7. 静電気魔術師
昨日の驚きを共有しようと、朝食を終えた後にクロムはさっそく後輩を捕まえた。
「えっ、スノウさんが昨日来たって、ここにっすか!?」
「そう。突然現れて、びっくりしたよ」
「ひょえー、さすがスノウさん。行動早ぇな!でもよく移動の魔術道具の許可が下りたっすね。何か業務のついでとか?」
「それがさ、王宮管理の魔術道具じゃなくて、白魔術師棟の秘蔵を使ったらしいの!」
黒魔術であれば、個人的に転移しようと思うと、クロムたちが使ったような希少な魔石が必要になる。
しかしながら、白魔術は精霊のさじ加減ひとつというところがある。スノウが言うには、白魔術師棟の秘蔵とやらを差し出して頼むと、精霊は快く協力してくれたらしい。
「白魔術師棟の秘蔵って……それ大丈夫なやつっすか?」
「さあ?でもスノウさんは特に問題なさそうだったよ」
「まあ、スノウさんは問題ないかもしれなくても、白魔術師長はどうっすかね……」
後輩は少し遠い目をした。
アッシュはたまにクロムが知らないような情報を持っていたりするのだ。特に白魔術師棟に関することでは。その秘蔵とやらも、何か心当たりがあるのかもしれない。
クロムは白魔術師長にはあまり会ったことはないが、話を聞くかぎりではどうも不憫な人に思える。曲者揃いの白魔術師たちの手綱を握るだけでも大変だろうに、なにやらクロムの上司である黒魔術師長にも弱いらしい。
「まあ、あの人が…………」
アッシュが小さく何か呟いたようだが、クロムには聞き取ることができなかった。
その呟きをごまそうとしたのか、アッシュはクロムの左手首に目を向けた。
「それで、さっきから気になってたんですけど、その腕輪はスノウさんから?」
「ああ、うん。魔除けの魔術道具だって。なんだかすごい魔力を感じるから、相当に強力なものじゃないかと思う」
腕輪を見ると、これを着けてくれた時のスノウの手の優しさをうっかり思い出してしまい、クロムはむずむずする心をぐぐっと堪えた。
「ほんとだ。おっそろしいほど深い色っすね。どれだけ魔力をこめたらこんな色に…………っ、」
「わっ、バチっとした!ごめん、静電気かな」
「って~…………、今日ってそんな乾燥してましたっけ」
魔石をよく見ようと手を伸ばしたアッシュは、そこに触れた途端に軽い電撃が走って堪らず手を引いた。しびれた手を振りながら、少し涙目になっている。
かわいそうになったので、手を伸ばしてよしよしと頭を撫でてやると、アッシュは慌てたように逃げて行ってしまった。
クロムたち派遣魔術師の目的は、前時代の魔術や遺跡を調査研究することであるが。
遺跡といっても、物理的に遺構が現存しているものだけではなく、魔術書の中に魔術的な空間として残されているものもある。魔術師が必要とされるのは、むしろ後者だった。
魔術書の中にある空間では、独自の特殊な法則が敷かれていることが多く、それは中に入ってみないと分からない。場合によっては自力で出られなくなる可能性もあるので、キナバル支部では他の魔術師を補佐として外で待機させ、魔術書内部に降りる者と魔術回線を繋げておき、命綱となるようにしている。
代打で派遣されたクロムも、前任のリードが行っていた案件を引き継いで調査している。
残念ながらまだ前時代の魔術書に潜る機会は得られておらず、ここ数日は、事務用の部屋にこもって前任が残した書類の処理ばかりしていた。
事務用の部屋は、キナバル支部の本棟にある。ちなみに魔術書への対処などに使う作業用の部屋は、何があるか分からないために別棟に配置されている。
クロムが使っている事務部屋は、個人用の机が六つほど置かれた、それほど広くはないところだ。
「なあ、クロム、……っわ!」
向かいの机の同僚が回覧書類を渡そうとしてくれたところで、ばちっと音がするほどの電撃が走った。
「あ、すみません。なんだか今日は静電気がすごくて」
「はー、静電気かこれ。帯電してんだな」
「なんだろう、乾燥でしょうか?あ、書類、ありがとうございます」
どうも今日は静電気がたまりやすいようだ。
慌てて謝りながら書類を受け取ると、今度は何も起こらずにクロムはほっとする。
その日は、それからも何度か同僚に静電気を走らせた。
夕方、仕事終わりに出会った後輩が言う。
「先輩、なんか、静電気魔術師って呼ばれてるらしいっすね」
「え、」
後輩によると、前任のリードもまた静電気魔術師と呼ばれていたことで、よけいにそうなってしまったらしい。
リードが負傷したのは、冬枯の魔術書に潜っていた時に電撃の魔術を暴発させたからだ。本人は笑っていたが、けっこうな大惨事になりかねなかったものだった。
なんとか魔術書から戻った後も、暴発の際のあまりの放電量にリード本人が帯電しており、しばらくは何に触れてもバチバチやっていたのだとか。
そこへきて、後任でやって来たクロムのこの状態である。
キナバル支部は、決して大きくないコミュニティだ。そしてみんな、娯楽に飢えている。些細なことでも、あっという間に広まるのも不思議ではなかった。
だから翌日には、静電気魔術師という呼び名はすっかり知れ渡っていたのだった。
やや不本意な呼び名が定着してしまってクロムの心はくさくさしていたが、左手に目を向ければ、自然と口角が上がってしまう。
スノウがくれた腕輪は華奢な作りが繊細でしゃらりと揺れ、魔術道具であるからだけでなく、単純にクロムの好みでもあった。そのため、ついついご機嫌で目に入れてしまうのだ。
(次に会えるのがいつかは分からないけれど、その時は改めてお礼を言おう……)
そんな決意のおかげか、スノウはその三日後の夕方に再び訪れ、クロムは目を丸くする。
「え、こんなに頻繁に来て、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない」
どうやらスノウは、白魔術師棟の秘蔵とやらをわりと自由に使う権利をもぎ取っているらしい。その陰にはアイビーの尽力があるのだとか。
そういえば、後輩に白魔術師の暴走を懸念されていたのだった。
(……アイビーさんが関わっている時点で、あまり詳しく聞かない方がいいような気がする。白魔術師長はうちの師長には弱いみたいだから、もしも都合が悪くなったら師長になんとかしてもらおう)
本当に大丈夫なのか少し気になるところではあるが、しかしそれは白魔術師棟の問題であるとクロムは頷くと、他人事として頭から放り出した。
今日のスノウは仕事終わりにやって来たということで、少しゆっくりできるらしい。個人的に来ているので、帰りの時間も自由だ。
それならと、キナバル支部の食堂へ誘って夕食を共にすることにした。
食堂では、キナバルの郷土料理が提供されている。キナバル地方は一年を通して気温が高く、食事は辛いものが好まれる。辛いものも好きなクロムは、ここでの食事を楽しめている。
食堂メニューによると一番人気は、ココナッツ風味の魚介だしスープが美味しい麺料理とのことだったので、スノウはまずそれを選んだ。
それから、クロムが気に入っているチキンライスを勧めてみると、それも挑戦してみるという。
さらにデザートとして、果物盛り合わせ。その中には、独特の香りを放つキナバル特産の果物もあったが、スノウは興味深そうに咀嚼していた。
食べたことのないものでも肯定的に挑戦してみる姿勢に、クロムの中で好感度が上がった。
クロムは、香味野菜のサラダと、薄く伸ばした生地をカレーに付けて食べるものにする。
それから、香辛料に漬けたいろいろ肉の串焼きをシェアしようと注文した。今まで昼食を共にした経験から、スノウはこういった料理の分け合いを忌避する人ではないと分かっていた。
相変わらず、スノウはよく食べた。
そしてやはり食べることが好きなのか、機嫌が良さそうだ。
「……美味しい」
「ええ、キナバル料理は美味しいですよね」
「どれも辛いのかと思えば、甘辛いものもあっていい。この、肉の串焼きに付けるソースは特に」
「分かります。料理が美味しいと、生活の質が向上しますよね」
「ああ。キナバル支部は良いところだな」
スノウはキナバル料理が相当気に入ったのか、それからもかなりの頻度で来るようになった。もしかしたら、王宮に居た頃よりも頻繁に会っているのではないかと思ったが、クロムとしては何の問題もないので構わない。
ただ、白魔術師長の心労が軽いといいなと思うばかりだ。