13 過大評価?
魔族の淫魔が指先で呪印を刻むと、リアンナは口角に白い泡を吹いて身を捩らす。
「いやっ、そんな激しくされたら私ッ!」
「ごめんなさい……、でも安心してくださいシスター。苦痛は、いずれ快楽に変わります」
淫魔が何かを抉るように二本指を垂直に立てると、何かに潜らせるように指をくねらせている。
「さあシスター、ゆっくりと脚を開いて、私を受け入れてください。処女は狭くてきついので、シスターが抵抗すれば痛みが激しくなるだけです」
「あっ、ああ……や、やめて」
「シスターの初めては、私がもらいます」
淫魔が指を突き上げようとした瞬間、背を大きく反らしたリアンナは『あぁ』と、小さく呻いて強張っていた身体を弛緩させる。
「シスターは絶頂していないのに、なぜ脱力したの? 私の淫夢は、指を挿入てから本番なのに?」
「い、今の夢は、貴女の仕業で……しょうか」
地面に倒れたままのリアンナは、目を開けて淫魔を視線で追っており、まだ意識が朦朧としているものの、淫夢の呪いから醒めてしまったようだ。
「リアンナさんを僕の結界領域に取り込んだので、淫夢の呪いから解放されたのです」
「ラインゼル様……、もっと早く助けてください」
「つい見惚れてしまって、結界を貼るのが遅れました」
「嘘でしょう?」
「ええ、まあ冗談です」
ラインゼルが後ろ髪を掻くと、リアンナは安堵した表情を浮かべる。
淫魔が顔を上げると、呪詛で眠らせたはずのラインゼルは手を翳しており、サラは薄ら笑いで立っていた。
「お前は、なぜ淫夢の眠りに堕ちなかった? 私が淫魔と解っても、呪印を刻んで結界を張る余裕はなかったわ」
「僕の周囲には、常に結界領域を展開しているのです。結界領域は拡張するとき、呪いに対しても無防備になるので、リアンナさんを取り込むのが遅れましたが」
結界領域では、別の術式が発動できない。
ラインゼルが結界領域を拡張して、淫夢の呪いに侵されたリアンナを取り込めば、結界は呪いより上位の術式なので、淫魔の術式が弾かれてしまう。
「女も結界師なの?」
「私は、人化した炎龍だぞ。貴様は、大型龍を淫夢の呪いで墜とせる思うのか」
「人化した大型龍!? 暗黒魔界の門番である大型龍が、なぜ下等生物の人族と行動を共にしているの」
「面白いからだ」
「え?」
「紫色迷宮の統治者よりッ、魔王やモンスターと戦う方が面白いからだ!」
人化した炎龍サラは、面白いから人族の冒険者パーティーに参加していると言い放ち、有ろう事か敬うべき魔王と戦うと公言した。
魔界の住人にとって魔王は、絶対の権力者であり、信仰の対象である。
魔界の裏切り者である獣人族ならいざ知らず、人間界からの侵攻を阻止する暗黒魔界の門番、ダンジョンキーパーの大型龍が、感情に流されて魔王を裏切るなんて、そんな馬鹿な話はない。
「高潔である大型龍の炎龍が、私が淫魔というだけで監禁して玩具にする人族に味方するなんて、きっと人族に飼い慣らされた貴女は、大型龍の役目を忘れています」
「なんだと? 私が、誰に飼い慣らされているのだ」
「貴女の首輪は、術者の呪詛で生死を自由にできる結界札ですね。貴女の主人は、そこにいる結界師の男ではないの?」
「べつに命が惜しくて、ラインゼルに従っているわけではないぞ」
淫魔の首にも、サラと同じ結界札の首枷があり、彼女の首枷は、届け先の貴族ネスキス卿が雇う結界師が、サンバード家に送って付けさせたものだった。
「サンバード家の主人は、私たちに首輪を付けてペットのように扱っているわ。私には戦う意思がないと言っても、彼らは聞き入れなかったの」
「そんなことはありません。人語を解する知性体は、ゴブリンの上位種でも人権が尊重されているのです。現にサンバード家には、ゴブリンの使用人だっています」
「私が閉じ込められたサンバード家の地下牢には、首輪を付けた小鬼姫も監禁されていたわ。サンバード家の冒険者は、迷宮や人間界で魔界の女を拉致しています」
「政府は、人間界に寝返る魔界の住人を増やすために、戦闘の意思がない知性体との交戦を禁止しているのです。もちろん、拉致監禁や拷問だって禁止です」
ラインゼルは『犯罪者でなければ』と、付け加えた。
淫魔が冒険者を襲っていたり、罪を犯した犯罪者だったりすれば、サンバード家の冒険者に討伐されても、捕獲されても文句を言える立場ではない。
「ラインゼル様? 貴方はサンバード家の上辺しか知らないの。私は、人間界で音信不通になった同胞を探していただけなのに、この首輪を付けられて人族に飼われているわ」
「嘘をついても駄目です。貴女は、僕らを攻撃したではありませんか」
「結界を解かれた今が、逃げるチャンスだと思いました。また箱に戻されたら、今度は貴族の玩具にされるわ」
「淫魔は、人を謀るのが上手いですね。貴女は、僕の情に訴えれば、見逃すと考えているのです」
ラインゼルが結界札で作られた帯を手にすると、淫魔が手を合わせて涙目になる。
「こ、殺す気はなかったわ。私が逃げる間、しばらく寝てもらいたかっただけなの。私が嘘をついているのか、ちゃんと調べてほしいの!」
「サンバード家は、貴女を捕えてどうするのでしょうか?」
「シスター、私たち淫魔をペットにしている人族は、淫夢の呪いを使って快楽を得たり、見た目の美しさを鑑賞したりしています」
ラインゼルは『そうなのですか』と、男を惑わす淫魔が美しさを自覚しているのかと思った。
「シスター、サンバード家は地位のある者に、私を献上して、爵位を得る根回しをしています。どうか信じてください」
「酷い……」
ラインゼルに抱き起こされたリアンナは、壁際に追い込まれて冷や汗をかく淫魔が、嘘をついているように見えなかった。
「ラインゼル様、彼女を助けましょう」
「え、リアンナさんは、淫魔に廃人にされるところだったのですよ?」
「彼女の言うとおりなら、私を殺す気はなかったのでしょう」
「いやいやいやっ、淫夢の呪いは調整可能ですが、一歩間違えば犠牲者を精神崩壊さてしまうのです」
「でも彼女は、夢の中で肌を優しく撫でただけでしょう。彼女の指先からは、殺意を感じませんでした」
「淫夢は、人間を快楽で虜にする呪いです」
「ラインゼル様が魔王を討伐して、人族だけではなく、魔界の住人やモンスターも解放すると言うのならば、事件の真相を確かめましょう」
「そう来ますか」
「私は、世界を救うと言ったラインゼルの言葉に感銘を受けて、この冒険者パーティーに参加しています。ラインゼル様が彼女を無視して、宅配クエストを達成して満足するなら、口だけの男だったと見損なうでしょう」
ラインゼルは淫魔が嘘をついていると説得するのだが、リアンナとの付き合いは短いものの、素直に応じる性格ではないと解っている。
「ではパーティーで意見が割れたときは、多数決で決めることにします。淫魔の陰謀論を信じて、事の真相を調べたいメンバーは挙手してください」
ラインゼルが言うと、リアンナと、なぜか淫魔が挙手したのだが、淫魔はメンバーではないので1対2で否決と思われたが、少し間を置いてからサラが小さく手を挙げた。
「私は、リアンナの意見に賛成するぞ」
「サラも、リアンナさんに同意ですか?」
「淫魔が同胞とは思わないが、人族が首枷を利用して女を玩具にしているなら他人事ではないからな」
「ああ、確かにそうですね」
「ラインゼルに襲われたら困るのだ」
「僕は、大型龍を襲うような酔狂な真似しないです」
リアンナは『サラさん、ありがとうございます!』と、同意したサラが小さく挙げた手を握り締める。
ラインゼルが、リアンナに押し切られて箱の中身を確認しなければ、ダンジョンワープで宅配するだけのクエストだったのに、淫魔の登場で話が大事になってきた。
しかし仲違いしているサラとリアンナが手を握っているのだから、陰謀論の調査を進めるのは、ラインゼルも吝かではなかった。
「ラインゼル様は、どうやって証言の真相を確かめるの?」
淫魔はパーティーメンバーでもないのに、ラインゼルに気軽に話し掛けてくる。
ラインゼルは、淫魔の図々しさに呆れてしまう。
「貴女には、名前があるのですか?」
「名前? ああ、魔界では、純血の魔族しか名前がありません。魔界の淫魔は、みんな淫魔です」
「そうなのですか? では名前がないのも不便だし、淫魔サキュバス……サキだとサラと二文字で頭文字が被るし、リリと呼びましょう」
「リリは、私の名前?」
「淫魔の始祖リリスから名付けましたが、まあ気に入らないのであれば−−」
「淫魔リリ、私は純血の魔族ではないのに、ラインゼル様は名前を付けてくれたのですね!」
リリは満面の笑みで、ラインゼルを見つめている。
ラインゼルは、炎龍サラのときも、とくに気にすることなく名付け親になっているのだが、個体名を持たない魔界で生まれ育った彼女たちにとっては、名前をもらった彼には、親子のような特別な情が湧くようだ。
それは魔界の慣習で、純粋な魔族以外には名前を付けてはならないし、個体名を名乗ってはならない社会で育った淫魔リリには、衝撃的であり、何より心を打つ出来事だったのである。
「気に入ってもらえたなら、嬉しいのですが」
「リリは今より、ラインゼル様をご主人様として生涯尽くしますわ」
またラインゼルも、卑しい身分の魔族の亜種モンスターに名付けするのが、自らを貶める恥ずべき行為だと知らなかった。
そもそもラインゼルは、魔族の血統である魔族の亜種モンスターが、自分たちに劣る存在だと考えたことがないのである。
「サラさん、ラインゼル様の博愛主義は素晴らしいと思いませんか。彼こそ世界を救う、本当の勇者かもしれません。私は、ラインゼル様のような人間になりたいです」
リアンナの目には、モンスターである炎龍サラや、先程まで敵だった淫魔リリを受け入れただけでなく、相手の身分を気にせず、名前まで付けたラインゼルが聖人のように見えていた。




