00 出ていけ
ラインゼルは、何を言われたのか理解できず、一瞬だけローストチキンを切るナイフの手を止めたが、顔を上げても皆が無反応だったので、そのまま食事を続けることにした。
ラインゼルの前には、取り分けられたローストチキンの他、温かいスープとパンが置かれており、配膳係を呼べばグラスにワインを注いでもらえる。
「今夜の食事は、すごいご馳走ですよね。アルフォートさん、何か良いことがあったのですか?」
「今夜は歓送迎会だからな」
酒場の個室で円卓を囲んでいる男女四人は、魔王討伐を目指して世界中を旅する勇者パーティーであり、勇者アルフォートは今夜、女剣士フランシア、黒魔道士ルルカ、そして結界師ラインゼルのメンバーたちに、豪華なディナーを振舞っていた。
「へぇ、新しいメンバーが増えるんですか。5人も養うとなると、アルフォートさんもパーティー運営が大変ですね」
「ああ、だから役立たずのラインゼルくんは出ていけ」
ラインゼルが再び顔をあげると、円卓の向こう正面に座っている勇者アルフォートが、グラスを傾けてワインを飲んでおり、右を向けば黒魔導士ルルカがスープ皿をパンで拭っている。
首を傾げたラインゼルは、フォークに刺したチキンを口に運ぼうとしたものの、女剣士フランシアに左腕を掴まれた。
「フランシアさん、何ですか?」
フランシアが無言のまま首を横に振るので、アルフォートの言葉は、ラインゼルの聞き間違いでもなければ、冗談でもないらしい。
「ちょ、ちょっと待てくださいよっ、僕のような優秀な結界師がいなければ、このパーティーはモンスターに襲われてしまうんですよ!?」
「むしろ俺たちは、多くのモンスターと戦闘してレベルアップしたいので、ラインゼルくんような臆病な結界師がいると迷惑なんだ」
「臆病な結界師ってなんですか? 今日のダンジョン探索だって、僕が結界を張っていたからモンスターに遭遇しないで、最深部のお宝をゲットできたんじゃありませんか!」
ラインゼルがテーブルに身を乗り出すと、フランシアは袖を引いて席に座らせた。
「私たちのパーティーは魔王討伐が目的で、楽して稼ぎたいわけじゃないんだ。剣の腕を磨くためにダンジョン探索しているのに、ラインゼルがびびってモンスターを追い払うから、私の剣技がレベルアップできなかった」
「今日のダンジョンには、フランシアさんのレベルで勝てないモンスターがいたんですよ?」
「自分より強いモンスターと剣を交えなければ、レベルアップできないではないか」
「そういうレベル差じゃないんだけど……」
女剣士フランシアは騎士公爵の一人娘で、育ちの良さと金髪碧眼の美貌だけが取柄のなんちゃって剣士なのだが、勇者アルフォートが公爵家の地位と財産目当てに、いつか手籠めにしてやろうとメンバーに加えている。
「あたしだって、ラインゼルちゃんのせいで活躍する機会がなくて欲求不満だわ」
黒魔道士ルルカは、スープを拭ったパンを食べ終えると、二本の指先に頬を窄めて吸いついて、男の劣情を掻き立てるような仕草で舐めている。
「ルルカさんは火属性魔法しか使えないから、地下ダンジョンだと酸欠になるので放てないでしょう?」
「あら、私が魔法で燃やすのは、何もモンスターとは限らないのよん♪」
ルルカは、ローブマントの上からでも解る豊満な乳房を二の腕で寄せると、隣に座るアルフォートに色目を使っているので、彼女が燃え上がらせたいのは、モンスターではなく、ベッドの上の勇者なのだろう。
「ラインゼルくんがパーティーメンバーだと、フランシア嬢やルルカのレベルアップができないし、俺は魔王討伐に向かえなくて困っている」
「アルフォートさん、僕は古参のメンバーですよ。リストラするなら、まだモンスターと戦ったことのないフランシアさんではありませんか?」
フランシアは剣を抜くと、自分をリストラ対象だと言ったラインゼルの喉元に切先を突き付けた。
「私がレベルアップできないのは、ラインゼルのせいだと言ったばかりでしょう。この魔剣フランシアソードで斬首されたくなければ、さっさと新人に席を譲って出ていくのです」
「フランシアさん、い、今のは言葉の綾でそう言ったまでです。でもフランシアさんは公爵令嬢だし、結婚までの腰掛け剣士ならリストラされても、生活には困らないでしょう?」
「私が腰掛け剣士ですって!?」
「ご、ごめんなさい!」
フランシアが剣を振り上げると、椅子から転げ落ちたラインゼルは、両腕で頭を隠して身を丸めた。
「ラインゼルくんは、自分のせいでレベルアップできないフランシア嬢をリストラしろなんて、とことん見下げた奴だ。ちょっと顔を貸せよ」
「は、はい」
アルフォートに酒場を連れ出されたラインゼルは、振り返った勇者に、いきなり鳩尾を膝で蹴り上げられて地面に這いつくばった。
「げほっ、げほっ……。アルフォートさん、僕が何をしたというのですか? フランシアさんの素人剣では戦力にならないし、ルルカさんの魔法もへなちょこなら使い物になりません。このパーティーに結界師の僕がいなければ、すぐに全滅しますよ」
アルフォートは『少しは空気を読め』と、鼻血を流すラインゼルに言い放った。
「俺は、パーティーメンバーに強さを求めていない。ラインゼルくんの代わりに雇った新メンバーも、可愛いだけが取柄の白魔道士の少女だからね」
「え?」
「俺がラインゼルくんを雇った理由は、俺好みの白魔道士がいなかったので、パーティー需要がなくてあぶれていた結界師を加えていただけだ」
結界師は文字通り結界を張り、モンスターの侵入を防ぐのが仕事なので、モンスターを狩猟する冒険者パーティーでは著しく需要がない。
なぜなら冒険者パーティーが倒すべきモンスターを結界師が追い払ってしまえば、稼ぎにならないし、そもそも等級の低い結界師の場合、結界の効果は、教会が銅の棒貨十本で売っている聖水よりも効き目がないからだ。
「僕は、白魔道士が見つかるまでの臨時雇だったのか」
結界師の主な仕事は、町や城の周囲に結界を張ってモンスターの侵入を防いだり、呪力を注いでモンスター除けの結界札を作ることで、冒険者パーティーに応募しても採用されない。
その点、治癒魔法やモンスター除けができる白魔道士は冒険者パーティーでの需要が高く、募集しても応募者が集まらなかった。
そこでアルフォートは、彼好みの白魔道士が見つかるまで、結界師のラインゼルで代用していたのである。
「俺の目的は、公爵令嬢フランシアと結婚して爵位を得て、地位と財産を手に入れることだ。ルルカと新人の白魔道士は、愛人候補として可愛がってやるつもりだよ」
「アルフォートさんは、魔王討伐が目的ではないのですか?」
「ああ、そのとおりだ」
「アルフォートさんは、せっかく勇者として生まれたのに、魔王と戦わないなんて最低だ」
四つん這いで見上げていたラインゼルは、アルフォートに顔を回し蹴りされると、土埃をあげながら横転して仰向けになる。
「僕は……勇者になれなかったから、アルフォートさんのパーティーに参加できて……、すごく嬉しかったのに」
「ラインゼルくんも、勇者の肩書き欲しかったのかい? ラインゼルくんは勇者になれないから、俺のパーティーメンバーに固執しているようだね」
「違う……。僕は、勇者の肩書きにこだわっているわけじゃない」
「残念だけれど、この世界では生まれ持った素質が職業を決めている。ラインゼルくんが足掻いたところで、虫ケラみたいな結界師から勇者に転職はできない」
アルフォートは、金の棒貨を一本だけ懐から取り出すと、地面に投げ捨てて、そこに唾を吐き捨てた。
「ラインゼルくん、その金は手切れ金だ。フランシア嬢の機嫌を損ないたくないから、このまま消えてくれ」
「僕に手切れ金をくれるなんて……、アルフォートさんは気前がいいですね」
「俺のパーティーは、ラインゼルくんを追い出せば、女だらけのハーレムパーティーなんだぜ。金の棒貨一本で、俺の楽園が手に入るのだから安いものだよ。その代わり金を受け取ったら、二度と俺たちの前に顔を出すな」
「は、はい」
アルフォートの真意が解った以上、ラインゼルがパーティーに残る理由もなくなった。
ラインゼルが汚れた棒貨に手を伸ばすと、歓送迎会の待ち合わせに遅れた白魔道士の少女リアンナが、アルフォートに近付いてくる。
「アルフォート様、ここに倒れている男性はお知り合いでしょうか?」
事情を知らないリアンナは、まさか落ちている金を拾おうとする薄汚れたラインゼルが、自分の代わりにリストラされたパーティーメンバーだと思わなかった。
「俺は金を恵んでやっただけで、物乞いの知り合いなんていない」
「この方は怪我をしているようなので、治癒魔法を使いますね」
リアンナは淡いブルーの髪色と瞳、色白の肌で大きな目が印象的な美少女で、見ず知らずのラインゼルが怪我をしていれば、治癒魔法で手当てすると言うのだから、きっと性格も良いのだろう。
金を抱え込むように拾ったラインゼルは、自分の代わりに勇者パーティーに参加する新人メンバーから人相を隠した。
「歓迎会は、もう始まっているんだ。リアンナをパーティーメンバーに紹介するから、そんな乞食に情けをかけている暇はないぜ」
「ですがアルフォート様、私は怪我人を見捨てられません」
ラインゼルは、リアンナの聖女ような横顔を見上げると、手切れ金を受け取って逃げ出そうとしている自分が情けなかった。
アルフォートの目的は、モンスター討伐でもなければ、魔王と戦うことでもなく、公爵令嬢フランシアと結婚して地位と財産を手に入れることだった。
ラインゼルには、結界を張ってモンスターの侵入を防ぐことしかできなければ、戦闘力は皆無であり、目の前で人の良さそうな白魔道士が、アルフォートの慰み者になるのを止める術がない。
「白魔道士さん、僕のことは放っておいてください。これは、僕が受けるべき罰なのです」
手切れ金を受取ったラインゼルは、アルフォートを邪魔するような真似もできない。
「貴方の犯した罪は何ですか?」
リアンナの背後でアルフォートが目配せしているので、ラインゼルは『心の弱さです』と、言葉を濁した。
「でも服が汚れるし、鼻血くらい拭いても良いのではないでしょうか」
「……ありがとう」
リアンナがハンカチを差し出すと、ラインゼルは感謝しながら受取った。
アルフォートは『急ごうか』と、ラインゼルを気に掛けるリアンナの肩を抱き寄せて、ニヤニヤと締まりのない顔で酒場に戻っていく。
ラインゼルが先ほどまで食事していた酒場の個室からは、アルフォートが上機嫌でリアンナを紹介する声と、彼女を迎え入れるフランシアとルルカの歓声が聞こえた。
「僕がいなくても楽しそうで悔しいなぁ……。ついさっきまで仲間だと思っていたメンバーと、こんな形でお別れするなんて悔しいなぁ……。今日だってモンスターから守ってやったのに、役立たずだと思われていたなんて悔しいなぁ……」
ラインゼルは『でも本当に悔しいのは−−』と、力無く立ち上がると、酒場に背を向けて歩き出した。
モンスターはおろかアルフォートにも立ち向かえない自分の弱さが悔しいと、ラインゼルは涙を堪えながら思った。