夫の上司へ差し入れ
白魔術師アイビーとの合同業務が回ってきた。
「やあ、クロム」
クロムが集合場所へ行けば、にこにことご機嫌なアイビーが待ち構えていた。
青銀髪はわさわさとあちこちに跳ねているのに、なぜだかそれがだらしなくは見えず、似合っている。今日も絶好調にキラキラだ。
スノウとの繋がりで交流を持ったアイビーとは、クロムは今ではすっかり仲良くなっているが、こうして仕事が一緒になるのは久しぶりだった。
アイビーは白魔術師には珍しく魔術回路に詳しいため、クロムとしては大歓迎の仕事相手で、つられて笑顔になってしまう。
「アイビーさんとの合同業務は、久しぶりですね」
「うん、わたしもそう思ってさ。クロムと仕事がしたいって、うちの師長にお願いしたんだ」
「あー……」
そういえば白魔術師棟は、仕事相手を指定することができるらしいのだった。それを調整するのは上司である白魔術師長となる。
もちろん、黒魔術師棟ではそんなお願いができると聞いたことはないが。
「以前から思っていましたけど、それは白魔術師長が相当に大変ですよね」
「ふふ、大丈夫だよ。うちの上司は苦労するのも喜ぶひとだから」
本当だろうかと思うものの、クロムが白魔術師長と会う機会はあまりないために、完全には否定できない。
だが、何度か会ったときに話をしたかぎり、物事の調整力が高いために面倒事を押しつけられる苦労人という印象だった。自由人が多い白魔術師には珍しいタイプのひとだ。
だからこそ、白の魔術師長を務めていられるのだろう。
「……まあ、ひとまず仕事に取りかかりましょうか」
「そうだね。今回の魔術道具に使われている魔術回路はさ、…………」
合同業務は問題なく終えた。
やはりアイビーは優秀なひとで、共に仕事をするとその発想や手際のよさに学ぶところがあるし、楽しかった。
アイビーと別れて黒魔術師棟へ戻り、報告書を作成しながら業務の記憶をたどっていたクロムは、白魔術師長は苦労を喜ぶという話を、ふと思い出した。
報告書を提出する際に、なにげなく上司に尋ねてみた。
「ふふっ、そうね。白は苦労するタイプね。……部下は可愛いみたいだから、もしかしたら喜んでいるのかもねえ」
白魔術師長のことを、白、と呼ぶ上司はにんまりと笑った。
その表情を見るに、白魔術師長は苦労を必ずしも喜ぶひとではないようだ。自由な白魔術師たちを束ねるには多少の苦労も仕方ないのかもしれない。
だがその苦労のいくらかは、絶対にクロムの夫と友人によるものだ。それも、普段の仕事だけではない。
クロムがキナバルに赴任していたころ、スノウは白魔術師棟の精霊蜜を使ってやって来ていた。精霊蜜は前時代の遺跡からしか得ることはできない貴重なものだと聞いた。それをあれだけ好き放題使っていたのだから、相当に精神的負荷をかけていたのではないだろうか。
(……なにか、差し入れでもしておいた方がいいかな?)
ちょうど、来月にある会議は両魔術師長が出席する。クロムは上司の黒魔術師長のお供として連れて行かれるので、白魔術師長の席とも近いだろう。その際に、妻が夫の上司に挨拶をしてもおかしくはないはずだ。
「あの、話は変わりますけど。白魔術師長には私の夫もお世話になっているので、なにか差し入れでもと思うのですが」
「あら、いいんじゃない? そういう気遣いって大事よ。そうねえ……白は、こんぺいとうが大好きよ」
「こんぺいとう……。こう言っては失礼ですけど、ちょっと意外ですね」
白魔術師長は、管財課で主任を務める息子がいるほどの年齢だ。そんな大人の男性の意外な好物に、なんだか微笑ましく思った。
(あ、でも。スノウさんがそれくらいの年齢になっても、きっと甘いものを好むだろうな)
そう考えてみれば、ますます白魔術師長に親近感が湧いてしまう。
将来のスノウを想像してひとりでにこにこしていたクロムに、上司は付け加えるように言った。
「ちなみに、私もこんぺいとうは好きよ」
分かりやすい情報料の要求に、そちらへもお裾分けしますよと頷いておいた。
次の休みの日、クロムは王都の美味しい場所に詳しいスノウに頼んで、こんぺいとうを扱うお店に案内してもらった。
スノウは甘いものが好きだから、もちろんこんぺいとうも好きらしい。ならば、スノウと一緒に食べる分も買わないわけにいかない。
意気込んでお店に入れば、思った以上に多くの種類がそこには並んでいた。
「わ、さすがの品ぞろえですね」
こんぺいとう、とひと口に言っても、さすがに王都では様々なものを扱っている。
色とりどりのこんぺいとうはそれだけでも目に楽しいが、装飾の凝った缶に入っていたり、虹のように色分けされて詰められていたりと、様々な工夫がされている。
その中でも、クロムの目を引いたものがあった。
「これ、丸っこいですね」
他のこんぺいとうが星型のように凹凸を持つ中で、そのこんぺいとうはころんと丸みを帯びている。その形には、こんぺいとうらしい可愛らしさに加えて、どことなく上品さがあった。
こんぺいとうだと言われなければ、違うお菓子のようにも思える。
そうして興味深く見ていたからか、スノウが試食の皿からひとつ摘まんで差し出してきた。
「クロム」
口元へ、ちょんと押しつけられ、素直に口を開く。
そっと舌の上に乗せられたこんぺいとうが優しい甘さに思えるのは、スノウが微笑ましげに目を細めるからなのか。
自分の口にも一粒放り込んでいるスノウに、照れた様子はない。
(うっかり口を開けてしまったけど、お店でやることじゃなかったな……)
だがこういうふうに、場所を気にしないところがスノウにはあるのだ。ふたりで暮らすようになってから、特にその傾向が強くなった気がする。
家でされるなら気にならないが、他人がいる場所ではさすがに恥ずかしかった。
少し染まった頬には、気づかない振りをしておく。
「えっと、美味しいですね、これ。硬めの食感も面白いし。でもちゃんと、こんぺいとうの味がします」
口をもごもごさせているスノウも無言で頷いているから、美味しかったようだ。
それから他にもいくつか見て回ったが、けっきょくは最初の丸いこんぺいとうに戻ってきた。値段も手ごろだったこともあり、白魔術師長への差し入れはそれに決めた。
会計を済ませて包装を待っていると、俺も黒魔術師長に贈り物をした方がいいのだろうかとスノウが呟いたので、そのうち機会があったらでいいと思いますと言っておいた。
クロムが今回の差し入れをするのは、単純な挨拶という意味もあるが、スノウとアイビーがお世話をかけますという慰労を込めている。クロムはそんな差し入れが必要なほどの問題児ではないはずだ。
そのうちでいいのかと、少し不思議そうにスノウがこちらを向いたので、話題を変えようとクロムは尋ねた。
「スノウさんにとっては、白魔術師長はどんな方ですか?」
「…………そうだな。悪い上司ではない。俺の希望をよく聞いてくれるのは、ありがたいと思っている」
少し考えるような間の後に返ってきたのは、穏やかな返事だった。どうやらスノウにとって、今の白魔術師長は良い上司のようだ。
夫の職場環境が良いことは、妻にとっても喜ばしい。
「そうですか」
にこにこするクロムにつられたのか、スノウも頬を緩める。
なんとなく、繋いだ手をぎゅっと握っておいた。
そして迎えた会議の日。
会議を終えて退出しようとする白魔術師長をつかまえて、クロムはこんぺいとうを渡した。
「え、僕に?」
「はい。いつも夫のスノウがお世話になっています」
「ああ、クロムはスノウと婚姻したんだよね」
ちらりと左手の指輪に視線を感じ、クロムは頷く。
「……同僚にもほとんど興味を持たないスノウが、まさか婚姻するなんてと驚いたよ。ありがとうクロム、どうかスノウをよろしく頼むよ」
目尻にしわを寄せて穏やかに言われて、白魔術師長は本当に部下を可愛がっているのだなと感じた。夫が大事にされているのが嬉しくて、クロムも微笑み返す。
「それ、こんぺいとうです。お好きだと聞きました」
「ありがとう。気を遣わせて悪いね」
「いえ、あの…………夫がいろいろとお世話をかけていると思うので」
クロムの言葉に、こんぺいとうの箱を持った白魔術師長が目を瞬いた。
スノウだけでなくアイビーも心労をかけているのだろうが、ここで友人の名前を出すのはおかしいかなと、口にはしなかった。
白魔術師長は、これがただの挨拶ではなく、身内がお世話をかけますという慰労の意味もあるのだと察してくれたようだ。感激したように箱を抱きしめた。
「……僕の苦労を分かってくれる人がいるだなんて。うう、ありがとう、クロム」
「は、はあ」
泣き出さんばかりの白魔術師長は、よほど苦労しているらしい。もしかして、自由人ばかりの白魔術師棟には、師長の補佐をするような人材もいないのだろうか。
だとすれば、相当に不憫なひとだなとクロムが同情したところへ、隣でにやにや笑いながら見ていた上司が口を出した。
「はいはい、良かったわね。白、もう行くわよ」
「ああー、黒さん。もう少しだけ、」
「駄目よ。クロムは新婚さんなんだから早く帰してあげないと。少しぐらいなら、私が愚痴を聞いてあげるわ」
「いや、黒さんに借りを作ると後が怖いよ……」
渋る白魔術師長を、黒魔術師長が引っ張って行ってしまった。
そういえばあの苦労人はクロムの上司にも弱いのだった。大丈夫だろうかと、クロムはしばらくふたりの姿を見送った。
(……まあ、あのふたりも付き合いは長いから、私が心配することもないか)
あとは上司に任せて自分は夫の待つ家へ帰ろうと、クロムは会議室を後にした。