No.002 女神は意外と身近にいた
「おお、これは!」
「そうだ。七海がいつもやってるアルトラのプレイヤー調査ページだ」
それはネット限定で販売しているゲーム攻略雑誌「どこでも! ゲーム魂!」のアルトラ特集ページだった。
アルトラとは、正式名称を『アルストラリオン』という3D空間でキャラを動かし戦う格闘ゲームのことだ。サービス開始は五年前だというのに今なおその人気は根強く、こうして時折ゲーム雑誌で特集を組まれる。
もちろんぼくもやり込んでいる。ぼくはこのアルトラが好きで毎日プレイしている。本当にどんな時もだ。昨日咲に怪我させたときやっていたのもこのゲームだ。
そして、アルトラの魅力はなんといってもオンラインによるプレイヤー同士の対戦だ。
「『ⅢDRAGON』に『cilea』の癖なんかも。この編集者やるなぁ」
アルトラは対戦成績を元にユーザをランキング付けしている。ゲーム内で誰でも見ることができるからぼくも知っている。さっき言った『ⅢDRAGON』はランキング一位。『cilea』は二位だ。
ページにはプレイヤー攻略情報とでかでかとタイトルをうっているとおり、ランキング上位者の持ちキャラは当たり前、癖などの対戦傾向と対策が詳細に記載されていた。
ぼくはマウスを部長から貸してもらってページをめくっていく。一位、二位と来たからには次は当然、ランキング三位だ。プレイヤー名は『Exbiet』。
「うわぁ……。本当によく調べるてるな……」
さっとページに目を走らせる。こうやって癖なんかを書かれると恥ずかしいやら照れ臭いやらなんなのか分からない。
なにを隠そうこの『Exbiet』は――ぼくだ。
アルトラは日本国内でしかサービスを提供していない。つまりランキング三位ということは日本で三番目に強いということだ。それがこのぼくなのだ。
ちなみにこのことはぼく以外には部長しか知らない。理由は簡単。アルトラにそこまでの興味を持っている人がほかにいないのだ。これだけ人気があるのになぜぼくの周りにはアルトラ好きがいないのか不思議でしょうがない。悲しい事だね。
ぼくはさらにページをめくる。調査はランキング十位のプレイヤーまであった。オンライン対戦の場合、誰と当たるかわからないランダムマッチだから、このページを作った人は相当な時間やり込んだに違いない。
自分の攻略ページには新しい発見がいろいろとあった。自分でも知らなかった癖や、負けそうになると動きの繊細さが減る、なんてことも書いてある。
「あーくそ。そうだったのか。いや待てよ。だったらこの癖が出ないように」
自分の攻略方法に夢中になっていると、部長が話しかけてくる。
「ふっふっ。七海なら食いつくと予想していた俺は大正解だったな」
部長はアルトラを知ってはいるが実際にはやらない。しかも「どこでも! ゲーム魂!」は有料なのだ。それなのにわざわざ買ってこれを見せてくれるなんて、部長は優しい。
「ありがとうございます、部長! さすが部長ですね。後輩思いの優しさにしびれます!」
「ふっふっふ。そうだろうそうだろう。もっと言ってくれていいのだよ、七海よ」
「いよっ、この優しさ大臣! 世界の部長の頂点に立つ男! 全後輩の憧れの的!」
「はっはっは! 言ってくれるな、七海よ!」
「またやってる。バカみたい……」
最後の楠木のセリフはいつものことなのでぼくたちはスルーする。
こういうのは実は今回だけじゃない。だから部長にぼくは頭が上がらないのだ。
「あ。部長、このランキング四位の『TAKURO』って人なんですけどね。ぼくが思うにeスポーツ選手の『タクロー』がプレイヤーなんじゃないかと思うんですよ」
「なんだと? ただ名前が同じだけじゃないのか? 同名なら腐るほどいるぞ、ネットには。しかも『タクロー』ほど有名な選手ならなおさらだ」
「いやいや、ぼくも何度か戦ったから分かります。別のゲームではありましたけど、よく動画で見る動きと一致しているところが――」
ピリリ、と音がした。ぼくの腕時計からだ。
「あ、やば。すっかり忘れていた」
「ん? 今日は病院の日か?」
「はい。そうだったみたいです」
腕時計には病院へ行くようにと、メッセージが表示されている。
あぶない、あぶない。昨日のこともあって完全に忘れていた。万が一にも忘れないようにと母さんに仕込まれていたのが良かった。
部長と花屋敷先輩、あと楠木に一言いって部室を出る。メッセージは病院に間に合う時間に表示されるよう設定してあるけど、念のため少し急ぎ気味に学校を後にした。
◇ ◇ ◇
急いだからか結構早めに病院についた。問診の時間までまだすこしある。ぼくは待合室の椅子に座りぼんやりしていた。
ぼくが何時も通うこの病院は結構大きな病院だと思う。なんでも私立大学の附属病院なんだとか。実際名前もそうなっている。県外からも多くの患者が来るらしく、今日も多くの通院患者やケガや病気で訪れた人で病院は賑わっていた。
いや、病院なんだから賑わうってのはおかしいか。
少ししてぼくの順番が来た。名前を呼ばれ個室に入ると白衣を来た女の人が椅子に座ってパソコンを操作している。ぼくが入ってきたのに気がついて体をこちらに向けた。
「こんにちは。樹くん」
「こんにちは。冬華さん」
いつもの挨拶をかわし、女の人の前にある丸椅子に腰を降ろす。
この人は冬華さん。ぼくの主治医をしてくれている人だ。
勝手なことだけど、ぼくは大人の女性というのはこの人のことを言うんだなと思っている。
誰が見ても美人の判定を下す整った顔には薄く化粧がされている。白衣の間から見えるのは抜群のプロポーション。年頃の男子には目に毒だと会うたびに思っている。
もし、一つだけ欠点をあげるとすれば、それは――
「で? 変わったことは?」
「いえ、特には」
「ふーん。そう」
面白くなさそうに机の上にある紙にペンを走らせる冬華さん。
「あっ。昨日ゲームを取り上げられちゃって、そのせいでゲームできないとツライ病が発症して、震えが止まらないんです」
「そう。それは大変ね」
「……」
欠点というのはこれだ。冬華さんはとても不愛想なのだ。
今の冬華さんは別に怒っているわけではない。いつもこんな感じ。看護師の人にも同じような対応をしているからぼくにだけこうでは無いと、そう信じている。
「はい。あれ貸して」
冬華さんが差し出す右手に、ぼくは今まで身に着けていた腕時計を渡す。それをなんかのケーブルと接続し、パソコンのディスプレイに映し出された文字を冬華さんは見る。
あの腕時計は実はただの腕時計ではない。ぼくの健康状態を日々記録しているのだ。
「異常なし、と」
パソコンから机の紙に視線を移しペンを走らせる。どうやら今回もぼくの健康に問題は無かったようだ。まぁもう何年もこのやり取りを繰り返しているのだから、どうせ今日も「異常なし」だと思っていた。
「ところで、樹くん。さっき言ってたゲームを取り上げられたことだけど」
「え? なんですか?」
「そのこと、さっきお母さんからも言われたわ。電話があってね。今日病院だから、くれぐれもって」
「げ。なんでわざわざそんなこと言うかな……」
ぼくは面白くなさそうに腕を組む。
冬華さんはというと、椅子から離れ、部屋の奥へと行ってしまう。ここからはカーテンが閉まって見えないその場所から、なにやら紙袋を持って戻ってきた。
「だから、どうしようかと思ったけど、やっぱり貸してあげるわ。はい」
その紙袋をぼくへと差し出しながら冬華さんはそう言う。
「早く受け取りなさい。重いんだから」
慌てて紙袋を受け取るが、確かに重い。
「なんですか、これ?」
「樹くん、前から欲しがっていたでしょう。だから貸してあげようかと思って」
膝に乗せた紙袋の中を、そーっと覗く。
「こ、これは!」
バッと顔を上げ、冬華さんを見上げる。
「いいんですか⁉ 本当に、本当の本当に貸してくれるんですか⁉」
「そう言っているでしょう」
受け取った紙袋の中には、なんと! 喉から手が出る程に欲しかったけど高くて買えなかった、ゲーム機とVRヘッドセットが入っているではないか!
「そう、これだよこれ! 冬華さんありがとう!」
ゲームと本体は変わってしまったけれど、これでゲームを続けられる。まさか毎日の活力をこんな形で取り戻すことになるとは。
このときばかりは冬華さんが女神に見える!
「返すのはいつでもいいわ。どうせ使う予定なんて無いし」
嬉しさのあまり、シワが出来る程にぼくは紙袋を強く抱きしめる。
「ただし、大事に扱いなさいよ。壊したりしたら許さないから。それ結構高いんだからね」
「は、はい……。もちろんです……」
鋭い視線で言われ、紙袋を持つ手に力を入れなおす。ゲーム機本体ごと入っているから結構重い。もし落としたりしたら、いろんな意味でどうなるか想像もつかないので床に置くことにする。
ゆっくりと降ろしながら、ふと思った。
「そういえば、なんで気が変わったんですか? 母さんから言われたのに」
その問いへの返答はなんとも冬華さんらしいものだった。
「だってそんな重い物、また持って帰るの面倒でしょ」




