表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

本編

「あ~……ホントあちーっ! だりぃーっ!」


 夏場の朝、駅から飛び出した学生が叫んだ。

 時期は既に夏休み。普通の生徒なら学び舎に行く用事はない。運動部や、積極的な文芸部なら話は別だが、彼はどちらにも属していなかった。

 

「おい高橋! 叫んでも涼しくなんねーぞ」

「うるせぇ叫ばずにいられるか! テスト前に戻りてぇ~っ!」

「何だよお前赤点かぁ?」

「しゃーらーっぷ!」


 マウント気味に煽ってくる佐藤へ、高橋は吼えて指を立てた。

 彼が登校する理由は、成績下位者に贈られる招待状……補講授業の呼び出しによるものだ。夏休みに入っても早起きを余儀なくされ、クソ暑い真夏日にやりたくもない勉強を義務付けられる。叫ぶ彼へ注がれる同級生の目線は、哀れみに満ちた物が多い。けれど同じ立場の同士は、彼の嘆きに共感して肩を落とした。

 補講担当の教師が睨む中、一人の生徒が声をかけてくる。


「おはよう。元気だね」

「おーおはよー……って村上? お前運動部だっけ?」

「ううん、補講組。高橋君の仲間だよ」


 眼鏡をかけたインテリ風味の生徒に、高橋は驚愕した。


「お前日本史満点だったじゃん……」

「いやぁ……英語が一桁で……」

「落差が酷すぎる!?」


 困ったように笑う村上は、バス停へ歩く生徒たちと別の進路を取った。


「それじゃ、ぼくは歩いていくから。また学校で」

「お、おぅ」


 最寄駅から送迎バスで十分。その場所に彼らの学び舎は存在する。一応徒歩でも通えるが、何もこんな日に歩かなくてもいいだろうに。


「ああ、アイツは歩くの趣味らしいぜ」

「ジジイかよ!?」

「んで、ふらーっと店入って眺めるのが好きらしい」

「やっぱりジジイだよな!?」


 クラスメイトの大沢が、面白おかしく村上の話をべらべら語った。


「いやいや意外と助かるぞ。この前天丼五百円で食える店、教えてくれたし」

「お得な口コミ情報!? で、味は?」

「結構美味い店だったぞ。ちょっと高くなるが、かつ丼もイケる店らしい」

「後で詳細プリーズ!」


 苦笑交じりに男子生徒が「おぅ、後でな」と返事を寄越す。止まっていたバスが動き始め、エンジンを低く響かせた。信号待ちをする村上を置き去りにして、生徒で一杯になったバスが街中を進む。

 

「はぁ~っ……テンション下がるわ~」

「愚痴ってもしょうがないじゃん。適当に済まそ?」

「長瀬は気楽でいいな……」


 明らかに気のない女生徒は、開き直っているのかさほど苦にしていない。


「ほらほら、降りよ? 学校着いたし」

「へーへいー……」


 バスから降車すると、猛烈な直射日光が肌を焼く。コンクリートが照り返しを浴びせ、クーラー慣れした肉体を焼き焦がした。


「あああぁああぁぁぁあ! 熱い熱い!」

「教室に急げー!」


 各々悲鳴を上げて、室内のオアシス目指して動く。その後待ち受けるのがクソほど退屈な授業でも、このまま立ちつくすよりマシだった。

 汗を額にかく生徒たちが、楽園にたどり着く。ハンカチを取り出し、あるいは水筒に口をつけ、熱波に痛めつけられた身体を癒した。


「ひぃぃっ~……ほんと地獄だよぉ……」

「東山……すげぇ汗だな……」


 ぽっちゃり女生徒が過剰に流す汗をぬぐい、疲労で満杯の表情を作っていた。


「……帰りの時、大丈夫か?」

「死ぬかもしれない!」

「諦めるなよ……諦めんなよ!」


 炎の妖精の言葉を借りて励ますも、むしろ逆効果になったのか、ぐったりと突っ伏した。


「み、水……」

「東山ーっ! 生きろーっ!!」


 補講が終わるのはちょうど昼過ぎ。太陽が一番高い時間帯だ。今より暑い外の空気を想像すると気が沈む。二か月前の自分を殴りたい気分だった。

 程なくして、補講担当の教師が扉を開く。今日の担当は理科の若林先生のようだ。


「おーし……出席取るぞー……」


 あからさまにやる気のない声で、虚ろな目線で一人ひとり名前を呼ぶ。気力のない声に呼応して、生徒たちもだるそうな声で答えた。


「高橋ー……」

「はーい……」


 ぐったり突っ伏したまま返事をする。露骨すぎる態度だが、若林は注意せずに次々生徒を呼んだ。


「村上ー……村上ー?」


 返事はない、ただの屍のように机に生徒たちは倒れている。何度か声をかけ、周囲を見渡しても村上の姿はなかった。


「あー……サボリかー?」

「いや確か……駅の前にいましたよー……」

「本当かー……?」

「俺も見ました。間違いないです。確か教師の誰かにも挨拶してたような……」

「んー……? 遅刻か……? とりあえずペケしとくかー……」


 高橋と大沢以外にも、何人かの生徒は村上の姿を見ているようだ。時間にも余裕があったと思うが、どうしたのだろう?


「村上君、サボり?」

「どうだろ?」

「いやいやないだろ。駅前まで来て『やっぱサボろ』って帰るかフツー?」

「じゃあなんで……散歩に夢中なの?」

「それも妙だな。この辺りは歩き尽したって言ってたぜ。やるにしても下校の時じゃないか?」


 話題を呼んだ村上は、結局最後まで補講に出てこなかった。簡素なホームルームを開いた時に、若林教師も首を傾げる。


「村上は来なかったなー……」

「どうしたんだ……? 間違いなく居たと思うんですけど」

「他の先生にも確認取ったがなー……辻本先生が、確かに村上を見たらしい。駅に居たのは間違いなさそうだなー……」

「……まさか、熱中症?」

「かもしれないなー……でも高橋は気にしなくていいぞー……こっちで確認するからなー……」

「お願いします」


 さほど仲は良くないが、あからさまに不穏な空気があれば心配もする。とりあえずはその日、高橋は帰宅した。

 翌日――同じ時間、同じ駅前で、やはり村上はやって来ていた。


「おい、村上! 昨日はどうして登校しなかったんだよ?」

「いやぁ……なんでだろうねー?」

「なんでだろうって……お前のことだろうが! 今日は来いよ!」

「はいはい」


 すっとぼけてた村上らしい反応で、適当に聞き流すソイツに腹を立てる。気がかりのせいで勉学に身が入らなかった……とは言わないが、気が逸れることは事実だった。

 なのにやはり、村上は教室にやってこない。

 朝方は間違いなく駅にいる。生徒も教師もそれを目撃しているのに、なぜか補講授業には出てこない……結局二週間にわたる補講期間で、一度も村上は出席しなかった。


(ったく、なんだんだ? おちょくってるのか?)


 こちらの心配をよそに、朝方出会う村上はマイペースに笑うだけだった。しかも教室に来ない理由を問い詰めても、はぐらかすばかりでちっとも明かしはしない。教師陣もおかんむりで、彼は他のサボった生徒よりも責められるだろう。


「おはよー」

「あっ! 村上っ!!」


 二学期の初め、いつも通りに挨拶する生徒へ、高橋は剣呑な声を上げた。


「てめぇ、補講全部さぼりやがって!」

「あははー」

「あははじゃねぇよ! ったく、毎朝ここに来てるくせに……」

「ははは……えっ?」


 急に村上の言葉がつまる。苛立ちをぶつけるように、高橋が大声で責めた。


「えっ? とか、そういうリアクションいいから。朝方俺らを見送りに来たんですか? こっちは熱中症で倒れてるんじゃないかって、若林も心配してたんですけど?」

「……ごめん、何の話?」


 血管をぷっつんさせて、どこまでもマヌケ面を晒すクラスメイトに叫ぶ。


「だ~か~ら~! ちゃんと駅には来てんのに、どうして補講はさぼったんですかって聞いてんだよ!」

「………………えっ?」


 凍りつく村上。顔を青くし、酸欠の金魚の如く口をぱくぱくさせた。目を泳がせ、混乱に見舞われながら、彼が告げる。


「どういうこと……? だってぼくは一度も、この駅に降りてないのに……?」

「は? は? はぁ!?」


 怒りで頭に血の上った高橋は信じない。村上は本気で怯えているようだが、一顧だにせず続けた。


「んな嘘つくなよ! 他の連中も見てるんだぞ!?」

「いやだって……訳が分からない。本当に?」

「…………はぁ~~~~っ。もういいわ。担任にがっつり叱られてろ」

「それは覚悟してる。サボったし」

「……」


 あくまで認める気がないらしい。変なヤツだとは思っていたが、これには高橋も呆れ果てた。教室に到着し、補講に出席した生徒が似たような質問を殺到させる。その度に村上は疲れたような、どこか怯えたような様子さえ見せ始めた。

 そんな反応するなら、正直に認めてしまえばいいのに。鼻息一つ鳴らして、遠巻きにその光景を眺める。やがて若林先生も同じ質問を重ねたところで、村上はこう言った。


「……わかりました。証拠を見せます」

「証拠ー……?」

「ちょっと待っててください」


 大沢や長瀬も、彼の動作を注意深く見守る。スマホを取り出しつつ、何故か財布から一枚のカードも引き抜いた。


「何してるの? それJRのICカード?」

「うん。いつも使ってるやつ。ID番号覚えてなくて……サイトも使ってないから手間取るけど……」


 現代において、改札口の通るのに切符を使うことは減った。あらかじめ入金チャージしたICカードをかざすだけで、自動で差額を引き落としてくれる。人によってはスマホにアプリを組み込んだり、定期券もICカード化が進んでいた。


「……これが証拠」


 村上が表示したサイトは、最寄駅を運営する電車サイト。そこには日付と時間がいくつも羅列されていた。


「これは何だー……村上ー……?」

「このICカードの、乗降履歴です」

「どーいうこった?」


 高橋が首を傾げる。村上は暗鬱な表情で答えた。


「ICカードで電車を利用すると『いつどこの駅で乗り降りしたか』の記録が、コンピューターに残るんだ。パスワードとIDを入れれば、色んな情報を確かめられる。みんなには夏休み期間中の所を、しっかり確認して欲しい」


 表示される日時の隣に、様々な駅名がある。問題の時期……補講期間中の二週間は、学校最寄りの駅に降りた記録がない……


「……嘘でしょ?」

「じゃ、じゃあ実際何やってたんだよ、村上! 家にいたのか!?」

「履歴を見て欲しい。いろんな駅で降りてるでしょ? ぶらり途中下車の旅をしてたんだ」

「ジジイかよ!?」


 補講期間中の履歴には、確かにいくつかの駅名がある。乗った時間、降りた時間も克明に記されていた。そのデータの記録が証明するのだ。『村上は一度も、補講の日に駅には来ていない』と。

 しかしー……それを見てもなお、納得できない。いや、納得したくない。


「でも……いたよね? 駅前に……」

「あぁ、居た。間違いなくいた。あれは村上だった」

「うんうん」


 教師も、生徒も、この展開は想像もしていない。

 何故なら――毎朝駅前で会った『村上』は、誰がどう見ても『村上』だったから。

 ちょっとだらしのない服装も、どこか間の抜けた口調も、持ち物からほんの小さな所作まで、疑うまでもなく『村上』そのものだった。クソ暑い夏日に歩いて登校するのも、間違いなく村上らしい行動だ。


 けど、だからこそ。今ここにいる村上の言葉も真実味を帯びる。

 サボりを兼ねた途中下車と散歩は……それはそれで村上らしい行動だった。何よりICカード履歴の証拠は、誰が見ても村上が駅前に居なかった証拠といえる。

 ならば――

 ならば、毎日

 夏休みの補講の日、生徒も教師も目撃した

 村上そのもとしか思えなかった――あの村上は誰だったのだ?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ