11. あなたの左手を
鎮めの花祭りの魔術書の件は、キナバル支部でしばらく話題になった。
激しい電撃を放って魔術書から帰還したクロムの様子は、リードと同様まさに静電気魔術師であったと。
王都に戻ったリードも誰かから伝え聞いたらしく、わざわざ魔術通信をかけてきて詳細を聞きたがったりしたが、明らかに面白がっていたのでクロムはすぐに通信を切った。
数日後、スノウがやって来た。
スノウは鎮めの魔術書の件は知らなかったようだが、腕輪のおかげでやっかいな穢れを撃退できたとクロムはお礼を伝えた。
花鳥に気を取られて池に落ちたことを話した辺りでスノウは目を細め、黒い靄に襲われたくだりで、ついにソファから立ち上がってクロムの隣に移動してきて、手を伸ばして頬に触れた。
「……怪我はないな?」
その案じるような真摯な眼差しに、心配させてしまった罪悪感と共に、スノウに大事にされているという実感がひたひたとクロムの中に染みていく。
罪悪感だけでなく喜びの感情が湧いたことに動揺してとっさに言葉が出ず、頷くにとどめたクロムに、スノウは真偽を確かめるようにすりっと頬を撫でる。
「本当に?穢れた水に浸かった影響は?」
「……術医に診てもらいましたが、特に問題はなさそうでしたので、大丈夫です」
それからクロムの身体を精査するように視線を滑らせた後、小さく息を吐き、そうかと呟いた。
「だが、念のために俺も診ておこう」
そう言って、スノウはクロムの顔を引き寄せ、こつりと額を当ててきた。
集中するように目を閉じたスノウが小さな呟きを落とすと、クロムの体の中にじんわりと何かが浸透するような感覚があった。それは腕輪の気配と同じような気がするので、おそらくスノウの魔力をクロムの中に流して異常がないか見ているのだろうと分かった。
しばらくして目を開けたスノウは、ひとつ頷いた。
問題ないと納得してくれたようだ。
「黒魔術師は珍しい魔術などには目がないというが、前時代の魔術書に降りている時は特に気を付けてくれ……」
「う。すみません」
花鳥のことを持ち出され、クロムもあれはうかつだったと分かっているので、素直に謝った。
「消費された魔力を腕輪に補填しておこう」
「じゃあ、外しますね」
「いや、そのままで」
クロムが腕輪を外して渡そうとしたところで、手を取られる。
スノウはそのまま魔力を送っているようで、ほんのり左手が温かい。
なんとなく黙ったままでいると、スノウがぽつりと呟いた。
「…………腕輪を贈るようにと言ってきたのは、アイビーなんだ」
「そうなんですか」
「俺は、君が知らないうちにキナバルへ行ってしまったと知った時、少し……取り乱してしまって」
クロムにはスノウが取り乱したというのが想像できなかったが、本人が言うには、思い余って黒魔術師棟に乗り込んだらしい。
スノウにキナバル赴任の件を告げてしまった白魔術師長も慌ててついて来て、それを知ったアイビーも後から合流したということで、黒魔術師長の執務室はなかなかの騒ぎになったとか。
さらにそこで、黒魔術師長はスノウに向かって、クロムがキナバルへ赴任したのは本人が希望してのことであるし、それを知らされていなかったならその程度の仲だったのだと言ったらしい。
「……細かいところは違うかもしれないが、少なくとも、その時の俺はそう受け取った」
「………………」
クロムの左手を掴んだスノウの手にぎゅっと力がこもり、無意識だろうその仕草にスノウの当時の苦悩が表れているようで、クロムは宥めるようにその手を撫でた。
おそらく、黒魔術師長はわざと誤解させるような言い方をしたに違いない。クロムの上司は、そういった悪戯が大好きだ。
「それで、なんだかクロムに縁を切られたような気になってしまって、…………絶望して、魔力が暴走しかけた。師長とアイビーが止めてくれたが、黒魔術師長の執務室は窓と扉が無くなった」
「え、」
それはけっこうな惨事なのではないかと思ったが、上司がスノウをからかったために起きた事故なので、まあ自業自得といえなくもない。
自分はその場に居なかったのだから無関係だと、クロムは心内で頷いた。
「白魔術師棟に戻った後で、アイビーが精霊蜜のことを教えてくれた。それでここへ転移することができるようになって、おかげで、君にまた会えるようになった」
気が付けば、いつの間にか魔力の補填は終わっていたようだ。
クロムの左手は、まだスノウの手の中にある。
「こうして俺の魔力が、君を守っているのだと実感できて、嬉しい」
腕輪を着けた左手首を、スノウが右手の親指ですりっと撫でる。
「はい。幻惑の中にいる時も、池に落ちた時も、誰かが守ってくれている気配をずっと感じていて、頼もしかったですよ」
「…………まあ、危険に遭わないようにしてほしくはあるが」
「ん?それもそうですね。ふふっ」
思わず笑ってしまったクロムを見て、スノウは目を細めた。
「そうして君が笑っているのを見るのも、嬉しい。このように感じるのは、君が大切だからなのだと思う」
「ふふ、私も、スノウさんが楽しそうだと嬉しいですし、この腕輪がとても大事なのは、これを贈ってくれたスノウさんが大切だからだと思います」
「…………そうか」
ほろりと喜びがこぼれるように、スノウは微笑んだ。
それを見たクロムも、じんわりと胸が温かくなるような幸せを感じた。
そこでスノウはクロムの左手を持ち上げながら、すっと身を屈めた。
「…………っ、」
腕輪に口づけ、そのままの体勢で目線を上げ、鮮やかな明るい黄緑色の瞳でクロムを射抜く。
「腕輪は、アイビーに言われたものだから。君が王宮に戻って来た時には、別のものを贈ってもよいだろうか?」
左手首を握っていた手をするりと滑らせて、クロムの指先をそっと持ち上げる。
「…………ここに」
そして、第二指に口づけを落とした。
「…………っ、」
左手の第二指。
魔術師にとってそれは、編み上げた魔術へ指向性を持たせる時に使う重要な指。
故に、そこを求めるということは、あなたの生み出す魔術に触れたいほどだと、相手への深い執着を示す。
魔術師の間では、求婚に相当するものだ。
さすがに動揺するクロムに、スノウは艶やかに微笑んだ。
その瞳は、今日も雄弁に語っている。
曰く、逃がすつもりはないと。
「今すぐにではない。ただ、俺がそうしたいと思っていることは、知っていてほしい」
「…………は、い」
それからも、スノウは変わらず数日とおかずにキナバルへやって来た。王宮で仕事をしていたころよりも、むしろ会う頻度が上がっている。
スノウはいつも仕事を終えた夕方にやって来て、クロムの部屋で共に夕食をとり、穏やかな時間を過ごして帰っていく。
「今日はどうしますか?」
「明日は休みなんだ。泊まってもいいだろうか?」
そのうちに、スノウは翌日が休みだという日はそのまま泊まり、クロムが出勤するのと一緒に部屋を出て帰っていくようになった。
それである時、クロムは別れ際になんとなく言ってみた。
「行ってらっしゃい」
するとスノウは目を見開いて固まり、しばらく沈黙した後、ぎこちなく頷いた。
「…………行ってくる」
小さく呟いて王宮へ戻っていくスノウを見送り、クロムは後からなんだか猛烈に恥ずかしくなって少し後悔した。しかしそれ以降、この挨拶が気に入ったらしいスノウに毎回求められるようになった。
これはもう一緒に住んでいるようなものではないかと思い、後輩にそう言ってみたところ、呆れた顔をして、今更ですか?と返された。
どうも気付かないうちにそういうことになりつつあるらしい。
ただ、スノウはとても白魔術師らしく感覚で動く人なので、これは策略を巡らせたりした結果の行動ではないだろう。
つまり、そうしたいから、しているのだ。素直にクロムと一緒に過ごしたいと思ってくれているのだろう。
そう考えると、やはり嬉しいとクロムは思ってしまう。
(このままだと、王宮に戻ったらすぐに同居しようなんて言い出しそうだな…………)
それはそれで楽しそうだしいいかな、とクロムは微笑んだ。
けっきょく、クロムもスノウと一緒に過ごしたいのである。
これにて「クロシロ」は完結です。
お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
週末あたりに、Twitterで上げていた小ネタをまとめて投稿しますので、よろしければご覧ください。




