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とある家具職人のお話2

 月日がさらに流れた。


 息子達が一人、また一人と独立して行った。

 そうなると家具職人ミランはより熱心に十五になった娘ヴァラに指導をする様になっていた。


 娘ヴァラの才を懐疑的に見ていた商人(愚か者)達からも、やっと注文が届き始めた。

 その事に俄然やる気がわいてきたのか、娘ヴァラは可愛らしい顔に闘志を浮かべながら、一生懸命、のみを振るっていた。


 自身の技術の集大成ともいえる寝台作成――それを教えるのも近いかと、家具職人ミランは目元を弛ませた。


 また、これからは貴族との直接的なやりとりも発生するかもしれないと、礼儀作法にもいままで以上に力を入れ始めた。

 高い金銭をかけて平民向けの訓練場に通わせたことが功を奏して、娘ヴァラの商談での立ち振る舞いは美しいと評判になり、家具職人ミランは非常に満足していた。


 ところがである。


 そんな、娘ヴァラにおぞましい魔の手が忍び寄うこととなる。


 事の発端は、十六になった娘ヴァラが友人達と祭りに行った時の事だ。


 元気いっぱいに出かけていった娘だったが、夕方頃、家具職人ミランが工房の前で木材の受け渡しをしている最中、左足を引きずりながら帰ってきたのである。

「ハシャぎすぎて、足首を捻っちゃった」と困ったように眉を寄せる娘ヴァラを家具職人ミランが慌てて支えてやる。


 その時、視界の端に下町には場違いな高級馬車が去っていくのが目に入った。


 家具職人ミランが何気なくそれを目で追っていると、「あ、あのね」と言う声が手元から聞こえてきた。

 視線を戻すと娘ヴァラが顔を赤め、なぜかモジモジしている。

「今の馬車のね、人に送って貰ったの」

 だが、察しの悪い家具職人ミランは、娘の様子を訝しげにしながらも「そうか」と応えるだけだった。


 その日から娘ヴァラの挙動がおかしくなっていった。


 着飾った格好でこっそり家を出ていった。


 見慣れぬ腕輪や指輪が増えていった。


 窓の外を眺めながら、物憂げにため息を付くようになった。


 そんな様子に思い当たるものがあるのか、妻は「あらあら」などと楽しげにしていた。

 だが、家具職人ミランにはよく分からなかった。

 ただまあ、年頃の娘のことは元々よく分からないし、それに、仕事に関してはきちんとやっていたので、そのままにしておくことにした。

 むしろ、時々見せる笑みが、たまらなく愛らしくも美しかったので、(綺麗になったなぁ)なんて呑気に頬をゆるませてもいた。


 だが、突然の訪問で家具職人ミランは脳天を殴られた様な衝撃を受ける事となる。


 娘ヴァラが連れてきた身なりの良い若者が、突然、家具職人ミランの側で膝を付くと「娘さんをください!」と抜かしたのである。


 その公衆の面前で”誘拐”を宣言するに等しいその発言に――家具職人ミランは初め、ポカンと口を開けてしまった。

 それだけでは足りず、膝から崩れ落ちそうになった。


 だが家具職人ミラン、父親として必死に立ち直る。


 そして、ワナワナと震える体を怒らせ、顔を真っ赤に染めて、拳を強く握り締めた。


「ふざ――」けるな! と殴りかかる前に男共にがっちりと拘束される。


「お、おい!

 ふざけるな!」

 などと喚くものの、予め決めていたかの様に「まあまあ」と言いながら、がっちり掴んで離さない男共――親方や息子達を必死に振り解こうとするも、一向に離れない。

 そうこうしているうちに、若い極悪人は妻を始めとする女衆に連れて行かれる。

「おい待て、お前!

 おい!

 おい!」

 家具職人ミランの声は、空しく響くだけだった。


 その若者、公爵家に代々仕える準男爵位の息子で、自身も中級役人に付いているとのことだった。


 その年の祭りの日に下町で町人の恰好に着替え楽しんでいたのだが、その時に偶然であった娘ヴァラに恋をしてしまったとのことだった。

 そのふざけた若者が、美しくも可愛く、性格も良い娘ヴァラの事が好きになってしまうのは――まあ、しょうがない事である。


 だが、問題はその若者(ペテン師)に娘ヴァラがまかり間違って恋をしてしまった事である。


 娘ヴァラはそう、騙されてしまったのである。


 金髪に整った顔を温和そうに弛ますその表情に。

 称号持ちの出など鼻にかけず、町人達に気さくに話し掛けるその姿に。


 下人である家具職人ミラン(自分)に怒鳴られても、何度も足を運び丁寧に許可を得ようとするその誠実さに。


 若い娘ヴァラは騙されてしまったのである。


 しかも、おぞましいことにその若者の両親、準男爵にも関わらず穏和で知られていた。


 娘ヴァラに学ばせた礼儀作法が”災い”したようで、準男爵夫妻は本気で気に入り、わざわざ自ら挨拶の為に足を運び、ムスっとした顔の下民な家具職人ミランに対して「息子には勿体ない娘さん」だの「わたし達が責任を持って幸せにさせます」だのとんでもない言葉を吐いてきた。


 愚かな妻や工房の親方等はすっかり乗り気になってるらしく、「最高の良縁」だの「これを逃したら次はない」だのぎゃあぎゃあうるさくさえずった。


 だが、半ば無理矢理会話の席に座らされた、家具職人ミランは首を縦に振らない。


 ばかりか、ただでさえ厳めしい顔を険しくさせるだけだった。


 実際、家具職人ミランは苛立っていた。


 周りの愚物達に対して、だ。

 娘ヴァラの才は宝石の原石だ。

 もちろん、まだ荒い部分はある。

 だけど、ようやく輝き始めた所なのだ。

 これから、自分が丁寧に研磨し、将来、その名を世界に轟かせる事になるはずなのだ。

 にもかかわらず、あのへにゃへにゃした男によって、その芽を引きちぎられようとしている。

 しかも、自分が全く手の出せない場所に連れて行かれるのだ。


 苛立つなって方が無理があった。


 しかも、その若者、あろう事かくだらないを越えたおぞましささえ感じる提案を、なにやら爽やかな笑顔で言ってきた。

「お父さん、ご安心ください。

 ヴァラさんには職人としても続けて貰うつもりですから」

 娘ヴァラもその言葉をニコニコしながら聞いている。


 家具職人ミランの頭は怒りのため、一瞬、真っ白になり、立ち上がると「馬鹿野郎ぉぉぉ!」と怒鳴りあげた。


 まさか怒られるとは思っていなかった若者も、生まれて初めて父親に怒鳴られた娘ヴァラも目を大きくしながら固まっている。

 家具職人ミランは怒りで震える体を必死に押さえ、二人を指さしながら続けた。

「お前ら結婚するってんなら、将来、準男爵、準男爵夫人になるって事だろうが!

 称号持ちの夫人がなぁ、樹脂や塗料だらけの職人の手で社交をするつもりか!?

 大体、何十人もいる使用人を統括し、家を守る女主がそんな片手間で出来るわけ無いだろうが!

 職人だってそうだ!

 平民同士の結婚とは訳が違うんだぞ!

 そんなふざけた態度なら、どっちも止めちまえ!」

 そこまで言い切ると、家具職人ミランはズカズカと部屋を出ていった。



 人気のない工房で家具職人ミランが椅子に模様を彫り込んでいると、「父さん」と背後から声をかけられた。

 そして、背中に温かくて柔らかいものを感じた。

 昔から良く甘えるようにくっついてきた体は、今は大きくなり、座っている家具職人ミランに対して覆い被さる形になっていた。


 普段で有れば、喜びで迎えるそれを、家具職人ミランは不機嫌そうに「なんだ?」と返した。


「お義父様達にも怒られちゃった。

 父さんが正しいって。

 あの方は物の道理を分かっている方だって」

「大仰に言い過ぎだ」

 家具職人ミランは素っ気なく言うと、金槌をのみに軽く振るう。

 娘ヴァラは続ける。

「わたし、父さんに才能があるって言って貰えてすごく嬉しかった。

 だって、わたしにとって、父さんは世界一の職人だもん。

 嬉しくって、本当に誇らしかった。

 いつかは、絶対に父さんみたいな職人になるって思ってたの」

 娘ヴァラはそこで止めると、嗚咽混じりの声で言う。

「わっわたし――ごめっ、ごめんなさい。

 彼と、結婚するよ。

 だっだって、彼の事、好きになっちゃったから。

 父さん、許して」


 許せる訳が無い――と家具職人ミランは思った。


 そもそも、あんなナヨナヨした男に、やれる訳が無い。

 そもそもお前、父さんの様な職人になるって、絶対諦めないって、誓ったじゃないか。

 そもそも、父さんが付けてくれた名前入りの家具を、世界中に広めるって言ってたじゃ無いか。

 そもそも、結婚しても、職人を続けさせてくれる人としか結婚しないって言ってたじゃ無いか。

 ――いや、確かに続けさせるって言ってたけど、出来もしない事を言うのは駄目だろう。

 そもそも、父さんと結婚するって言ってたじゃ無いか。

 そもそも、そもそも……。


 平民から準男爵夫人なんて――苦労する事が分かりきっている場所に、お前を送り出せる訳ないだろう。


 だから、家具職人ミランは言った。


 キッパリと、はっきりと、反対した。


「馬鹿野郎……」


 駄目に決まってるだろう――という強い拒絶の言葉に対して、娘ヴァラは家具職人ミランの上着をぎゅっと握り、

「ありがとう、父さん」

と何故か言った。


「――ん?」


 家具職人ミランが間抜けな声を上げながら振り向くと、「父さん、許してくれたよ!」と妻の方に駆けて行く後ろ姿が見えた。

「お、おい――」

 中腰になり、止めようとした家具職人ミランだったが、妻らに祝福をされる娘ヴァラが本当に、本当に嬉しそうに涙を流していたから……。


 下唇を噛むと、腰を落とした。


 そして、「馬鹿野郎……」と呟き、のみと金槌を握り直した。


 乾いた音とともに、のみにエグられた作成中の椅子の脚が折れた。


「馬鹿野郎……」

 その失敗を恥じたのだろう、家具職人ミランの目には大粒の涙が浮かんでいた。

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