08 梅近一家
地図への書き込みを終えた山伏姿の源信は、丘から降りて街道に乗った。
そして、情報を持って南西の鶴田領へ帰るのではなく、北東の亀山へと足を向けた。大胆にも城下町に入るつもりらしい。
裏で繋がっている寺社がすぐ傍の亀山にもあるのだから、当然と言えば当然だが、私はこの男の肝の太さに驚いた。いや、ただ単純に無防備なだけかもしれない。
とにかく、この男の後ろを雹次がついて行く。
私はその二人の様子を鳶の目で上空から観察しながら、体は二人とかなり離れて歩いていた。俯いて前髪を垂らし、街道をゆく人々から閉じている瞼が見えないようにした。
「雹次のやつ、ちょっとはマシになって来たわね」
私は一人呟いた。
源信の尾行し始めた数十分前は、〈蹴壁〉を操る雹次の動きはぎこちなかった。それが今は当たり前の人間が歩いているように見える。
源信に気づいた様子はないので尾行は成功していると言っていい。
実践は訓練よりもずっと効果的だな、と私は改めて思った。
街道を進み城下町へ近づく。
〈遺物〉である亀山城は勿論目立つのだけれど、それ以上に黒いアウラに包まれた〈黒浮城〉が宙に浮かんで大きく見えた。
黒浮城はさっきの丘の上からも見えていたのだし、亀山の城下に住んでいても見えるのだが、こうやって町に近づきながら見えてくる姿はなお異様だった。
まるで空の一部に幕が掛かっているかのようだ。そして、じっと見ていると、その黒い幕が広がり亀山の空全体を覆ってしまうのではないかと思われた。
山伏姿の源信もそのことに思い至って、黒浮城を見上げて立ち止まった。そして何か呟いたらしかった。あまりいい言葉ではなさそうだ。そんな雰囲気がした。
尾行相手の動きに釣られて、雹次も黒浮城を見上げていた。
上半身担当の雹次は立ち止まったが、下半身担当のケルペイは人間の感慨などお構いなしに進むので、雹次は男と歩調を合わせるためにケルペイを制した。
その瞬間に雹次は上半身と下半身がちぐはぐになり、やはり違和感が出た。男が黒浮城に気を取られて、雹次に気づいていないのが幸いだった。
私も改めて視線を二人の元から黒浮城へと移した。
凝視すると胸の奥がえぐり取られるような不安に駆られた。
「すべてはこれか。〈八門〉が人々の生活を変えていく。雹次の脚も私の……」
視界の端で、山伏姿の男がまた歩き出した。
私は思考を現実に引き戻して、男と雹次の観察に戻った。
◇ ◇ ◇
「入ったわね」
「ああ、確かに」
私たちは男が城下町の東端にある寺院に入って行くのを見届けた。
これで寺社と鶴田の軍師との関係の裏は取れたと言ってもいい。白さんに報告が出来る。
それにしても、この寺院は亀山の城主や武将たちが首実験をしていた場所だ。その寺院が裏切っているとは大変なことだ。亀山の崩壊は予想よりも早いのかもしれない。
私は白さんに頼まれていた〈義団〉のことを思い出した。なるべく早く信頼できる人間を集めなければ……。
私がそんなことを考えていると、
「それにしても、雪花のその術はひでぇよなぁ」
雹次が半分不貞腐れてたような声を出した。城下町に入ってからは雹次の尾行を止めさせて、私が鳥たちで山伏姿の男を追っていたのが気に入らないらしかった。
「遊びじゃないのよ!」
「わかってるよ」
この町を隅々まで知っている雹次がやっても、尾行は成功したかもしれない。しかし、町に入って警戒心を強めた男を相手に、雹次の訓練を続行しようとは思えなかった。町中は私が追跡することにしたのだった。
「この術もバレたら終わりよ。こんな術がこの世にあると思われていないことに意味があるの」
私は強い口調で雹次に言い聞かせた。
「わかってるよ。誰にもいわねぇよ」
「いい!? 使いどころを間違えたら……」
「ちょっと待てよ! おい、見ろ! 明らかに怪しい奴が出てきたぞ!」
雹次が珍しく私を制して言った。呟きは小さかったが驚きがあった。
私達は土塀の陰に身を隠した。
私は目白をハックして、その目で寺院の裏門を見た。そこから編み笠を目深に被り、黒の裳付衣を身につけた僧が出てきた。
これは先の山伏姿の源信とは別人だ。体つきがほっそりして身軽に見えた。
この細身の僧装の男は何気ない風を装って辺りを見回すと、すっと大通りの方へと向かって歩き出した。
「また偽物ね」
「だろうな。嫌にキレイな僧だ」
雹次の目がギラギラと光って来た。
確かに雹次の言う通り妙に色気のある僧だと思った。男というより女かもしれない。
私は雹次に合図した。雹次は頷きを返して来た。そして何を勘違いしたかしらないけれど、僧装の男をすぐに尾行しようとした。私は雹次の頭をぶん殴って、
「黙ってついて来なさいってことよッ!」
「ひでぇなぁ」
雹次は訴える様な目で私を見てきた。
私は目白の目で僧装の男に集中して雹次を無視した。
雹次は山伏姿の男に固執せずに、全体を探ろうとしている。
私はその切り替えの早さに内心で驚いていた。町を焼いた人間をもう俯瞰で捉えているのだろうか。
私は気を引き締め直した。
◇ ◇ ◇
チーチートントン チートントン
スチャラカ パンチン チト パッチン
大通りには鐘や笛の音が鳴り響いていた。
旅芸人の一座が簡単な芸を見せながら練り歩いているのだ。梯子の上で宙がえりをしている子どもや、毬を幾つも高々と投げ上げている老人などがいた。
これは寺院の敷地で行われる芸の前宣伝で、少額の駄賃を稼ぎながら、大催しへの呼び込みをしている一団らしかった。周りに人が集まっていた。
それを見て雹次がぼそりと、
「傀儡子芝居の〈梅近一家〉じゃねぇか」
私は目白の目を裳付衣の僧装の男からちらりと外して、大通りの前方にいる旅芸人たちの方を見た。確かによく見ると傀儡子を動かしている者もいるみたいだ。梅近と記した幟も二つ上がっている。
私は僧装の男へ監視の目を戻しながら、
「なに? 有名なの?」
「なんだ? 雪花知らねぇのか? 春と秋との祭り時に来るじゃねぇか」
雹次は僧装の男から完全に視線を外していた。旅芸人の一座に気を取られているのが気配で感じられた。私は雹次を咎めようとして口を開き掛けたが、
「おいおい、また様子がおかしいぜ」
雹次が僧装の男と旅一座がまさにすれ違う様子を見て低い声を出した。
私も旅一座と僧装の男とを見た。初め私の注意は、客寄せのために宙で踊る傀儡子に行き当たった。さっきはいなかった大きめの傀儡子が、周りの人々によく見えるように、高く掲げられていたからだ。皆そのほうを見ていた。
私はその様子を目白の目線で少し上から見下ろしていた。
あっ!
私がそう思ったとき、
「何か! 今何かあったなッ!」
雹次が呻いた。何があったかは分からないらしい。
人間の視界ではなく、上から見下ろしていた私には、完全に見えていた。それが人間の視線の高さで見ていた雹次には分からないようだ。周りで気づいた者もないらしい。皆傀儡子の楽し気な動きに見蕩れていた。
「あんた、見えなかったの?」
雹次は何も答えなかった。ゆっくりと私の方を向いた気配がした。それから遅れて、
「……、何があったんだ? 何かあったんだろ!?」
周りで誰一人として気づいた者がないのを見ると、雹次は勘のいい方なのかもしれない。その雹次でさえも気づかない早業だったのだ。
「傀儡子師の男と僧装の男が入れ替わったのよ」
私は静かに言った。おかしな雰囲気を醸し出さないように注意した。
それを聞いた雹次の驚きが伝わって来た。目の見えない私には、この場に雹次の動揺が染みのように広がるのが感じられた。
「あんたっ、落ち着きなさいよ」
私は小声で雹次を窘めた。敏感な人間ならば少しの変化も察せられるからだ。
傀儡子師の一団が作り出した楽し気な雰囲気の中に、一点の染みでもあれば、異常に目立ってしまう。
雹次ははっとして、また傀儡子の一座に見とれている振りをした。
雹次は傀儡子や曲芸をぼんやりと眺める演技で、私は弟に手を引かれる盲の素振り、そうやって一団の横を通り過ぎた。
私たちは自然と入れ替わった方の僧装の男一人を追うことになった。
梅近一家全員が何らかの手練れだとしたら、私たちの手には負えないからだ。
私も雹次もただ無言で、頷きも合図もし合わず、一人になった男へと歩を向けた。それが私たち二人の間で暗黙のうちに交わされた合意だった。早くここを去ることが最上の策だった。
私たちは今までの尾行よりも距離を取り、私の鳥で位置を探り、遠くから追った。雹次も文句は言わなかった。
私の隣で雹次の胸がどきどきと早く脈打つ音が耳に煩かった。でも、それ以上に、私の鼓動の方がぶるぶる震えて騒がしかった。
私は心を鎮めようとして、白さんの姿を思い浮かべていた。