2. 魔術書とココアの闘い
「クロム、この仕事に行って来て。詳しくは書類を参照のこと」
「はい」
口頭では詳しい説明をされず、クロムは上司から書類を手渡されてそのまま現場へ向かった。
歩きながら業務要請書を読み込んでいくと、今回も白魔術師との合同業務であることが分かった。まさかまた誰かのフォローなのかと目を眇めたが、書類からはそういった情報は読み取れない。
(あれ、相手の白魔術師って、)
「クロム」
そこでちょうど、書類に名前が記されている人物が声をかけてきた。
クロムが顔を上げると、相変わらずの無表情でスノウがこちらを見ていた。渋い緑色の髪の間から明るい黄緑色の瞳がのぞいている。
(スノウさんは、黒魔術師のローブも似合いそうだなあ)
白魔術師は、加護を得た精霊に力を借りて魔術を扱う魔術師のことだ。王宮では白いローブを羽織っているために白魔術師と呼ばれる。
対して黒魔術師は、理論に基づいて魔術を扱い、黒いローブを羽織っている。
ちなみに、クロムの髪は熟した果実のような橙色なので、黒魔術師のローブにはとても映えると自負している。
挨拶を終えてスノウと共に指定された部屋へ向かうと、体を縮こまらせた白魔術師が待っていた。
「どうも、お手数をおかけします。私が手助けをお願いした白魔術師のブランカです……」
ふわっとした淡い青緑の髪に眼鏡をかけたその白魔術師は、おどおどと口を開いた。
前髪が長いので瞳が見えないが、きょろきょろと忙しなく動いているような気がする。人見知り気味なのかもしれない。
(あまり強くは言わないようにした方がいいかな……)
ここは、白魔術師棟にある作業用の部屋のひとつだ。壁には大きな書棚が並び、窓を背にした作業机がひとつに椅子がいくつか置かれている。クロムが白魔術師棟に来るのは初めてだが、黒魔術師棟の作業部屋と同じような作りになっているようだ。
無駄な装飾が無い代わりに、作業に適した頑丈さのある部屋なので、多少の事故は問題ない。
「はい、黒魔術師のクロムです。よろしくお願いします」
「…………」
隣に立つスノウは、白魔術師同士で元々顔見知りなのだろう。わざわざ名乗る気はないようだ。
ブランカはスノウを見て、びくっと体を揺らした。ブランカのような人物とスノウは相性が良くなさそうだが、仕事なので頑張ってもらうしかない。
「それで、その机の上にあるのが問題の白魔術書ですね」
机の上に置かれているのは、白い帯を巻いた魔術書だ。今は静かに閉じられている。
この魔術書はブランカが長い間探していたもので、先日古書市で見つけ、喜び勇んで王宮に持ち帰ったのだ。
そしてじっくり集中して読もうと、集中力を増す効果のある黒魔術を込めたココアを用意して読み始めた。
「あまりにも楽しみにしていた魔術書だったので、読んでいるうちに興奮して手元がおろそかになってしまって……」
「うっかりココアをこぼしてしまったのですね…………」
王宮の白魔術師が長年探していたほどの魔術書である。様々な魔術師の手に渡ったことで魔力を帯び、さらにその時魔術書を手にしていたブランカの魔力も加わり、魔術書の外で形をとるほどの力を持ってしまった。
そして魔術書にこぼしたココアも、市販のものではあったが、集中力を高める魔術が込められていた。さらに濃いめにいれたのが良くなかったのか、こちらも外に形をとるほどになってしまっていたらしい。
「しかもその魔術書が、軍の行軍に関する白魔術についてのものだった、と」
「はい、私の専門なもので……」
その内容のために、その魔術書は規律に厳しく礼儀を重んじるものになっていた。突然シミをつけてくるとは、あまりに無礼ではないかと憤っているらしい。
対して、ココアには結実の系統の黒魔術がかけられており、実りの季節を邪魔することが多い行軍は気に入らないと牙をむく。
魔術書とココアの闘いである。
弱り切ったブランカは、ひとまず封印を施して本を閉じた。
それでどちらも姿を消したが、本を開くとまた出てくる。このまま放っておけば、魔術書を損なう恐れがある。
これは黒魔術師の手も必要だということで、今回の要請に至ったのだ。
「分かりました。要請書の内容と相違は無いようですね。スノウさんも、問題ないですか?」
「ああ」
ここまで無言だったスノウだが、ようやく口を開いた。
再びブランカがびくりとしたが、同じ白魔術師なのだからもう少し慣れてあげてほしい。
ひとまず実際の状態を確認しようということになり、封印を解いて本を開いてもらうことにした。
封印を施した帯を解いたブランカが本を開いた途端、ぱしりと魔力の風が弾け、風圧でクロムの髪が揺れる。
反射で閉じそうになった目を瞬くと、そこには本の上に浮いた二つの物体が現れていた。
まず目に入ったのは、卵型の赤い実のようなもの。大きさは手のひら大で、しきりに跳ねたり横に振れたりと忙しなく動いている。
黒魔術の気配があるので、こちらが結実の系統魔術をかけられたココアだろう。
もうひとつの行軍の白魔術と思われる方は、白い靄だった。形が一定せずに落ち着きなく漂ったり集まったりしているところが、感情の昂りを表しているようにも見える。
「うわあ、本当に実体化していますね」
「そうなんです。そしてどちらもすごく動きます……」
赤い実が何かを訴えるように跳ねると、それに反応して白い靄が威嚇するように広がり震えている。すると、負けじと赤い実がさらに跳ねる。
「それぞれに言い分がありそうですね」
「でも何を言っているのかは分からないんです。なんとかなるでしょうか……?」
クロムが、どうしたものかと内心首をひねったところで、事態を静観していたスノウが口を開いた。
「クロム、魔術書ごと燃やしてしまえば良いのではないか?」
「え、」
「や、やめてください!やっと探し出した魔術書なんですぅ!」
慌てて涙目で懇願するブランカ。
そちらには目もくれず、スノウはクロムの返答を待っているようだ。
「まあ、確かに魔術書を燃やしてしまえばシミなんか関係なくなるでしょうが……。でも、こういう風に荒ぶっている魔術は、きちんと納得させて鎮めた方が良いですよ。後で変に祟られても困りますしね」
「そうか」
ひとまずスノウは提案を取り下げてくれたようだ。
スノウは相当に強力な魔術を扱えると聞いている。そのためか、面倒になったら力で押し通してしまえと考えるのかもしれない。
これは早々に解決してしまおうと、クロムは心を決めた。
そこでクロムは、この不思議なものたちにも伝わるよう、魔力を込めて言葉を紡いでみることにした。
赤い実は黒魔術から生まれたものであり、白い靄は白魔術そのものだ。伝えようとする意志と魔力を込めれば、意思疎通は可能となるはずだ。
まずは、黒魔術師と相性が良いだろう赤い実から試してみる。
「ココアさん、私の言うことが分かりますか?」
すると赤い実は、ここで初めてクロムの存在に気付いたように動きを止め、やや回転した。おそらくだが、体をこちらに向けてくれたような気がする。
「ココアさん、実りの季節を邪魔する行軍は、確かに気に入らないかもしれません。でも、軍がもたらす勝利もまた、結実の系統の領域でしょう?だったら、行軍の魔術にも礼を持って接してみても良いのでは」
赤い実はここで跳ねるのをやめた。ひとまず落ち着いてくれたらしい。
クロムはありがとうございますと笑顔で一礼して、今度は白い靄に向き直る。
「行軍さん、いきなり失礼なことをしてしまったココアさんに憤るのは分かります。しかし、その失態は魔術書を手にしていた白魔術師によるものです。ココアさんに非はありませんでした。それに行軍中は、栄養補給としてチョコレートが支給されることもありますよね。お互いご縁があるのですから、今回はなんとかおさめていただけないでしょうか」
礼儀を重んじるという行軍の白魔術には、赤い実よりも丁寧に言葉を紡いだ。
その甲斐あってか、大きく広がっていた白い靄も元の大きさに戻った。
責任を押し付けられたブランカが後ろで小さく悲鳴をあげているが、クロムは聞き流した。そもそもが自分のしたことなのだから、これくらいは責任をとるべきだろう。
ここで、赤い実が突然ぱかりと割れて、中から小さな粒がひとつ飛び出た。その粒はゆっくりと進み出て、白い靄の前でぴたりと止まる。しばらくそのまま静止した後、白い靄はそれを受け取り、そのまま吸収した。
「あ、あの、今のは……?」
「ココアさんが、自らの魔術の欠片を差し出すことで謝罪をしたのでしょう。行軍さんもそれを受け取ったということは、謝罪を受け入れたということです」
「な、なるほど」
「お互い納得したようで、良かったです」
赤い実も白い靄も大人しくなったが、このままにしておくわけにはいかない。
「では、私が結実の魔術を回収するので、スノウさんは、その後で白魔術書を修復してもらえますか?」
「ああ。ついでに、余計な魔力も削いでおこう」
「え、そんなことまで。ありがたいです、お願いします」
白魔術書から余分な魔力を削いでしまえば、今回のようなことはもう起こらないだろう。今後の事故防止のためにはありがたい措置だ。
ただ、外に形をとって現れるほど力を蓄えた魔術書の魔力を削ぐというのは、それほど簡単なことではない。しかし自ら言い出すくらいなのだから、スノウにはできるのだろう。
なんとも頼もしい同僚だと、クロムは感心した。
白魔術書の処理はつつがなく終えた。
無事に魔術書が戻ってきたブランカは、泣きながら感謝していた。
一時は魔術書が焼却されるかという事態だったので、安心したのだろう。ただ、今回の騒動の責任はブランカにあるという形で魔術書に話をしたので、おそらく彼女が読もうとすると何らかの読みにくさが出るだろうが、そのことはあえて言わずにおいた。
そこはもう、クロムの業務外のことだ。
業務完了書に魔術署名をもらい、作業部屋を後にした。
「面倒そうな状況になっていましたけど、大きな事故にならなくて良かったです」
「ああ、クロムが説得してくれたおかげだ」
独り言のつもりで呟いたら、意外なことに返事が返ってきた。
作業部屋を出てからも、スノウは白魔術師棟の入り口へ向かうクロムの隣を歩いているので、外に用があるらしい。
「黒魔術師ですから、あれくらいはね。それに、魔術書の魔力を随分削いでもらったのは助かりました」
「また同じことを起こされたらたまらないからな」
棟の入り口で別れるまで、話が弾むというほどではないが、クロムが何か言えばスノウは返してくれた。前回からは考えられないほどの交流具合だ。
「では」
「はい、お疲れ様でした」
入り口に着いたところで挨拶の言葉を口にしたスノウは、そこで踵を返して棟の中へ戻って行った。
(あれ、外に用事があったわけではなかったのかな?)
首を傾げたが、まあいいかと頷き、クロムは黒魔術師棟への帰路に就いた。




