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クロシロ  作者: 鳥飼泰
本編
10/21

10. 鎮めの花祭り

はらはらと、花びらが舞う。


クロムとアッシュの目の前には、見渡すほどの大きな池が鏡のように空を映した水面を揺らしている。

その池をぐるりと囲んで植えられた木は、どれもが白い花を咲かせて満開だ。池の上を風が走れば、枝の先に付けたその白が舞い散り水面に白い幕を広げる。そこに時折、赤や黄がちらちらするので、魚でもいるのだろう。

池の周囲には遊歩道が敷かれ、ゆっくりと散歩を楽しんでいる人たちも見える。

ところどころに池を望むようにベンチが置かれ、そこで落ち着いて花見をする人たちもいるようだ。


大変のどかな春の自然公園の風景だった。




現在クロムたちは、鎮めの花祭りの魔術書に降りている。

鎮めの花祭りとは、前時代に行われていた疫病を鎮める魔術的な祭りである。疫病の増え始める花の咲くころに行われていたため、こう呼ばれる。

この魔術書は本来、祭りの記録が記されただけのものであったはずなのだが、発見された時からどうも黒い靄を纏っていたらしい。

疫病を鎮めるための祭りであるが故に、その疫病が巣食ってしまった可能性がある。

クロムたちの任務は、その原因を排除することであった。




そうして降り立ったのは、この満開の花の景観が見事な池。

たくさんの人がそこで花見を楽しんでいる。

そちらを見ると、確かにそこに人がいると分かるのに、髪の色や顔立ちなどは何故かはっきりとしない。目を離せばすぐに印象がぼやけてしまうような、不思議な存在だ。周囲にいる人々は皆そのようなものだった。


春の性質は、幻惑。

ここでの人々は、まさに幻惑の中の存在なのだろう。


「……どうも、私たちのことは認識されないみたいだね」

「そうっすね。こっちに注意を向ける様子がありません」


であれば、こちらに干渉されないので都合が良いともいえる。


「でもなんか、空気が重いっすね。疫病の気配……とは違うみたいっすけど。なんだろ、これ?」

「…………?」


アッシュが言うところの空気の重さは、クロムには感じられなかった。

この中に降り立った時から、一枚の膜を通したような、優しく包まれているような感覚がクロムにはあった。

幻惑の中ゆえの感覚のあいまいさかとも思ったが、これはもっと温かい、安心感のあるもののような気がする。


(なんとなくだけど、誰かが側で守ってくれているような気配がある……)




ここが幻惑の中であることをアッシュと再確認し、改めて辺りを見回してみると、池の周囲には低木もあり、端の方はカーブを描いて茂みに隠れてしまっているので、ここから全てを見渡すことはできなかった。


「アッシュ、何か感じる?」

「…………ここの人たち、うっすら穢れを受けてる気がするっす」

「それは私も思った。でも元気そうなんだよね……」

「あと、この池の水も、微かに穢れの気配がありますね。どこかで元凶と繋がっているのかもしれないっす」


アッシュは黒魔術師には珍しく、感知に長けている。こういう状況では頼もしい相棒だった。


「水か……。水源の方に行けば、なにか分かるかもしれないね。気配をたどることはできる?」

「はい。たぶん、こっち…………」


左手を振って何かの魔術を編み上げたアッシュが右を示して進みだすのに、クロムもついて行った。




遊歩道をしばらく行くと、池の中央を横断するように橋がかかっていた。その中間点に、祠のようなものが置かれた小島が見える。


「橋…………」

「一応、気配をたどるとこの先になるみたいっすけど、渡ります?」

「うーん。橋って、境界になりやすいからなあ」

「ですよね。でも、あの祠みたいなの、ものすごく怪しいっすけど……」


橋は、こちらとあちらで境界になりやすい構築物だ。橋の向こうは全くの別世界だったという可能性が無くはない。


「よし。アッシュ、外との魔術回線はちゃんと繋がっているね?」

「はい」


魔術書の外では同僚の魔術師たちが待機している。彼らとは常に魔術回線を繋いでいて、万が一の時は強制的に引き上げてもらうのだ。


「じゃあ、慎重に渡ってみようか」




祠のように見えたものは、屋根付きの井戸だった。


「御神水、って立て札があるっすよ」

「ふむふむ、……疫病除けに御神水をどうぞ、だって」

「ああ、文献にありましたね。鎮めの花祭りの日は、御神水をいただいて一年間の無病息災を願う風習があったって。…………でもこの井戸、明らかに穢れの元っすよね?」

「まさか、これを飲んだ人がみんな穢れをうつされているってこと?」

「だからさっきの花見客たちは、みんな穢れの気配があったのか……」

「うーん、これは相当に広範囲に封じ込めないといけないねぇ」


目の前の井戸は疫病の気配があるが、それほど強力なものではなさそうだ。

疫病の穢れがこの井戸だけに留まっているなら、ここだけを封じ込めれば良いので話は簡単だった。

だが、池の周囲にいる人たちに穢れがうつっているなら、それらもすべて封じ込める必要がある。少しでも残っていると、再び穢れが広がるおそれがあるからだ。

腕を組んだクロムは、ひとつ頷き、後輩を見やる。


「アッシュ、任せた」

「はい。事前に対策を打ってないわけないでしょ、ってね!」


クロムの声に応じてアッシュが取り出したのは、腕の半分ほどの長さの枝だ。

いくつにも枝分かれしたその先には、薄桃色の花がみっしりと咲いている。


鎮めの花祭りは、舞人による鎮めの花舞を奉納することで疫病封じを行うものだ。

この祭りで使われていた魔術は、もちろん前時代のものである。

前時代の魔術は謎が多く、それゆえにキナバル支部での調査研究が進められているのであって、ここでクロムたちが簡単に使えるようなものではない。


そこで今回は、この花を舞の代わりとするのだ。



「さあ、疫病を封じ込めろ!」


アッシュが声に合わせるように枝を掲げると、咲き誇っていた花が次々と散り始め、その花びらを宙に舞わせていく。

アッシュたちを中心に円を描くように舞い散る花びらは、その柔らかな薄桃色を徐々に鮮烈な紅色に変えていった。


花の無い枝を、アッシュはひらりひらりと振る。たまに、拍子をとるように、しゃん、と振りきる。

これらの動作も、鎮めの花舞の代わりとなるのだ。


やがてそのすべてが紅色に染まると、ゆっくりと枝に戻っていき、再び花の形をとる。

花びらの舞が収まると、枝は元の満開の花をつけた状態に戻っていた。

ただ、その花は毒々しいほどの紅色に染まっている。



「うまくいったね」

「はい。しかしこれだけ濃く染まるとなると、けっこうな大物だったみたいっすね」

「そうだね。浄化するのはちょっと大変かも。でも、うまく研究できたら興味深いなあ」

「たしかに」



その時のクロムは、無事に疫病を封じたことでいくらか気が緩んでいたのだろう。

そして、前時代の魔術書に降りているという高揚感と、春の影響を受けての浮き立った心で、少しだけ慎重さを欠いた状態でもあった。



そこへ、前時代に絶滅されたとされる希少な鳥が飛んできたのだ。



「あれは、花鳥!?」


花鳥の羽には、万病を退けるという守護がある。

その羽が手に入ったら、どれだけ研究が捗るだろうか。

ぼんやりとして捉えどころのない周囲の人々とは違い、この花鳥はしっかりとした輪郭を持っている。これは幻惑ではなく、本当に存在しているに違いない。


もう花鳥しか目に入らないクロムは、素早く捕獲の魔術を編み上げ、飛び去ろうとする花鳥へ向かって一歩踏み込んだ。


「やった!…………っ!?」


残念ながら花鳥本体は逃したものの、見事に羽を落とすことに成功した。

しかし、クロムが一歩を出したそこは、滑りやすい水際。

小島には柵などなく、力いっぱい踏み込んだクロムの体は、当然そのまま池へ滑り落ちた。


「先輩っ!?」


のどかな自然公園に、後輩の驚愕した悲鳴が響いた。




水飛沫を上げて池に落ちたクロムは、勢いがついていたためか、それなりに深くまで沈んだようだ。

目を開けてみると、水面から差し込む光がやや遠くなっていた。


そしてふと、春先にしてはそれほど水が冷たくないことに気付く。

鎮めの花祭りの時期は、文献によれば早春である。地上には春のやわらかさが広がり始めていても、水中はまだ冬の冷たさを残しているころだ。


(なんで冷たくないのかな…………?)



水の温度は不思議ではあるが、ともかく地上へ戻ろうとしたクロムは、意外に澄んだ水の中で、池の底に祠のようなものがあることに気付いた。

小島にあった井戸と同じ形式のものだが、こちらは両開きの扉が付いていて固く閉じられている上に、その上から縄のようなものがぐるぐると巻き付けられていた。


明らかにいわくありげなその様子に、思わずじっと見ていると、祠の隙間からじわりと黒い靄のようなものが漏れ出てきた。


「!?」


うねうねと動く黒い靄が、じわりじわりと広がっていくのを見て、クロムは慌てて浮上した。




「ぷはっ」

「先輩、大丈夫ですか!?」


手を伸ばしてくれたアッシュに掴まり、なんとか池から上がる。

小島で手をついて屈みこんで息を整えていると、アッシュが魔術で水気を飛ばしてくれたのでお礼を言う。

水の穢れを心配してくれたようだ。


それからクロムがずっと握りしめていた花鳥の羽を呆れたように見ているアッシュに、先ほどの封じ込めの花はどうしたか聞くと、もう結界を付与して片付けてしまったと言う。

優秀な後輩でよろしいと重々しく頷いて、クロムは今見てきたものを伝える。


「アッシュ、池の底に祠がある。封印されていたみたいだけど、黒い靄が漏れ出ていた。おそらくあれが、疫病の本体だと思う」

「え、じゃあさっき封じ込めたのは、まだ一部だったってことっすか?あれだけ濃く染まったのに!?」

「うん。そこまでのものだと、用意していた枝の花だけでは足りないね。他に代わりになるものがあれば…………」


そこでなんとなく辺りを見回したクロムは、池の水面に黒い染みを見た。

その染みは見る間に広がり、色を濃くしていく。


「……先輩、これは疫病の本体が出てくるってことっすかね?」

「間違いなく。私が池に落ちたから、こちらの存在に気付いたのかもしれない」



クロムは花鳥の羽を左手に持ち、羽の先でくるくると円を描くように動かす。


「これを補助にして封じ込められるかやってみるから、アッシュは外との回線の維持をお願い」

「はい」


花鳥の羽の守護でどこまでできるかは、やってみないと分からない。いざとなったら、左腕に取り憑かせて無理やり封じ込めるしかないかもしれない。

ひとまず封じてしまえば、外に出て浄化方法を探すことができるだろう。


クロムたちが対策を決める間にも、黒い靄は水面からゆっくりと立ち昇っていく。

やがて視界いっぱいに広がった靄は、クロムたちをのみ込もうとでもいうように、上から覆いかぶさるように迫ってきた。

その動きはふわりふわりとゆっくりだが、あまりに大きく避けることはできない。



左腕を犠牲にする覚悟でクロムが封じ込めの魔術を展開しようとした、その時。



「…………っ!?」



突然、左手の腕輪が凄まじい雷光を発し、襲いかかってくる靄に向かって激しい電撃を走らせた。


それはあっという間の出来事で、割れるような音をたてて電撃を受けた靄が、塵のようにじゅわっと消え去るところまでをクロムは見たような気がする。しかし意識がはっきりした時にはすでに、そこは幻惑の世界ではなくなっていた。



「え?」


机の上に置かれた魔術書と見慣れた魔術防壁のある部屋が視界に入り、クロムは目を瞬いた。隣にはちゃんとアッシュがいるし、左手の花鳥の羽もある。

もしものために待機していた同僚たちが、机の前に立ってぽかんとクロムたちを見ていた。


お互いにしばし見つめ合った後、同僚たちは口を開いた。


「静電気魔術師、すげー……」

「さすがリードの後任…………」

「え、」


どうやら、最後の電撃は外からも感じられたらしい。それほどに強烈なものだったということだ。

クロムはここでふと、先日アイビーが腕輪の回路を調整してくれたことを思い出した。

リードの件を知ったアイビーは、じゃあ派手に電撃を出すようにしておこうと言っていた。冗談だろうと笑って流していたが、本当にそのようにしてしまったようだ。



それなりに緊迫した状況から突然に引き上げられ、気の抜ける呼び名で呼ばれて、クロムは一気に脱力した。

そんなクロムを見た後輩は、やはり頼もしかった。


「先輩、後処理はいいっすから、先に術医のところへ行きましょう。あの池に落ちたんだから、ちゃんと診てもらってください」

「あー、そうだね。アッシュも水に触れたし、一緒に行こうか」


クロムは池に落ちて全身が穢れた水に浸かっているし、落下した際に少しばかり水を飲んでしまったような気もする。

すでに魔術で水気は飛ばしたが、専門の術医に診てもらうべきだろう。

そのクロムを引き上げてくれたアッシュも同様だ。



これぞ静電気魔術師だと勝手に盛り上がっている同僚たちに、仕舞っていた封じ込めの花を押し付けて、アッシュと二人で術医のもとへ向かう。


先を行くアッシュの後ろで、クロムは左腕をじっと見た。

先ほどの電撃が放たれた時に感じた気配は、魔術書に降りた時からずっと側にあったものと同じだった。


幻惑の中で空気の重さを感じなかったのも。

池の水が冷たくなかったのも。


(あの、誰かに守られているような気配は、これだったのかあ……)



腕輪は変わらずそこできらめいていた。


最終11話は、本日24日朝10時に投稿します。

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