26 人として当たり前のこと
サンバード家が大勢の冒険者を雇う理由が、来たるべき魔王との戦いに備えてのことであれば、彼らが知性体のモンスターを拉致監禁している理由にも察しがつく。
魔族とモンスターの交配により誕生した淫魔や小鬼姫は、魔族の指揮下で働いているものの、魔王の精神支配を受けず、人間界に寝返れば戦力として申し分ない。
雇われ冒険者を率いている死霊使いグァラの口ぶりでは、防戦一方の中央政府に業を煮やしたサンバード家は、魔王軍に対抗する私的戦力を保有して、魔界に侵攻するつもりなのだろう。
「サンバード家は、魔王軍との戦争に備えて、知性体のモンスターや魔界の住人を集めている。しかし魔王ですら精神支配できない彼らを、どうやって服従させているのですかね」
ラインゼルは独り言ちると、玄関ホールの広間に置かれたソファに腰を下ろした。
ラインゼルが、サンバード家で出会った小鬼姫を思い出せば、ゾンビは、あんなしっかりした足取りで歩けないし、呪術で魅了されているにしては、浮かれたところがなかったのが気に掛かる。
だから少なくとも、グァラの後ろにいた知性体のモンスターはゾンビではなかったし、淫夢で操られている様子もなく、まして戦力として考えているなら、薬漬けにされてもいないだろう。
「ご主人様、何かわかりましたか?」
メイド服のリリが、広間のソファに座っているラインゼルの顔を覗き込んだ。
リリの話では、サンバード家の地下室には、彼女のようにダンジョンで拉致された知性体のモンスターや、魔界の住人が監禁されている。
しかし小鬼姫の様子を思い返せば、必ずしも無理やり拉致されたモンスターだけではないのかもしれないと、ラインゼルは考えていた。
言い方は悪いが、モンスターを率いた小鬼姫や魔界の住人であれば、サンバード家が敵である彼らを捕獲して、人間界の寝返りを強要したところで、罪を問うことが難しいのである。
「サンバード家では、リリが地下牢で見た小鬼姫に会いました。僕の印象ですが、自らの意思でサンバード家に従事しているようなのです」
「小鬼姫は、首枷をしていましたわ」
「首枷はモンスターに苦痛を与えたり、命を奪ったりが可能です。小鬼姫が命を惜しめば、僕の前で演技していたのかもしれませんが……」
そうであった場合は、サンバード家の不正を問うのが、より困難になった。
なぜなら小鬼姫が何の罪もなく首枷で自由を拘束されているなら、あの場でラインゼルに訴えれば済む話だが、もしも彼女が人間界の住人を殺害していれば、生殺与奪の権利は、捕獲したサンバード家にある。
小鬼姫が何も訴えなかったのは、後者だったから、訴えることができなかったのではないか。
「ご主人様は、何もわからなかったの?」
「サンバード家には、強いモンスターを拉致監禁する理由があったのは確かです」
ラインゼルは眠い目を擦ると、腕枕でソファに横になる。
まだ昼下りだったが、ここ最近、色々と考えることが山積しており、ぐっすり寝ていなかったからだ。
ラインゼルは、モンスターの襲撃で故郷を失って以来、人間界に進軍してくるモンスターと戦って、いつか魔物の王であり、魔界の住人たちを虐げる独裁者、魔王の討伐だけを考えて生きている。
サンバード家が、本気で魔王討伐を画策しているのであれば、中央政府や五等爵のネスキス卿と反目しても、グァラの味方につくべきか否かだって、考慮するべきだと思えてきた。
リリには申し訳ない選択だが、サンバード家が魔王討伐に乗り出すのなら、そこに参加したいと考えてしまう。
「お疲れなのですわ」
リリはラインゼルの隣に座ると、子供を寝かしつけるように、肩をトントンと軽く叩いて癒やしてくれる。
「リリ、ありがとう」
「いえいえ」
サンバード家が爵位を欲する理由が、五爵となって中央政府に大規模な魔界侵攻を働き掛けるためならば、地位や名誉が目的で爵位を欲していないのは明らかだ。
サンバード家が貴族に淫魔を献上しているのは、たぶん淫魔の淫夢で貴族を魅了して、サンバード家の爵位授与に議決権を行使させるつもりだろう。
全てが魔王討伐のために画策していることだとすれば、一応の筋が通る話ではある。
しかし冒険者をパーティーを率いているグァラが、目的達成のために、リリの姉妹の意思に反して拉致監禁しているのならば、許されることではない。
それにモンスターを用いて貴族の人心を惑わせて、爵位を得るのを是とするやり方は、魔王と変わらないように思える。
ラインゼルが、グァラの差し出した手を握らなかったのは、目的が正しくても、手段が間違っている気がしたからだった。
「リリの姉妹が、サンバード家の目的を明かされた上で協力している可能性はないですか」
「サンバード家の目的?」
「サンバード家が淫魔や小鬼姫を拉致監禁して寝返りを強要している理由は、魔王討伐が目的だと思うのです。魔王の精神支配を受けない魔族の血族が寝返れば、人間界にとって大きな戦力になりますからね」
リリは手を止めると、仰向けになったラインゼルの顔を凝視する。
眉間にシワを寄せた彼女は、ラインゼルの不用意な言葉が気に障ったようだ。
「リリは、ご主人様に忠誠を誓っていますが、魔界は生まれ故郷で、魔界の王様は魔王様ですわ。サンバード家の冒険者が故郷に攻め込んで、魔王様を討伐すると聞かされて寝返ると思いますか?」
「でも魔界では、リリのようなモンスターとの混血種に名前も与えず、ただ人間界との戦争の道具にしています。そんな魔界や魔王に嫌気が差して、サンバード家の説得に応じる者だっているかもしれないです」
「だからです」
「うん?」
「ご主人様は、リリを名前で呼んでくれましたが、リリたちは、人間界で『知性体のモンスター』と、モンスターに分類されています。私たちモンスターとの混血種の扱いは、魔界と人間界で大差ありません」
「確かにそうですね」
「魔界で理不尽な待遇にあったとしても、そんな人間界のために寝返るような淫魔がいると思いますか? サンバード家は、首枷により生殺与奪権をチラつかせて、リリたちを思い通りに動かそうとしているのです」
ラインゼルは、リリの首枷に視線を向ける。
リリを首枷で縛り付けている自分も、サンバード家のやっていることを否定できる立場になかった。
ラインゼルが、炎龍サラや、知性体のモンスターであるリリと出会ったのは行き掛かりだったものの、彼の目的が魔王討伐である以上、いずれ彼女たちに袂を分かつか否か選択を迫るときがくる。
魔界の住人だった彼女たちが、ラインゼルの魔王討伐の障壁となるならば、首枷の生殺与奪権を行使する覚悟だって必要なのだ。
「僕はリリの事情に肩入れしすぎて、大義を見損なっているのかもしれないです」
「ご主人様?」
ソファから立ち上がったラインゼルは、リリに背中を向けている。
小鬼姫が首枷の呪符を恐れて、グァラに忠誠を誓っているなら、リリがラインゼルを慕っているのも、呪符を恐れているだけかもしれない。
「僕の大義は、故郷を壊滅させた魔王の討伐にあったはずなのに、その好機を目の前に尻込みして、目を背ける言い訳を探してしまったのです」
「ご主人様の目的も、魔王様の討伐なのですか?」
「僕が勇者パーティーに戻らない理由は、アルフォートさんに魔王討伐の意思がないからです。リリに魔王討伐の意思がなければ、僕の冒険者パーティーに残る必要はありません」
「そんな……」
ラインゼルの目的は魔王討伐であるならば、サンバード家の死霊使いグァラが、あのとき差し伸べた手を握り返すのが、正しい判断だったのではないだろうか。
「僕が、魔界の住人であるサラやリリを仲間にして、やろうとしていることは、サンバード家と大差ないのです。故郷を壊滅した魔王軍への復讐です」
「ご主人様が、もしも魔王様を討伐すると言うのであれば−−」
「リリは魔王を殺られる前に、僕を殺りますか?」
リリは胸を押し当てて、肩肘を張っているラインゼルの背中を抱きしめる。
リリは姉妹のためにラインゼルに従っているだけで、今以て魔界を故郷と呼べば、魔王を魔王様と呼んでいた。
そんな知性体のモンスターに、背中を向けた不覚なラインゼルだったが、不思議と殺気を感じない。
「リリも、全力で魔王討伐をお手伝いしますわ」
「リリは先ほど、人間界に寝返らないと言ったばかりではないですか?」
「はい。リリは、命を惜しんでサンバード家の言いなりにならないし、リリを戦力として扱うような魔界や人間界に忠誠を誓うつもりもないですわ」
「僕だって、リリを戦力として利用するかもしれないのです。僕は、サンバード家と変わりません」
ラインゼルが振り返ると、リリは少し離れてスカートの裾を両手で持ち上げて会釈した。
「リリは、ご主人様に忠誠を誓っているのですわ。リリの力が必要とあれば、この命を捨ててでもご命令に従います」
魔王の精神支配を受けないリリが、魔王軍の命令に従っていたのは、魔界が生まれ故郷であり、魔界の王様が魔王だったに過ぎない。
だからといってリリたちモンスターの混血種が、魔界や魔王討伐を理由に、サンバード家の軍門に下ることはないらしい。
「ご主人様は、リリを人として扱ってくれました。だからリリは、ご主人様に命を捧げる覚悟で尽くしているのですわ」
「そんな当たり前のことで、リリは僕に忠誠を誓うのですか」
「ご主人様のように人を人として扱うことが、この世界では難しいのです。ご主人様は、それを『当たり前』と思える方だからこそ、リリは忠誠を誓うのですわ」
ラインゼルが肩の力を抜くと、リリはにっこりと微笑んだ。
 




