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とある侍女のお話2

 息子の行動に手を焼いていたレノ伯爵夫人は、その報告を聞き、大いに喜んだ。

 そして、侍女ミーナ・ウォールに労をねぎらい、これからも片時も離れず見張るようにと指示を出した。

 生真面目な侍女ミーナ・ウォールは女主人の言葉にますますやる気を漲らせた。

 それに、イェンス・レノ伯爵子息の事も好ましく思っていた。


 もちろん、そこに男女の情は無い。


 ただ乱暴な口調とは裏腹に、性根の優しい少年を見つめながら、(弟がいたらこんな感じなのかしら?)などと少々失礼な事を思ってしまっていたのだ。

 その事もあり、職務を超えた熱心さで世話をし、悪いことをしたら、お説教の真似事のようなこともした。

 イェンス・レノ伯爵子息も諦めたのか、自分と身長が変わらない年上の侍女のそれを、だいたいの場合、おとなしく受けた。

 そして、眉をハの字にしながら首を振り

「ミーナはもう、しょうがない」

などと言うのがお決まりになっていた。

 侍女ミーナ・ウォールは自身の主との間にある空気は良いものだと確信していた。

 そして、このような関係がずっと続くのだと思っていた。


 だが、若く、貧乏貴族の末っ子ということもあり社交らしき事をほとんどやってこなかった侍女ミーナ・ウォールは知らない。


 知らない故に、イェンス・レノ伯爵子息の心にくすぶり始めた”それ”に気づかない。


 故に決定的な場所に、少年を押し出してしまった。


 それは冬の空気が深くなった早朝のことだった。

 イェンス・レノ伯爵子息は毎朝欠かさない剣の鍛錬のために、庭園の隅で木剣を振っていた。

 冷えて乾燥した空気を一振り一振り切り裂いている。

 体から吹き出した汗が上気し、靄を作っている。

 そんな様子を侍女ミーナ・ウォールは好ましく思っていた。

 どれくらいそうしていたか、イェンス・レノ伯爵子息は「ふぅ~」と息を漏らし、木剣の先を地面に落とした。

 そして、袖で額の汗を拭う。


 侍女ミーナ・ウォールはそんな彼のそばに早足で近寄った。


 イェンス・レノ伯爵子息はそんな彼女に気づくと苦笑する。

 だが、それも気づかぬ振りをして、「若様、冷えてしまいますよ」と言いつつ侍女ミーナ・ウォールは手に持っていたマントを広げると、彼の肩に掛けた。

「ミーナ、また外で待っていたのか?」

 イェンス・レノ伯爵子息が侍女ミーナ・ウォールをのぞき込みながら訊ねてくるので、侍女ミーナ・ウォールは「それが、わたしの役目ですから」と胸を張る。

「僕よりミーナが冷える方が問題だよ」

 イェンス・レノ伯爵子息は自身の肩に掛かるマントを両手の親指でひっかけると、するりとそれを外し、流れるように侍女ミーナ・ウォールの肩にかけた。

「若様!?」と慌てて外そうとする手は、イェンス・レノ伯爵子息に捕まれることで阻止された。

「ミーナは僕なんかよりずっと弱いじゃないか」

 侍女ミーナ・ウォールは病弱と言うほどでないにしても、風邪などを引きやすい方だ。

 だから、イェンス・レノ伯爵子息の言うことに間違いはないのだが……。

 だからといって、仕える相手が体を冷やす方が問題だと、侍女ミーナ・ウォールは思った。

 そこでふと、昔を思い出してニッコリ微笑んだ。

「若様、これならどうでしょうか?」

 侍女ミーナ・ウォールは、右側だけマントをバッと広げると、その中にイェンス・レノ伯爵子息を入れた。

「ミ、ミーナ!?」と慌てるイェンス・レノ伯爵子息の肩を抱き寄せながら、嬉しそうに微笑んだ。

「若様、うちの家ではこんな風に、兄姉みんなで抱き合いながら寒さを忍んでいたんですよ。

 どうです?

 温かいでしょう?」

「いや温かいけど……」

 照れているのか、顔を赤め視線を逸らすイェンス・レノ伯爵子息に、侍女ミーナ・ウォールは悪戯が成功した子供のように笑った。


 そして、イェンス・レノ伯爵子息の左手をそっと取る。


 その手はとても冷たく、そして、思っていたものよりも大きく、ゴツゴツとしていた。

 侍女ミーナ・ウォールはそれを両手で包むと、少しでも温かくなるようにと息をかけた。

 そして、視線をイェンス・レノ伯爵子息に向けてにっこりと微笑む。

「若様、冷え切ってしまう前にお屋敷に入りましょう。

 ……若様?」

 イェンス・レノ伯爵子息は何故か、後ろを振り向いている。

 良くは見えないが、その首筋から覗く顔はさらに赤くなっているように見えた。

 侍女ミーナ・ウォールは心配になり、その顔を覗き込もうとした。

「若様、体調が悪いのですか?

 若様?」

「……何でも無い」

 イェンス・レノ伯爵子息は何かに堪えるように一瞬震えたが、侍女ミーナ・ウォールの両肩を掴むと屋敷の方に無理矢理向けた。

 そして、ぐいぐいと押していく。

 侍女ミーナ・ウォールはよく分からないと小首を捻るしかなかった。


 その半月後、侍女ミーナ・ウォールはレノ伯爵夫人に呼び出しを受ける事となる。


――


 レノ伯爵夫人の私室にて、侍女ミーナ・ウォールは椅子に座る女主にこのように問われた。

「ミーナ、あなたはレノ伯爵夫人を目指しているの?」

 初め、言われた意味がわからずポカンとした。

 だが、理解が追いつくと、侍女ミーナ・ウォールは青ざめた顔をブンブン横に振りながら慌てて否定した。

「えええ!?

 いや、おお奥様っ!?

 あのう!

 わたし、旦那様との接点はほとんどありません!

 何かのそのう!

 かか勘違いでは!?」

 そんな侍女ミーナ・ウォールに対して、レノ伯爵夫人は「あああ……」と大きな溜息を漏らしながら、重厚に出来ている肘掛けにグニャリと体を預けた。

 常の緩み無い姿勢ばかりを見てきた侍女ミーナ・ウォールがその姿に驚いていると、レノ伯爵夫人の隣に立つ侍女長が苦笑しながら説明をする。

「ミーナ、奥様がおっしゃりたいのは現伯爵夫人のことではありません。

 次期伯爵夫人のことです」

「次期?」

 察しの悪い侍女ミーナ・ウォールに対して、侍女長は呆れたように続ける。

「端的に言えば、若様に嫁ごうとしているのか?

 と言う事よ」

「えええ!?」

 侍女ミーナ・ウォールは混乱した。

 この若い侍女にとって、余りにも遠い話に思えたからだ。

「あ、あのう?

 そんなつもりは全くありませんし、そのう、若様だって認めないでしょうし」

 侍女ミーナ・ウォールの発言に、レノ伯爵夫人から再度、大きな溜息が漏れた。

 侍女長が苦い顔で言う。

「ミーナ、若様はペルリンガー伯爵令嬢からの婚約打診を断ろうとなさっているのよ。

 それどころか、他の誰からのものも受けるつもりが無いとおっしゃっているの。

 ……あなたと結婚したいからと言ってね」

「えええぇ!?

 わわわたし、そそそんなぁ」

 まさに青天の霹靂と言った事態に、侍女ミーナ・ウォールは狼狽する。

 本人としては、そんな意図など全く無く、また、本人としては、自身が仕えるイェンス・レノ伯爵子息からそんな風に思われているとはつゆほども思っていなかったのであった。

 侍女ミーナ・ウォールのそんな様子に、レノ伯爵夫人は体を起こしながら厳しい口調で言う。

「ミーナ、あなたの思わくの有無はともかく、結果として”そういう”事となってしまったの。

 そして、これは予めはっきりと言っておきます。

 男爵令嬢ではレノ伯爵夫人に相応しくありません。

 また、あの子に嫡子が生まれていない現状、あなたを妾にする事も出来ません」

 そして、レノ伯爵夫人は一瞬、辛そうに眉を寄せる。

 だが、厳格な貴族夫人としてはっきりと続けた。

「ミーナ、申し訳ないけれど、あなたにはこの屋敷から出て行って貰います」


――


 領持ち貴族になれば、ある程度の自治を認められている。


 その権限は独自の法の交付や税率の調整など多岐に渡る。

 ある意味、小さな国と言っても過言では無い。


 だがその代わりに領地を守る義務がある。


 そして、それは外国からだけでは無く、自国内の他貴族からも守護する必要がある。

 守ると言っても、当然、自国貴族が攻め込んでくる事はほぼ無い。

 それは国法で完全に禁止されているからだ。


 だが、攻撃というものは何も剣や魔術を必要とはしない。


 例えば内地にある領に対して、周りの領地が塩に高額な関税をかけたらどうなるか?

 例えば食料自給率の低い領地に対して、それに高額な関税をかけたらどうなるか?


 その領はあっという間に危機に陥る事となる。

 しかもこの場合、国は動かない可能性が高い。


 関税は領を与る貴族の権限だからだ。


 多少、宥める言葉をかける可能性もあるが、それをつっぱなれられたら国としても黙っているしか無い。

 いや、下手をすると、喜々として黙認する可能性すらあった。

 領運営が立ちゆかなくなった場合、領主は追放となり、その領は国が没収する運びになるからだ。


 だから貴族達は必死に社交をする。


 傲慢な大貴族相手にペコペコ頭を下げて、少なくない額を納める事となっても派閥に所属する。

 そして、同格以上の家と政略結婚をするのだ。


 特に当主の結婚は重要となる。


 貴族としての体面――もあるが、どちらかというとそれは命綱に近い。

 例えば中堅規模の伯爵家が大貴族に睨まれればひとたまりも無い。

 だが、伯爵家夫人の実家である伯爵家が加勢に来ればどうか?

 さらに、次期伯爵家夫人の実家も加勢してくれればどうか?


 さしもの大貴族も、手が出せなくなる。


 だから、ほとんどの貴族は政略結婚をする。

 当人がどれだけ嫌がっても、周りがそう強要する。


 なぜなら、それが当人の、親族の、領民の命綱になるのだから。


 崖を下る時に、井戸の底に降りる時に、海に潜る時に、人々が当然のようにするそれを、ごく当たり前のそれを、結び付けようとしているに過ぎないのだ。


 それは何よりも優先される。


 仮に名門レノ伯爵家であってもそうだ。

 だから、侍女ミーナ・ウォールはレノ伯爵夫人に切り捨てられたのであった。


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