贈り物
半年の任期を終えて、クロムは王都へ戻って来た。
「アッシュ、お疲れ様」
「はい。先輩も、お疲れ様っす!」
半年間ずっと補佐してくれたアッシュに労いの言葉をかければ、できた後輩は明るく笑ってくれた。
必要があって王都と行き来したこともあったのだが、任期を終えると、ようやく帰って来たという実感がわく。
クロムはアッシュを連れて、さっそく黒魔術師棟へ報告に向かった。
王宮に戻ったからといって、すぐに日常が始まるものではない。
まず、前任者リードと、キナバルでの仕事内容の確認。
それから、新規にキナバルへ派遣される黒魔術師との引き継ぎ作業。
不在にした間の、仕事の進捗確認や書類の処理。
キナバルへ派遣される前のように、やることは山ほどある。
だが今回は、さすがにスノウのことを失念するようなことはなかった。
クロムはなんとか時間を捻出して、帰還して数日後の昼食をスノウと共にすることができたのだった。
「クロム。改めて、お帰り」
「はい。スノウさん、戻りました」
席に落ち着くと、スノウが目元を和ませてお帰りと言ってくれた。
その目の前には、きのこのマリネに冬野菜のカルボナーラ、チキンのトマト煮込み、さらにピスタチオのジェラートが並んでいる。相変わらずのスノウの食べっぷりは、見ていて気持ちがいい。
だが今日はクロムも負けじといつもより多めに注文している。キナバル料理は気に入っていたが、やはり慣れ親しんだ味は別格だ。しかもここは、食道楽の王が力を入れている王宮の職員食堂であり、どれを食べても幸せの味がする。
「こうしてちゃんと会うのは、王都に戻ってから初めてだな」
「そうですね、あのときは時間もありませんでしたから」
実はスノウには、キナバルから戻ったその日に一度会っている。なんと、転移の部屋の外で待っていてくれたのだ。そして懐かしの、久しぶりに再会した友人の挨拶ということで、ぎゅっと抱きしめてきた。これをされるのは、スノウが初めてキナバルに来たとき以来だ。側にいたアッシュが半目で笑いながら見ていたので少し恥ずかしかったが、わざわざ顔を見に来てくれたことは素直に嬉しかった。
そのときは時間もなかったためすぐに別れた。だからこうしてゆっくり話ができるのは、戻ってから初めてだった。
「しばらくは、君は忙しいだろうな……」
「はい、異動があるとどうしても雑事が増えてしまって」
「早く、君とゆっくりしたい」
「私もスノウさんと、ゆっくり過ごしたいです……」
お互い同じことを考えていると分かって、顔を見合わせてくすりと笑う。
「まあ、不満ばかり言っても仕方ない。こうして気軽に会える距離になっただけでも、ありがたいと思っておこう」
「ふふ。また、合同業務もできますものね」
「そうだな」
昼食の時間は長くはないが、それでもこうしてスノウと一緒に過ごせるだけで、クロムは疲労が和らいだような気がした。
スノウの気配と、柔らかく見つめてくる瞳と、穏やかな声、そのどれもが心地よい。
そんな空気にうっかり油断したクロムは、スノウのピスタチオのジェラートが美味しそうだなあと物欲しそうに見つめていたらしい。それを察したスノウが、ひと匙すくって差し出してきたので、思わずぱくりと食いついた。
「……美味しい」
「そうか。よかった」
舌に触れる優しい冷たさと、口に広がるこくのある甘さに、クロムは頬に手を当てて呟いた。
だがすぐに、ここが食堂だったことを思い出す。
「う、……すみません。お行儀が悪かったですね」
「ん? 少しくらい構わないさ。どうせ誰も見てはいない。……もっと食べるか?」
「…………けっこうです」
微笑ましそうに見つめてくるスノウの視線に耐えられずに目を逸らしたが、こういったやりとりも嫌ではない。久しぶりの時間に少しばかり浮かれている自覚もあるが、おかげで元気が出た。
やはり、スノウとの時間は自分にとって大切なものなのだと、クロムは改めて思いつつその日の昼食を終えた。
それからも、クロムは異動後の雑事に追われていた。
なかでも時間をとられているのが、報告書の類だ。キナバル派遣の報告書は現地に滞在中も随時作成して送っていたが、王都に戻った後に提出するものもいくつかある。
その日、報告書に必要な資料を探しに王宮書庫へやって来たクロムは、そこに見知った姿を見つけた。あちこち無造作にはねた、あの銀髪は。
「……アイビーさん?」
「やあ、クロム。戻って来たって、スノウから聞いてたよ。お帰り」
「はい、無事に戻りました。すみません、忙しくて挨拶もできずに……」
声をかければ、白魔術師のローブを羽織ったアイビーが書棚から振り返った。
クロムが王都に戻ってからアイビーに会うのは、これが初めてだ。アイビーのことは、スノウの友人というだけでなく自身の友人だとも思っている。そんな相手にまだ挨拶もできていなかったことが申し訳なくなり、ぺこりと頭を下げた。
「いいよ、そんなこと気にしないで」
だがアイビーは気にした様子もなく、にこにこしている。こういうところに、この友人の人当たりのよさを感じる。普段はマイペースに自由だが、アイビーは誰とでも付き合える性格なので、その人脈はとても広いのだ。
そうするとスノウとは対照的に思えるが、その実、表面的な表情の裏では好き嫌いがはっきりしているのだとか。だからふたりは気が合っているのかもしれない。
「ところでさ、スノウへの贈り物は用意できた?」
「はい。アイビーさんの意見を取り入れました」
「じゃあ、あれにしたんだね」
王都に戻ったら左手の第二指に贈り物をしたいと、以前にスノウが言ってくれた。だから、クロムも何かスノウに贈りたいと考えていた。
当初はスノウにもらったように腕輪にするつもりだったのだが、その話をアイビーにしたところ、もっといいものがあると提案されていた。
「ふふ、スノウの驚く顔が楽しみだね」
「はい、喜んでくれるといいのですが」
「それは絶対に大丈夫だよ」
笑顔で保証してくれる友人に、クロムも微笑み返した。
その日の業務を終えて、自室へ戻る。
クロムはお茶を片手にソファへ座り、机の上に置かれた小箱に目を留めた。書庫で出会ったアイビーとも話したばかりの、スノウへの贈り物だ。
きれいに包装された小箱を山吹色のリボンでまとめたのは、それがクロムの瞳の色であり、贈り物にも関係するからだ。
王都へ戻る前から用意していたこれをスノウに渡せるのはいつになるのかと、クロムは小さくため息を吐いた。
しばらくは忙しいだろうと予想していたが、思ったよりも疲れていると感じるのは、共に過ごしたい人との時間がとれないもどかしさがあるからかもしれない。
クロムはこれを渡してスノウが喜ぶ顔が見たいし、きっとスノウも贈り物を用意してくれているのだろう。待たせてしまっていることが、少し申し訳ない。
「というか、スノウさんとゆっくりしたい……」
ソファに寄りかかりながら、左手を目の前に持ち上げる。すっかり馴染んだ華奢な鎖が、手首でしゃらりと揺れた。中央に埋め込まれた魔石は、変わらず深い黄緑色をたたえている。
それは大事な人の瞳の色。あまり口数の多くないスノウが、雄弁に気持ちを語る色だ。これを見るだけで、クロムは心がほぐれるような気がする。
しばし腕輪を見つめ、疲れた自分を慰めた。
そうして、ようやくとれた休日。クロムの予定に合わせてくれたスノウの部屋で、久しぶりにふたりで過ごせるゆったりした時間だった。
朝はゆっくりできるようにと気を遣ってくれたスノウとお昼前に待ち合わせ、一緒に昼食をとった。
王宮で働く独身者はほとんどが王宮内の職員寮で生活しており、クロムとスノウもその例に倣っている。
魔術師の寮は各魔術師棟に併設されており、それほど遠い距離ではない。だが、クロムにはスノウとアイビーくらいしか親しい白魔術師はいないので、白魔術師の寮へ行くのはこれが初めてだった。
それもあって、スノウの部屋へ入るのは少し緊張した。だが入ってみれば、クロムと同じつくりの部屋であるはずなのにそこかしこにスノウの気配があって、スノウの部屋だなと感じられる。それですぐに寛げるようになった。
だからだろうか。ソファで食後のお茶を飲んでいるうちに、いつの間にかクロムは眠ってしまっていたらしい。
「、……っ!?」
不意に意識が浮上し、クロムは慌てて飛び起きた。
「うわ、すみません! 私、寝てましたか!?」
「……ああ、少しだけな」
隣に座っているスノウが、読んでいた本から顔を上げた。カップの中身がすっかり空になっているところを見るに、それなりの時間が過ぎているのかもしれない。
「しかも、完全に寄りかかっていましたね。……すみません」
「いや。キナバルから戻ったばかりで疲れているだろう。……俺の側で安らいでくれるなら、それはそれで嬉しいことだ。まだ眠ければ、寝ていても構わない」
体の右側が温かかったのは、スノウに寄りかかっていたからだろう。クロムは完全に気を抜いてしまっていたことが恥ずかしかったが、優しく目元を和ませてくれるスノウに、心がじんわりほどけた。
だが、せっかくの休日にこれ以上スノウとの時間を浪費したくはない。
「いえ、久しぶりにスノウさんとゆっくりできる時間なので、起きています」
「そうか」
クロムの気持ちが伝わったのか、スノウは嬉しそうに頷いて本を閉じる。
それから、どこからか小さな箱を取り出した。
「……クロムが起きていてくれるなら、これを渡してもよいだろうか」
それは光沢のある毛織物の箱で、一目で特別な品物だと分かるものだった。スノウの手のひらの上で、しっとりと落ち着いた藍色が、吸い込まれそうなほど深い輝きをたたえている。
「これ、………………」
開けずともそれが何であるか分かり、クロムはすぐには手が出せなかった。
受け取りたくないのではない。予想していたし、期待もしていた。だが、いざ目の前に出されると、じわじわとこみ上げるものがあって簡単には受け取れない。
そんなクロムの心境を察してくれたのか、スノウは優しくクロムの手を取って、小箱を乗せてくれた。
いつも雄弁に語る黄緑色の瞳が開けてほしいと訴えるのに促されて、クロムはそっと小箱を開けた。
「…………魔術指輪、ですね」
そこには、細身の指輪が収められていた。
全体がスノウの気配をまとった黄緑色の魔石で出来ていることから、これがただの指輪ではなく魔術指輪と呼ばれる品物だと分かる。
魔石は腕輪と同じようにスノウの瞳の色だが、腕輪よりも少し落ち着いた色味になっているようだ。
「君には腕輪を渡してあるが、これも一緒につけてほしい。より一層、君を守るだろう」
魔術指輪は、作成者の魔力の塊である魔石を指輪に加工したものだ。腕輪と同じように、身につけた者の守護になる。魔術で認証するので、贈られた者にしか効果を発揮しない専用の装身具だ。全体が魔石そのものなので守護の効果は腕輪よりも大きく、作るのも腕輪の魔石よりもはるかに手間がかかる。
「……それに、俺の気持ちの証としても」
小箱を見つめたまま動けないクロムの左手を取ったスノウは、そっと第二指に指輪をはめてくれた。
左手の第二指は、魔術師にとって重要な指だ。そこを求めるということは、あなたの生み出す魔術に触れたいほどだと、相手への深い執着を示す。だから、男性魔術師がそこへ贈り物をすることは求婚を意味する。
女性魔術師がそれを受け取れば、事実上の婚姻が成立するのだ。
クロムの指に自身の指輪があることを満足げに見つめたスノウは、指輪のはまった指に口づけた。
スノウの触れた唇が、クロムにはひどく熱いように感じられた。
「クロム、受け取ってくれるだろうか?」
「………………はい」
左手を握られたまま、クロムはスノウを見つめ返してなんとか返事をした。嬉しくて、感情が膨れ上がって、すぐには言葉が紡げない。
だがそんなひとことだけの返事でも、スノウは安堵したように微笑んでくれた。
「……よかった。これでもう、ずっと君と一緒だ」
スノウの貴重な笑顔に見惚れていたクロムは、はっと大事なことを思い出した。
クロムからの贈り物も、用意していたのだった。
「スノウさん!」
「ん?」
急に声を上げたクロムに、スノウは目を瞬く。
「実は、私からも贈り物があって、」
そうしてクロムが差し出したのは、同じく小さな箱。
受け取ったスノウは山吹色のリボンを解いて白い箱を開け、軽く目を見開いた。
「クロム、これは…………」
「ふふ。私からも、スノウさんに贈りたいと思って」
クロムが用意したものも、同じく魔術指輪だった。
こちらはスノウに合うように少し幅広の指輪に仕上げ、その色はクロムの瞳と同じ山吹色だ。
「君の魔力の気配だな……」
「ありったけ、込めておきました」
先ほどスノウがしてくれたように、クロムは指輪を取り出し、その左手を取った。
「……ここに、つけておいてほしいです」
そして、スノウの左手の第二指にはめる。
通常、婚姻の意味での魔術指輪は女性魔術師のみがつけるものだ。
だが、魔術指輪は守護の装身具でもあり、婚姻とは関係なく身につけることもある。指輪にするほどの魔石を作るには相当な魔力と手間がかかるので、おいそれと作るものではないが、それだけ守護の効果が高いし、意味も重い。だから左手の第二指への贈り物は魔術指輪が人気なのだ。
その魔術指輪を、クロムはスノウに持っていてほしいと思った。自分と同じように左手の第二指に。男性魔術師の第二指に婚姻という意味はないが、意味の重い場所であることは変わりない。そこへさらに意味の重い魔術指輪をつけてほしいというのは、スノウの守護を強化したいという思いのほかに、いくらかの主張も含まれている。
アイビーに魔術指輪を提案されてから、クロムはもう指輪にすることしか考えられなくなったのだ。
指輪をはめたスノウの指に、クロムは深い満足感からため息を吐いた。そしてスノウがしたように、そこへ口づけを落とす。
ちらりと見上げれば、目元を染めたスノウが口を開いた。
「ありがとう…………」
本当に嬉しそうにほろりと微笑むスノウに、クロムも胸が温かくなる。
「まさか君に魔術指輪をもらえるとは、思わなかったな……」
「ふふ。これを見れば、私の魔力だというのはすぐに分かりますからね。スノウさんのパートナーは私だけだという独占欲です」
「……君に独占されるなら、悪くない」
ふふっと、ふたりで顔を見合わせて笑った。
「スノウさん、ずっと大事にします。仲良くしましょうね」
「ああ。俺も、君がずっと大事だ」
スノウの瞳を見つめれば、とろりと甘く、それでいてじりじりとした熱が伝わってくる。その熱が移ったのか、クロムの中でスノウへの愛しさがどんどん湧きあがって、胸が熱くなっていく。
指輪のはまった左手にスノウの左手が触れ、お互いの指を絡め合わせる。
再びふたりで微笑みあって、そっと口づけを交わした。




