幼なじみの来訪2
オールマ王国では令嬢の婚姻相手は基本的に年上が良いとされている。
しかも、五から十才上がちょうど良いとされていて、同年代での婚姻ですら珍しいとされていた。
それは保守的な考えが強いオールマ王国では男は仕事、女は出産と子育てと棲み分けがされているからである。
その事もあり、学院を卒業後、男が仕事に慣れ始めた頃に成人する女を娶る方が効率が良かった。
令嬢が年下の相手に嫁ぐ場合は、弟マヌエル・ソードルの様に速やかに嫡子の誕生が望まれている場合が多く、精神的圧力が強すぎるためによほど好条件でも無い限り、令嬢側としても断る場合があった。
また、騎士や政務官、研究員や侍女長といった比較的上級職ならともかく、侍女程度の末端な職に就いている女性であれば二十、二十一才には相手を見付けなければ非常に見苦しいと思われていた。
上級職などであっても二十代後半には結婚しなければならない。
まして、何もしていないご令嬢であれば学院を卒業後の二、三年の内には嫁がなくてはならないとされていた。
だが、子息は違う。
嫡子ならともかく、三十過ぎても独身の男は特に珍しくも無い。
四十過ぎても独身であっても、そこまで強くは言われない。
幼なじみオーメスト・リーヴスリーの場合、嫡子であるので流石にそこまでは許されないが、二十前後で独身ぐらいでとやかく言われる事は無いだろう。
因みに、ゲスな男になれば三十近くまで年の近い女を散々もてあそんだ挙句、三十を過ぎると年齢を理由に十七、八の娘と婚姻する。
そんな輩までいた。
立場的、身体的違いはあれど、比較的上級職への女性進出の多いオールマ王国であっても、男女間の差は大きいと言わざる得なかった。
もっとも、多くの才女が苛立つ現状であったが、エリージェ・ソードルは気にしない。
この女、自身が公爵代行になり、従者ザンドラ・フクリュウを初めとする女性を登用しておきながらその癖、基本的には保守的な思考の持ち主である。
単に必要がそうしているだけで、可能なら執務などは男がやるべきだとも思っている。
だから、幼なじみオーメスト・リーヴスリーの言葉にも「まあそうね」と簡単に頷いて見せた。
だが、看過できない少年がいた。
第一王子ルードリッヒ・ハイセルである。
少年は怒りのために顔を真っ赤にさせながら言った。
「オーメ、いい加減にしてよ!
一応だろうが何だろうが、エリーは僕の婚約者だよ!
口説くのは別の女性にしてよ!」
だが、幼なじみオーメスト・リーヴスリーは座ったまま、立ったままの第一王子ルードリッヒ・ハイセルをニヤリとしながら見上げた。
「でも、いずれ破棄されるんだろう?
俺としては一番相性の良い女を選ぶさ」
「はぁ!?
君にとってはそうでも、エリーにとっては僕が一番さ!」
「それはどうかな?」
と言いつつ、幼なじみオーメスト・リーヴスリーは立ち上がる。
そして、身長でやや劣る第一王子ルードリッヒ・ハイセルを見下ろしながら、嫌らしく笑った。
「ご令嬢はか弱いからな。
自分を守ってくれる騎士に憧れるって聞くぞ。
だったら、どっちが良いかは分かるよな」
「っ!
ちょ、ちょっと試合で勝ち越してるぐらいで……。
それに、本当に大切なのは心だ!」
「ハハハ!
弱い奴は大体そういうって、お爺様が仰ってたな」
「ぐぐぐ」
見目麗しい子息が自分の為に言い合いをする。
まるで恋愛小説の一場面のようで、この場にクリスティーナがいれば『騎士様とお姫様!(と駄目王子)』と大喜びしていただろう。
実際、近くに控えていた侍女の幾人かは、己のお嬢様の事で貴公子らが争っている様子を、うっとりと眺めていた。
ところがである。
エリージェ・ソードルは特に心動かされない。
美しい少年達だったが、既にある程度見慣れているという事もある。
また、”前回”成長して色気すら出始めた頃の彼らを知る女としては、”今回”の少年達では子供達がはしゃいでいる程度にしか見えないのであった。
ただ、幼なじみオーメスト・リーヴスリーの発言には少し思う事があった。
「オーメ、あなた、女が弱いとか言うけど、そんな心構えだと、そのうちその女に足を取られるかもしれないわよ」
「ん?」
突然言われた幼なじみオーメスト・リーヴスリーは一瞬ポカンとした顔になる。
そして、長椅子にドスンと座り直すと「無い無い!」と笑った。
「こんなことを言っちゃ~なんだけど、男と女だと体の出来が違うからな。
単純な魔術や文官みたいな仕事ならともかく、武芸に関しては隔絶した差があるぞ」
エリージェ・ソードルはそんな全く取り合おうとしない様子に流石にムッとする。
「あら、だったらあなた、そこのジェシーにも勝てる自信があるのかしら」
女がチラリと一瞥すると、女騎士ジェシー・レーマーは護衛の任務があるのであからさまには表情を変えないが、少しこちらを気にする素振りを見せていた。
幼なじみオーメスト・リーヴスリーが肩をすくめた。
「エリー、一般的な話をしてるんだ。
ジェシーは大将軍も誉めていたぐらいの逸材で、しかも、そこらの騎士が裸足で逃げ出すほどの鍛錬を課すルマ家騎士団に所属していた、正真正銘の騎士なんだ。
そんな彼女を引き合いに出すのは、どうかと思うぞ。
比べるのであれば、平均的な子息、令嬢を比較しないと」
実際の所、幼なじみオーメスト・リーヴスリーの言う事は正しい、とエリージェ・ソードルは思った。
ただ、「俺が大人の年頃になったらジェシーにだって負ける気はしないなぁ」などと生意気そうに笑う幼なじみの顔を見ながら、少し心配になるのだ。
リーヴスリー家は武芸狂いだが同時に理想的な騎士のように振る舞う一族だ。
弱きを助け、強きを挫く。
女性に対して、紳士であれ。
そんな一族だからこそ、剣やら槍やらにうつつを抜かしながらも、特にうら若きご令嬢の中で彼らは非常に人気があった。
リーヴスリー伯爵夫人などは『”騎士然”に騙されてとんでもない所に嫁いでしまった』と嘆いたものだった。
そんな、リーヴスリー家の血を色濃く受け継ぐ幼なじみオーメスト・リーヴスリーは女性を丁寧に優しく扱う。
その姿勢は徹底していて、”前回”、エリージェ・ソードルがクリスティーナ・ルルシエを火かき棒で殴りつけた時も、それを防ぎ、はね飛ばすだけに止まっていた。
そして、クリスティーナ・ルルシエに逃げられた事に逆上した女に扇子でボコボコにされ、池に投げ捨てられても、反撃することは無かったのだ。
力のない女性を優しく扱う。
それ自体、エリージェ・ソードルとしても否む事はない。
だけど、それが身に染み込んでしまっている。
(だから、わたくしに負けたのでは無いかしら?)
エリージェ・ソードルは少し目を瞑る。
――
”前回”の事だ。
エリージェ・ソードルが刺し殺される少し前、女は生徒会室のある別館を背に立っていた。
別館の正面扉には、第一王子ルードリッヒ・ハイセル、弟マヌエル・ソードル、異国の王子アールシェ・ルビド・カーンが腰を落とし、力なくもたれ掛かっていた。
濁った雲が陽光を遮えぎり薄暗かった。
雨の気配が滲む空気があふれている中、その場は女の魔力のために、漆黒色に霞んでいた。
全盛期の女である。
すでに、オールマ王国どころか、世界中にこの女を止められる者などほとんどいなかった。
実際、オールマ屈指の強者である三十人ほどの近衛騎士や魔術師が”黒い霧”のために地に伏せていた。
まして、ただの生徒など、震え上がり腰を抜かすか、恐慌状態になり逃げ出していた。
だが、そんな中、前に出る者がいた。
オーメスト・リーヴスリーである。
その手にはリーヴスリーの家宝、魔剣魔術殺しがあった。
魔術殺しはその名の通り、魔術を切り裂くことの出来る剣だ。
代々のリーヴスリー家当主はこの魔剣で魔術を切り払いながら戦場を駆け回ったという。
そして、それはエリージェ・ソードルの”黒い霧”も例外なく切り払うことが出来る。
なので、剣の天才オーメスト・リーヴスリーとこの魔剣の組み合わせは、この化け物唯一の天敵だった。
その時、エリージェ・ソードルは倒れている護衛騎士から奪った八本の剣で対抗した。
両手にそれぞれ一本ずつ。
そして、”黒い霧”に残りの六本を掴み構えたのである。
魔剣魔術殺しに切り裂かれれば、”黒い霧”は切り散らされる。
だが、それが掴んでいる剣はそうはいかない。
消えることのないそれで押し込み、押しつぶそうと考えたのである。
”黒い霧”がオーメスト・リーヴスリーをふわりと取り囲んだ瞬間、六本の剣が彼めがけて突き進んだ。
対して、オーメスト・リーヴスリーは魔剣で応戦する。
”黒い霧”が弾け、重なる剣から火花が散る。
二十回、三十回、四十回……。
エリージェ・ソードルの馬鹿げた魔力を惜しげもなく注がれたその攻撃を、オーメスト・リーヴスリーは淡々と弾いて見せた。
この女、エリージェ・ソードルは令嬢である。
剣士でもなければ、魔術師でもない。
故にこの女、戦いとは時に我慢を強いられることを知らない。
せっかちな性分も災いしたのだろう。
動かぬ戦況に、焦れてしまった。
意識が”黒い霧”から両手に持つ剣に少し移る。
そのわずかな隙間、それをすり抜けるようにオーメスト・リーヴスリーが”黒い霧”を切り裂き、突撃してきた。
「な!?」
エリージェ・ソードルはとっさに”黒い霧”を正面に出す。
だが、オーメスト・リーヴスリーはそれも簡単に切り裂いた。
右手にある剣で突くも、その剣先は弾かれる。
そして、魔剣魔術殺しが胸元に吸い寄せられるように迫ってきて……。
苦し紛れに振るった左手の剣が、オーメスト・リーヴスリーを切り裂いたのであった。
――
あの時は気づかなかった。
だが、改めて思うと、幼なじみオーメスト・リーヴスリーから突き出された魔剣魔術殺しは女の胸を突き刺す寸前、止まっていた。
止めてしまっていたのだと思う。
エリージェ・ソードルはその事を深く憂慮した。
あの時、幼なじみオーメスト・リーヴスリーがエリージェ・ソードルを突き殺していれば、彼自身はもとより、第一王子ルードリッヒ・ハイセルも助かったのではないか?
いや、何より幼なじみオーメスト・リーヴスリーがもっと早くに”決断”していれば、”何もかも”問題なく終わったのではないかと、エリージェ・ソードルは思ってしまうのであった。
女だから、ご令嬢だから、そんな”くだらない”理由で、でだ。
エリージェ・ソードルは目を開くとさらに言い通す。
「ねえオーメ、わたくし、あなたのそういう考え方、正直不安だわ。
そんなことを言いながら足を引っかけられないかと」
「ハハハ、大丈夫!
エリーを不安になんかさせないさ」
そう言いながら、幼なじみオーメスト・リーヴスリーは女の右手を取ってくる。
それを、エリージェ・ソードルは手ひどく振り外した。
「オーメ、わたくし、真面目な話をしているの!
例えばわたくしが、殿下に危害を加えようとしたとする。
その時あなた、ちゃんとわたくしを止められる!?」
「ちょ、エリー!?」
第一王子ルードリッヒ・ハイセルが慌てて声を上げる。
”前回”の話を聞かされている第一王子ルードリッヒ・ハイセルは真偽はともかく、その内容から広められたくなかったのだろう。
だが、エリージェ・ソードルはお構いなしに話を続ける。
「オーメ、その時はちゃんとわたくしを殺してくれないと駄目なのよ!
あなた、騎士としてその覚悟は出来ているのかしら!」
女の勢いに少し面食らった顔をしていた幼なじみオーメスト・リーヴスリーだったが、頭が追いついてきたのか吹き出す様に笑い出した。
「エリー、何そんなこと真面目に言ってるんだ!?
大体、エリーが殿下に危害を加えるって、あり得ないだろう!」
「オーメ!」
「悪い悪い!
大丈夫だって!
そんな時は、優しく止めてあげるから」
エリージェ・ソードルが、この余り表情を変えぬ女が怒気が頭を突き抜け、顔を赤く染めた。
そして、乱暴な所作で立ち上がり、幼なじみオーメスト・リーヴスリーをギロリと見下ろした。
「もういい、オーメ、あなたにはちょっと痛い目に遭わせてあげるわ!」
ポカンとする幼なじみオーメスト・リーヴスリーに対して、指を突きつけ怒鳴った。
「ちょっと、鍛錬場まで来なさい!」