前回のルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢2
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出来るはずがないことを、エリージェ・ソードルは言った。
たかだか伯爵家の令嬢が、大貴族の体面に泥を塗る行為――それは、その家の存亡を揺るがせかねないものだ。
仮に五家に数えられるトレー伯爵令嬢であっても、ただでは済まないだろう。
まして、中級より下くらいのヘルメス伯爵令嬢ごときである。
あっという間に、消し飛んでしまう。
しかも、泥を塗る理由にも問題がある。
仮に国や自領を守るためとかであれば、英雄的と誉める者もいるかもしれない。
だが、今回に関しては取るに足りない木っ端貴族、その令嬢が虐められている――そんなくだらない理由なのだ。
狂っていると言われることはあっても、誉める者など、少なくとも貴族の中ではいないだろう。
だから、エリージェ・ソードルとしては、ここまで言えば引き下がるだろうと思っていた。
だが、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は下がらない。
このように言った。
「ソードル公爵令嬢、わたしは学院に報告をする気はありません。
それは筋違いだからです。
ソードル公爵家の後ろ盾があると偽りを語る愚か者がいることは、ソードル公爵令嬢、貴女にお伝えするべき事ですから」
エリージェ・ソードルは(なるほど)と思った。
虐めの件では無く、ソードル公爵家の名を勝手に使っている事を問題にするのであれば、学院ではなく、女に報告すべき事だ。
そして、それはこの女にとってうんざりすることだった。
何かある度に報告と称して声をかけられる。
一度で終わるなら多少は看過できるが、毎回となると……。
非常に面倒だと思った。
すると、カルリーヌ・トレー伯爵令嬢が我慢ならないといった表情で立ち上がった。
「ヘルメスさん!
もういい加減になさい!
そういう雑事は、わたしが対応しますから、今のところは下がりなさい!」
だが、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢も言い返す。
「これは、ソードル公爵令嬢の問題、トレー伯爵令嬢とはいえ、口を挟まないでください!」
「だから――」
「もういい!」とエリージェ・ソードルはうんざりした顔で二人を黙らせる。
そして、件の令嬢に視線を向けた。
「あなた達、下位貴族令嬢を虐めなくてはならない理由はあるのかしら?」
女に言われ、虐めていただろう令嬢達は「あの、いえ、生意気といいますか……」と口ごもる。
エリージェ・ソードルは眼力を強めていった。
「あなた達、家の損益に関わる等、わたくしが納得いく理由がない限り、あの子等に関わることを禁ずるわ。
分かったかしら?」
「え、あの……」
などとごちゃごちゃ言っている令嬢らに対して、この女にしては”優しい”ことだが、もう一度念を押してあげた。
「分かった?」
エリージェ・ソードルの、胸中に渦巻く怒気に気づいたのか、虐めをしていた令嬢達はビクっと体を振るわせ「はい! ソードル様のおっしゃるとおりにします!」と大きな声で了承した。
そこまでなら、エリージェ・ソードルは特に気にすることはなかった。
取り巻きであれ、派閥であれ、陪臣であれ、自分の下にいる貴族を守る。
その理屈は、エリージェ・ソードルの中では当たり前の事だったからだ。
だから、その日までルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢という少女のことを、エリージェ・ソードルはすっかり忘れていた。
ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢との出会いから二週間後、エリージェ・ソードルはカルリーヌ・トレー伯爵令嬢と共に庭園を歩いていた。
その日は、第一王子ルードリッヒ・ハイセルらとお茶会をする予定になっていた事もあり、他の取り巻きはおらず、「たまには二人で歩くのもいいわね」などと、気楽な感じに話をしていた。
庭園にはエリージェ・ソードル達が向かっている上級貴族が使う東屋とは別に、中級以下が主に使う席がいくつも並べられていて、その中を二人が差し掛かった時に、ふと、二人の令嬢が目に付いた。
ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢の後ろにいた下位貴族の令嬢で、何がおかしいのかキャッキャと華やかな声を上げながらお喋りをしていた。
カルリーヌ・トレー伯爵令嬢が「下位貴族が騒々しいですわね」と片眉を上げるが、エリージェ・ソードルは正直、どうでもよかった。
「放っておきなさい」
と閉じた扇子を振った。
だが、しばらく行くと、不可思議なものが目に入り、エリージェ・ソードルはそれを凝視した。
そこには、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が一人、本を読んでいた。
実際の所、これもどうでも良いと言えば、そうなのだ。
しかし、なんだか妙に気になり、そこに歩を向けた。
ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は女が近づいてくるのに気づいたのか、本を置くと立ち上がる。
エリージェ・ソードルは挨拶も無しに訊ねた。
「ねえあなた、小貴族達はどうしたの?
なぜ、あなたをほったらかして、あんな所で喋ってるの?」
それに対して、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は一瞬、不思議そうにしたが、合点が行ったのか、困ったように眉を寄せた。
「別にあの子達はわたしの取り巻きでも、うちの派閥の者でもないので、一緒にはいないのです」
「はぁ?
どういうこと?
じゃあ、何でわたくしに直談判なんてしたの?」
「何で……と言われましても。
困っているのを見たからとしか」
「はぁ?
見たからって……。
そんな理由で大貴族の不興を買いかねないことをしたの?」
エリージェ・ソードルは歯を食いしばりながら働いてきた。
公爵領のため、公爵家のため、領民のために。
そんな女には、”どうでも良い事”のために自分の家に被害を与えかねない事をする者の気持ちは分からない。
「意味が分からないわ」
と呟いた。
それに対して、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は焦げ茶色の瞳をまっすぐ向けながら言った。
「わたしだって出来ないことをするつもりはありません。
あの時は、ソードル公爵令嬢を説得する自信がありましたし、もしここで何もしなければ凄く後悔したと思います。
だから、名乗り出たのです」
そこで、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は少し困ったような、申し訳なさそうな顔をしながら言った。
「……もし失敗しても、身一つで許して貰おうと思っていましたし」
そんな言葉に、カルリーヌ・トレー伯爵令嬢が呆れた顔で言う。
「身一つでって……。
あなた、変な子ね。
そして、愚かだわ」
エリージェ・ソードルもカルリーヌ・トレー伯爵令嬢の意見に同感だった。
自分にとって縁もゆかりもない令嬢のためにそこまでする意味も理由も無い。
本当に、愚かでどうしようもない子だと思った。
だが、なぜか妙に気になった。
騎士でもない、魔術師でもない、大貴族でもない、ただの貴族令嬢が、自分を犠牲にする覚悟を持って赤の他人を助けようとする。
自分では全く思いつきもしない、そんな生き様をする少女に――なぜだか視線を吸い寄せられる様になっていった。
――
「……立ちなさい」
エリージェ・ソードルの指示に、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は立ち上がる。
当然、あの頃とは違う、十歳程度の小さな少女だ。
だが、編み込まれた焦げ茶の長い髪に、尖り気味の目が特徴的な――間違いなくあの令嬢だった。
その目の中にある、髪と同じ色の瞳が強く輝いていた。
”前回”、エリージェ・ソードルは庭園で会って以降も忙しかったこともあり、彼女と積極的に交流を持ったわけではない。
精々、廊下や食堂でたまたま顔を合わせた時、数にして四、五回ぐらいだ。
だが、今思うと楽しい瞬間だったように思える。
(そういえばこの子、いつの間にかいなくなっていたのよね)
二年生になり、紙の生産の件で公爵領に戻っていた頃に起きた出来事のようで、女がようやく学院に戻った時には、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は家の都合で退学していた。
これは令嬢の中ではそこまで珍しい事では無く、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢も多くの者と同じようにどこかに嫁いでいったのだろう、とエリージェ・ソードルは思っていた。
ただ、こうも思う。
もし、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が”あの時”に学院にいたら、どうしたのだろうかと。
あの、醜く暴走する女を見たら、どのような言葉を投げかけてきたのだろうかと。
愚かな女の前に立ちはだかってくれたのだろうか?
あの下位貴族にして見せたように、身一つを賭けてくれたのだろうか?
そんな、詮無い事を考えてしまった。
エリージェ・ソードルは閉じた扇子をルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢に突きつけながら言った。
「だったら、あなたも一緒に来なさい」
女の言葉に、ルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は一つ息を呑んだ。
だが、気の強そうな目を、更に険しくさせながら、「畏まりました」と頭を下げた。
エリージェ・ソードルは満足げに頷いた。




