選択肢なんて、そんなもん
課題の発表まであと一週間。
しかし、晏奈と京と淳平、三人の課題は良い状態とは言えなかった。晏奈にも焦りが出始めていた。
出だしは悪くなかったのだ。晏奈のチームは、京の積極的な行動で他のクラスメイトより早くチームを組み、組んだその日に某イタリアンーなのか分からないけど、安くて、 有難いーファミレスで打ち合わせをした。
方向性などは全然決まらなかったが、楽しい打ち合わせだった。京が淳平の着ていた赤のパーカーのフードを被せ、思いっきりフードの紐を引く。赤の布ににゅっと押し込まれた淳平の顔を見て、京は言う。
「あんあん見て、たらこー。」
晏奈は思わず吹き出した。二十七歳のたらこー淳平は、違うよ色からして明太子でしょうが、と真顔でツッコんだ。
こんな楽しい、...緩い打ち合わせが何度も続いた。チームとして仲が良いのは良いことだと、ふざける京を楽しく見ていた晏奈も、一週間を切るとそうもいかない。
京に真面目だと思われたくなくて、淳平が練習しようと切り出してくれないかと期待する。チラッと見ると、淳平もこっちを見ていた。晏奈の気持ちを察したわけではないだろうが、
「はいはーい。じゃ、そろそろ練習しますかね。」
淳平が声を掛けた。淳平はやっぱり大人だと思う、雰囲気を壊さない言い方でその場を仕切る。
「そだね。やろうやろー!...っと、その前に厠へ行ってくるぞ。おー。」
よく分からない気合いを入れて、京は御手洗へ言った。
可愛らしい背中を見送りながら、晏奈は少し気まずく思う。淳平と二人きり。好意的に思っているし、人間関係をまるっと収められる淳平のことはとても尊敬しているが、お互い自分から話すタイプではないので、二人になると何を話していいのか分からなくなる。
「よっしー、ここ何だけどさ。」
淳平が課題のプリントを晏奈に見せる。はははっ、と笑うシーンに赤丸が付いていた。
「半兵衛はどうやって笑うと思う?」
半兵衛というのは、淳平が担当するお父さんの名前だ。ちゃんと書き込まれたメモを見て、ほっとする。淳平は練習をして来てくれているのだと。
「ずっと会いたかった息子に会えたお父さんの気持ちだよね。」
晏奈は小さく唸る。五年も会えなかった息子に会えた父の嬉しさは、晏奈の想像よりもずっと深いものだと思う。
「...難しいけど、私は噛み締める感じで笑うかな。自分の笑いを自分に聞かせる、みたいな?」
「なるほどね。噛み締めるか、やってみよ。」
「おっまたせー!今どこやってるの?」
トイレから戻った京が課題のプリントを見て、二人に聞く。淳平の応えを聞きながら、京が配られたままの綺麗な紙を出した。
「じゃあ、今日はこのシーンをやろうか。」
晏奈が提案に、淳平がありがてえと拝むように言い、京も賛成してくれた。
そこからは、なかなか良い練習だったと思う。三人であーでもないこーでもないと言い合い、少しずつ面白い作品になっていくのが、晏奈はとても楽しかった。
「お父しゃーん。」
ラストシーンを京が読む。
京の演技には思いっきりがあって、晏奈は京の演技に憧れていた。だからこそ、“さ”が“しゃ”になっているのが勿体なくて、指摘する。
「あ、京ちゃん。“さ”が“しゃ”に聞こえるかも。」
京がおっけ、と軽く答えて言い直した。
「お父しゃーん。」
「...やっぱり、しゃに聞こえるかな。」
「しゃ。さ。さ。...よし、お父しゃーん。」
晏奈は再度注意すべきか悩んだけど、ラストシーンは妥協したくない。出来るだけ優しい声で指摘をしてみた。
「まだ、若干しゃに聞こえるね。息の量を減らしてみるのはどうかな?」
少しだけ京の眉間に皺が寄った気がした。多分気のせい。
「えー、もう分かんないよう。あんあんが私ばっか注意するー。」
京がふざけたよう声で、晏奈に文句を言う。心の中で、でもぺいさんは練習してきてるし、と困ってしまったが、
「そんなことないよー。ちょっと疲れたね、休憩しよう。ジュース取ってくるよ?何がいい?」と微笑んだ。
晏奈は京が好きだ。もちろん、友達的な意味で。
京は緩さについていけない時もあるけれど、一緒にいると楽しい。京の何者にも縛られない奔放な性格は見ていて気持ちが良かった。
京にはのびのびを貫いてほしいと思う、
ーそれと同時に、自分にないものに羨ましく思う。ないものねだり。
打ち合わせは、午後七時に解散になった。
晏奈は別の課題をすると言って、ファミレスに残った。課題を終えて帰る時、京に厳しく当たってしまっただろうかと反省したけど、京のことだし、きっと気にしていないだろうなとも思う。
その日は、何となく激坂を避けて、少し遠回りをして駅へ向かった。のびのびした木々を見ると、変に反省してしまうから。
「吉沢じゃん!そっちも練習終わり?」
ギンギン尖るようなオレンジの雰囲気を感じた。その先には、やはりクラスメイトの剣田和也がいて、向かいの駅の入口からこっちに向かって来ていた。
「お疲れ様。つるっぽ。」
この人と、深い関係になるなんて、この時の晏奈はまだ知らない。たまたま激坂を登らなかっただけ。何となくの選択が人生を左右する。人生は、そんなもん。