次へのバトン(夏詩の旅人シリーズ第6弾)
2006年7月。
埼玉県C市で行われている「風鈴まつり」のイベントに僕は呼ばれていた。
イベント会場は、C市で最も有名な観光名所であるC神社だった。
僕はその神社の境内で弾き語りライブをやっていた。
イベント会場は「風鈴まつり」というだけあって、境内の至る所に風鈴が吊るされていた。
そして露店でも、たくさんの風鈴販売をしており、風がなびく度にあちこちから、風鈴の音色が神社の境内へ響き渡っていた。
「いやあ良かったよ!ライブ」
ライブ直後の僕に、そう声をかけたのは、イベント会場の警備員をしていたハリーだった。
「えっ!なんであんたが…?」
思わぬところで、旧友と再会した僕は驚いた。
ハリーは小柄だが、がっちりした体格の男だ。
普段は警備員の仕事をしているが、実は彼もミュージシャンなのである。
以前、何回かブッキングで一緒になり、合同の打ち上げで飲んだりしてるうちに、僕はハリーと仲良くなった。
ガタイに似合わず彼の担当パートはキーボードで、大きな体を小さく丸めて弾く彼のプレイスタイルが、僕には印象的だった。
ハリーは僕より年齢が10歳くらい上だったが、妙に腰が低くて愛嬌のある男だった。
本名は、確か「イマイ」とか言ってたような気がしたが忘れた(笑)
周りのみんなが彼の事を、「ハリー、ハリー」と呼んでいるので、僕も彼の事をそう呼んでいる。
「いやあびっくりしたよ。まさかこんなところで会うとはね…」
僕はハリーに言った。
「いやぁ~私もびっくりですよ。たまたまここの警備の仕事が入って…、そんで来てみたらいるもんだから…」
とハリー。
「あんたはホント、どこにでも現れるよなぁ…」
僕は笑ってハリーにそう言った。
「もうお帰りで…?」と機材を片付けてる僕にハリーが尋ねた。
「いや、せっかくだから、数日はこの町に泊まっていこうと思ってるよ」
「そうですか。じゃあ私、まだ仕事がありますんで…」
ハリーはそう言うと、警備の仕事にまた戻って行った。
さて、僕はまだ今夜泊まる宿を抑えていなかった。
まぁ最悪は、近くの道の駅にでも車中泊すればよいことだ。
僕はイベント会場を後にして、町の中を散策してみる事にした。
町のメイン通りをちょっと外れて裏道に入れば、C市の町並みは古い住宅が建ち並ぶ、レトロな風景にガラリと変わった。
僕が住宅地を抜けて里山の方に向かって進んで行くと、子供たちのはしゃぐ声が聴こえて来た。
そのまま声のする方へ歩いて行くと、ちょっとした空き地にぶつかった。
空き地では子供たちが、サッカーをして遊んでいた。
(昔は俺の住んでた町でもこんな空き地があって、俺も毎日野球とかして遊んでたなぁ…)
子供たちの遊ぶ姿を眺めながら、僕はそんな事を思っていた。
すると、1人の子供の蹴ったサッカーボールが、近くの民家の中へ飛んで行くのが見えた。
ガチャン!
塀を越えて民家の庭に入ったサッカーボールは、その民家の庭にあった、植木鉢の様なものをどうやら壊してしまった様だった。
凍りつく子供たち…。
すると次の瞬間!
「くぉ~らぁ~ガキどもぉ~ッ!」という叫び声と共に、アヴァンギャルドな服に包まれた初老の女性が、竹ぼうきを振りかざしたながら、凄い勢いで民家から飛び出して来た。
「わぁああああああああ~!オニババだぁ~!」と叫び、ちりじりに逃げ惑う子供たち。
「こんな狭い空き地でサッカーなぞするなと、何回言えば分かるんじゃあ~!」
女性はそう怒鳴りながら、子供たちを追い掛け回す。
(へぇ~…。このご時世、まだあんなバアさんが存在してたんだぁ…)
僕はそう思い、感心していると、その女性の顔を「どっかで見覚えのある顔だなぁ…」と思い出した。
子供たちを空き地から追い出して、肩でふうふう息をしている女性に、僕は声を掛けた。
「おい!あんたキョウじゃないか!?、ヒステリックスのキョウだろ!?」
僕が彼女にそう確認すると、その女性は切れ長の瞳でギロリと、僕の方へと目を向けた。
「なんだい?あんたアタシの事を知ってるんかい?」と、独特のハスキーボイスで女性は僕に言った。
やっぱりそうだった…。
彼女は伝説のロックバンド「ヒステリックス・モガ・バンド」のボーカル、キョウであった!
「同じロックをやる者として、日本であんたを知らないやつなんていないさ」
「あんたたちは、何かしらの影響を俺たち、今のミュージシャンらに残しているんだからな」
僕は声を弾ませて、キョウへそう言った。
しかし、なんでキョウがこんな田舎町に…!?
さっきのハリーのときもそうだったが、どうもこの町は、この地で出会う事があり得ない人ばかりに、お目に掛っている…!
ヒステリックス・モガ・バンド
1970年代初頭にシンガーソングライターの最上和彦が結成した、海外で初めてセールス的に成功した日本人のロックグループ。
当時、日本公演で来日中だったイギリス出身のロックバンド「ロキシーズ」へ、音楽ライターの秋山シゲルが「日本にこんな面白いやつらがいるよ」と、ヒステリックスの2ndアルバム「Black Ship」をダビングしたカセットテープを彼らに渡した。
それがキッカケとなり、後にヒステリックスはロックの本場イギリスへ渡り、ロキシーズの前座として一緒に全英ツアーを周る事となる。
そのツアーでヒステリックスは、メインのロキシーズをも喰ってしまうほどの人気を博し、半年後にはイギリスで単独公演も果たした。
そして彼らの2ndアルバム「Black Ship」は、全英チャートで7位まで浮上し、50万枚の売り上げを叩き出した。
これは本国日本での「Black Ship」の売り上げの約10倍である。
あの時代、マイナージャンルだったロックでビッグマネーを手に入れ成功したヒステリックスは、日本国内で活躍する多くのロックミュージシャンたちに夢と希望を与えた。
ヒステリックスは、続く3rdアルバムの制作プロデューサーに、「クィーンズ」をプロデュースした大物、「クリス・モーガン」を迎えレコーディングを開始。
だが、そのアルバムの制作中に、ボーカルの「キョウ」は、バンドリーダーで伴侶だった最上和彦と離婚していまい、なんとプロデューサーのクリス・モーガンとデキてしまったのだった。
バンドは急遽解散し、3rdアルバムは幻の作品となった。
バンドメンバーらが日本へ帰国する中、キョウはクリスと共にイギリスへ残り、やがて2人は結婚した。
ボーカルのキョウはそれ以後、一切表舞台へ出ることもなく、事実上引退したとされていた。
そんな破天荒な人生を謳歌していたキョウが、今僕の目の前にいる。
「あんた何モンだい?…」
目の前にいるキョウの存在に舞い上がってしまっていた僕は、自分の自己紹介をするのも忘れてしまっていた。
「すまない、申し遅れた…。俺は、こういうモンだ…」
僕は自分の名刺を渡すと、自身のプロフィールをキョウに話し始めた。
話を聞き終わるとキョウが「ふ~ん…」と言った。
「あんたどうしてここに?、俺はてっきりロンドンにいるもんだと…」と僕。
「ふん…、いろいろあってな…」とキョウ。
「あんたと少し話がしたい。いいだろ?」
僕がそう言うと。
「まあ良い…、入りな…」と、キョウは家へ案内してくれた。
庭に置いてあった盆栽鉢の割れた欠片を、しゃがんで拾い集めるキョウ。
その傍には、サッカーボールが転がっていた。
「ちょうど10年前に日本へ帰って来た…。ここはあたしの実家さ」
キョウが喋り出す。
僕はしゃがんだキョウの背中を見つめながら話を聞いていた。
「10年前はあたしの両親もまだ生きてたが、今はもう2人とも亡くなって、5年前からはここに一人で住んでいる…」
キョウが淡々と言う。
「あたしゃクリスと離婚したんだ。クリスが他に女作ってね。あいつは3回目の結婚をしたというわけさ…」
「あたしも、若いときから好き勝手に生きて来たけど、結局、女として生まれて来たのに子供も作らず、今じゃたった一人でここに暮らしている有り様さ…」
そう言うとキョウは手をパンパンと叩いて立ち上がった。
「そんなに長生きしようなんて思ちゃいないが、あたしだって考えてしまうよ、いずれは自分も死んで、そしてこの世からあたしの存在は何1つ残らずに消えていくんだなとね…」
キョウが遠くを見つめながら、少し寂しそうに言った。
「そんな事ないさ。あんたの歌は、俺たちの心の中に永遠に生き続けて行く」
僕はキョウへそう言った。
「歌ね…。歌なんてもんはな、歌い継がれていかなけりゃ意味がない。誰かが歌い続けなけりゃ消えてしまうのさ…」
ちょっと諦め口調でキョウが言う。
「だったらあんたの歌を、幻の3rdアルバムの曲を、誰かに受け継がせれば良いじゃないか?」
「はん!、めちゃくちゃやってきたあたしゃ、あの業界じゃ嫌われ者さ。なんのコネも残っちゃいない」
「それに、この町のみんなからにだって、あたしゃあ変わり者だと嫌われてるしな!」
キョウがそう言うと、家の軒先に吊るしてある風鈴が「チリン…」と小さく鳴った。
「なんだい最近の若いやつらときたら…、あたしが昔ここに住んでたときとはまるで変っちまったよ」
キョウはタバコに火をつけ、続けてしゃべり出す。
「子供が悪さしてても、親は無関心で知らんぷり。そこであたしが注意してやりぁ、“子供に言わないで下さい!、注意するなら私に言って下さい!”と、あたしに逆切れするあり様さ」
身振り手振りで話し出すキョウ。
「それに最近は親たちのクレームで運動会のかけっこは、全員同時にゴールさせ、学芸会のシンデレラや桃太郎なんかは、クラス全員が演じて30人のシンデレラや桃太郎が舞台に立って、物語の構成もへったくれもありゃしないそうじゃないか…」
「普段勉強は出来ないけど、かけっこで一等賞を取るのを楽しみにしてる子供の権利は奪ってしまって、勉強にはしっかり順位をつける」
「だったらオリンピックなんかも辞めちばえばいい!」
そう言うと、キョウはタバコの煙を吐いた。
「みんな平等にシンデレラや桃太郎をやらせて、子供たちから競争心を奪い、結果、弱い子がどんどん増えていくあり様さ」
タバコをくわえ、煙を吸うキョウ。
「いくら親や教師がかばっても、子供はいつか、1人で乗り越えなければならない場面が必ず現れる…」
「そのときに、学生時代にずっと守られて甘やかされてきた子供たちは、それを乗り越えられず、結果、引きこもりや自殺へとつながっていくんだ」
「だから子供時代に、大人がどういう態度で接していくか、それはとても重要なことなんだ」
また煙を吐いて、塀の先を眺めながらキョウは言った。
僕は彼女の話を黙って聞いていた。
「良き親、良き教師、良き先輩に良き友人との出会い…、子供の周りには、そういう人間がいないと、子供はどんどん歪んで成長しちまうもんさ」
キョウは、最後に思いのたけを吐き出す様に僕へそう言った。
「ずいぶん子供の事を考えてるんだな…?」
僕がキョウにそう言うと。
「別に考えてなんかいないッ!、あたしゃ子供が大っ嫌いだッ!」
と、タバコを手にした腕を振り上げながら怒鳴り出した。
「子供なんて、デリカシーがなくて、わがままで、ずうずうしくて、辛抱が足りなくて…」(伊武雅刀か…!?)
キョウは確信を突かれて恥ずかしいのか?、手を振り回しながら必要以上に子供嫌いをアピールしてきた。
「まぁまぁ…」
そこまで言わんでも…という身振りで、僕は引きつり笑いをしながらキョウをなだめるのであった。
翌朝。
僕は、町で唯一の喫茶店でモーニングをオーダーして食べていた。
店内にはマスターの他に、30代くらいの女性と、40代くらいの男性が地元の噂話で盛り上がっている。
しばらくすると、その中の1人の40代くらいの男性が、僕の所へ来て話しかけて来た。
「あんたキョウバアさんの知り合いかい?」
僕がその男性をジロリと見ると、「いや俺はバアさんの隣に住んでるモンだ。あんたが昨日、バアさんと話してるとこ見かけてね…」と、男性が気まずそうに言った。
「知り合いという程でもない。昨日初めてあの人と会って、ちょっと話しただけだ」と僕は言った。
すると店のマスターがカウンター越しから、「あのバアさんは変わモンで常識がないから、あんま関わらない方がいいよ」と言った。
「常識がない…?」
僕が尋ねると、マスターがしゃべり出した。
「ほら、あそこにある、この店の幟…、あれがあると邪魔だからどかせって、先日この店に怒鳴り込んできたよ」
僕が、チラッとその場所を見ると、幟が路地の曲がり角から飛び出す様に、立ててあったのが見えた。
「あのバアさんは、何でも自分の思い通りにならないと気に入らないらしい…」
マスターが続けて言った。
「でもあの幟があそこに立っていると、路地を曲がるとき大回りしなきゃならない」
「幟があって反対側もまったく見えないから、道を曲がる人は反対側から来る車両などと鉢合わせになりそうで危ないと思うがね…」
僕は言った。
そう言われたマスターは、認めたくないのか不機嫌そうな顔をした。
「でもね、あたしなんか今年の2月…」
今度は30代くらいの女性が言い出した。
「私は共働きだから、いつも自転車に子供を乗せて保育所へ行き、そこで息子を預けてから仕事に行くんだけど…、その時、あのバアさんが“こんな日に二人乗りして危ないだろ~!”いきなり怒鳴り出して…、私びっくりしちゃったわ!なんて人なのかしらって…」
女性の話が終わった。
「雪は残ってたか…?」
僕は言う。
「は?」とその女性。
「今年は大雪だった。2月でこの地域なら道に雪がまだ相当残っていなかったか?」
僕がそういうと。
「そういえば、道は雪が残ってて固まってたわね…」と女性が言った。
「コチコチに固まった雪の上を、自転車で走ってブレーキをかけたらどうなると思う?」
「大人は転んでも足が地面に着くが、後ろの子供は大惨事になるぜ」
僕がそういうと、女性は黙ってしまった。
「でもね!…」
まだ納得できないのか、今度は、バアさんの隣に住んでいるといった男性が話し出した。
「先日、友人を集めて庭でBBQやってたら“こらぁ~こんなとこでBBQなんかやったら迷惑だろうがぁ~!”って怒鳴り出したんだよ」
「別に騒がず、みんな静かにその日はBBQやってたのにだよ…」
男性がそう言い終えると、僕は“ハァ…”とため息をつきながら言った。
「あんなとこでBBQなんかやったら、ご近所さんの洗濯物に、みんなあんたの焼いた肉の匂いがついちまうぜ」
「いいか?、あんたらは発想が貧困すぎる。バアさんが嫌いな余りに、バアさんの本当の真意をまったく理解できていない」
「バアさんが怒ってるのは、バアさんの都合や希望で怒ってるんじゃない、周りのみんなの事を考えて、代表して怒ってくれてるんだ」
「今の話を聞く限りじゃ、あんたたちの方がよっぽど常識がないと思うがね…」
最後に僕がそう言うと、店の3人はお互いの顔を見合わせて黙ってしまった。
先ほどの喫茶店を出てから、僕はまたキョウの家の近くの空き地を通りかかった。
「くぉらぁああ~、待てガキどもぉ~!」
キョウの叫び声が聴こえて来た。
キョウは、この日も子供たちを追い掛け回していた。
どうやらまた庭の盆栽などを割られたようだ。
「よう」
僕はキョウの側へ行って声をかけるが、キョウは僕にまったく気が付かず子供を追い掛け回していた。
その顔は活き活きとしていた。
僕の目の前を子供の集団が「わぁ~!」と言いながら走り抜ける。
そのあと時間差で、キョウも「待てこらぁ~!」と言って走り抜けた。
今度は反対側から子供たちが走り抜ける。
キョウも戻って来て、僕の前を通過した。
3度目に子供たちが僕の前を走り抜けると、キョウがそのあとから「ハァハァ…」と肩で息をしながら、「くそう…すばしっこいやつらめ…」とつぶやき、僕の前で止まった。
や~い!や~い!と遠くからキョウをからかう子供たち。
それを睨みつけてるキョウ。
「なんだ、楽しそうじゃないか?…」
僕が目の前のキョウにそう言うと、彼女は「ハッ」として、「楽しいことなんてあるもんか~ッ!」と、今度は僕に怒鳴り出した。
ゴホゴホゴホ…。
走ってから大声を出したキョウは、むせ出した。
「オバアちゃん大丈夫…?」
キョウが振り返ると、彼女の後ろに立っていた小学3年くらいの女の子がいた。
「なんだナツか…。お前なんでこんなとこにいる?」と、キョウはその少女に言った。
少女はキョウを見ながらニコニコしている。
「早くみんなのとこ行って遊んで来い。お前、あたしが怖くないんか?」
キョウが少女にそう言うと。
「あたしオバアちゃんの事、怖くないよ。だってオバアちゃんは、ホントは優しいって知ってるもん」と少女は言った。
その言葉を聞いて、ちょっと驚いた顔をしたキョウは、「ふん…」と言って、照れ臭そうに家の中へ戻って行った。
キョウの家の中。
キッチンに置いてあるテーブルに座るキョウに、僕は立ったまま窓ガラス越しに見える軒に吊るされた風鈴を見ながら言う。
「具合悪いのか…?」
咳が止まらないキョウに僕は尋ねた。
「最近どうも、咳が止まらん…」キョウが言う。
「病院で一度見てもらったらどうだ?」
僕がそう言うと。
「この前、見てもらった。念の為いろいろ検査もしておいた。明日その結果を聞きに、また病院へ行くつもりだ」とキョウは言った。
「大事にならないといいな…。明日、診断結果を教えてくれ」
僕がそういうと、外から女の子の鳴き声が聴こえて来た。
あ~ん…あ~ん…。
声が聴こえるのは、家の前の空き地からだった。
「またやっとるな…」
そういうとキョウは立ち上がり、家を出ていく。
外に出てみると空き地では、さっきの女の子が泣いていた。
「こらぁ~ッ!三平~ッ!またナツをいじめおって~ッ!」
キョウは三平と呼んだ小5くらいの太ったその男の子に、そう怒鳴った。
「やべッ!オニババだ…ッ!」
三平はそう言うと、泣いているナツの前から慌てて逃げて行った。
キョウは泣いているその少女に近づく。
「ナツ…、もう泣くな…」
キョウは少女に話しかける。
「ナツ、うちでトコロテン食べてくか…?、カルピスもあるぞ…」
そう言い終えると、ナツはコクンと頷いて、キョウの後について行った。
「ナツ…、箸はこう持つんだ…」
「こう…?」
トコロテンを食べてるナツに、キョウは箸の持ち方を教えていた。
「お前、箸がきちんと持てないようじゃ、将来高級な和食店へ彼氏に連れて行ってもらったとき、女子力が落ちるぞ…」
「ジョシリョク…?」
「まぁ良い!…」
小学生の小さい子には、まだ早すぎる説明をしたと思ったキョウは、顔を赤らめてそう言った。
僕はその2人の可笑しなやりとりを見ていた。
「ナツ…、お前は泣き虫だなぁ…」
トコロテンをツルツル食べているナツにキョウは言う。
「そんなことじゃ、将来大きくなったとき、大切なものを守ることができないぞ」
「だって女の子だもん…」
ナツが応えた。
「違うんだよナツ…。本当は男よりも、女の方が全然強いんだ」
「え?」
「大切なものを守るとき、女は男よりも強くなるのさ…」
「ふ~ん…」
ナツはキョウの話を聞いてそう言った。
「あ!エレクトーンだ!」
トコロテンを食べ終わったナツが、奥の居間に置いてあるエレクトーンに気が付き言った。
エレクトーンに駆け寄るナツ。
少女はそれを興味深そうに眺めている。
僕はその姿を見て、思いつく。
「ねぇナッちゃん、知ってるかい?、キョウバアちゃんは昔すごい歌手だったんだぜ」
少女に近づいて僕は言う。
「え!?」
ナツの顔が驚く。
「外国でも歌ってた有名な歌手だったんだ」
僕がそう言うと、「急に何を言う!?」と、キョウが僕に向かって言った。
「ナッちゃん、オバアちゃんに歌を教えてもらいたくないかい?」
「オバアちゃんの作った歌を、歌ってみたくないかい?」
キョウにお構いなしに、僕は続けてナツに言った。
「うん!歌ってみたい!」
「ねぇ、オバアちゃん、ナツに歌教えて」
少女がキョウに言った。
「だめだ!」
キョウがナツに言った。
「ええ!?、なんでぇ?」
「あたしゃ、歌に関しては妥協できん…」
「ダキョウ?…」
「つ…、つまり、教え方が厳しいという事だッ!」
「お前みたいな泣き虫にゃ、あたしの教えについて来る事はできん!」
キョウは少女に断るが、ナツも食い下がる。
「ねぇ!、オバアちゃんお願い!」
「歌教えて!」
「私もう絶対泣いたりしないからぁ!」
キョウの袖を引っ張って、ナツはしぶとくお願いする。
「ねぇ!だめ?」
「オバアちゃん!オバアちゃん!」
「うう…、勝手にせい、厳しくても知らんぞあたしゃあ…」
キョウがナツに根負けしてOKした。
わ~い!と喜ぶナツ。
(余計なことをしおって…)、という顔をして、キョウは僕を睨んだ。
僕は怒った顔をしたキョウに、(いいじゃないか…)と微笑んだ。
翌日。
この前の検査の結果を病院へ聞きに行く為、キョウはバス停方面に歩いていた。
バス通りを歩いていると目の前に、この前ナツをいじめていた三平がいるのが見えた。
「これッ!三平ッ!」
キョウが昨日の事を三平に叱ろうと叫んだ。
「うわッ!オニババだッ!」
キョウに気づいた三平は、慌てて道路の反対側へ逃げようとした。
すると向こうから、猛スピードを出したバイクが走って来た。
「危ねぇぞガキッ!」
バイクに乗ったフルフェイスメットの少年は三平をかわし、そのまま通り過ぎた。
危うくバイクに轢かれそうになった三平。
「こらぁ~ッ!こんな狭い道でスピード出したら危ないだろがぁ~!」
そう叫んでバイクを追いかけるキョウ。
「うるせぇ!ババア!」
キョウとすれ違いざまにバイクの少年が叫んだ。
ふぅふぅ…。
30mほど追いかけたキョウは諦めた。
あの声は、地主の息子のマサトだとキョウはすぐ分かった。
「まったく…、親が甘やかしてるからマサトもあんな風になっちまう…」
「バイクなんぞ乗りおって…」
高1になったマサトを、小さい頃から知っているキョウはそうつぶやいた。
(あの子だってホントはいいやつなのに…)
キョウはそう思いながら、走り去るバイクの少年を眺めていた。
マサトはそれからしばらくバイクを走らせたあと、駅前で停車した。
「あのババア…、いつもゴチャゴチャうるせえんだよな…」
「ちょっと懲らしめてやるか…」
メットをかぶったまま、マサトはそうつぶやいた。
県立C病院。
キョウは診察室で医者と向かい合っていた。
「肺がん…?」
キョウが医者に聞き返した。
「そうです。ステージ4まで進行しています」と、医者はキョウに伝えた。
「キョウさんご家族は…?」
「あたしゃ一人モンだ。誰も身内なぞおらん」
「そうですか…。残念ながら癌は全身に転移してまして、手の施しようがありません。あなたここまで酷くなるまで気が付かなかったんですか…?」
医者の話をキョウは黙って聞いている。
「これからどうされますか?、抗がん剤で余命を多少伸ばす事は可能です。ただし抗がん剤の副作用で、苦しい思いはする事になるでしょう」
「あとはホスピスへ入り、残りの余命を苦しまなくて過ごす方法もあります…」
「どちらもやらなくて結構…」
医者の言葉に対してキョウは言う。
「どのみち、そんなに長生きするつもりはなかったが、あたしにゃ、まだやり残したことがある…」
そう言うとキョウは帰り支度を始めた。
「時間がないんだろう…?、だったらそんなとこで入院してる暇なぞない!」
キョウは医者にそういうと、診察室から出て言った。
自宅近くのバス停から降りたキョウ。
バスが走り去って行く。
「癌か…」
キョウはそうつぶやくと、「はぁ…」とため息をついた。
僕は、バスから降りてトボトボ歩いてるキョウの姿を見かけた。
「どうだった診断結果は…?」
僕はキョウに小走りで近づいて聞く。
「どうもこうもないわぃ…」
一緒に歩きながらキョウは言った。
路地を曲がるとキョウが「あ…!」と一言もらした。
そこから見えたキョウの家の塀には、スプレーで書かれた大きな落書きが、全面に渡って広がっていた。
“死ね!ババア!”
“早くくたばれ!”
“とっとと出てけ!”
“さっさと消えちまえ!”
落書きには、こんな事が書いてあった。
「ひでぇな…」
落書きを見た僕は言う。
「あの子が…、あのマサトが書いたのか…ッ!?」
「あの子はあたしの事を、こんな風に思ってたのか…?」
落書きを呆然と見つめるキョウ。
するとキョウは、僕に振り向いて言った。
「あたしゃ…、あたしゃぁ一体…、何の為に今まで生きてきたんだろうねぇ…?」
そう言うと、キョウは顔をくしゃくしゃにして、声を押し殺し震えて泣いた。
それは、彼女が初めて見せる涙であった。
僕は泣いているキョウを、ただ黙って見ているしかなかった…。
僕は近くのホームセンターで買って来たペンキで、壁の落書きを消していた。
僕は、先ほどキョウから癌の話を聞かされた。
キョウは落書きの事がショックで、寝込んでしまっていた。
ペンキの上塗りで落書きを消していると、三平と呼ばれていた少年が通りかかった。
「おじさん何してんの?」
「ああ…これ?、ひどい悪さするやつがいてさ、落書きを消してんのさ…」
僕は作業をしながら三平に言った。
「ふ~ん…」
三平はそう言うと、路地を曲がって行った。
三平が路地を曲がると物陰に隠れるかたちで、地主の息子マサトが、スマホを片手にヒソヒソ話をしているのが見えた。
「そうなんだよ…、落書きがすぐ消されちゃってよぉ…」
「だからまたスプレー缶買って、ここへ来てくれよ」
「もうちょっとバアさん懲らしめてやんねぇとよ…」
三平は、マサトがそんな事をスマホで話しているのが聴こえた。
三平が空き地へ着くと、少年少女らが10人ほど集まって遊んでいた。
いつもの遊び仲間たちである。
三平がみんなと合流すると、遠くにナツが歩いている姿が見えた。
ナツは三平らの仲間に加わらないで歩いて行く。
不思議に思った三平がナツに声をかけた。
「お~い!、ナツどこ行くんだぁ~?」
三平の呼びかけで、ナツはみんなのところへ歩いて来た。
「わたしね、これからオバアちゃんちで歌を教えてもらいにいくの!」
明るい表情でナツはみんなに言った。
「ええっ!?、あのオニババのところへかッ!?、大丈夫かよナツ?」
三平がナツに言うと。
「オバアちゃんはオニババなんかじゃないもんッ!」と、ナツがふくれっ面で言った。
「オバアちゃんはホントは優しいんだよ!」
「だって、わたしが友だちいなくて独りぼっちにしてた頃、一緒に遊んでくれて、あやとりとか折り紙とか教えてくれたんだよ!」
「オバアちゃんは子供が悪さすると怒るけど、ちゃんとしてれば優しいんだからぁ!」ナツがムキになっていうと。
「そう言えば俺…、この前の盆栽壊したサッカーボールを取りに、勇気を出して一人で謝りに行ったら“えらい!、よく勇気出して謝りに来た!”って、褒めてくれて、そのあとスイカ食わしてくれたんだ…」
グループの中の、一人の少年が言った。
「そう言えば俺も…」
三平が話し出した。
「俺この前、地主のマサトのバイクに轢かれそうになったとき、バアちゃんがマサトの事怒って、ず~と走って追っかけて行ってたよ」
三平がそう言うと他の子どもたちも言い出した。
「そう言えば俺も…」
「わたしも…」
子供たちが一通り話し終える。
するとみんなは、考え込む様に黙ってしまった。
しばらくすると、「ねぇ!、みんなも一緒にオバアちゃんのとこ行って、歌を習いに行こうよ!」
ナツが突然言い出した。
「オバアちゃんねぇ、若い時はすごい有名な歌手だったんだって!」
「ほんとかッ!?」
驚く少年たち。
「うん!、それでね、外国でも歌ってたんだよ!」
「だからオバアちゃんは凄いんだよ!、ねぇ、みんな一緒に行こうよ!」
「まじかよ…、俺エグザイル歌える様になりてぇ…」と三平が言うと、ほかの子供たちも言い出した。
「俺、歌える様になってジャニーズに入りてぇ!」
「お前は顔でムリムリ…」
「なんだとお前!」
「俺、舟木一夫の“高校三年生”歌える様になりてぇ…」
「お前一体いくつだよ!」
「ははははは…」
空き地に少年たちの笑い声がこだました。
「どっこいしょ…」
布団から起き上がろうとするキョウ。
「今日は止めとけよ」と僕は言った。
僕はペンキ塗りが終わり、キョウの家の中にいた。
「だめだ。もうすぐあの子がやって来る。あたしゃぁ、あの子と約束したんだ…歌を教えると…」
「あたしにゃもう時間がないんだ…。それにあたしは、ナツに強くなれと言った。だからこんな事に負けてられん…」
僕が止めても、キョウはそう言って起き上がろうとした。
すると突然、家の外からバイクを激しく吹かす音が聴こえて来た。
激しいバイクの排気音。
バイクを吹かしていたのは、フルフェイスメットをした地主の息子マサトと、その友人ら3人だった。
「おらぁ~!ババア~!くたばりぞ来ないがぁ~!出て来いよ!おらぁ~!」
マサトがイキがって叫んでいる。
キョウの近所の住民たちが何事かと思い、家の中から出て来た。
しかし、それが地主の息子のマサトの仕業だと分かると、関わり合いになりたくないと思い、家の中へみんな入ってしまった。
バイクの音は、空き地にいるナツたちにも聴こえていた。
「なに、あの音?」とナツ。
「あ!」
三平が突然叫んだ。
「俺さっきここに来る前に、マサトがバアちゃんちに嫌がらせをしに行くって、電話で話してるの聞いたんだッ!」
「マサトはバアちゃんちの塀に、いっぱい落書きして、すぐ消されちゃったから、またやりに行くって仲間に電話してた!」
「大変!やめさせないと!」
三平の説明を聞いたナツが言う。
「みんな!オバアちゃんを助けにいくわよッ!」
「……」
「どうしたのよ!みんなッ!?」
ナツが助けに行こうと言っても、向かおうとしない仲間たちにナツが聞く。
「俺の父ちゃん、マサトの父ちゃんの会社で働かせてもらってっから逆らえねぇよ…」
三平が言う。
「あたしもママが、マサトの家でやってるスーパーでパートしてるから無理だわ…」
一人の女の子が言った。
「俺んとこも…」
「うちも…」
「無理だよ…」
「なによあんたちッ!、そんな大人の都合なんて、わたしたちには関係ないじゃないッ!」
「もういいッ!わたしは行く!」
「三平のいくじなしッ!」
「あっ…、ナツ!」
ナツはキョウの家に向かって走り出した。
お互いの顔をうかがう少年たち。
三平はうつむいてこぶしを握ったまま、何かブツブツ呟いていた。
「…れは、…じゃねぇ…」
「俺は…、いくじなしなんかじゃねぇッ!」
三平はそう叫ぶと走り出した。
「お~い!ナツ待ってくれ~!俺も行くよ~ッ!」
三平のその姿を見た他の子どもたちも、お互いの顔を見合せ、コクンと頷くと、一斉にナツと三平の方へと走り出した。
バイクの激しい排気音は、キョウの家の前でまだ続いていた。
「あいつらぁ…」
家の中にいる僕は言う。
するとキョウが起き上がって言った。
「このままじゃご近所迷惑だ…。なぁに、あたしが頭下げりゃあ済むことだ…」
「待て!あんたは悪くない。謝る必要なんかない」
僕は外へ出ようとするキョウに、手で制してそう言うと、「あんたは寝てろ…」と言って玄関へ向かった。
僕がドアを開けると、黒いツナギを着たバイク少年3人の姿が見えた。
「よ~し…、そろそろ始めるぞ…」
マサトはそう言うと、スプレー缶を取り出した。
僕が家を出ようとした時、遠くからナツを先頭に子供たちが走って来る姿が見えた。
「待て~!」
「やめろぉ~!」
そう叫びながら走って来る子供たち。
「なんだありゃぁ…?」
マサトが言う。
子供たちが到着する。
ナツはスプレーを手にしたマサトの前に、両手をいっぱい広げて立ちふさがった。
それに続いて他の子どもたちも、塀を背に立ちはだかり、落書きを阻止し出す。
「あんたたち、なんでこんな酷いことすんのッ!やめなさいよ!」
小さなナツがマサトに言った。
「うるせぇな…、どけよガキ」
ナツたちをどかして、スプレーで落書きをしようとするマサト。
「そう…、わかったわ。やめないのね…?」
マサトを睨みながらナツは言う。
「みんなぁ~!、かかれ~ッ!」
ナツは仲間たちに号令をかけた。
わ~~~~~~~~~~ッ!!
子供たちは叫びながら、砂利道の砂や石をバイク少年たちに投げつけだした。
「うわッ!なんだこいつらッ!」
「やめろ!ガキッ!」
砂まみれになり、石を次々と投げつけられるマサトたち。
「うわぁ~~~~ッ!」と、叫びながら三平は持ってきたバットで、マサトたちのヘルメットをポカポカと殴り出す。
「痛てッ!なにすんだてめえッ!?、痛てッ!」
子供たちの激しい攻撃に、マサトが手からスプレーを地面に落とした。
ナツはそれを素早く拾うと、マサトたちに吹きかけた。
スプレーから真っ赤なペンキが飛び出す。
フルフェイスメットにペンキをかけられ、前が見えなくなったマサト。
ナツは他のバイク少年たちにもスプレーを吹きかける。
「うわッ!バカッ!やめろッ!やめてくれぇ~!」
ツナギに赤い線が入る。
バイクにも噴射される。
「逃げろぉ~!」
マサトがそう叫ぶと、少年たちはバイクにまたがり逃げて行った。
「やった!やった!やったぁ~!」
ナツたちが歓喜の雄叫びを上げている。
僕はその一部始終を唖然として見つめていた。
それにしても、あの泣き虫だったナツが、こんなにも強く、たくましく変わるなんてと驚いていた。
「あいつら…」
僕の背後からキョウの声がした。
振り返るとキョウが後ろに立っていた。
彼女も一部始終を見ていた様だ。
「あ!オバアちゃん!」
玄関から見ていた僕らに、気が付いたナツがそう言った。
駆け寄って来る子供たち。
「ねぇ、オバアちゃん!みんなにもオバアちゃんの歌の事話したの!」
「そしたらみんなもオバアちゃんに歌を教えて欲しいって…ッ!」
声を弾ませてナツが笑顔で言った。
「バアちゃん、俺エグザイル歌ってカッコよくなりてぇ!」
三平が言う。
「俺は舟木一夫の“高校三年生”歌いてぇ」
他の男の子が続いて言う。
「だからお前はいくつだよ!?」
ははははは…。
驚きの表情をしたキョウの周りを、子供たちが笑顔で囲んでいる。
「ねぇ!オバアちゃん、いいでしょ?みんな一緒に?」
とナツ。
「なぁ…頼むよバアちゃん…」と三平。
「バアちゃん!」
「ねぇ、バアちゃん!」
「良かったな…。いっぺんにこんなにたくさんの孫たちが出来て…」
僕が横のキョウにそう言うと、キョウは「お前たち…」と言って、目頭を押さえて涙した。
しかしこの涙は、さっきの涙とは違った。
キョウの嬉し泣きの涙であった。
「よ~しッ!そんじゃあたしもまだまだ負けらんないね~!」
「歌の練習始めるよ~!」
キョウがそう叫ぶと、子供たちは「わぁッ!」と喜んだ。
こうしてキョウの歌は、次の世代へと、バトンがたくされたのであった。
庭先に吊るしてある風鈴が、はしゃいでる子供たちの近くで一音鳴った。
fin