23 楽しい食卓
ラインゼルの前には、カットケーキのように切り分けられたミートパイと、カップに注がれたトマトスープが置かれており、皿の左にフォーク、右にナイフとスプーンが並んでいた。
夕飯の調理はリリ、配膳はリアンナが担当したようだ。
「本物の貴族様になった気分ですね」
「ご主人様、屋敷には家具だけではなく、調理器具や食器も残されていましたわ。それに地下の貯蔵室には、ワインが何本もありました」
リリは、ラインゼルのグラスにワインを注いでいる。
「公邸の払下げだから、備品も揃っているのでしょうね。でも備品はともかく、ワインやリリの着ているメイド服まで残されているものでしょうか?」
首を傾げたリアンナは、グラス越しにラインゼルの顔を見ていた。
「前に暮らしていた子爵の一家が惨殺されたから、たぶん取る物も取り敢えず逃げたのですよ」
「え? この屋敷は、事故物件なのでしょうか?」
「ええ、しかし内装は綺麗だし、僕らが住むのに問題ないですよね」
ラインゼルがミートパイをナイフで切ると、トマトソースと肉汁が溢れ出した。
サラはアップルパイを頬張って、席についたりりも食事を始めており、この屋敷が子爵の一家が惨殺された事故物件だと聞いても、誰も何ともない様子である。
「私は、事故物件なんて聞いてませんよ!?」
「僕は部屋割りを決めたとき、ちゃんと説明しました。リアンナさんは、気でも失っていたのですか?」
リアンナはあのとき、ラインゼルが『恋人がルルカ』だと嘘をついたので、記憶を抹消していた。
「屋敷の何処が、惨殺現場なのでしょうか?」
「詳しい話は聞いていませんが、夕飯中の事件なので、ここではないですか?」
リアンナが部屋を見渡せば、拭いきれなかったのか、壁の腰板に血飛沫のような黒いシミがあり、自分の座っている背凭れ椅子の肘掛けにも似たような黒いシミがある。
そう言われてみると、この部屋に敷かれた絨毯やテーブルの白いクロスだけ、やけに真新しかった。
「皆さんは、殺人事件の現場で食事しても平気なのでしょうか?」
「リアンナは、アホか。私たちは、いつも多くの人間が死んでいるダンジョンで寝泊りしているぞ。今さら事故物件を忌避してどうなるのだ」
「善行を積んでいる冒険者がモンスターに倒されたら天国に行けますが、殺された被害者の魂は、この世の未練から怨霊となって彷徨っているかもしれないでしょう」
「貴様が戦っている精霊系のスライムだって、怨霊と似たようなものではないか?」
「ぜんぜん違うでしょう! モンスターは倒せますが、怨霊は倒せないのよ!」
「さては貴様、オバケが苦手だな?」
「そんなことありませんが、ちょっと気になるだけ……」
教会育ちのリアンナは子供の頃、教会の教えで善行を積んだ者の魂が天国に召されると信じていた半面、罪を背負った者や未練を残して死んだ者の魂は天国に昇華されず、その場に留まり怨霊となるとも信じている。
「リアンナさん、引き渡し前に業者が聖水で除霊していますし、なんなら呪術者の僕が食後にお祓いしますから、落ち着いてください」
「ラインゼル様は、除霊ができるのでしょうか?」
「僕の家系は代々、呪術者の結界師だと言いましたよね」
「ええ、聞いています」
「結界師は、モンスターから町や生きた人間を守るだけではなく、亡者の魂を寄せ付けない仕事もあるのです。亡者の魂は、人族であっても魔界の住人やモンスターと同質で、人間界に非ざる者なのです。僕の祖父は、墓地を結界で守る墓守りだったので、見様見真似ですが、お祓いができます」
「ラインゼル様には、怨霊が見えるのでしょうか?」
「魂は可視化できないので、事象として捉えているのです。だから屋敷に、リアンナさんが怖がっているオバケがいるか? いないのか? 見えないので解りませんが、とくに異変がないので『いない』と考えているのです」
「私は、怨霊なんて怖くありませんが、お祓いしてもらっても良いでしょうか」
アップルパイを食べ終えたサラは、椅子にふんぞり返ると腕を組んだ。
「聖水にしても、ラインゼルのお祓いにせよ、私とリリにとって邸内が不快になるから止めろ」
「そう言えばそうですね」
「貴様らの部屋は、結界札で守られているのだ。屋敷の共用部まで結界を張られては、私とリリが不愉快だ」
リアンナは『配慮が足りませんでした』と、ラインゼルのお祓いを断った。
サラは、リアンナがしおらしくなったので、やれやれといった様子で話題を変える。
「魂と言えば、私とリアンナは今日、サンバード家で魂の抜かれたような小鬼姫を見かけたぞ」
「ええ、ゴブリンの少女は、玄関アプローチに一時間ほど彫像のように立っていました。相手の肉体を石のように硬化する魔法は、魔法使いが魔力を送り続けなければならないし、サラは呪詛で操られていると言っています。ラインゼル様には、そんな呪いに心当たりがあるでしょか?」
「そうですね……。呪術の呪力は、魔術の魔力のように消費しないので、術者の技量にもよりますが、永遠に呪うことが可能なのです。サラの言うとおり、何かしらの呪詛だと思いますが、手掛かりが少なくて特定できないです」
「小鬼姫を待機させた男は、目隠しで目を塞いでいたぞ。それにサンバード家の腕章を付けていたから、呪詛を使っているのは冒険者だろうな」
「モンスターを呪詛で操っているのは、サンバード家が雇っている冒険者ですか」
ラインゼルは、サンバード家に死んだ人間を操る死霊使いグァラがいることを思い出したが、リアンナに聞かせると、憶測だけで行動されても困るので、しばらく伏せておくことにした。
もっとも二人の話を聞く限り、小鬼姫には、ゾンビのようにふらついたところがなく、しっかりと両足で立っていたのだから、死んでいるとも思えなかった。
「ラインゼルには、思い当たることがあるのか」
「いいえ。モンスターは、淫魔に心を操られている様子ではないのですね?」
「私の印象では、魔王に待機を命令されたモンスターのようだった。リリの淫夢では、相手の恋愛感情を利用して操るから、生理的な反応まで抑制できないぞ」
「なるほど」
サラとリアンナの報告では、小鬼姫に感情と呼べるものがなく、淫夢の暗示や催眠術の類ではなさそうだ。
そうすると、やはり死霊使いグァラが、殺したモンスターの遺体を操っていると考えたくなるが、遺体にすれば腐敗を免れず、小鬼姫のような希少種を殺すために、わざわざ危険を犯して拉致するとは思えない。
なぜなら小鬼姫と言えば魔界の最高位にある魔族と、強靭な肉体を持つゴブリン上位種の娘であり、狡猾さとパワーを兼ね備えた戦闘力の高いモンスターなので、使い捨てにするには惜しいからだ。
「ラインゼル様は、何か解ったのでしょうか?」
ラインゼルは首を横に振る。
モンスターは魔族に従うが、それは魔族の王である魔王の絶対的な精神支配下にあるからで、魔族そのものにモンスターを操る能力があるわけではない。
それに魔族の亜種モンスターの小鬼姫には、魔族の血が流れていれば魔王の精神支配が及ばないので、そもそも魔王にも操られない。
つまり二人の見た小鬼姫は、魔王に操られないのだから、何者かが呪詛を用いて、魔王のように彼女を操っているのだろう。
「僕は明日、サンバード家を訪ねてみようと思うのです」
「ご主人様、そんなことして大丈夫なの?」
「僕は雇われ冒険者の志願者として、雇用条件を聞くだけなので危険はないですよ。それにサンバード家が多くのモンスターを監禁しているなら、結界師の需要は高そうだし、上手くすれば尻尾を掴めるかもしれません」
「私も同行して良いでしょうか?」
「リアンナさんとサラは、引き続き屋敷の監視をお願いできますか? 二人の見たモンスター以外にも、同じように呪われたモンスターがいるのか確認してください」
「解りました」
ラインゼルは指示を出すと、ワインを飲み干して食事を終える。
ラインゼルは、故郷を焼き出されてから身寄りがなく、流れ着いた町で、まだ単独で冒険していた勇者アルフォートに誘われて冒険者になってからも、流浪の旅が続いていた。
だからだろうか。
町に定住して、行き掛かり上とはいえ、一緒に暮らすことになった三人と食卓を囲めば、家族と過ごした楽しい時間を思い出してしまう。
年末の公募に出す作品を書くので、更新が不定期になると思います。
続きが気になる方は、ブクマしてくれると嬉しいです。
m(_ _)m
 




