あ、元に戻らない方が良いですよ。結界の範囲を狭くしたので、大型龍の姿に戻ると圧死します」
「何だと?」
赤髪の少女が手探りすると、ラインゼルの言うとおり結界の範囲は、彼女の周囲だけに狭まっており、大型龍に戻れば自分の体積に潰されてしまいそうだ。
「ふふ、語るに落ちたな。ラインゼルが結界の大きさを自由にできるなら、なぜ私を押し潰さなかったのだ。つまり結界では、私を押し潰せないのだろう?」
「そうなのですよ。結界の範囲を変更しているときは、結界としての効果がないので、結界を使ってモンスターを押し潰せないのです」
「ふむふむ」
「そんな真似ができるなら、戦闘に使うに決まっているではないですか」
「と言うことは、私が人化しているとき、結界の効果はなかったのか!?」
「はい。炎龍さんが縮んでいるとき、結界を狭めていましたからね。これで炎龍さんも小さい女の子にできたし、紫色ダンジョン最深部のお宝もゲットできるので、一石二鳥でした」
「ずるい! インチキだ! せこいぞ! ラインゼルっ、ここから出せ! そして私と戦え!」
「出したあげても良いのですが、ただし条件があります」
「おお、やはり私を抱きたくなったのか。まあ、ラインゼルは幼女趣味のようだから、全裸の少女を前にして劣情を掻き立てられたのだろう」
「いいえ、小さな女の子なら結界も小さくできるので、炎龍さんにリクエストしただけです。僕の理想は、ボン・キュッ・ボンの大人の女性です」
「最初から、これが狙いだったのか!?」
「はい。それで条件を聞きますか?」
「条件を飲めば、この結界を解いてくれるのか」
「もちろんです」
「では、条件を話してみろ」
ラインゼルが、背嚢から男物のシャツとスラックスを出すと、一糸まとわぬ少女に投げて寄越した。
「僕の着替えなのでサイズは合わないと思いますが、目のやり場に困るので服を着てもらえますか?」
「服を着るのが条件であれば、着てやらないこともない」
少女になった炎龍が胸を張るので、ラインゼルは『それが条件です』と、サイズの合わないスラックスに通すベルトと、首に巻くチョーカーも追加で結界に投げ込んだ。
少女は鼻歌交じりで袖に細い腕を通すと、手首を折り返して、白い脚をスラックスで隠すと、腰回りをベルトでしっかり留める。
「本当に服を着るだけで良いのか?」
「ええ、全部身に付けてくれたら、この結界は解除してあげます」
「男は普通、服を脱げと命令するものだぞ」
ラインゼルは『早く着替えてください』と、手を煽って急かしている。
「この迷宮最深部で産まれた私は、冒険者と戦った経験がないので、どんな奴と一戦交えるのか楽しみにしておったのだ。しかし初体験の相手がラインゼルでは手応えがないし、本当に結界を解いてくれるのなら、見逃してやっても良いぞ」
炎龍の少女は上機嫌でチョーカーを首に巻きながら言うと、ラインゼルがニヤリと笑ったので、嫌な予感がしたものの、時すでに遅しだった。
「ラインゼル、まさか約束を破るつもりではないよな?」
「僕の展開している結界は、約束どおり解除しますが、大型龍には戻らない方が良いですよ」
「どういう意味だ?」
「そのチョーカーは、僕の作った結界札なので、結界を破れなかった炎龍さんに外せません。大型龍に戻れば、首が結界札に締め付けられて落ちます」
「なんだと!?」
「結界札の首枷は本来、ゴブリンやオークなど人型モンスターの拘束具なのですが、まさか、こんなところで活躍するとは思いませんでした」
「ぐぬぬぬ……。ラインゼル、約束通り結界を解いてもらおうか」
「先に断っておきますが、拘束具の首枷は、術者の呪力で拘束したモンスターに苦痛を与えられるし、必要とあれば命を奪うこともできます」
「え〜、なにそれ〜、私は、ずっと元に戻れないではないか」
「僕は臆病なので、ちょっとでも炎龍さんが怪しい動きを見せたら、躊躇なく殺りますから気を付けてくださいね」
ラインゼルは結界を解除すると、呪われているかもしれない武具などを無視して、すぐに換金できる金塊を背嚢に詰め始める。
炎龍だった少女は戦う気力を削がれると、金銀財宝の山に腰を下ろして、ラインゼルの帰り支度を眺めていた。
「さて、町に戻るなら炎龍と呼ぶのは、さすがに不味いですよね。炎龍サラ……、今から炎龍さんを『サラ』と呼ぶことにしましょう」
「はあ?」
「サラは今後、僕の旗揚げする冒険者パーティーで雇ってあげます」
「なんで私が、ラインゼルのパーティーに参加しなきゃならんのだ!?」
「術者の僕が、サラの目の届かないところで殺されたら、その首枷が一生外せなくなるのです。僕は構わないけど、サラは良いのですか?」
「それは困るが、私は魔界の住人だぞ」
「クエストを発注している酒場のスタッフも、もともと魔界の獣人族だし、人間界で暮らしている亜人の祖先は、魔界からの移住者です。こちら側につくか否かは、サラさん次第ではありませんか」
「うむ……、そういうものだろうか」
「どうせ退屈しているみたいだし、モンスター相手なら、いくらでも戦えますよ。それに改心したと分かれば、首枷も外してあげます」
炎龍だった少女サラは、背嚢を背負ったラインゼルが最深部を出ていけば、いつくるか解らない勇者を待ちながら、暗い部屋に一人残される。
「ラインゼルが土下座して頼むのであれば、貴様のパーティーに参加してやろう。戦わずしてキングオブドラゴン炎龍を屈服させた貴様となら、きっと退屈しないだろうからな!」
サラが腰に手を当てて尊大な態度を取ると、ラインゼルが近付いて胸ぐらを掴んだ。
「頭を下げるのは、サラではありませんか? 僕は、こう見えて上下関係に厳しいのです」
「は、はい……そうですね」
ラインゼルの目が笑っていなかったので、サラは失禁しそうになった。
サラは、この部屋で生まれ育っており、先代から様々な知識を引継いでいるものの、生きた人間と対峙するのが初めてだったので、ラインゼルの瞳に宿るどす黒い闇を見て恐れをなしている
「もう一度、ちゃんと言い直してください」
「ラインゼル……、私を貴様のパーティーに入れてください」
「まあ良いでしょう」
「あ、ありがとうございます」
ラインゼルの瞳に宿るどす黒い闇とは、散々尽くしてきた勇者アルフォートが、まだ参加したばかりだった騎士公爵の御令嬢ではなく、最古参の自分をリストラしたことに起因していた。