03 千年に一人の逸材
紫色ダンジョンに潜入したラインゼルは、自分の周辺に結界を貼りつつ、坑道のようなダンジョン内を歩き回って、羊皮紙に構造図を描き記している。
「結界のおかげでモンスターには遭遇しないけど、落とし穴に二回も飛ばされちゃった」
深層に近いダンジョンには、落とし穴と呼ばれる不可視化された魔法陣が埋設してあり、踏んだ冒険者を中型以上のモンスターが待機している小部屋に空間転移する。
落とし穴は魔法系のトラップなので、教会で洗礼を受けた勇者や魔導師なら見破れるのだが、呪術系の結界師ラインゼルは、剣士や戦士と同様に見えなかった。
モンスターを寄せ付けない結界師だが、落とし穴の先に大型龍やゴーレムが待ち構えていたり、結界を再展開したとき、小部屋の周囲にいるモンスターを内側に閉じ込めると、モンスターたちと戦闘しなければならないので、ダンジョン探索のクエストを単独で受注するのが困難である。
「ルルカさんは、たいして活躍しなかったけれど、落とし穴を見つけてくれたし、僕がメンバー募集するときは、まず魔法使いからだな」
落とし穴は通常、進行方向の先にある小部屋に空間転移するので、構造図を描いているラインゼルが道に迷うことはなかったし、幸いなことに小部屋にいるはずの中型以上のモンスターは討伐済みで、彼がモンスターに襲われることがなかった。
「しかし小部屋のモンスターが討伐されていたから、他の入口から入ってきた先行者がいるのは間違いないし、この辺りの構造図を持ち帰っても、はした金しかもらえないのですよね」
ラインゼルは、落とし穴の場所や通ってきた道を描き加えた構造図を丸めて筒に入れると、大きな背嚢を背負い直して先を急いだ。
酒場のハミルには、単独でクエストに挑む結界師がパーティーを旗揚げすれば、物好きな冒険者が応募してくるかもしれないと言われて、紫色ダンジョン探索に挑んでいる。
ラインゼルが探索済みの構造図を持ち帰っても、新たなダンジョンの入口が、どのダンジョンと繋がったのか解るので、酒場から小遣い程度の報酬がもらえる。
しかし開拓済みの構造図を酒場に納めた程度では、ラインゼルの名前が知れ渡るほどの手柄とならないので、最深部と言わないまでも、せめて先行者が未到達の区画まで構造図を作らなければならなかった。
「あ?」
間の抜けた声を出したラインゼルの足元には、光り輝く魔法陣が浮かび上がる。
ラインゼルは落とし穴に飛ばされないように、壁際を選んで慎重に歩いていたものの、そんな冒険者の心理をついて埋設された魔法陣を踏んでしまった。
ドサッ!
「いてててっ、二度あることは三度あるですね」
落とし穴に飛ばされたラインゼルは、尻もちをついて地面に座り込んだ。
ダンジョン内は薄暗く発光しており、松明がなくても視界が効くのだが、ラインゼルが飛ばされた小部屋は、明かりが落ちており、部屋の中央に何かを積み上げて作った小山が、薄っすらと見えるだけだった。
「やけに暗い部屋だな……。明かりをつける前に、念の為に結界を張っておこう」
両手を左右に伸ばしたラインゼルは、小部屋周囲のモンスターを巻き込まないように、部屋の広さをイメージしながら腕を前に伸ばして指を組んだ。
張られた結界が部屋を包み込むように、ラインゼルを中心にして発光すると、先ほど暗闇に見えた小山が、光を反射してキラキラと輝いた。
部屋の中央にある小山は、金銀財宝を積み上げて作られており、この小部屋は、冒険者から奪った軍装品や金品、モンスターが町から収奪した財宝を隠すアイテム収集庫らしい。
アイテム収集庫は、最深部にあることが多いのだが、ラインゼルの飛ばされたのが最深部だとすれば、このダンジョンの主が棲んでいるはずだ。
「あ、あわわ、あわわ……。先行者がいたのに、なぜ戦利品が残されているんですかね……。つまり、そういうことなのでしょうか」
ラインゼルが耳を澄ませば、ジャラジャラと小銭を踏み締めるような音が聞こえるし、目を凝らせば小山の頂上付近には、もう一つ小ぶりの山が動いている。
「私の部屋まで辿り着いた冒険者は、お前が初めてだぞ」
「あわわ、あわわ、す、すみませんでした。す、すぐに帰るので、許してください」
「私を千年の眠りから目覚めさて、生きて帰れると思うのか? さあ、勇敢な冒険者の顔を見せてもらおう」
小部屋の壁が光ると、金銀財宝の山には、炎のように揺らめく赫灼の鱗に覆われた大型龍が鎮座しており、指を組んだまま後退りしているラインゼルを見下ろしていた。
ラインゼルは大型龍を見て震えており、大型龍はラインゼルの他に冒険者がいないか探していた。
「ひぃーッ、炎龍だ!」
「ま、まさか一人で紫色迷宮の最深部まで来たのか!? しかも、そんな普段着みたいな装備で!?」
炎龍は困惑した。
紫色迷宮は魔界の最終関門であり、これより先に進めば魔王の棲む暗黒魔界である。
しかし炎龍の前にいる背嚢を背負った冒険者は、武器を手にしていなければ、単なる荷物持ちのような服装だった。
そんな冒険者が、どうやって紫色迷宮の最深部に単身乗り込んできたのか。
「いやいや、どうやら貴様は迷宮で仲間を失って、たった一人になってしまったようだな」
「いいえ……。僕は、単独できました」
「うそぉだッ、貴様のような顔も平凡なら何のオーラも感じない男がッ、どうやって一人で紫色迷宮の最深部に来られるんだ!!」
炎龍から距離を取ったラインゼルは、指を組んでいた手を開くと、額から流れた冷や汗を袖で拭った。
「結界内にモンスターを巻き込んで、一時はどうなるかと思いましたが、結界の外に出てしまえば怖くないですね」
「うん?」
「僕は結界師なので、結界を張りながらダンジョン探索しているのですよ。魔界の住人であるモンスターは、僕の張った結界を越えられませんからね」
ラインゼルは結界の外出ると、金銀財宝の山から向かってくる炎龍を見据えている。
ズンッ、ズンッ、ズンッ……
ラインゼルが故郷で『千年に一人の逸材』と、呼ばれていた理由は二つある。
結界師は通常、結界札を使わない限り、自分を中心にして結界を張るので、ラインゼルのように中心から離れることができなければ、結界を維持したまま外に出ることができない。
「あはははッ、貴様はッ、竜族である私をモンスターだと思っていたのか! 私の爪は溶岩を切り裂きッ、灼熱の吐息で森を焼き尽くすのだ! 貴様のような間抜け面の男に捕まるわけがないだろう!」
ズサッ!
炎龍は振り上げた鋭い爪で、結界の外にいるラインゼルを斬り裂こうと、勢いよく振り下ろしたものの、見えない壁に阻まれて届かなかった。
「僕の結界は完璧です」
結界師の結界強度は、生まれ持った素質に加えて、術者の積上げた技量により決まるのだが、ラインゼルの血筋は代々、故郷の町を守る結界師を生業としており、その子孫である彼は、生まれ持った素質がずば抜けている。
「そんな馬鹿な……、私の爪は溶岩でさえ切り裂けるのだぞ」
「でも、僕の結界は破れません」
そしてラインゼルには、人並み以上の素質に加えて、魔王を絶対に倒すという覚悟で、辛く苦しい修行に耐え抜いた。
ラインゼルが千年に一人の逸材と呼ばれる理由は二つあり、一つは結界師の血筋と、どこにでも結界を張れる生まれ持った素質で、二つは常人ならば逃げ出すほどの修行に耐え抜いた根性を持っていたことだ。